SS メイドで癒しを
朔也は今、自身の置かれた状況にひどく困惑している。
それはなぜか。
原因は、いつも隣にいる最愛の彼女だった。
「ご主人様、こちらコーヒーとクッキーでございます」
いつも以上に丁寧な言葉遣いで、瀬那がコーヒーとクッキーを用意している。
朔也への呼び方がいつもと違うこと以外は、至って普通のおもてなしだ。
彼はそんな彼女を、不思議そうに見つめていた。
「どうかされましたか、ご主人様?」
「いや、違和感がすごくて……いや、マジで」
「え、でも。ご主人様のご所望の服ですよ?」
「ご所望って!」
今の瀬那の格好は彼女の普段着でも、学校の制服でもない。
普段のこの部屋の中では異質な格好……そう、メイド服を着ている。
黒いワンピースではなく、白ブラウスに黒のジャンパースカート、そして短めのエプロン。
クラシックスタイルのメイド服というよりは、スカート丈も学生服と同じくらいの、メイドカフェ寄りのスタイルだ。
髪にはフリルのカチューシャと、サイドに小さなリボンが添えられている。
「どうしてこうなった……」
テーブルに突っ伏した朔也の呟きに、瀬那は不思議そうに首を傾げていた。
◇◇◇◇◇
― 十数分前 ―
朔也は瀬那に抱きついていた。彼女は優しく抱き返している。
二人の体格差だけを見れば、朔也が瀬那を包み込んで、彼女を安心させているように見える。
けれど、現在はその逆だった。
朔也が瀬那に癒やされている状態である。
朔也は瀬那によって、メンタル面も癒されてきているわけだが、完全に治ったわけではない。
また、調子を崩すきっかけは、いつもはっきりしているわけではない。
それでも、瀬那にはわかる。朔也の呼吸が少し浅くなって、言葉が少なくなって、ピアスに触れる回数が増える。
そして、今日のように黙って抱きついてくる時があるのだ。
恋人関係になる前の朔也なら、自分から瀬那に抱きつく……要は、甘えることはなかった。
いつもは勘のいい瀬那が異変に気づき、そっと抱きしめていた。
瀬那にとって、朔也がこうして甘えてくれることは嬉しかった。
良い一歩だとも思うし、もっと頼ってくれていいとさえ願っている。
彼の現状を知った後だと、むしろどんどん来てほしいとさえ考えていた。
それは、自分にできる数少ない恩返しでもあると。
……純粋に、彼と触れ合うのが好きというのもあるが。
ただ、彼女は抱きしめるだけだと、なにか足りない気がしていた。
向上心が高い瀬那は、常に改善できないかと考えていたのだ。
ただ、いつも何も思いつかない。
「うーん……」
悩み始めた瀬那から、少し持ち直した朔也が体を起こした。
「ごめんな、瀬那」
「謝るのは駄目ですよ」
「そうだったな。ありがとう、瀬那」
「はい♪」
瀬那が明るく笑った時、テレビから音声が流れた。
『△△△駅の近くに、新しくメイドカフェができました!』
メイドカフェ。
その言葉に反応する男性は少なくないだろう。
朔也は興味があるわけではないので、ただ単にテレビの声に反応して顔を向けただけだった。
だが、その反応に瀬那は勘違いをする。
メイドさん……朔也も好きなのではないかと。
ふいに、瀬那は思い出した。
以前、浩紀と愛莉に同居がバレた時のことを――
『さ、朔也くん! やはり、今度メイド服を買ってきた方がいいですか!?』
『えっ』
あの時、朔也の反応を思い出すと、何か考え事をしていた。
「……あっ!」
急にあげた瀬那の声に、ビクッと朔也が反応して振り返る。
「良いものがあります!」
「えっ!? いきなりどうした!?」
「良いものです! 少しお待ちください!」
「お、おう」
そう言って立ち上がった瀬那は、困惑する朔也を置いて自室に入っていった。
そして、押し入れに放置されていた衣装袋を取り出す。
この中には、先日、愛莉が「絶対に似合うから!」と言って置いていった……ある服が入っている。
正直、着る機会なんてないと考えていた瀬那。
「朔也くんのためなら、問題ありません!」
そう力強く思い、その袋を開け、いそいそと着替え始めるのだった。
◇
自室から出てきた彼女を見て、朔也は困惑していた。
……目の前には、メイド服姿の瀬那がいる。
似合っている。
髪色や瞳の色、それに整った顔立ち。似合わないわけがない。
それは間違いないのだが、弱っている時にこれは少し、いや、かなり心臓に悪い。
制服姿も、私服も、寝起きのぼさぼさ頭も——どんな瀬那でも可愛いと思ってきた。
だが、これは反則だ。
朔也の中で、何かが静かに叫んでいた。
「えっと、どうしたんだ?」
朔也の疑問に、瀬那は真剣な表情のままだった。
彼の目には、ふざけているようにはとても見えない。
「……なんでメイド服なのさ?」
「ご奉仕です」
「いやいや、理由になってない」
「朔也くんを元気にするためですよ」
この状況だと、別の意味にもとらえられる言葉を発した瀬那。
少し呆れながら見る朔也は、頭を抱えていた。
「まずは、良い時間ですのでお茶にいたしましょうか。コーヒー、お紅茶、ジュース……何がよろしいですか?」
「……コーヒーでお願いします」
「はい、それではテーブルでお待ちください、ご主人様♪」
最後の言葉に、言葉を失う朔也だった。
もう何も考えられず、言われるがままにテーブルの席に着くのであった。
◇◇◇◇◇
― 冒頭へ ―
コーヒーとクッキーを取りながら、少し頭が冷えた朔也は、改めて瀬那の恰好を見た。その彼女は「メイドですから」と同じ席には座らず、朔也の横で立っていた。
そのお陰で、彼女の全身を見ることができた。
純粋に可愛いと思える。
普段のかわいい服での彼女の姿とも違い、何か背徳感のある可愛さ。これはこれで、妙にムズムズする。
「どうかされましたか、ご主人様?」
「……っ。その、ご主人様って止めないか?」
「ご主人様はご主人様ですから、この格好の時は、そうお呼びするものです」
「マジかよ」
実は、瀬那は内心、楽しくなってきていた。
普段しない格好。それも特殊なものとはいえ、可愛い服。
それに、いつもなら言わないような言葉……「ご主人様」。
彼女も彼女で、このいつもとはまるで違う、不思議な状況に気持ちが浮き立ってしまっていたのだ。
「では、お食事も終わりましたので、次はマッサージですね」
「いや、さすがに悪いから良いよ」
「私はメイドなのですから、遠慮は不要ですよ、ご主人様。それでは、このソファに横になってください」
「食べたばかりなのだけど……」
瀬那は少しうつむき、悲しそうな顔をした。
「それとも、メイドの私ごときでは、ご主人様に触れてはダメだ……と?」
いつもの瀬那の言い回し。でも、少し違う言葉と感じる背徳感。
「そ、そんなことはない……」
気持ちが浮き立っている瀬那に、気迫で押された朔也はそのままソファへとうつ伏せで倒れこむ。
瀬那はその彼の肩や腰を押し始めた。
「こっていらっしゃいますね。高校生でここまで硬いって大変ですよね」
「あぁ……っ……」
「大丈夫ですか、痛い場合はおっしゃってくださいね」
言葉とは裏腹に、瀬那の指は容赦なかった。
肩甲骨の内側、首の付け根——普段、自分でも気づいていなかった場所を的確に押してくる。
「そこ……っ、待って、結構——」
「我慢してください」
「ひどくない!?」
「痛い方が、効いている証拠です」
有無を言わさぬ笑顔だった。
メイド服姿でそれをやられると、なぜか言い返せない。
「愛莉さんに教えてもらいました」
「あいつ、何を教えてるんだ……」
朔也は愛莉がマッサージ上手とは初めて聞いた。もしかして、浩紀にやっているのかもしれない。それを想像した彼は、なんとも言えない気持ちになった。
「良いじゃないですか。お役に立っているでしょう?」
「……否定できないのが悔しい」
そうこうしているうちに、じわじわと力が抜けていく。
痛みが引いた後に残るのは、不思議な軽さだった。
「……瀬那」
「はい、なんでしょうか、ご主人様」
「いや、その呼び方はもういいとして……だいぶ楽になった。ありがとう」
「本当ですか?」
朔也の声から、先ほどまでの硬さが少し抜けている。
それに気づいた瀬那は、胸の奥で、何かがそっとほどけるような感覚があった。
思いつきで始めたことだった。
愛莉が置いていったメイド服を着て、いつもと違う呼び方をして、少しでも朔也の気を紛らわせられたらいい。
ただ、それだけだった。
けれど、こうして朔也の表情が少しでも和らいでくれるなら、恥ずかしさを我慢した甲斐はある。
「では、次のご奉仕に移ります」
「まだあるのか?」
「もちろんです。メイドですから」
「メイドって、そんな万能職だったか?」
呆れたように言いながらも、朔也の口元にはわずかな笑みが浮かんでいた。
それを見た瀬那は、ほんの少しだけ自信を得る。
「こちらへどうぞ」
瀬那はソファに腰を下ろし、ぽんぽんと自分の膝を叩いた。
「……瀬那さん?」
「膝枕です」
「いや、見ればわかるけど」
「先ほど抱きしめた時より、今はこちらの方が落ち着くかと思いまして」
真面目な顔でそう言われ、朔也は言葉に詰まった。
瀬那はふざけているわけではない。
メイド服という格好こそ妙な方向に振り切れているが、その根っこにあるのは、ただ朔也を少しでも楽にしたいという気持ちだ。
それがわかるからこそ、朔也は強く断れない。
「……じゃあ、少しだけ」
「はい。少しだけです」
朔也は観念したように息を吐き、瀬那の膝に頭を預けた。
柔らかな太ももの感触と、顔のすぐ横にあるフリルのエプロン。そして何より、見上げると普段より短いスカートから覗く白い素肌が否応なく視界に入り、どこを見ればいいかわからなくなる。
ほんのりと香る、いつもの彼女の匂いが、すぐそこにあった。
これがあれば、たいていのことはどうでもよくなる気がした。
——そんな自分が、少し情けなくて、でも悪くないとも思う。
それだけで、胸の奥に残っていた重たいものが、少しずつほどけていくような気がした。
「……やっぱり落ち着くな」
「それはよかったです」
瀬那は嬉しそうに微笑み、そっと朔也の髪を撫でる。
何度も、何度も。
急かすことなく、ただそこにいると伝えるように。
朔也は目を閉じた。
瀬那の指が髪を梳く感覚が心地よく、思考がゆっくりと沈んでいく。
「ご主人様」
「ん?」
「耳かきもしますか?」
「……なんでそうなる」
「ご奉仕の締めです」
瀬那は満面の笑顔を朔也に向けていた。
これも、さも当たり前と言った顔だ。
「……誰に吹き込まれた?」
「愛莉さんです」
「あいつ……」
小さく呟いた朔也だったが、声にはもう棘がない。
むしろ、少しだけ諦めたような、柔らかい響きがあった。
「嫌でしたら、やめますよ?」
「……嫌ではない」
「では、決まりですね」
瀬那は用意していた耳かきを手に取り、朔也の髪をそっと避けた。
近い。
いつもより、ずっと近い。
瀬那の吐息が、かすかに耳にかかる。
朔也は目を閉じたまま、微妙に息を止めていた。
——気づかれていないと、いいのだが。
「痛かったら言ってくださいね」
「あぁ」
「動かないでくださいね」
「わかってる」
「それと……」
瀬那は少し間を置いた。耳かきを持つ手が、わずかに止まる。
「まだあるのか?」
「今日は、ちゃんと甘えてください」
その言葉に、朔也は薄く目を開けた。見上げた先で、瀬那が少しだけ照れたように、それでもまっすぐ彼を見ている。
「……十分、甘えてるだろ」
「もっとでもいいですよ」
朔也はゆっくりと手を伸ばし、耳かきをしていない方の瀬那の空いた手を、そっと握りしめた。
瀬那の肩がビクッと跳ねるが、振り払おうとはしない。むしろ、少しだけ指を絡め返してくれた。
「……ずるいな、お前」
思わず本音が出た。
瀬那はそれを聞いて、少しだけ得意げに微笑む。
——その顔もまた、心臓に悪い。
「メイドですから」
「それ、便利な言葉になってないか?」
瀬那はくすりと笑い、耳かきを始めた。
朔也は何か言いたげにしていたが、すぐに目を閉じる。
やがて、彼の呼吸がゆっくりと落ち着いていった。
しばらくすると、朔也の呼吸はさらに穏やかになっていた。
瀬那の膝の上で目を閉じている彼は、いつもより少しだけ幼く見える。
「……お疲れ様です、ご主人様」
小さくそう呟いて、瀬那は彼の髪をそっと撫でた。
今日の自分は、少しくらい彼の役に立てただろうか。
そう思いながら見下ろす朔也の表情は、先ほどよりずっと穏やかだった。
「……ところで瀬那」
「はい?」
「その格好で膝枕は、やっぱり心臓に悪い」
「……今それを言いますか!?」
抗議するように少し頬を膨らませた後、瀬那は悪戯っぽく目を細め、朔也の耳元に顔を近づけた。
「でも、嫌とはおっしゃいませんよね……ご主人様?」
「……っ、お前なぁ」
耳元でそう囁いた瀬那の声と、それに降参した朔也の笑い声。
さっきまでの重さは、もうどこにも残っていなかった。
こちらは、コメントをいただいたので書かせていただきました。
少し王道から逸れた形にしてみました。
もっとイチャイチャさせる案もあったのですが、今回は甘さ控えめの癒やし寄りにしています。
※ コメントをくださった方のお名前は、念のため伏せさせていただきます。




