第12話 同じ側の人間
オフィスビル十二階の一室で、俺と南雲は須藤先生と向き合っていた。
須藤先生は中一の頃からの付き合いで、俺にとって数少ない信頼できる大人だ。この人に出会っていなければ、今の俺はいなかったかもしれない。
「久しぶりだね、朔也くん」
「お久しぶりです、先生」
「それで、この方が話にあった女性かな」
先生は南雲の方へ視線を向けた。
「そうです。同級生の南雲さんです」
「初めまして、南雲です」
「初めまして、須藤明です。弁護士をしています。聞いているかもしれませんが、朔也くんとは三年ほどの付き合いになるね」
「そうなのですね」
一通り自己紹介をしてから、一呼吸置く。
隣で南雲の背筋が、わずかに伸びたのがわかった。
「では東條様、始めましょうか」
先生は壁の時計を一瞥して言った。
弁護士への相談はタイムチャージ制。須藤先生も例外ではない。
それまで柔らかかった先生の表情が、わずかに仕事の顔に変わった。
――ここからが、本題だ。
◇
俺が簡単に経緯を説明し、助言を求めた。
火事があったこと。住む場所がなく、とりあえず俺の家に避難していること。
一通り話を聞いた須藤先生は、南雲に視線を向けた。
「月並みな確認になりますが、ご両親にはご連絡されましたか?」
「……」
俺は聞かなかったところだ。
先生もある程度は予想しているだろうが、確認は必要なのだろう。
南雲は少し困ったような表情を浮かべた。
「俺は席を外そうか?」
「いえ、大丈夫です。……両親とは連絡を取っていません。仮に連絡しても、何もしてくれないと思います。むしろ嬉々として状況を引っ掻き回すだけかと」
――“予想”ではなく、“断定”。
その声には、怒りも悲しみもなかった。ただ、諦めだけがあった。
仲は良くないのだろうとは感じていたが、希望すらないとは。
「他に連絡できるご親戚はいらっしゃいませんか」
「叔母には連絡できますが……同じです。面倒を見てくれていた曾祖母は、一昨年亡くなってしまって……」
(今朝言っていた、ひいおばあちゃんのことか)
「なるほど。辛いことを聞いてしまいましたね。失礼しました。未成年という立場上、本来なら保護者と連絡を取ることを勧めますが……ご事情がありそうですね。これ以上は伺いません」
「すみません」
須藤先生は一切迷わず、言い切った。
「謝ることではありませんよ。あなたの状況は、法的にも社会的にも『保護対象』です。困るのはあなたではなく、対応を誤った側です」
その言葉は、冷たい法律の条文ではなく、凍えていた彼女の心を包み込む毛布のような温かさを持っていた。
「――同じように『ひとりで生きる選択』をした人を、私は知っていますから」
そう言って先生は、ゆっくりと俺を見た。
先生にとっては、南雲も俺も、同じ位置にいるのだろう。
「今、すべき事は多くありません。まずは話した通り、出火元と南雲様の火災保険の確認。それと管理している不動産会社と話すことです。敷金と今月の賃料が、日割りですが戻ってきます。『火災』という観点では、放火など故意が立証されない限り、これ以上の請求は難しいでしょう」
「わかりました」
「本日のところは、このような形でよろしいですか?」
「はい、大丈夫です」
「ありがとうございます」
「ひとまず、今取るべき行動は整理できました」
弁護士から敷金と賃料が戻ってくることを、明確に教えてもらったことが大きい。
「もし、不動産会社が渋った場合、先生に確認したことを伝えてもよろしいですか?」
「もちろん。名前を出して構いません。もし対応に問題があれば、私から正式に連絡を入れましょう」
俺が確認したことに対して、先生から心強い言葉をもらった。
時計を見ると、ちょうど三十分ほど経っていた。相談はそこで一区切りとなった。
「すみません、お手洗いお借りします」
「はい、どうぞ」
南雲に気づかれないよう、俺は席を立ち、さりげなく受付へ向かった。
今回、俺が勝手に予約したので南雲に払わせるのは違う。
相談料がかかるのは知っているかもしれないが、知れば自分で払おうとするだろう。
……先生には、最初から見抜かれている気がする。
「……アイツには内緒にしてくださいね、金子さん」
「ふふ、わかってるわよ」
苦笑いする金子さんにカードを手渡し、俺は支払いを済ませた。
◇◇◇◇◇
Side:南雲 瀬那
東條さんがお席を立たれた後、須藤先生は私の方を向いて、静かに口を開かれました。
「大変な状況だと思いますが、気をしっかり持ってください」
「はい、ありがとうございます」
「弁護士としてではなく、一人の大人として言うなら――高校生二人の同居は、本来止めるべきでしょう。ただ、朔也くんが決心しているなら、私がこれ以上口を出すことではないとも思っています」
先ほどまでの理知的な口調とは違い、どこかご親戚の子に話しかけるようなお声でした。
「……東條さんのことを気にかけていらっしゃるのですね」
「どこまで聞いているかわからないので、踏み込んだ話は控えますが……彼は中学一年生の頃からの付き合いですからね。情はあります。あの頃の彼は、南雲さんとは別の意味で大変な状況でした」
先生は、わずかに苦い表情を浮かべられました。
「今は落ち着いて見えるかもしれませんが、まだ整理しきれていないものを抱えていると思います」
「……」
「それがあってか、彼は人を遠ざけようとするところがある。だから私は、彼のこれからが少し心配でした。――でも」
先生は、ほんの少しだけ目を細められました。
「南雲さんを助けようとしています。つまり、自分から誰かに関わろうとしている。……それは彼にとって、とても良い兆候に見えます」
「……」
「私が言う立場ではないのかもしれませんが、これからも彼と仲良くしてあげてください。生活を共にすれば、きっと問題も出てきます。嫌なところや納得できないことがあれば、ちゃんと話し合ってください。朔也くんは、他人の言葉に耳を傾け、しっかり話を聞くことができる子です」
「……まだ知り合って間もないですが、それは私も感じています」
「それなら安心しました。――私からのお願いは一つだけです」
先生の理知的なお声が、静かに、けれど明確な重みを持って低くなりました。
「くれぐれも、彼に対して『雑な裏切り』だけはしないであげてください」
ひどく真剣な目をされていました。
『雑な裏切り』――その言葉の奥にある、東條さんの過去の痛みまでは、私にはまだわかりません。
けれど。
今、何も見返りを求めずここまでしてくださっている、不器用で優しい彼を、私が裏切りたいと思うはずがありませんでした。
「はい。もちろんです」
私は、先生の目を真っ直ぐに見つめ返して頷きました。
「ありがとうございます。もし何かあれば、いつでも私に連絡してください。弁護士としてではなく、ただの『須藤明』という一人の大人として相談に乗ります」
そう仰って先生は、私に真っ白な名刺を差し出されました。
名刺の紙は薄いのに、込められたお気持ちのせいか、なぜかひどく重く感じました。
私はそれを両手で受け取り、大切に手帳へしまいます。
東條さんの過去に何があったのかは知りません。
けれど、この須藤先生という方が、彼を心から大切に思っていらっしゃることは痛いほど伝わってきました。
一人暮らしをして、大人びて見える彼のそばにも、こうして親身になって気にかけてくださる本物の大人がいる。
それはきっと、とても幸せで、尊いことなのだと思います。
――だって、私には、そんな大人は一人もいないのですから。
◇◇◇◇◇
Side : 東條 朔也
応接室に戻ると、ちょうど先生が南雲に名刺を渡しているところだった。
これで繋がりはできたはずだ。
何かあれば相談できる、信用できる大人がいる――それは南雲にとって、きっと大きい。
……親が信用できないなら、なおさらだ。
「準備できたから、そろそろ出ようか」
「はい。……須藤先生、本日は本当にありがとうございました」
「いえいえ、少しでも手助けになったのなら何よりです。頑張ってくださいね。最後に一つだけ。――不動産会社へ行くときは、必ず朔也くんが一緒に行ってください」
「もちろん、そのつもりです」
当たり前のように答えた俺を、南雲が驚いた顔で見た。
そして、申し訳なさそうに視線を落とす。
「さすがにそこまで、面倒をおかけできません」
「面倒とは思っていないけどね。むしろ俺が行かないと駄目なんだ。女子高生一人で行ったら、なめられるだけだから」
「そんなことは……あるんですか?」
南雲が先生に視線を向ける。
「遺憾ながら、そういう事はありますね。高校生と言うだけで、軽く扱われることは珍しくありません。でも、朔也くんが一緒なら大丈夫ですよ」
女性ひとり、しかも高校生。
それだけで不動産屋の対応が雑になることは、残念だけど珍しくない。
――見た目が不良の俺が横にいれば、抑止力くらいにはなる。
「……ありがとうございます、東條さん。なんだか、最強の用心棒を雇った気分です」
「用心棒って。……まあ、威圧感のあるこのジャラジャラしたピアスも、たまには役に立つってことだな」
自嘲気味に笑って耳たぶを触る俺の隣で、南雲もようやく少しだけ、張り詰めていた肩の力を抜いたようだった。
「それでは、南雲様、東條様。二人とも頑張ってください」
「ありがとうございました」
「先生、今回もお世話になりました」
俺たちは深く頭を下げて挨拶をして、須藤法律事務所を後にした。
これから先の不動産屋との面倒な交渉や、先が見えない生活のことを考えれば、南雲はきっと不安に押しつぶされそうになるはずだ。
それでも、ここは絶対に乗り越えないといけない。
――親と上手くいかなかった、俺たちみたいな『同じ側』の人間は。
冷房の効いたオフィスビルを出ると、強い太陽が容赦なくまぶしく照りつけた。
俺は、眩しそうに目を細めて隣を歩く彼女を見下ろし――
どうかこの光が、南雲の未来を少しでも明るく照らしてくれればいい、と、柄にもなく願ってしまった。
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