第108話 彼女のための寄り道
俺たち二人は、電車に揺られている。
今日知った、瀬那とその家族との歪みは予想と違っていた。
祖父である景時さんの反応はよくわからない。貴臣みたいにわかりやすいと良いのだが、予想と違い、瀬那を邪険に扱っている視線ではなかった。
(むしろ……)
そして、もう一人の女の子。後から名前がわかったが、『海澄』というらしく、瀬那の妹だそうだ。
――この妹の方が、どう考えてもヤバい。
このままいけば、跡取りはこの子になるか、表だけ兄が出て、裏で彼女が動かす形になりそうだ。
一つ下ということは、まだ中学生……詩織と同い年か。……到底そうは思えない。
詩織の方が何倍も可愛げがある。
(少なくとも三回……仕掛けてきていた)
瀬那はそれには気づいていないはずだ。まあ、妹が近寄ってきたのは気に入らなかっただろうな。
彼女の元に戻ったら……すごく睨まれたし。俺のせいじゃないんだけど。
駅までの車内でも、無理しているのがわかるほど精神的にきているようだった。
駅で実家に寄る相馬さんと別れ、電車に乗ると、南雲家との関わりが薄れたのがよくわかったのか、瀬那は安心したように俺の肩へ頭を預けて眠っている。
しばらく揺られながら、だいたい半分ほどの位置まで戻ってきた時、よく寝ている瀬那には申し訳ないが、起こすことにした。
「瀬那、起きて。ちょっと寄り道しようか」
「ふぁ……はいぃ……」
眠そうな目をした瀬那を連れて、途中の駅で電車を降り、軽く昼食を取る。瀬那はまだ浮かない表情をしていて、食欲も少なめだ。
大丈夫。目的はこれではない。
昼食後、「ちょっと散歩しようか」と、瀬那の手を引いて歩き出す。
「どこに行くのですか?」
「大丈夫……良いところだよ」
夏の陽は強く、アスファルトの照り返しでひどく熱い。暑い、というより熱い。
だが、その不快感もすぐに落ち着くことになる。歩いて十分ほどの場所に、綺麗に整えられた林道が見えてきた。そこを道なりに進む。
「涼しいですね。先ほどの暑さが嘘のようです」
「近くに川が流れているからかもな。陽の熱さも木々で防がれて、気持ちいいぐらいになっているな」
小鳥の囀りに、木々の間を吹き抜ける風。青々とした葉の匂いが鼻をくすぐる。
アスファルトの上を歩いていた時とは大違いの過ごしやすさに、自然と足取りも軽くなる。
さらに歩みを進めると、透き通った川が見えてきた。小さな滝まであり、風に乗って運ばれてくる微かな水飛沫が、火照った体を優しく冷ましてくれる。
「気持ちいいですね。心なしか、身体が綺麗になっていくように感じます」
「ああ、森林浴も相まって、いい気持ちだな。……少し、近くまで行くか?」
「はい」
遊んでいる子どもたちの間を通り、川のせせらぎが聞こえるぐらいまで近づき、靴を脱いだ。お墓参り帰りなので格好が場違いだが、ここで気にするやつはいないだろう。
近くにちょうどいい大きな石があったので、小さなレジャーシートを置いて二人で座り、水に足をつけた。
「気持ちいいです」
「だな」
「……」
しばらく沈黙が続くが、嫌な時間ではない。二人の間に、ゆったりした時間だけが過ぎていった。
聞こえるのは虫の声と、優しい川の音。それに、川で遊んでいる子どもたちの声。
さっきまで強張っていた瀬那の横顔が、川の音に少しずつほどけていった。それを見ただけで、寄り道して正解だったと思えた。
「……ありがとうございます」
「何がさ?」
「私を気遣って連れて来てくれたのでしょう? 簡単に見つかるところではないですから、事前に何があってもいいように探していたのでしょうし」
……バレたか。
だが、それを認めるのはなんだか悔しい。
「違うし。この先にある茶屋で、かき氷が食べたかっただけだから」
「……うふふ、そういうことにしておきますね」
弄られはしたが、笑顔になってくれたのならいい。
引きずらないようにもう少しフォローしたいところだが、下手につつくと蒸し返すことになりそうで少し怖い。
少し休んだあと、予定通りに、かき氷が有名な茶屋へ向かった。
ここは山の麓にあり、冬の寒さを利用した天然氷を使っている。ふわふわの氷が特徴で、秘伝の蜜がその氷に合うと評判だ。
調べていた時、せっかく近くを通るなら、瀬那を連れて行きたいと思っていた。和やかに終わったとしても、普通にデート気分で楽しめるしな。
思ったよりは並んでおらず、ベンチに座って順番を待つ。
ここは林道と違って屋根があまりないので、日陰が少ない。日傘を差すと他の客に迷惑になるので、どうしたものか。
悩んだ末、リュックから薄手のタオルを取り出し、瀬那の頭の上にちょこんと載せた。それと、ハンディファンを取り出して瀬那の首元につける。このハンディファンは接触でしか効果はないが、冷却機能付きなので助かっている。
「ありがとうございます。ふぅ……これだけでもだいぶ違いますね。でも、朔也くんは大丈夫ですか?」
「俺はこれがあるから大丈夫だ」
取り出したのは冷感タオル。これを濡らして首に巻くだけでもだいぶ違う。
ただ、濡らす必要がある都合上、今の瀬那の服装に使わせるのは少々気が引ける。
俺は少しベンチから離れて、水をこぼしてもいいところに移動した後、このために用意した水をタオルにかけて、軽く絞る。
「結構有効なんだよな、これ。濡れるのがデメリットだけど」
「そうなのですね。使ったことがないので、触ってみても良いですか?」
「もちろん。ほれ」
手を伸ばしてきた瀬那の手首にタオルを巻いた。ここなら特に問題はないだろう。
手首に巻くと、「ビクッ」と一瞬だけ瀬那が反応したのがわかった。
「思った以上に冷たくてびっくりしました。これなら効果ありそうで安心です」
これで熱中症対策は問題ない。準備しておいて正解だった。
しばらくしたら自分たちの番になり、美味しいかき氷を食べることになった。
俺は名物の小豆粒あんと白あんが別添えになっているものを頼み、瀬那は抹茶あんと黒蜜を頼んでいた。
もちろん、瀬那は俺に「あーん」を所望して、お返しにとやり返すことを忘れていなかった。
まったく、食べさせあいっこが好きだな、この子は
◇
寄り道したため、帰宅は夜になってしまった。電車の中で、瀬那はまたうとうとしていた。今度は起こさずにいた。
急いで食事を済ませ、風呂に入って、今は就寝前。お互いに疲れているだろうが、無事に今日を終えられそうだ。
先に寝る準備ができた俺は、布団に入り、今日のことを思い出す。
それは景時さんが、俺と二人きりで話した時の言葉。
『瀬那を裏切ることだけはしないことだ。……もしもの時は、わかっているな?』
脅しだ。
ただ、瀬那を思っての脅し。それをわざわざ瀬那に聞こえないように二人きりにして言うということ。
それは、どういう意味なのか。
(どう考えても景時さんは、瀬那を嫌っているわけではなさそうだ)
だけど、瀬那を守ることはしていない。
兄がアレなんだ。両親も似たり寄ったりだろう。それを咎めることができる立場なのに、していない以上、俺からしたら同罪だ。
(正直、突拍子もない予想はできるが……)
ガチャ。
俺が長いこと考えていると、瀬那が部屋に入ってきた。
恋人関係になってからも、添い寝は終わっていない。……どちらかというと、付き合う前から添い寝している方がおかしかったのだけどな。
瀬那は、いつも通り壁側の布団に入る。
ただ、横になっている俺の腕をいつもより強く抱きしめていた。いつもより距離の近さを意識してしまい、自然と心拍数は速くなるが……
(今日は嫌なことがあったからな。不安定なんだろう)
瀬那の頭に自由な方の手を置いて、優しく撫でる。
「んっ」
小さく反応する瀬那を愛おしく感じながら抱きしめると、彼女は安心したのか、目を閉じて規則正しい寝息を立て始めた。
いつもより眠りに入るのが早い。
(やっぱりしんどかったんだな)
朱門さんのことも、いつか聞かなきゃいけない。
瀬那があの人を本気で嫌っているわけじゃないことくらい、俺にもわかっている。
ただ、それを今聞くのは違う気がした。
俺は、これからどうしたら良いかを考えながら眠りに落ちた。
答えはまだ出ない。それでも今夜は、それでいいと思えた。
――彼女を離さないように、しっかり抱きしめたまま。
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