第103話 不審な――
Side:――――
「あの男が殺されたらしいな」
男の忌々しげな声が、静まり返った和室に低く響いた。
室内には上質な畳の香りが微かに漂い、床の間には掛け軸が掛けられている。
胡座をかいているその男の声の余韻が、室内の空気を重く張り詰めさせていた。
「はい、犯人はまだ特定できておりません。唯一の手がかりとなる防犯カメラの映像を、当局に押収される前に確保したのですが……映っていたのはフードを目深に被った人物で、顔の判別はできませんでした。……ただ。体格からして、男ではないかと」
男の声に反応したのは、座卓を挟んで正座をしている男。声を荒げた者より若く、オールバックにきっちりとしたスーツを着ていた。
「あまり奴は使えなかったな。あの『化け物』の精神を壊してくれればいいものを……死ぬ前に、少しでも脅すことはできていたのか? 日々、怯えて暮らしていればいい」
「それが……どうやら、ずっと傍らに恋人がいるらしく、精神面では全くといって……」
「ほう、男がいるのか! ならば話は早い。その男を使って揺さぶってやればいい!」
妙案を思いついたとばかりに、男は身を乗り出して若い部下に詰め寄った。
しかし、若い男は顔色一つ変えずに首を横に振った。
「それが……どうやら、その男は『東條家』の者らしいのです。下手に手を出せば、東條家……最悪の場合、天煌院家から直接抗議が来る可能性が極めて高いです」
「……くそっ! どこまでも運のいい奴だ。忌々しいあの目を思い出すだけでも……今すぐ……っ!」
男は手に持ったグラスをギリギリと強く握りしめた。その手は怒りでブルブルと震え、今にもグラスを粉々に砕いてしまいそうなほどだ。
「旦那様。これ以上ことを荒立てれば、流石に景時様にも勘付かれます。ここはしばし、自重した方がよろしいかと……」
「……っ!」
ガシャン!
男は手に持ったグラスを、力任せに庭へと投げ捨てた。
……しばしの沈黙。
その沈黙を破るように、開け放たれた障子の先――よく手入れされた庭園から、コン、と乾いた竹の音が響く。
庭の片隅に据えられた鹿威しが、溜まった水の重みに耐えかねて岩を叩いた音だった。溢れ出た水が細いせせらぎへと戻っていく。その微かな音が、かえって沈黙の重さを際立たせていた。
◇◇◇◇◇
Side:東條 朔也
夏休みもお盆に入るころ、特に予定が無い俺と瀬那は、リビングのソファでのんびりとしていた。とは言っても、横に座っている瀬那は俺の肩に頭を乗せて寝ている。一緒にテレビ番組を見ていたのだが、連日の疲れが出たためか、数分前には寝息が聞こえ始めていた。
外から入る陽の光は暑いぐらいだが、室内はエアコンが効いていて涼しい。カーテンを閉めないのは非効率だとは思うが、今日は電気の明かりより、自然な陽の光の方がほしいと思った。
(その効果もあって気持ちが良いのだろうな)
肩に乗っている彼女の安らかな顔を見て、俺はそう思った。
恋人関係になってからの瀬那は、俺へのスキンシップが激しくなっている。付き合う前から何かと触れてきてはいたので、予想はしていたのだが……想定以上だ。『交際中』という大義名分ができたからなのか、ことあるごとに手を握ることは当たり前で、背中にもたれたり、腕を……いや、胸を押し付けてきたりする。……旅行の夜のことは全く懲りていないようだ。
『次のニュースですが――』
「……うぅ……ふみゅ」
瀬那が寝てからはボリュームを落としてはいたが、テレビの音声に反応し、身じろいでいる。そのまま起きるのかと思えば、彼女の頭はそのまま俺の肩を滑り、胸を通って、俺の膝へと滑り落ちた。意図せず膝枕状態だ。
俺の位置からは顔は見れないが、ここまで動いても起きていないようだ。彼女の髪の隙間から無防備な耳が見える。その耳たぶには二年前にあげたピアスがキラリと輝いて主張していた。
本当ならもう少しファーストピアスのままの方が良いのだが、瀬那は「もう、大丈夫だと思いますっ」と先走って付け替えていた。どうやら、俺があげたものをつけたいという欲求を抑えきれなかったようだ。
ピアスホールのことを考えるとあまり良くないのだけど、幸いにもあげたピアスのポスト(ホールに入れる棒の部分)がステンレスだったので、多分大丈夫だろう。変な素材のものを買わないで良かったと思う。
(それにしても、瀬那の耳ってなんでこんなにおいし……ダメだ、ダメ)
俺は俺で交際してから、変な欲求があふれ出るようになってきた。良いことなのか悪いことなのか判断がしづらい。
俺は誤魔化すように、膝の上にある瀬那の頭を撫でながらテレビに目を向ける。
「次は――の河川敷で見つかった大量の血痕ですが、人間のものでは無いことがわかりました」
ちょうどその時、ニュース番組の話題が変わり、物騒なニュースが流れていた。
ナデナデ。
この家からそう遠く無い場所で大量の血痕が見つかったのが、昨日。その事件……で良いのだろうか、とにかく続報が流れていた。
どうやら人間の血液ではないようで一安心だが、じゃあ何の血なのかという謎が残っている。
さすさす。
(よくいる動物なら、すでに検査してそうだけど。その検査の結果がすぐに出るのかは知らないが。もしかして……)
猫、犬、鳥。その辺りはすぐにでも調べそうなものだ。それらだとしても、不気味なことには違いない。
今のところ目撃者もいないことから、昼間の可能性は低いだろう。とりあえず、瀬那の送迎だけは気をつけないとな。
くにくに。
(あと、俺にできる対策としては……)
人、野良犬、熊……そして、未確認生物。
あらゆる可能性を考慮して対策を考える。
とは言っても、野良犬ならともかく、熊とまともに戦うのは避けたい。できても熊よけスプレーが限界だろう。
……未確認生物は知らん。会ってみないとわからない。
(とりあえず、瀬那が簡単にSOSを出せる方法は必須だ。できれば場所がわかるように……そういや、スマホの位置情報の共有を切っていなかった。でも、スマホのGPSは更新頻度がな……)
――コリコリ。
「ひゃぁ!」
「っ!」
聞いたことのないような甘い悲鳴が上がり、俺の体がビクッと跳ねた。
慌てて悲鳴の主を確認すべく顔を下に向けると、手で自分の耳をガッチリと押さえた瀬那が、真っ赤になった顔と若干の涙目で、俺を下からジトッと睨み上げていた。
「ど、どうした?」
「『どうした?』じゃ、ないですよっ。朔也くんの方からスキンシップをとってくれてるから、嬉しくてそのままにしてたら……っ」
「えっ? 俺が何かしたのか!?」
ニュースの防犯対策に夢中で、変なことは何もしていないはずだ。
……強いて言えば、さっきから手で『何かすごく柔らかくて気持ちいいもの』を触っていたような気もしなくはないが。
「も、もしかして全くの無意識ですか!? ……ニュース番組を見ながら、ずーっと、ずーっと! 私の耳を絶妙な手つきでこねくり回していたのですよ!」
「マジか」
瀬那の頭を撫でていたのは覚えているんだけど、何かの拍子に耳に触れたんだろうな。そのまま無意識に耳に手がいってしまったらしい。
「ごめん! わざとではないんだ……」
「念のために言っておきますが、怒ってはいませんよ。ただ、その……」
「その……?」
顔を赤くしている瀬那を見ると、とてつもないことをやらかしたのではないかと不安になる。彼女を傷つけていないと良いのだけど……。
「……ふぅ、こほん。そんなに不安そうな顔をしないでください。別に嫌なことや、やましいこ……とはしていません」
何か言い淀んだけど?
「……朔也くんって、耳がお好きですよね。――旅行の時だってそうだったのですから、ぜーったい、好きですよね?」
「……はい」
なぜか昔から、気に入った人の耳を触りたくなる。小学校の時に、親戚の年下の子供の耳を、ずっと触っていたことさえあったのだ。
――これが、フェチなのか!?
「別に、良いのですよ。朔也くんが《《私の》》耳を触ることは、嫌じゃないのですから。むしろ、朔也くんから触ってもらって嬉しいくらいです。……ただ、TPOは気をつけてくださいね。その……無意識の時の手つきが……ちょっと、その……っ」
「『ちょっと』なんだよ?」
「い、言えませんよ、そんなこと! 朔也くんのすけべ!」
急にガバッと起き上がった瀬那は、耳まで真っ赤に染めたまま、洗面所の方へドスドスと足音を立てて逃げていった。
それはもう、答えを言っているようなものではないだろうか。
……そうか。俺はそんな、思わず声を出させてしまうような、変な手つきをしていたってことらしいな。反省しよう。
その後、お返しとばかりに俺の耳を真っ赤になるまで弄られながら、瀬那のご機嫌を取るのに少し時間がかかったのは言うまでもない。
この話から第三章が開始になります。
これからも楽しんでいただければ幸いです。
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