SS 南雲 瀬那:精神科にて
今日は朔也くんに付き添って総合病院に来ています。手の怪我ではなく……精神科です。
定期的に通院しているということを、先日初めて教えていただいたのです。同居してからもう三か月が経とうとしているのに……全然気づかなくてショックでした。
朔也くんの性格からして、わざわざ心配させるようなことは言わないのは十分承知していますが……教えて欲しかった。
半ば無理矢理ついてきた形ですが、精神的なことなら、周りの理解が必要になると聞いたことがあります。朔也くんのことは精神面でもサポートしていきたい私としては、譲れませんでした。
彼としてはデリケートな部分だけに、あまり関わってほしくないかもしれませんが……。
『ついてくるとしてさ、先生に瀬那のことなんて言うんだよ?』
『そうですねー。……家族の付き添いでしょうか?』
『今まで一度も家族が来たことがないのにか……無理があるだろ』
『私が一緒に行くのは嫌だ……と?』
いつものやり取りと言えばそうですが、少し卑怯な手を使ったのは事実です。
『それはずるいって……』と、朔也くんが呆れていたので申し訳ないと思いつつも、反省はしていません。
そして現在、朔也くんは検査で席を立っています。部屋には椅子に座った私と、デスクの向こうに座っている女性の先生の二人っきりです。朔也くんが中学生からの付き合いらしく、元は須藤先生から紹介されたとのことでした。彼は彼で顔が広いですね。
「さて、南雲さん……でしたっけ? 東條さんとは恋人関係ってことでしたよね?」
「は、はい、南雲です。朔也くんとは数日前から恋人関係です」
「そう、数日前から……あれ? そんなに最近なの? 一、二か月前から付き合っていたりしないかしら?」
「いえ、正式に交際を始めたのは数日前ですね」
三か月前なら私と同居を開始したぐらいですが、二か月前ぐらいでメンタル関連でいうと……
「関係があるかどうかわかりませんが、二か月ぐらい前というと、朔也くんからメンタル関係……発作のことを教えてもらいました」
「そう、彼が教えたのね」
先生は口に手を当てて考え始め、ペンで机の上で何かを書いています。
「うーん、そのことがそれぐらいだとして……やっぱりそうなのかもしれないわね」
「……何がでしょうか?」
私が彼に『何か』をしていたのなら……怖い。
「精神科関連の問題は数値にしづらいのはわかるでしょ? 私の所感でしかありませんが、彼の経過を観察していると、ここ一、二か月で良くなっているように感じたのよ。その理由について彼は心当たりはなかったらしいけど……原因がその件なら納得するわ。彼自身ではわかりづらいところだろうけどね」
そのことを言った先生は、少しニヤッと笑って続けた。
「わざわざ病院まで心配して付き添ってくるくらいだから、あなた、彼の過去も発作も、全部ちゃんと受け入れたのでしょう。だからきっと、彼は無意識のうちに安心したのではないかしら。自分を拒絶しない居場所ができたって」
「……っ」
私のせいで悪化していたのではと不安でしたが、『何か』が良い意味だったようで心底安心しました。あのころから、私が少しでも彼の心の支えになれているのなら――本当に、良かった。
「ピアスの件も聞いているとは思うけど、恋人ができて精神が安定するのなら、それはそれで良いのよ。薬に頼るよりずっとマシ。『オキシトシン』という幸せホルモンがあるのだけど、ストレス緩和やリラックス効果、幸福感の向上などの効果があるの――」
先生が急にスラスラしゃべり始めました。大事なことをおっしゃっているはずなのに、その勢いが凄くて……頭に入り辛いです。
「――簡単なことで出せるから、あなたが嫌じゃなければ彼にやってあげて」
「簡単なこと?」
私にできる事なら、できる限りやるつもりですが、悪戯をするような、少し揶揄った表情をしていた先生に少したじろいでしまいました。
「そう、簡単よ。ただ単に触れ合っていればいいの。手を繋ぐでも腕を組むでも良いし、もちろんハグでもね。研究によっては五分から十分ぐらい持続するとピークになるとも言われているわ」
「そうなのですか!?」
恋人関係なのですから、手を繋いだり抱き合ったりしても問題ありませんし、彼のためにもなれば、どちらにとっても嬉しいことです
……付き合う前からしているのはこの際、黙っておきます。
「そういうことなら、それは毎日欠かさず実践しないといけませんね! 朔也くんのためですから。もちろん私も全く嫌じゃありませんし、むしろ彼に絶対に必要なことですし!」
「うん、うん。とってもよくわかっているわね! それで良いのよ、若いんだし! だからお薬代わりに、お家でいっぱい抱きしめてあげて♪」
お医者様から直々に『スキンシップという処方箋』という大義名分をいただいてしまいました。これは恋人として、しっかりと責務を全うしなければなりません。
嬉しそうに、そして愉快そうに同意する先生。普通のお医者さんと違って精神科の先生って少し変わっているのだろうか。だから――
「……付き合いたてで言うのはどうかと思うけど、もし別れる時は気を付けてあげてね」
「……!」
――急に真面目な顔とトーンで言われると、温度差がすごく、大事なことを言っているのがよくわかります。
同じようなことを須藤先生に言われたことがあります。「雑に裏切らないで」と。……その理由が今ならよくわかります。朔也くんがもし、私に心を許しているのなら、それをしたことで彼がどれだけダメージを受けるのかを……理解しなくてはいけません。
「さっき言ったことと反するのだけど、恋人ができるのは諸刃の剣でもあるのよ。だから、お願いね」
朔也くんをちゃんと心配しているのがわかります。彼はここでも良い先生に出会えたのでしょう。
「もちろんです。裏切るつもりはありませんが、少しも不安にならないように常日頃から伝えていきます」
「はい、お願いね。まだ戻ってこないようだし、南雲さんから何か聞きたいことはありますか?」
聞きたいこと……実は一つあります。
簡単には調べたのですが、専門家の方に聞く方が安全です。
「一つだけあります。以前、朔也くんが過去の話で『もう何があっても恐れる必要はない』と自分に強い暗示をかけたのではないかと言っていました。それが気になって私なりに色々と調べてみたのですが……彼は"感覚低下"、もしくは"感覚脱失"の症状を抱えていたりしませんか?」
「……なぜ、そう考えたのでしょうか?」
先生は試すような、値踏みするような鋭い目で私を見ています。
「……あの、私を庇ってナイフで刺されたことがあるのですが、その時、彼はあまりにも痛みを感じていないように見えたのです。それが、どうしても異常に感じてしまって。もし、本当に痛覚が麻痺しているのなら、私も日常から気をつけて見てあげないといけないと思いまして」
私の回答を聞いて、先生の表情は元に戻りました。
「そうよ、彼は転換性障害、症状としては感覚脱失が表れてるわ。ただ、彼の場合は、随時ってわけではなく特定のタイミングで発生してしまうみたいね。……それに関連して伝えとくと、体のリミッターを外すこともできるみたい」
「体のリミッター……」
以前、何かで見たことがあります。人間の脳は通常、筋肉や骨が壊れるのを防ぐために、筋力の出力を意図的に七割から八割程度に抑え込んでいるらしいです。これを制御している一つが『痛み』です。
朔也くんがその『痛み』を無視してしまう体質なら……いずれ無自覚のうちに体を壊してしまう可能性があります。いえ、ストーカーから私を守ってくれたあの時、彼は既にその『リミッター』を外して無茶をしていたのかもしれません。
「身体能力が高いのだとばかりと考えていましたが……そういう理由があるのですね」
「そうよ。本来、これは意図的に制御できるものではないのだけど……彼の場合、意図的に引き起こしているような気がしなくもないのよね……」
「え?」
申し訳ございませんが、最後は何を言っているのかわかりません。
「それってどういう……」
ガチャ。
私が確認しようとすると、朔也くんがちょうどよく帰ってきました。彼の前でする話ではないと思い、それ以上聞くことはできませんでした。
◇
病院からの帰り道、もちろん手を繋いで歩いています。オキシトシンをいっぱい出さないといけませんからね! 人がいなければ腕を振って歩こうかとも考えています。
「そういや、先生と何を話していたんだ?」
たぶん、朔也くんがずっと気になっていたであろう、私と先生との会話内容を尋ねてきました。全て話すことはできませんが――
「私と付き合うことで、朔也くんのメンタルに良い影響が出るみたいです! あと、触れ合うことでオキシトシンという、幸せホルモンが分泌されるから、いっぱい抱きしめてあげてくださいっておっしゃっていました♪」
「はぁ!?」
「だから、帰ったらいっぱい抱きしめますので、覚悟していてくださいね!」
私の言葉に困惑したのか、呆然とする彼を見たらさらに言いたくなります。
「別に私としては、ここで抱きしめても大丈夫ですよ?」
「アホか!」
ベシ!
「痛っ!」
さすがに調子に乗りすぎましたね。朔也くんに頭を叩かれてしまいました、少し反省です。
だけど、帰ったら容赦しませんので――お覚悟を!
― 南雲 瀬那:精神科にて 完 ―
最後を書きたいがための SS です(笑)
なんだろうか、だんだん瀬那がアホな子になってきた気がします……




