第102話 (第二章終幕):今より前に進むために
花火大会の夜――晴れて恋人同士となり、俺たちの関係が大きく変わった次の日。俺と瀬那は部屋でじっと向き合っていた。
目の前の彼女が、心臓の音が聞こえそうなほどひどく緊張しているのが伝わってくる。だが、それも仕方ない。これからやることは、彼女の人生でも『初めて』の経験なのだから。
「やっぱり……その、い、痛いですよね……?」
「あぁ、多少は痛いだろうな。それに少し血も出るよ。……よし、そろそろやろうか」
「そ、それを決めるのは私ですっ! ……ふぅ、……ふぅ……はい、一思いにお願いします!」
瀬那は小さく深呼吸をして、必死に自分を落ち着かせようとしていた。
ギュッと目を閉じて、その時が来るのを待っている。彼女の小さな手は俺の服の裾を強く掴んでいて、その指先が小刻みに震えているのがよくわかった。
「よし、じゃあ三つ数えたらやるぞ」
「……わかりました」
いざやろうとすると、彼女の身体にさらにビクッと力が入った。痛いのが怖いのはわかるが、それにしても全身を強張らせ過ぎだろう。
「いくぞ。……さん……にー……いち……って言ったらやるからな?」
「さ、朔也くん! もぅっ!」
「ごめん、ごめんって! だから、そんなにポカポカ叩くなって」
あまりにもガチガチに緊張しているので、少しでもほぐそうと思ってわざとボケたのに……解せぬ。
涙目で「もぅ!」と訴えてくる彼女を見ると、それはそれで男として庇護欲をそそられるが……これからその大事な彼女に『痛いこと』をして傷をつけるのは俺自身なのだ。
「じゃあ、気を取り直してもう一度。準備はいいか?」
「はい、大丈夫です。……また意地悪したら、今度こそ本当に怒りますからね?」
いつものジト目で下から睨まれてしまった。こんな文句ありげな表情をされていても、心の底から可愛いと思ってしまうのは、完全に惚れた弱みなのか。はたまた、瀬那自身の魅力が凄いのか。それとも、その両方なのかはもうわからない。
「では、やるぞ? ……さん……にー……いち……」
バチンッ!
「……ひっ……いたっ、痛いです……。ちゃんと、留まっていますか?」
「あぁ、大丈夫だ。予定通りの場所と角度で入ってる。……ほれ、鏡」
俺は手元にあった手鏡を彼女に渡した。事前にペンでマークしていたとは言え、一発勝負で期待通りの位置に穴を開けられたようで、瀬那はホッとしたように涙目で喜んでいた。
俺の手には打ち終わった使い捨てのピアッサーが握られており、彼女の白い耳たぶには、透明の樹脂製ファーストピアスが綺麗に付けられている。
「良い感じですね! ありがとうございます。……それにしても朔也くんは、自分の耳にこれをあと八回もしたのですよね。ある意味、尊敬します」
「上の方の軟骨に開ける時は、もっと痛いぞ」
「うぅ……。想像しただけで、お尻のあたりがむずむずして変な感じです……」
晴れて恋人同士となった翌日から、一体なんでこんなことになっているかというと――話は数十分前に戻ることになる。
◇◇◇◇◇
朝食を取ってひと段落着いた頃、瀬那が俺の前に座ってきた。その顔は何かを決心したような、怖がっている表情だった。
「朔也くん、お願いがあります」
「いきなりだな。真面目な顔して、何か問題か?」
「問題ではありません……ただ、緊張してしまって」
「?」
彼女はパクパクと、口を開いては閉じるのを繰り返し始めた。瀬那が『何か』を言おうかどうか悩んでいる時の仕草だ。
俺は急かすことなく、彼女が落ち着くまで、意図して柔らかな顔をして待つことにした。……やっぱり、これを見ているとその口に何かを入れたい衝動に駆られる。
(確か、ポップコーンは家にあったような)
「……また、何か変なことを考えていますよね」
「そんなことはないぞ、せなちー」
「もぅ!」
呆れられた顔をされたが、気持ちの整理がついたのであろう。俺の目を真っすぐに見た。後ろ手に隠していたものを、そっと前に差し出してきた。……ピアッサーだ。
「?」
「以前から考えていたことがあったのです。朔也くんに再会して、あの時のお礼を言えたら……いただいたピアスを付けてみようと」
瀬那は少しだけ頬を染め、恥ずかしそうに視線を逸らした。
「その……。お礼を言うのが遅くなってしまったせいで、タイミングが……」
「タイミング?」
「はい。だって昨日……私たち、お付き合いを始めたばかりじゃないですか。だから、このタイミングで急にピアスを開けたら、周りから『彼氏の影響でピアスを開けた、完全に浮かれている人』に見られてしまうのではないかと……」
なるほど、優等生らしい悩みだ。確かに、夏休み明けに急にピアスを開けて登校すれば、間違いなく注目は集めるだろう。しかも、俺と交際していると話が広がれば……まあ、その通りだ。
「……別に、いいんじゃないか?」
「えっ?」
「俺の影響で開けたって思われても。……現に、俺の作ったピアスをつけるためなんだし、事実として間違ってないだろ。むしろ、俺としては変な虫がつかないよう、周りへの牽制になって都合がいい」
言うまでもなく、瀬那はモテる。それは一学期の時点でわかり切ったことだ。独占欲が高くて器が小さい、と言えばその通りなんだが……他の男連中を牽制できるなら、どんな汚名でも甘んじて受けよう。
「ふふっ、そういう考えもあるのですね。……そうでしたっ! 私は『朔也くんの』でしたよね! それなら、彼氏の色に染まるのも仕方ないことです♪」
揶揄うように笑う瀬那を見て、俺はバツが悪そうに頭を掻いた。
「お前、それを今持ち出すのかよ。……まあ、あの時は方便だったけど、今はもう嘘じゃないからな」
「……えっ?」
「それに、今更他の誰かに渡すつもりは一切無いしな」
「……っ」
途端に、瀬那の顔が茹でダコのように限界まで真っ赤に染まり、彼女の瞳の色も感情の昂りでスーッと朱く染まった。
「あ、う……っ! 朔也くんの……ばかっ!」
ポカポカ、いや、バシバシと瀬那が俺の肩を叩いてくる。痛くはないが……いかんせん回数が多い。恥ずかしいのか嬉しいのかはわからないが、彼女のテンションがおかしくなっているのだけは痛いほど伝わってきた。
「痛いって、とりあえず止めろ。……前にも言ったけど、一つずつぐらいなら大丈夫だろ。それに、それぐらいなら学校もなんだかんだスルーしているし」
「はぁ……はぁ……そうですよね。よし、開けましょう! 手伝ってくださいね♪」
「了解」
その後、鏡と俺の雑誌を持ってきて、どこが良いのかを話し合った。
最終的には一番オーソドックスな耳たぶに決まったのだった。
◇◇◇◇◇
― 東條 朔也 中学二年生 ―
俺が中学一年生の時。特にやりたいこともなく、ぶらぶらと街を散策していた時に、『|The Foundry Attic』と縁ができたのは本当に偶然だった。
たまたま入った店で、偶然店番をしていた真壁さんが、俺が付けているピアスの量に興味を湧かせたのが話すきっかけだった。流されるままに仲良くなり、これまた流されるように、アクセサリーを一から手で作る方法を教えてもらった。
それから定期的に店を訪ねては、作り方のアドバイス、世間話と交流の幅が広がっていった。
今思えば、俺が危うく見えたから、非行に走らないよう繋ぎ止めてくれていたのかもしれない。……俺自身は、そんなリスクを冒してまでグレるような性格ではなかったのだけどな。
ただ、そのおかげで俺が完全に世間から孤立せずに済んだのは本当だ。
中学二年に上がっても、その関係はなくならず、定期的に店に通う日々は変わらなかった。
そのころには、例のいじめの件もようやく一区切りつき始めていた。
関与が軽い連中からは慰謝料を取り、主犯たちに関しては転校させるところまで話がついた。これもすべて、親身になって動いてくれた須藤先生の手腕の賜物だろう。
その代償と言っては何だが、当然のように俺は学校内で完全に浮くことになった。中学生の分際で弁護士を立て、相手によっては裁判までちらつかせているのだ。そんなヤツと関わりたくないと思われるのは当たり前だ。
まあ、そのお陰で手のひらを返してすり寄ってくるような、うっとうしい連中も一切近づかなくなり、随分と気は楽になった。
それに、一人当たりの額は少なくとも人数が人数だけに、想定以上の慰謝料が手に入り、俺には明確な目標ができた。――どうにかして、あの家から出るという目標だ。
そのための準備と努力を重ねるのが、いつしか日課になっていた。
学校でも帰るべき家でも心は休まらず、家族も同級生も誰も信じられず、近づく奴がいれば誰であろうと威嚇していた。常に気が立っていて、心がささくれ立っていた――思い返せば、あれが俺の人生で一番すさんでいた時期だったのだろう。
そんな状態の時、俺は一人の女の子と出会った。
出会い方は彼女にとっては最悪だっただろうな。俺にとっては……ただ、道を歩いていただけなのだが。
路地を抜けようとすると、目の前では柄の悪い男たちが、一人の女の子を囲んでしつこくナンパしていた。
俺は男たちが塞いでいるせいで路地から出ることができずに立ち止まる。だからといって、わざわざ注意して無駄に喧嘩するのも面倒だ。舌打ちをして、どうやって通り抜けようかと頭を悩ませていると――
「いや、だ、だから、なんなんだよマジで」
「お、おい、やべーぞ、こいつ。行こうぜ!」
――俺のピアスと雰囲気にビビったのか、男たちは捨て台詞を吐いて逃げていった。無駄な労力を使わず、怪我人も出さずに済んで良かったと安堵した。
残された女の子を見ると、綺麗な髪色をした小柄な子。帽子をかぶっているから顔はよく見えないが、雰囲気から言って、大人しい感じの子だ。
まあ、俺には関係ない。そのままその場を去ろうとしたら――
「あっ!!」
――大きな声で呼び止められた。
そのまま、なし崩し的に道を案内することとなった。
道中、彼女が話しかけてきたことに、さっきまで作業をしていたからか、自然とアクセサリーを作っていることを話してしまった。今日ここで会ったのは何かの縁かもしれないが、もう二度と会う事もない他人だからってのもある。
「……怖くないのですか? 私は人から見られるのが怖くて……」
彼女のこの言葉に、俺は息を飲んだ。気づかれないように顔には出さなかったつもりだから、大丈夫だとは思うが……それでも、教室でクラス全員から冷たい嫌悪の目を向けられ、囲まれていたあの日の光景がフラッシュバックし、心臓を強く握りつぶされるような痛みを覚えた。
もちろん、彼女に俺を苦しめる意図がないのはわかっている。だからこそ、ここで怯えを見せてはいけないと……二度と他人に弱みなんて見せるものかと、奥歯を噛み締めて踏ん張るしかなかった。
言葉の意図を考えるために、俺は彼女を初めて正面からちゃんと見た。帽子とメガネで一目にはわかりづらいが、それでもわかるぐらいの整った顔立ちをしている。綺麗な色と質の髪に、背丈からも見て年齢は俺と同じか年下な印象だが、年齢で考えればスタイルは良さそうだ。
……歳の予想が妥当なら、学校内で俺とは別のベクトルで目立っているのは簡単に予想できる。だから俺がどうしているのか気になってしまったのだろう。
「……俺はわざと目立っている状態だから、君とは状況が違うかもしれない。たださ、いちいち他人の目を気にして怯えてても、何も変わらないし仕方ないって気づくことがあったんだ。自分に関わらない他人の評価なんて、ぶっちゃけどうでもいいだろ。それなら俺は、周りにどう思われようが自分がしたいことをするよ」
「……お強いのですね」
「強いというか……強くならないといけなかったんだ。だから、仕方ない。……これはそのためのものだったりもする」
断じて強いわけではない、強くあろうと見せているだけだ。それに、他人の目が気にならないわけではない……どうでも良いと思うように努めているだけだ。だから、これは……ある意味、嘘である。
「私も……私も、あなたのように強くなれるでしょうか?」
「それはわからない。と、言うより、結局は君しだいだから、赤の他人の俺が無責任にどうこう言える事じゃない。だけど……『強くなろうと努力すること』は、誰にだってできるさ」
――これは紛れもない本心だ。強くなろうとする努力が無駄になるとは思えないし、思いたくはない。だけど、それが大変なこともわかっていた。自分がそうだから。
だからこそ、安易に「できる」とは言えなかった。
俺がピアスのことを『強くなるための象徴』という意味で言ったことで、彼女はピアスに興味を持ってしまった。ピアスを否定するわけではないが、この子の両親のことも考えると微妙なラインのものではある。
「これ、すごく可愛いです!」
アクセサリーに携わっていない人から、自作の物の感想を直接貰うのは初めてのことだった。まだまだ拙い素人細工の出来だが、それでも真っ直ぐな瞳で「可愛い」と良い評価をもらえたら、少しだけ誇らしくて良い気分になってしまうのは、我ながら単純だと思ってしまう。
それに――俺の人生が無価値じゃなかったと、必死に足掻いてきた努力が無駄ではなかったのだと実感でき、確かな達成感と嬉しさで、すさんでいた心が少しだけ救われた気がしたのだ。あの日鉄橋から落ちて、一度死んだ身としては、無駄に生きながらえていたわけじゃなかったのだと。
……だからだろう。
「気に入ったんなら、やるよ」
俺の口から、そんな言葉が簡単にこぼれ落ちてしまったのは。
まさか、あの時気まぐれに渡したこのピアスが、お守りとしてちゃんと意味を成して、後に彼女を強くさせる事になるとは。そして、この子が俺の大事な存在になるなんて――その時の俺が、知る由もなかった。
◇◇◇◇◇
「痛かったです……」
両耳に一つずつピアスを開けた瀬那は、少し涙目になって耳を押さえていた。俺も経験があるからわかる。針が刺さったのもそうだが、異物感があるのも地味に辛いのだ。
「すぐに慣れると思うよ。わかっていると思うけど、しばらくファーストピアスを外すなよ? 大体一、二週間ぐらいはそのままで、かゆくなったら隙間から消毒したらいいよ」
「……よくわからないので、その時はお願いします。それにしても、早くつけたかったですが、こればかりは仕方ないですね」
俺が作ったものに対して、そう言ってくれるのは思っていた以上に嬉しいものだ。自作のアクセサリーを俺以外が付けているのを見るのが、瀬那が初めてなのでしみじみと思う。
ブレスレットの時もそうだが、自己満足で作ったものでも、使ってもらうだけで気持ちが上がる。
「よし! じゃあ、せっかくだし魔改造しようぜ!」
「魔改造!? なにをですか……えっ? 私!?」
俺は作業部屋にある、今の瀬那の耳でも付けられるようなパーツを取りに向かう。
後ろから「待ってください、朔也くん!」と必死に止める声が聞こえるが、面白そうなので聞こえないふりをしておいた。
一度は全てを諦めて、自ら手放そうとした俺の人生。
まさかこんな風に、誰かのために何かを作り、誰かと共に笑い合える日が来るなんて、昔の俺が知ったらきっと信じないだろう。
これからも、この些細で他愛のないどうでも良いやり取りを――いつまでも、この先ずっと続けられることを、俺は心から願っている。
この話で第二章は終わりになります。
以前と同じく SS を挟んで第三章へと移っていきます。
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