第98話 一度死んだ少年と、彼の傷痕
Side:南雲 瀬那
「……俺は一度、死んでいるんだから」
遠くで花火が鳴る丘で、彼が放った言葉に衝撃を受けながらも、全く意味が分かりませんでした。死んだ人間は生き返らないのは、当たり前のことです。
私の想いを受け流すための嘘……でしょうか。
……いいえ、顔を上げ、彼の真剣な目を見ると、冗談で言っているわけではない、それだけはわかります。
「……どういうことですか?」
「そのまんまだ。俺はあの時、死んだんだ」
「……あの時とは?」
「……中学一年の頃だ。……情けない話だけど、いじめに負けたんだよ。逃げて、逃げて……最後は死んで楽になろうと……鉄橋から飛び降りた」
その言葉を聞き、キュッと心臓が止まるような感覚を感じ、血の気が引きました。
朔也くんは『自殺』したのだと。
「……笑えるよな。ただその時にさ、俺は選んだ……死ぬことを選んだんだ」
自嘲した苦笑いをしつつ、苦しそうに彼は答えてくれた。
朔也くんがいじめを受けていたのは、予想していました。あの人の言葉で倒れた彼を見ていたのですから。
――だからと言って。
「……納得できません」
「……なんでだよ。俺は壊れて――」
「私にとっては、ただそれだけのことなのです! 朔也くんは本当に死んだわけじゃなく、今、こうして実際には生きています! それが、私を拒絶する理由になんてなりませんっ!」
「……っ」
絶対に逃がさないと、彼の胸に強く抱き着いて密着していますから……彼がハッと息を飲んだのが、痛いほどまるわかりです。
だからこそ、他にもまだ『核心』となる理由があるのだと確信しました。
「教えてください……私を拒絶するなら、全てを……最後まで教えてください!」
――だから私は、ここで逃げるわけにはいかない。先ほど、彼が一人で苦しんでいることに気づけなかったことを激しく後悔したばかりです。
だから! 朔也くんの隣に居続けるためにも、私だけは彼の過去から目を背けてはいけない!
「……お願いします。私に朔也くんのことを……っ。大切なあなたのことを教えてください」
「……わかったよ。……だからさ、泣くなよ」
「無理です」
泣かせたのは朔也くんじゃないですか、だから「泣くなよ」なんて言われても困ります。
「……仕方ないな。面白い話ではないし、俺が情けないだけの話だ」
「面白さを求めていませんし、今の朔也くんも情けないので問題ありません」
「手厳しいな……それもそうか。どこから話したらいいか――」
朔也くんは苦笑いをしつつ、記憶を呼び起こすように見上げた。左手はピアスを触っています。本当はそんな苦しい思いをしてほしくはない。……だからと言って、ここは譲れないです。……酷い女ですね、私。
「少し長くて、遠回りになるけど……中学一年の頃の俺は、特段目立つ奴ではなかった。もちろんピアスもしていなかったし、成績も中の上。良く言えば上の下ってところだった。運動はそこそこで可もなく不可もなし。顔は……知らん」
軽い冗談は言えるぐらいには落ち着いてきているようですね。お陰で私も少し落ち着いて話を聞けます。
「友達もそれなりにいたと思う。……そんな俺が、なぜかクラスで一番モテる女子に告白された」
「……急に自慢が入りましたが?」
私個人としては全く嬉しくない情報です。
「……自慢にできることなら良かったんだけどな。……当時、親が離婚するかしないかで、揉めていた時期だったんだ。それもあって、男女交際がよくわかっていなくて断った」
「断っていて良かったです」
「……良かったって、お前な……まあいいや。それに加えて面倒なことがあったんだ。……クラスのリーダーと言うには少し違うが、目立つ影響力の高い男子がいたんだけど、そいつがその女子のことを好きだったんだ」
そのことは大っぴらに喋っていたらしく、クラスどころか、学年でも既知の情報だったらしいとのことです。
「俺は告白されたことなんて言わなかった。でもな、次の日に登校すると広まっていたんだ。……まあ、振られたから慰めてもらうために、誰かに相談することはあるだろうから、そこから広まったのだろうと、その時は思ったんだ」
「……でも違ったと?」
朔也くんは小さく頷きます。
「あぁ、どうやら自主的に広めていたらしい。……この時に意図はわからなかったけど、それを知ったさっきの男子……初雁は気に食わなかったらしく、取り巻きを使って俺に絡んできた」
「……」
「最初は大したことなかったんだ。クラスのみんなの前で『お前なんかが相応しくない』とか『身の程知れ』とか……告白したのはあっちからなのに、意味わからんよな。だけど、すぐに状況が変わったんだ。……初めて絡まれてから数日後、登校すると俺の机の上にノートや教科書がぐちゃぐちゃになって、引き裂かれて置いてあった」
「……それは、その『初雁』という方が……?」
その流れだったら、その方になります。……だけど、朔也くんは首を横に振っていました。
「……俺も、そうだと考えたけど、証拠らしい証拠はもちろんない。絡まれたところはみんなも見ていたから、そう思ったクラスメイトも多かった。ただ、奴は最後まで否定していた。……それに、俺にも奴が嘘を言っているように見えなかったんだ」
「……その彼が犯人では無かったのですか」
「結果から言うとそうだ。証拠も目撃者もいないしで特に注意も処罰もなかった。……だけど、状況的に奴が犯人だと思う人の方が多かったのは確かだ。それが奴にとって許せなかった」
彼は「ちなみにこのことを母親に言ったら、『なに面倒を起こしているのよあんたは!』って言われたな」と、苦笑いをしていた。いつもの呆れではなく、蔑んだような、そんな顔です。
「そこからは酷かったよ。俺は何もしていないのに、自分の評判が落ちたのは俺のせいにされてな。陰口ぐらいならともかく、教師に気づかれないように服で隠れる箇所を殴られたり……ものを捨てられたりな。後は教師がいない時を見計らって、クラスのほぼ全員で囲って、罵倒し続けたりと」
「……」
「わかるかもしれないが、その頃には友達は全員離れていたよ。初雁に目をつけられて巻き込まれても嫌だろうから、理解はできる」
理解はできても、絶望を感じないはずありません。仲良かった友達が急に離れる……私にも経験がありますが、嫌なものです。
「俺もただやられるがままでいたわけじゃなくて、一応抵抗はしたんだ。とは言っても腕っ節が強いわけではないから、小遣いを使ってボイスレコーダーを買い録音したり、いつ誰に何をされたのか克明に記録を取ったり、病院に行って怪我の診断書を取ったりとかな」
そういうところは昔も今も変わらないのですね。
「……証拠が揃ったら、当たり前だけど、まずは親に相談したよ。そしたらさ、母親はなんて言ったと思う?『そんなのどうでもいいことで、私に迷惑をかけないでくれる?』だってさ。笑っちゃうよな。当時、離婚と仕事でごたごたしていたらしいけど、俺にとっては……な」
「……酷い。自分の子供に対して、それはあまりにも……っ」
朔也くんがお母様を心の底から嫌悪している理由が、痛いほどはっきりとわかりました。このような状態で、身内である親に見捨てられたのですから、許せるわけがありません。
彼が左手で握り込んだピアスに、ぎゅっとさらに強い力が込められるのがわかりました。鋭い金属が、彼の手のひらにめり込んでしまうのではないかと思うほど痛々しく。
たまらず、「もういいです」と彼を止めるために口を開きそうになり――
朔也くんは私のその気配を感じ取ったのか、静かにこちらを向き、ゆっくりと、けれど確かな意志を持って小さく首を横に振りました。
「だから次に担任に伝えたさ……。まあ、結果はわかるだろ? 大事にしたくない先生たちに、なあなあで揉み消されたんだ」
「……っ」
「そんな顔するなって……。まあその後は予想通りだよ。行為がエスカレートする一方で、あいつの気が済んで収まることなんてなかった。……そして、徐々に心身ともにまともに動けなくなったな。……そんな状態でも母親は無理にでも学校に行かせたよ。『世間体』が大事だからって」
彼は吐き捨てるように『世間体』と言ったように聞こえました。それはとても、憎しみを込めて。
当時の朔也くんが今みたいに強いわけではありませんから、ただの中学生が親に力を貸してもらえず、見放された時の心境は……
「だからさ、二学期の途中で、完全に心が折れちゃったから。……ある夜、飛び降りたんだ。当時住んでいた家から少し遠く離れた、高い鉄橋から、真っ暗な川に向かって」
「……っ……ぐすっ」
「だから泣くなって」
私はまだ、本気で死にたくなる気持ちを理解することはできません。分かりませんが、それがどれほど孤独で、恐ろしく、そして苦しいものだったかということだけは、嫌でも想像がつきます。
いつも誰よりも強くて優しい、私の大好きな朔也くん。昔とは言え、その彼が一人で暗闇の中で死を選ぶなんて……想像しただけでも胸が張り裂けそうでした。
「……もし、当時……私がそこに居たら……。絶対に、私が助けていました……っ」
「……ははっ、ありがとな。でも、飛び降りたのは良いが――」
「よくありませんっ!」
「ごめん、ごめん。飛び降りたけど、色々と偶然が重なって、見ての通り俺は死にはしなかったんだよ。大きな怪我も無くな」
朔也くんは両手を広げて無事をアピールしました。
どの高さからは分かりませんが、怪我がないとは……
「それは……良かった……です。それで大事になったのですね」
「いや、なっていないよ」
「……えっ?」
これで明るみになると思っていました。
朔也くんは首を振って、「本当になっていない」と伝えてきました。




