第97話 それは花火が散ると等しい言葉
Side:南雲 瀬那
――ドン……ッ、ズドン……ッ
遠くの空で、くぐもった破裂音が鳴っています。腹の底を揺らすような低い振動が伝わってきます。ただ、今私たちが座っているところからは、木の陰になっていて下側が見えない状態でした。
私は発作がでた朔也くんの手を引っ張って、少し離れた丘まで歩き、そこにあるベンチに座っています。愛莉さんと前川さんにはすでに「人が進まないので、他の見える位置に移動します」と、連絡済みです。
隣にいる朔也くんの呼吸はまだ荒々しいです。握っている手はとても冷たく、震えています。この状態の朔也くんを見るのは二回目。彼が抱えている問題を教えてくれた日以来です。
私は彼の手を握ったまま、何も話しかけられません。彼が落ち着くまで彼の手を握っていることしかできない……それが不甲斐ない。
朔也くんが何をトリガーにしてフラッシュバックしたのか、一緒にいたのにも関わらず、私にはわかりませんでした。
(なにを言ったら良いか……。彼のこの痛みをちゃんと理解していない……。それが悔しい)
……パーンッ……パラパラパラ……。
ヒュルルル、という気の抜けた風切りの後、遠くの空で乾いた音が弾けた音。その音と、朔也くんの荒い息遣いのみが、この静寂な丘で聞こえる音。
(いつも助けてもらっているのに、彼が大変な時に何もできない)
私はもっと知っておくべきだったと、後悔しました。そうなれば少しは彼の防波堤になれただろうに。
「ごめ……ん……せな。ご……めんっ」
ふいに朔也くんが、振り絞るような声で私の名前を呼びました。彼はこちらを見ないまま、頭を下げたままの状態です。
「謝らなくて大丈夫ですよ。ここからでも見えますし、むしろ二人っきりなので静かで落ち着きます」
もちろんこれは本心です。皆さんで見るのも良いですが、人が多過ぎるのは苦手なので、この丘の方が気が楽ですね。……結構良い位置なのになんで誰もいないのか疑問ですが、穴場なのでしょう、と無理やり納得することにしました。
――ズドン……ッ……ドン……。
少しすると隣から聞こえてくる呼吸音が、少しずつ落ち着いていくのがわかりました。私は声に出さず「良かった」と安堵します。
「……ふぅ。もう大丈夫だ。……ごめんな、瀬那。俺のせいで広場に行けなくて」
「先ほども言いましたが、謝らなくて大丈夫ですよ。人が多いところよりもこちらの方が落ち着いて見れますから。……本当に大丈夫なのですか?」
先ほどまでより顔色が良くなってるのは、暗いながらもわかります。それを見て安心はするも、確認しないわけにはいきません。
「あぁ、大丈夫だ。せっかくだから、もう少し前で見ようか」
「はい。でも、無理はしないでくださいね」
「分かってる」
丘の少し先にあるフェンスまで歩き、打ち上がる花火を見ます。
……ドォン……、……ヒュルル……ドン……。
少し離れてはいますが、それでも火薬が破裂する衝撃がここまで届くくらいです。
「良いですね、ここ。こんなよく見える所なのに人が全くいません」
「……そうだな」
朔也くんが申し訳なさそうな顔をしているのが気になりますが、多分それは、迷惑をかけたことを考えているのでしょう。気にしなくても良いのに。
「……朔也くん」
私はそんな顔をさせたくない一心で、本当にただその気持ちのまま――
ギュッ。
――朔也くんに抱きつきました。
「……っ、せ、瀬那!?」
「大丈夫です、大丈夫ですよ。私がこうしたいのです。だから、しばらくこのままでお願いします」
抱きついているためか、朔也くんの心臓の音がよく聞こえます。ドクン、ドクン。大きくてしっかりとした振動が聞こえ、私もバクバク、バクバクと心臓が大きく動くことがわかります。正直、今更抱き着くだけでこんなにも――彼の鼓動に自分の全てが支配されてしまうなんて、自分でも驚きです。
ただ、その心音は嫌じゃない。とても気持ちよく、自分の気持ちが高まっていくのを感じます。……今の私の瞳が、感情の昂りで朱く染まっているのは、鏡を見なくても明白です。コンタクトレンズをつけていなかったら、朔也くんにバレバレでしたね。
「……朔也くん。……私は何度も、何度もあなたに助けられました。あなたが思っているよりも多くです。身体的にも、精神的にも。だから、あなたがつらい時は私に助けさせてください。朔也くんのためなら、どんなことでもできますから」
「……」
「私はあなたが近くにいない世界が、もう想像できません。だって、朔也くんの隣がこんなに落ち着くのですから」
心臓がさらにバクバクと波を打つ。もう破裂しそう……。でも――
「私は――」
胸に埋めていたままの顔を上げ、朔也くんの顔を見――。
「……っ!」
――彼の顔は、痛々しいほどの苦悶に歪んでいた。
そして、私が言い切る前に、彼の手が私の肩を優しく、けれど拒絶するように押し離す。
「だめだ。……お前はもっと、真っ当で、ちゃんとした奴のそばにいるべきなんだ。俺みたいな壊れた奴に、瀬那の未来を分けてもらうわけにはいかない」
瞬間。彼のその静かな拒絶の言葉に、私は身が裂けるような鋭い痛みを感じました。
「瀬那……お前に謝らないといけない事がある。お前に酷いことを、中途半端なことをしているのをわかっていた。俺は最低な野郎だ。お前が思っているような立派な奴じゃない」
「……なぜ、そんなことを……言うのですか? 朔也くんは私に酷いことなんて、一度もしたことがないです……!」
「瀬那が俺に対して、信用、信頼……それだけじゃなく、それ以上の、俺なんかには過分すぎるほどの想いを向けてくれているのはわかっていた。……なのに俺は、それをちゃんと訂正せず、心地よさに流されていた……」
「……っ!」
朔也くんに『この想い』を隠しているつもりはなかったです。だから、それを気づかれていてもおかしくはありません。私があからさまな行動をして、彼も行動で答えてくれていたと思っていました――彼が直接的なことを何も言わないだけで。
「……君は俺に助けられたことで、俺を唯一の居場所だと思って、その想いを勘違いしているだけだ。それに、俺の弱いところを知って、同情しているんだよ」
彼がそれを気にしているのではないかと、考えたことがありました。この想いを伝えた時、それが彼から見たら『依存』と『同情』だと思われないか。――だから、私も恐かった。
「前に言ったかもしれないが、瀬那に俺ではもったいない。俺なんかよりもっと……ちゃんと大事にしてくれる人がいる」
「……っ、何で、そんな悲しいことを言うのですか」
絞り出すような私の声に、朔也くんが小さく肩を揺らす。
「私にとって、朔也くん以上の人なんていません! 助けてもらった恩だとか、そんな風に自分の気持ちを間違えたりしません!」
私は彼の冷たい手を、両手でしっかりと握り直した。
「私が欲しいのは、私を大事にしてくれる『誰か』じゃありません。私は……朔也くんと、一緒に歩きたいんです。あなたが苦しい時は、私があなたを支えたい……これは、同情なんかじゃありません!」
彼は「そんなことはない」と言うように、ゆっくりと頭を横に振りました。その顔は、ただ申し訳なさそうなだけでなく……
私と共に生きる未来を、諦めている表情でした。
それを見た瞬間、私の中にあった何かが決壊し、自然と涙が溢れ出しました。――だからといって、私はここで止まるわけにはいきません!
「助けてもらったからじゃない……ただ一緒にいるだけで、私はこんなにも幸せなのに! それはあなたにも否定させない!」
私は彼の胸のシャツを両手で強く掴み、そこに額を当てて必死に縋りつきます。
「信じてください……っ。私は――」
「違うんだっ!」
私の言葉を遮るように、朔也くんは珍しく私に対して声を荒らげ、叫びました。
その声は決して怒っているのではなく、今にも泣き出しそうな、無力な子供が必死に何かを否定するような、悲痛な叫びでした。
「だから、俺は瀬那から……そんな綺麗な感情を……受け取れるような存在じゃないんだ! だって……」
少しの間。彼は絞り出すように――
「……俺は一度、死んでいるんだから」
――信じられない言葉を紡ぎました。
静寂。直後、遠くの空で、大きな花火が弾ける音が聞こえました。
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