第93話 夏休みの来訪①
夏休みも八月に入り、コツコツと進めていた夏休みの課題も残り半分を切ったことで、俺はすっかり余裕ぶって、朝から自室で趣味のアクセサリー制作に没頭していた。
今日は瀬那もバイトが休みで家にいるが、休日だからといって常に一緒に行動しているわけではない。特に予定がなければ、こうしてお互い好きなことをして過ごしている。どうやら瀬那は掃除をしてくれているらしく、先ほどからリビングの方で忙しなく立ち動く気配が伝わってきた。
ヴヴヴヴ……、ヴヴヴヴ……
どこかでスマホが鳴っているのがわかったが、細かい加工に集中していたためスルーした。そもそも俺の近くで鳴っていないのだから、たぶん瀬那のものだろう。
コン、コン、コン
「朔也くん、失礼しますね」
控えめにドアがノックされ、瀬那がひょっこりと顔を出した。振り返った彼女の手には、なぜか俺のスマホが握られている。
……どうやら、俺がリビングにスマホを置きっぱなしにしていたらしい。
「スマホ、鳴っていますよ? 前川さんからのお電話みたいです」
彼女が差し出したディスプレイには、『前川 浩紀』の文字が表示されていた。
「浩紀? わざわざありがとう。……しょうがない、出るか」
「しょうがないって……お友達なんですから、ちゃんと出てくださいね?」
苦笑する瀬那を前に、俺は工具で片手が塞がっていたため、そのままスピーカーモードにして通話ボタンを押した。
「はいはい。どうしたー?」
「おぅ朔也! 元気か? そして暇か!? そんでもって助けてくれっ!」
前二つはともかく、最後の一言はなんだろうか。いつもより明らかに切羽詰まった声色に、俺の手がピタリと止まる。
瀬那と顔を見合わせ、二人して不思議そうに首を傾げた。ストーカーの件で彼に手を借りたのだから、恩を返す意味でも助けられることなら助けてやりたい気持ちはある。
「何かあったのか? どうした?」
「わからない……わからないんだよ! 課題が!」
「はぁ?」
電話の向こうで浩紀が叫んだ内容は、予想を遥かに下回る……ひどく平和的な悩みで、一気に全身の気が抜けた。
「なんだよー、そんな露骨に呆れなくてもいいだろー」
「わかった、わかったよ。今日は暇だから、午後か夕方にでも――」
ピンポーン。
……まさか。
スピーカー越しの浩紀の息遣いと、玄関のインターホンが鳴るタイミングが完全に一致した。俺は嫌な予感をヒシヒシと感じながらも、加工中のアクセサリーをデスクに置き、部屋を出てモニターを確認する。
そこには予想通り、カメラに向かってピースサインをする浩紀と、愛莉の笑顔が映っていた。
俺は深い深いため息をつき、無言のままスマホの通話終了ボタンをタップした。
「アホだろ、こいつら……。俺が留守だったらどうするつもりだったんだ」
「ふふっ。お二人らしいと言えば、そうですけどね」
背後からモニターを覗き込んだ瀬那も、困ったように苦笑いをこぼしている。
アポなし訪問とはいえ、ここまで来られてしまった以上、追い返すわけにもいかない。
「とりあえず中に入れるけど、瀬那は大丈夫だよな?」
「はい、私は問題ありませんが……その、私がここに居ても良いのでしょうか?」
「あー……」
完全に失念していた。浩紀たちには、瀬那と同居している事実を伝えていない。
こんな休日の朝から、高校生の男女が同じ家にいる理由など、どう説明すればいいのか。だからと言って、彼女の家でもあるこの場所から、わざわざ瀬那を隠したり追い出したりするのもおかしな話だ。
俺は少し頭を回転させてから、ある結論を出した。
「悪いけど、瀬那はこのままここに居てくれないか。それで――」
◇
「いやー、居てくれて良かったよ! ちょっと見切り発車かなって思ったけど、何とかなるものだな」
「ホント、ホント! あー、涼しいーっ!」
二人を家に招き入れた俺は、玄関の前で睨みながら立っていた。だが、彼らは俺の無言の圧力など気にした様子もなく、ズカズカと中に入っていく。
「お前らなー。親しき中にも礼儀ありっていうか、事前に連絡ぐらいしろよ……。俺が留守だったらどうするつもりだったんだ」
「いやいや、だから事前にしたじゃん、さっきの電話。あれで断られたらチャイム押さなかったって」
「玄関の前からの電話は、事前連絡とは言わない……」
洗面所で手を洗いながら、悪びれずに言い訳をする浩紀に呆れ果てる。「呑気なことを」と説教してやりたいが、こいつらだからと妙に納得してしまっている俺も、もうだめかもしれない。
「まあまあ、アポなしで突撃したのは私もごめんって思っているよ? だから、ほら手土産!」
愛莉が掲げたスーパーの袋に入っているのは、大量のお菓子。定番のスナック菓子からチョコレートの棒状のやつ、そして炭酸ジュースだ。……勉強しに来たんじゃないのかこいつら。
「はぁ……ありがとな」とため息をつきつつ、そのまま二人をリビングへ通した。
「いらっしゃいませ、お二人とも。お飲み物はいかがいたしますか? 麦茶かコーヒー、紅茶もありますよ?」
「ありがとー瀬那。私は麦茶があれば大丈夫!」
「ありがとう、南雲さん。俺はジュース買って来たから大丈夫だよー」
二人は荷物をテキトーな位置に置き、すっかりくつろいだ様子でソファに腰を下ろす。俺は瀬那の飲み物準備を手伝うべくキッチンへと向かい、ごく自然に彼女の隣に並んだ。
「グラス、上の棚から出すよ」
「ありがとうございます、朔也くん」
そんな俺たちの日常的なやり取りを、ソファからぼんやりと眺めていた浩紀の表情が、だんだんと怪訝なものに変わっていく。
「……あのさ。なんで南雲さんが、朔也の家のキッチンで当たり前みたいに自然に動いてるわけ……?」
「……えっ? 瀬那!?」
遅れて状況に追いついた愛莉が、目を丸くして声を上げた。
「はい、瀬那です。どうかされましたか?」
「ちょっと待って! ……いやいや、どういうことなの!?」
あまりにも自然すぎたのか、瀬那が『この家にいること』の異常性に気づくのが遅れた二人。俺はグラスを持ちつつ、呆れた表情で彼らを見た。
「はぁ……。瀬那がうちに居たら駄目なのかよ」
わざとらしくため息をついて、さも『驚いているこいつら二人の方がおかしい』という態度をとってみる。
「えっ? どういうこと? とうとう付き合い始めたの!?」
「とうとうってなんだよ……。実は俺たち、雇用関係にあるんだ。瀬那にはうちの専属メイドとして働いてもらってるんだ」
「メ、メイド!? なにその漫画みたいな展開になってるんだよ!」
「ちょっ、朔也くん! 私はメイドではありませんよ! あっ、でもお食事は作りますし、お掃除もしてますし……えっと……?」
瀬那は俺の話が冗談だとわかっているはずなのに、なぜか浩紀たちの勢いに飲まれてオロオロし始めた。少し頬に手を当てて悩んだと思ったら――。
「さ、朔也くん! やはり、今度メイド服を買ってきた方がいいですか!?」
「えっ」
瀬那がメイド服を着るの!? 彼女の顔立ちとあの隠れ巨……いや、プロポーションなら、丈の長いクラシック・スタイルでも、フリル多めのフレンチメイド・スタイルでも絶対に見事に着こなすはずだ……いかん、姿を想像してしまったではないか。
「なんで瀬那まで慌てて乗っかってるんだよ……。嘘に決まってるだろ。普通に同居してるだけだ」
「雇っているより余計ヤバいじゃねえか!」
「……」
「……えっ、マジで? そっちはガチなのか!?」
やっぱり駄目か。冗談では誤魔化しきれないらしい。先月、「説明は雑だ」と指摘されたばかりなのに、すっかり忘れていた。
「あのストーカーの件があっただろ。あれには続きと言うか、前段階があってな」
「……前段階?」
「あのストーカー野郎、瀬那の家を突き止めていて、身勝手な理由で放火したんだよ」
「放火!?」
分かりやすく絶句する二人。前回協力を仰いだ時は、ストーカーの存在とナイフで刺されたこと以外は伏せていた。たまたま俺が彼女と一緒に帰っている時にストーカーが絡んできた、という設定にしていたが、実際は少し違う。
「幸いにも瀬那には怪我はなかったんだけどな。どうやら、放火で行き場を失った瀬那をストーカー野郎が助けて恩を売るっていう、クソみたいな算段だったらしい。……でも偶然、俺が先に途方に暮れている瀬那を見つけてな。そのまま拾ったかたちになったんだよ」
「はい、拾われました」
「……拾われましたって……捨て猫じゃあるまいし。親はどうしているの?」
愛莉が当然の疑問を口にする。家庭環境というデリケートな問題なので、俺がどう説明するか迷っていると。
「両親とは仲が良くなくて、元々一人暮らしだったのです。現在の保護者も叔母になっているぐらいですから」
「あー、そういう事ね。で、ちょうど良く一人暮らしをしていた朔の家に転がり込んだってことね」
俺が躊躇しているのを感じ取ったのか、瀬那が苦笑いを浮かべながら自ら答えてくれた。
その淡々とした様子に空気を読んだ二人は、それ以上家庭の事情を深くは追及してこない。なんだかんだ言って、こういうところは気配りができる奴らだから本当に助かる。
「はい、そうなります。それが五月中頃のことでして。ストーカー被害についても同じ家にいたので……」
「相談しやすかったと。うん、なんとなく事情はわかったわ。だから、中間テストの時期ぐらいから急に仲良かったのかー。納得!」
愛莉は納得がいったと言うばかりに、左手の手のひらを右手をグーにして叩いていた。……微妙に動作が古い。
「なんで俺に黙ってたんだよーって言いたいところだけど、まあ、外では話しづらいよな、これは。……ただ、もっと早めに知っておくべきだったなーって思うことが、ちらほら……」
「……どういう意味だ?」
「いんや、俺から説明するのは野暮だから気にしないで~」
浩紀が呆れて表情で腑に落ちないことを言ってきたが、これ以上は何も言わなさそうなのでスルーする。
「朔に変なことされていじめられたり、理不尽なことは要求されていない?」
「……おい、愛莉」
あらぬ疑いをかけてくる愛莉に咎めるような視線を向けるが、瀬那は小さく肩を揺らして笑った。
「クスッ、大丈夫ですよ。強いて言うなら、本来私の担当であるはずの家事を、いつの間にか朔也くんがこなしてしまっていることがあるぐらいですかね」
「それなら良いけどさ……。もし襲われそうになったら、すぐに私に言うんだよ?」
愛莉のその言葉に、瀬那がチラリと意味深な視線を俺に向けてきた気がした。あの夜のソファでの出来事を思い出し、俺は盛大に顔を引きつらせる。
「……いい加減にしろよ、お前っ」
俺だって男だ。こないだのように挑発されれば何をするかわからないのだから、これ以上藪をつついて蛇を出さないでほしい。
「まぁまぁ。ジョーダンでしょ~。本当に嫌だったらここに居ないだろうし、嫌なことされていないのは見てればわかってるって~。……あっ! 瀬那、足にペディキュア塗ってる! かわいい! 自分でやったの?」
スリッパから覗く瀬那の足の指――その爪が、綺麗なペディキュアで彩られているのを、愛莉が目ざとく見つけた。
瀬那はチラッと俺を見てから、微笑んで答える。
「いえ、朔也くん作ですね」
「はぁ!? 朔也……お前何でそんな女子力高いスキル持ってんだよ? お前も爪塗ってるのか?」
「塗ってねーよ……。アクセサリー作成の一環で、 レジン樹脂を使ってみたんだよ。それで試しにネイル用の樹脂も買ってみたから、海に行くならってことで試してみたんだ」
「へー、アクセサリーを作るのにも色んな道具があるんだな」
感心する浩紀には申し訳ないが、正確にはその説明だと少し違う。
UV 照射装置は使い回しできるものを選んだし、樹脂を試してみたくてネイル用のものを用意したのも本当だ。……ただ、せっかく瀬那に塗るならと完璧さを求めてこだわってしまい、練習用の指のマネキンまで買い込み、時には何時間も部屋に引きこもって練習を重ねていた。
瀬那に「朔也くんって凝り性ですよね……」と呆れられるぐらいに。……後悔も反省もしていない。
「……ん? 『海行くから』って、あーっ! だから水着買ってたのね!? ……え、待って待って。それって、朔と二人で行ったってこと!?」
「あー……」
俺がうっかり口を滑らせた一言に、愛莉が聞き逃さずに反応する。目ざとい以外に耳までよかったとは……。完全にやらかしてしまった。隣の瀬那も苦笑いをするぐらいだ。
「はぁ……そうだよ。海に行ってきたよ」
「ずるいぞ! なんで言わないんだよ! 誘えよ! 俺も海、行きたかったー!」
「ずるい! ずるい! ずるいー!」
俺が白状した瞬間、二人は一気に五月蠅くなった。駄々っ子かこいつら。
「わかった、わかったから。今度行くことがあったら誘うよ、きっと」
テキトーに宥めるように言うと、二人はさらに大きな声を上げた。
「きっとって言うなー!」
「ぶー! ぶー! ぶー!」
「良いからお前ら、早く課題するぞ!」
もう誤魔化すのも面倒になったので、俺は麦茶の入ったグラスをドンッとテーブルに置き、無理やり話を終わらせた。
今日は朝からひどく賑やかになりそうだな……。
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