第90話 金沢旅行⑨(R15)
Side:南雲 瀬那
泊まっているホテルには大浴場もありました。初日はお部屋のお風呂を使用しましたが、明日にはもう帰ってしまうので、今夜は足を伸ばして大浴場へ向かうことに。
屋上に造られているためか、露天風呂から見上げる星空はとても綺麗でした。
「お金よりも時間……」
脱衣所で髪を乾かしながら、夕食の時の朔也くんの言葉を反芻します。
彼のお話は、言われてみれば至極真っ当なことでした。昔から『タイムイズマネー』という言葉もあるぐらいですから、どちらの価値が高いかは人それぞれです。現実主義で合理的な彼にとっては、お金よりも自由に動ける『時間』の価値が圧倒的に高かったというだけなのです。
……だとするなら。
私は今、彼の大切な『時間』をひたすらに奪って、使っている状態です。
本来ならあり得なかった、私との同居生活。それが、朔也くんにとってただの重荷や足枷になっていないか、時々不安で……不安で仕方なくなります。
彼が私に割いてくれている時間、その価値に見合うだけのものが今の自分にあるのかどうか。私の拙い手料理だけで事足りるとは、とても思えません。
でも、それを直接朔也くんに訊いても、きっと「何言ってるんだお前」と呆れたようにあの温かい声で一蹴されてしまうのでしょうね。
「ただいま戻りました……あれ?」
部屋に戻ると、そこにいるはずの朔也くんの姿がありませんでした。
一緒に大浴場(当たり前ですが、当然男女別です)へと向かったのですが、まさかまだ入っているのでしょうか? カラスの行水とまではいきませんが、彼がお風呂にかける時間は私よりずっと短いはずです。絶対に先に上がって、部屋で待っていると思っていたのに。
……少し、違和感があります。まさか! 旅先で他の女の人と……ゲフンゲフン。
……うん、私は何を言っているのでしょうね。朔也くんに限ってそんなことあるわけがありませんし。朔也くんがいなくて寂しいからって、変な想像をしてしまったのでしょうか……重症かもしれません。
日課のスキンケアをしつつ、そわそわしながら待つことさらに数分。ガチャっと部屋のドアが開きました。
「ふぅ……。あれ? もう戻っていたのか、瀬那」
「お帰りなさい、朔也くん。珍しく遅かったですね」
お風呂上がりで少し火照った顔の朔也くんが、片手で髪を掻き上げながら入ってきました。
「そうかもな。夜空を見て少し考えごとしてたんだ。ごめんな、遅くなって」
夜空を見て考えごとしていたとは、意外とロマンチックなところがあるのですね。
「ふふ、謝ることではないですけど。少しだけ心配しましたよ。もしかして、私を置いて一人でよからぬ事をしているのではないかと」
「よからぬ事ってなんだよ……」
「さあ? なんでしょうね?」
先ほど私が脳内で暴走させていた妄想は棚に上げて、あえて悪戯っぽく彼を揶揄ってみます。朔也くんの困ったような顔を見るための、高等テクニックですっ!
……とはいえ、よく考えればこれはこれでお馬鹿な発言でした。後で一人でこっそり反省しましょう。
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◆ 作者より注意事項です ◆
意図的とは言え、表現方法が性的な箇所があります。
ここ以降は飛ばしても、ストーリーには影響ありませんので、不快に思われる方は飛ばしていただけると助かります。
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寝るには少し早い時間なのと、せっかくの旅行なので、すぐにベッドに入るのはなんとなく勿体なく感じてしまい、ソファに座りながら TV をつけました。ちょうど少し古い映画が放送されています。
「瀬那、何か飲むか?」
「ありがとうございます。もう歯磨きをしたので、お水をいただけますか」
「オッケー」
コップ二つにお水を入れた朔也くんは、ソファの前のローテーブルにコップを置くと、ごく自然に私のすぐ隣に腰を下ろしました。その無防備な動作に、少しだけドキッとしてしまったのは内緒です。
「これ映画だよな。何かわかるか?」
「十五年ぐらい前に公開されていた、恋愛映画のようです」
「へぇー」
何気なしにそのまま二人で鑑賞会になりました。
映画のストーリーは、互いに好意を抱きながらも踏み出せない幼馴染の男女が、高校、大学とすれ違いながらも関係を続けていくというもの。私はそのもどかしい恋愛模様を見ながら、つい自分たちの関係に重ねて少し感情移入をしてしまいます。
自然と隣の朔也くんの肩に頭を乗せると、彼は拒絶することなく、そのまま受け入れてくれました。
そして物語は中盤へ。たまたま帰省した時にばったりと二人は会って、お互いに愚痴を言い合ってると――
「あっ……」
画面の中の主人公たちが、突然濃厚なキ、キスを始めました!
そして……そのまま流れるように、生々しいベッドシーンへと移行していきます。映像だけではなく、声も……演技だとわかっていても刺激が強すぎる!
流石に、この状況は気まず過ぎますっ!
私は全く落ち着けず、行き場を失った視線を激しく泳がせてしまいます。画面なんて直視できるわけがないし、かといって隣の朔也くんを見る勇気もありません。
ドクン、ドクンと心臓の音がうるさいくらいに鳴っていて、顔だけでなく、自然と耳まで真っ赤になっているのが自分でもわかります。
意を決して隣を盗み見てみれば、彼はごく自然に、淡々と映画を見ていました。いつも通りの彼を見て、私だけが狼狽えているのがなんだか悔しくて……つい、言ってはならない言葉が口を突いて出ました。
「さ、朔也くんは、こここ、こういった行為をしたことがありま、すか?」
――絶対に不要なことを言ってしまいました。
瞬間、ギョッとしたように驚いた顔で振り返る朔也くん。
「はぁ? いきなり何言ってんだ……お前、瞳が朱いぞ」
「……っ!」
瞳が朱くなっている自覚は全くなく、絶句してしまいます。
これではまるで、私が映画を見て興奮していると思われるではないですか!
「……はぁ。少し落ち着け」
「な、なんですか、そのため息は!?」
呆れたような彼を見ていると、恥ずかしさが暴走して意味の分からない怒りに変わってきます。
「いや、別になんでもないよ」
「むぅ! どうせ私はそんな経験ないですよ! 交際経験さえないのですから、あったらおかしいでしょ!」
自分でも、先ほどからいらないことばかり言っている自覚はあります。でも、止まりません。
「お前さ、マジで落ち着け! そしてもう少し発言に気をつけなさい。俺だって男なんだぞ、そんなこと言ったら誘っているようにも聞こえるから! マジで!」
「えっ、誘っ――うぅ……」
さらに顔に熱が集まるのがわかります。顔から火が出るとはこのことでしょうか。勢いで言ったのはその通りなのですが……あまりにも恥ずかしい。
それでも、引っ込みがつかなくなった私は、無謀にも彼に噛み付いてしまいました。
「も、もしそうなら、どうするのです!?」
「おまっ! ……はぁ、良い加減、少し怖い目にあった方がいいか」
「へっ?」
そう低く呟いた朔也くんは、私を力強く抱き寄せると「覚悟しろよ」と左の耳元で囁きました。瞬間、背中にぞわっと電流が走ったような感覚を覚え、自然と「ひゃっ!」と声が漏れます。
そのまま、視界が反転し――私は勢いよくソファに押し倒されていました。
上から覆い被さる影。見上げた朔也くんの瞳には、いつもはない仄暗い熱が灯っているように見えました。困惑で固まる私を無視して、彼の大きな手が私の右耳を塞ぎます。
直後――無防備な左耳に、電気が流れるような衝撃が走りました。
噛まれたのです。甘噛みよりも少し強め。痛いのではなく、痛気持ちいいぐらいの絶妙な力加減。ゾクゾクするような未知の感覚が、背中から頭の先まで一気に駆け抜けました。
何度も、何度も繰り返し噛まれ――
「あ……っ、ん、だめ……っ」
――自分でも聞いたことのないような、甘い声が出てしまいます。私の両手は行き場を失い、無意識に朔也くんのシャツをギュッと強く握りしめていました。
ドクドクと暴れる心臓は、今にも破裂してしまいそうです。
それでも朔也くんは許してくれず、耳たぶや軟骨部分を執拗に噛み続けます。朔也くんの荒い吐息が直接肌に当たり、耳が凄く熱く、ドロドロに溶けていくように感じました。
時間にして数分。でも、私には数時間にも感じられるほどの、あまりにも強烈な感覚です。
ふいに口が離れ、朔也くんの唾液で濡れた耳元が急に涼しくなりました。
終わった……。安堵と共に、初めての感覚が途切れて少し残念な気持ちがよぎった、その直後――
ジュボッ
「ひゃぁ! あぁ……っ」
耳の中に『何か』が入ってきました。柔らかくて、でも弾力があって少し硬い……。それが、朔也くんの舌なのだと理解した瞬間、ビクッと大きく跳ね上がり、足の指先までギュッと丸まりました。
これも初めての感覚に、頭が真っ白におかしくなりそうです。
右耳が塞がれているためか、水音と彼の息遣いだけが脳内で反響し、キンキンと音を立てています。
「ちょっと待って……! ふぅ、んっ……っ」
私の必死の制止を無視して、朔也くんは容赦なく続けます。
右手は耳をふさぐのを時折止めて、耳の裏の敏感な部分を優しく撫でたり、急に爪を立ててなぞったり……耳という器官がこんなにも気持ち良いなんて、私は初めて知りました。
這うように舐められる時間と、チクリと甘噛みされる時間。刺激の緩急が交互に行われ、どれだけ時間が経っても全く慣れることがありません。
そこからさらに数分。永遠にも思える甘い拷問が続き、ようやく両耳が解放されます。なぶられた耳は火のように熱く、弄られた耳の奥はジンジンと痺れていました。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
シャツを握りしめたまま、息も絶え絶えになっている私を見下ろし、朔也くんが乱れた前髪を掻き上げます。
「ふぅ……。少しは懲りたか? 何度も言うが俺だって男だ。挑発し過ぎると何するかわからないぞ? これに懲りたら変なこと言うなよ」
説教をする彼の息も、私と同じようにひどく荒くなっているのがわかりました。
「は……はいぃぃ……」
「ん? 瀬那? ……え!? おい、瀬那……!」
朔也くんが慌てて名前を呼ぶ声を遠くに聞きながら、私はショートした思考の限界を迎え、ふつりと意識を手放しました。
◇
「あれ?」
ふと目が覚めると、私はベッドの上にいました。いつの間に移動したのか、全く記憶がありません。
隣に朔也くんの姿はなく、ナイトテーブルに置かれたスマホの時計を見ると、もうすぐ日付が変わろうとしている時間でした。
「……っ!」
少しずつ意識が鮮明になるにつれ、自分がつい先ほど、ソファの上で『何をされて意識を飛ばしたのか』を思い出し、顔が一気に熱湯を被ったようにカッと熱くなりました。
慌てて服の状態を確認しますが、少し皺になっている程度で、下着も含めておかしいところは全くありません。つまり、朔也くんは気絶した私をベッドに寝かせただけで、何もしなかったということ。
「朔也くんは、どこに……?」
いつも他人のことを第一に考えて行動する彼のことです。ついカッとなって手を出してしまったことを後悔し、責任を感じて部屋から出ていってしまったのではないかと、急に不安が押し寄せてきました。
私はすぐにベッドを飛び降り、寝室の扉を開け放ちます。
バタン!
「うぉ! びっくりした……」
扉を開けた先のリビングスペース。そこのソファに朔也くんが座っているのを確認し、私は心底安堵しました。
(よかった……。出て行ったわけじゃなくて……)
音に驚いて振り返った彼は、私を見るとひどく気まずそうに視線を泳がせました。私も彼の顔を見た瞬間、熱い感触がフラッシュバックして一気に恥ずかしくなり、思わず目を逸らしてしまいます。
「ごめんな、やり過ぎたと思っている。嫌だっただろう……。本当は部屋から出た方がいいかと思ったんだけどさ、流石に気絶した瀬那を一人にさせるわけにもいかないって思ってな」
しばしの気まずい沈黙の後、彼がぽつりと口を開きました。
それはいつも彼が私に向けてくれる温かい声ではなく、深い自己嫌悪と誠実な謝罪が滲む、どこか自信のなさそうな声でした。
「ち、違います! 私が……不必要に挑発したからです。……朔也くんは私をどうにでもできたのに、その……最後まではしなかったじゃないですか。……こちらこそ、ごめんなさい」
二人して、気まずいままぺこりと頭を下げ合います。
「瀬那が謝ることじゃないよ。怒ってはいないのか?」
「怒ってはいないです! は、恥ずかしかったですけど……」
「そうか。本気で嫌われる覚悟でやったから、心配だった。……ただな、他の男の前ではああいう挑発、絶対にやめろよ? マジでどうなるかわからないからな」
他の人の前でなんて、あるわけがありません。
それに、例えば最後までされていたとしても、嫌うわけがないのです。朔也くんが相手だったから、私は口を滑らせたのですし……。
「……他の人の前でなんて、言うわけないじゃないですか」
「え? なんか言ったか?」
わざと小声で言ったとはいえ、私の本音は少し距離の離れた朔也くんの耳には届かなかったようです。
「朔也くんの……ばか! って言ったのです!」
「えぇ……」
理不尽な罵倒にポカンとする彼からぷいっと顔を逸らし、私はまだ熱を持ったままの耳をそっと手で覆いました。
私を気絶させるほどいじめたのですから、これぐらいの理不尽は言ってもバチは当たりませんよね。
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