17
「……今のところ異常なし、という感じですか」
和人は独り言を呟く。
目に当てていた「遠眼鏡」を外して、腰のベルトに吊るす。
レア度は高くない一般アイテム扱いであるが、数自体はそんなに出ていない「遠眼鏡」を貸与してもらっていた。
風防と視認性を困難にするためのボロ布を纏っているので、衣擦れの音ががさがさとうるさい。
ワールドクエストの達成が近いということで何らかの変化がないかと周辺の探索を単独で実行しているためこんな格好をしていた。
「さてさて、そろそろ報告に戻るべきですねぇ」
そう言った和人が立ち上がる。
そのまま歩いて行った先には、雨を避けるためのビニールシートが貼られた簡易的な屋根の下に火の消えた簡易のカマドがしつらえられた拠点がある。あとは横倒しのロッカーに「毛皮マント」を敷いた臨時ベンチとノートが広げられた机が一つ。カマドのそばにそこに置かれていただろう鍋がふたつ除けられている。
あとはコップや皿にスプーン類。
「一息入れますかねぇ」
かぱん、と鍋のうち一つの蓋を開けると冷たくなっている蒸かしたジャガイモ。
もう一つを開けるとこちらはトマトを放り込んだスープ。
それらを一つの皿にまとめて放り込んで、横倒しのロッカーに座るとがつがつと食べ始める。
冷えたままのそれは然程美味いものでもない。というより正直マズいという分類だった。
「こんな風景では温かい食事が恋しくなってきますねぇ」
誰にも聞かれない独り言をぽつり。
孤独は人を饒舌にする。
半壊したマンションだっただろう建物に登り、その上の大穴が開いた貯水槽の脇に臨時の拠点を作って三日。
祥子たちと相談した通りに和人は「アキカンヒロイ」周辺の変化がないかを探っていた。
高い建物の上から周辺確認、そして気になった目ぼしい場所のピックアップ。
それらをノートで書き記し、単独で探索を実行。
周辺を調査するチームの援護も兼ねて途中途中でモンスターの間引きもおこなう。
さらに、その動きに変化がないかどうかの検証も同時進行だ。
それなりに和人のこの三日間は詰め込めるだけ詰め込んだハードモードであった。
そこに悪魔の誘惑が彼を襲う。
「役得だとガメるのは後々問題になると困るのは分かっているんですが。……ああ、手を出しそうになりますよ」
ふう、とため息を吐く和人。
色々と気になった場所を捜索すれば、その成果が出るのは当たり前のこと。
ででんと置かれている様々な戦利品の中で和人が目を背け、そして欲にあらがえずまた目をやる存在。
「『350ミリ缶ビール・24缶入り』……。これは、罪深いなぁっ」
まさかの酒。
しかも24缶入りの段ボール1箱。
そして特筆するべきはビールだという事。
そう、発泡酒ではない、ビールなのである。
(くぅ……なんという罠。これが一本だけの缶ビールであるならまだ、いやしかし)
勤務中にアルコール。
まあ言語道断だというのはご理解いただけるだろう。
それに運の悪いことに24缶入りの箱単位でのアイテム入手。
一本ガメてしまえば残りの本数からそれが露呈するし、なら全部を自分のものにというのも気が退ける。
というか量が量だ。ここで飲みきるには多すぎ、さらにどこかに隠しておくというのは場所がない。
(個人部屋というものがあるわけでもありませんし。いやはやみんなで山分けがベストでしょう)
それに今のままだとすこぶるヌルい。
現状で一番美味く飲むためには「アキカンヒロイ」の「水採取ポンプⅠ」の取水池に突っ込んでキンキンに冷やすのがベター。
仕事終わりに心置きなくの痛飲。
これに勝るものは早々無いはずだ。
「さてさて、では帰りますかね」
そうと決まればこの臨時拠点からとっとと帰るのだ。
最後にステータスを開き、ワールドクエストのマップ到達率を確認。
この三日でついに1.9パーセントまで上昇した。
恐らく上昇速度からすれば今日明日にでも到達するだろう。
(……やはり速度が上がっている。誰かは知りませんが兎にも角にもクエストクリアを目的に動いているんでしょう。その影響を考えていないのがどうも、ね)
提示されたメリットとそこから「自分で」思いつくデメリット。
この先が見えない中でのメリットの提示をどう見るか。
結局「アキカンヒロイ」は「NPC街のアンロック」のタイミングには全員のコロニーでの待機を命じていた。
何が起きるかわからないのであれば、全員で対応するべきだという意見だ。
状況把握、そして変化の認識を共にする。
当然コロニー内の皆にクエストクリアで起きうるだろうメリット・デメリットの説明を祥子がしている。
その為、皆がある程度覚悟を決めたうえで、誰かが進めているそのクエストクリアを迎えることになりそうだった。
「ま、心配するようなことにならなければ良い事なんですし。その時はこれで祝杯でしょうね」
そう言って和人はビール缶の段ボールを軽く足で小突いた。
臨時の拠点を簡単に片し、その足で和人は「アキカンヒロイ」に帰還したあとそのまま祥子たちのところへと直行した。
獲得したアイテムや周辺の状況の報告を行うためだ。
ノートに書き記した周辺の目立つポイントも共有する必要がある。
夕方に「アキカンヒロイ」へ帰還した後、祥子だけでなく羽田達も集まっての報告会議はそのまま深夜まで続いた。
報告などを一通り確認し合い、解散となったわけだ。
今は深夜に入り、祥子がいる応接室に和人だけが残っている。
テーブルの上のノートは和人のもので、詳細を確認したいといわれて残っていた。
「……いやぁ、しっかし疲れました」
テーブルの前のパイプ椅子に座る和人が背伸びをする。
「本当にご苦労様です。仮眠用にソファは使っても構わないわよ」
祥子が指さした先の壁際に追いやってある穴の開いたソファには、和人の「毛皮マント」が敷かれておりそれにくるまれば即寝落ちは確実だった。
臨時の仮眠スペースというわけだ。
「微妙ですねぇ。寝てるところにクエストクリアが重なりそうではありますから」
「一応ローテで雄一郎君たちにワールドクエストのクエストボードは監視してもらってるわ」
「そうですか……。ちなみになんですが」
「なに?」
「祥子さんは“いつから”起きてますか?」
そう尋ねられると祥子はばつの悪そうな苦笑いを一つ。
この分だと少なくても進捗率が1.9パーセントに上ってからは横になることはしていないだろう。
「その分だと、徹夜しているんじゃないですか? 逆に私が起きていますので、祥子さんが横になられては?」
「そういうわけにはいかないわよ。今にでもクエストクリアがアナウンスされる可能性だってあるじゃない」
「そうなるとさらに体を休めることができなくなります。幸い私は短くても仮眠は取れていますし、バグで見えていませんが元々の基礎ステータスが高い。いざという時に動けないと問題なのは、私よりもこのコロニーの方向性を決める立場にあるあなたですよ、祥子さん」
「でも……」
「さっきの打ち合わせの限りだと、取り立てて何かを“今”やらなくてはいけない。そういうわけではないでしょう? 徹夜続きで頭が回らずクオリティの低い仕事をするのはダメ社員の典型ですよ」
諭すように和人が言う。
「……じゃあ、少し横になろうかしら」
「ええ、朝まで私は起きていますので」
にこり、と和人が笑う。
「取り敢えず一時間、でも何かあったなら」
「一時間、と言わず休んでください。何かあれば即座に肩を叩きますよ。ご心配なく」
身内、というには少し複雑な関係性ではあるが、気心の知れる元義息の回答を得て祥子がソファに向かう。
それを確認し、和人は部屋を照らしているランプをわずかにずらしてその仮眠ソファに光がいかないように調整した。
「じゃあ、少しだけ休むわね」
「ええ、どうぞどうぞ」
そう答えて和人はずらしたランプの光を自分の手元を照らすように使う。
よく使っている「レザーシールド」に「ブロンズダガー」。そして「ひどくくたびれたシャツ」を「ナップザック」から取り出す。
取り出したシャツを折り畳み、ダガーで裂いていく。
びっ、びっ、と音をさせるとあっという間にシャツは薄汚れた布の束に変わる。
ダガーをテーブルに置いて、刀身を中心にしてその布で磨く。
きゅっきゅっと磨き布が汚れをとっていく。
鍔や刃の付け根、握り手なども入念に。
時には油を垂らしてランプの光が反射するくらいに丁寧に。
……ぅ、すぅ、すぅ。
いつの間にか小さく寝息が聞こえる。
ふむ、と和人がステータスを開く。
時刻を確認し、一時間後と言っていた祥子の言葉を思い出す。
時刻表示は午前の二時に差し掛かろうという所だ。
(ラジオ体操が朝七時開始だから、六時までは休ませたいな。と、考えればあと四時間という所か。まあ、暇つぶしはいくらでもある)
そう考えて座ったパイプ椅子の横に置いた「ナップザック」を見る。
その中から「レザーブーツ」を一足取り出して今自分が履いているブーツと取りかえた。
そのまま元のブーツを「ナップザック」に戻すかと言えばそうではない。
固くなったブーツの靴ひもを本体から引き抜いて、ランプに照らしながらゆっくりと指でなぞる。
何処かに切れ目や解れが出来ていないか。
確認を終えて紐を結び直す前に、新たに「ナップザック」から一般アイテムの「歯ブラシ」を取り出した。
靴底の様子をみて詰まった小石や砂が無いか。あればそれを「歯ブラシ」で丁寧に掃きだしていく。
それが終わればウェスでゆっくりと全体の汚れを落とすのだ。
そんな時間がゆっくりと空が白み始めるまで続くのだった。




