第二章 崩れゆく日々 ③
三年の歳月が流れた。
アレンとクローネは十歳になり、正式な許嫁として共に過ごすことが当たり前になっていた。
両国の友好を深め、将来王家を支えるため、クローネはアルベニスタ王国の王城で暮らしている。
アミール王国へ帰るのは、王家の行事や家族と過ごすための限られた期間だけだった。
そして今日。
二人は、人生で一度しか訪れない日を迎えていた。
天啓の儀。
十歳になった者へ、神から主職が与えられる儀式である。
アルベニスタ王城の大広間には、多くの人々が集まっていた。
王族。
貴族。
騎士や宮廷魔術士。
儀式へ立ち会うために訪れた各国の来賓。
子供へ授けられる主職は、その後の人生を大きく左右する。
剣士であれば、剣を扱う者として。
魔術士であれば、魔法を扱う者として。
神官であれば、祈りや回復術によって人々を支える者として。
主職は、本人が望んで選べるものではない。
だからこそ、誰もが期待と不安を抱えながら、自分の名が呼ばれる時を待っていた。
「緊張してる?」
隣から聞こえた声に、アレンは顔を向けた。
瑠璃色の髪を綺麗に整えたクローネが座っている。
白を基調とした式典用の衣装には、アミール王家の紋章が飾られていた。
「少し」
アレンは正直に答えた。
「クローネは?」
「私も少しだけ」
そう答えながら、クローネは微笑んでいる。
けれど、膝の上で重ねた両手には僅かに力が入っていた。
「怖い?」
アレンが小声で尋ねる。
クローネは一瞬だけ驚いたあと、小さく頷いた。
「うん。でも、前よりは大丈夫」
「どうして?」
「怖いって言ってもいいって分かったから」
その言葉に、アレンは交流会の日を思い出した。
守れなかったらどうしよう。
そう怯えていたクローネへ、怖いのだろうと尋ねた。
あれから三年。
クローネは今も国を守れる王女になりたいと願っている。
けれど、怖さを隠して笑おうとすることは少なくなっていた。
「それに」
クローネが続ける。
「何を授かっても、私は私でしょう?」
「うん」
「アレンも同じだよ」
「まだ僕は何も言ってないよ」
「先に言っておこうと思って」
儀式の開始を告げる鐘が鳴った。
二人は言葉を止め、広間の中央へ視線を向ける。
◇
名前を呼ばれた子供たちが、一人ずつ祭壇の前へ進んだ。
祭壇へ手を置くと光が降り、その者へ授けられた主職の名が浮かび上がる。
『剣士』
力強い文字に歓声が上がった。
『神官』
家族や来賓から温かな拍手が送られる。
『魔術士』
鮮やかな光を前に、感嘆の声が広がった。
授かった主職によって、光の強さが決まるわけではない。
それでも、剣士や魔術士のように多くの者が知る主職が現れるたび、会場は大きく沸いていた。
「クローネ・アルセリア=アミール」
名を呼ばれたクローネが立ち上がる。
「行ってくるね」
「うん」
アレンは短く送り出した。
クローネは真っ直ぐ祭壇へ進む。
多くの視線が集まっていた。
アミール王国の第一王女。
将来、国を支える者として期待されている少女。
クローネが祭壇へ手を置く。
瑠璃色の髪が光を受け、淡く輝いた。
祭壇から溢れた光が、クローネの身体を包み込む。
やがて、頭上へ一つの文字が浮かび上がった。
『魔術士』
広間から歓声が上がる。
「お見事です」
「アミール王国の王女に相応しい」
「将来が楽しみですな」
称賛の声が次々と聞こえた。
魔術士は、魔力をさまざまな形へ変える主職だ。
戦場へ立つことも。
国の設備を支えることも。
国を守りたいと願うクローネにとって、大きな助けとなる力だった。
クローネは祭壇へ頭を下げる。
席へ戻る途中で、アレンへ目を向けた。
嬉しそうな顔だった。
アレンも微笑み、迎える。
「おめでとう」
「ありがとう」
「国を守るための力が増えたね」
「うん」
クローネは自分の両手を見つめる。
「まだ、何も使えないけど」
「これから覚えればいいよ」
「そうだね」
喜びを分かち合う時間は長く続かなかった。
儀式はそのまま進み、次の名が呼ばれていく。
やがて。
「アレン・ルークロウ=アルベニスタ」
広間へ響いた声に、アレンは立ち上がった。
クローネが隣から見上げている。
「行ってくる」
「うん」
クローネは先ほどアレンがしたように、短く送り出した。
◇
祭壇へ向かって歩く。
一歩進むたび、多くの視線が集まってくる。
アルベニスタ王国の第一王子。
いずれ王位を継ぐ可能性が最も高い者。
剣士か。
魔術士か。
あるいは、珍しい力を授かるのか。
周囲が何を期待しているのか、アレンにも分かっていた。
けれど、何を授かるかは自分には決められない。
考えても仕方のないことだった。
アレンは祭壇へ手を置いた。
光が生まれる。
最初は小さかった光が、両手を包み、全身へ広がっていく。
温かい。
痛みも苦しさもない。
ただ、自分の内側に今まで知らなかった何かが生まれたことだけが分かった。
光が頭上へ集まり、一つの形を作る。
文字が浮かび上がった。
『結界師』
その瞬間。
会場の空気が変わった。
クローネの時に聞こえた歓声はない。
拍手も、僅かにしか届かなかった。
「結界師……?」
「まさか、王子が」
「珍しくはあるが……」
「よりにもよって」
小さな声が、静まり返った広間によく響いた。
アレンは頭上に浮かぶ文字を見た。
結界師。
聞いたことはある。
魔力によって壁を作り、人や物を守る主職。
けれど、どのような力なのか詳しく学んだことはなかった。
少なくとも、周囲が期待していたものではないらしい。
祭壇へ一礼し、席へ戻る。
歩く間にも、数え切れない視線を感じた。
先ほどまでの期待ではない。
戸惑い。
落胆。
それらが混ざった視線だった。
「おかえり」
席へ戻ると、クローネがいつもと変わらない声で迎えた。
「うん」
「結界師だったね」
「そうみたい」
「驚いた?」
「少し」
アレンは周囲へ目を向ける。
「結界師って、そんなに変なのかな」
クローネはすぐに答えなかった。
「珍しい主職だと思う」
「珍しいから、みんな驚いてるの?」
「それだけじゃないと思う」
クローネは言葉を選んでいた。
「結界師は、剣士みたいに敵を倒す主職じゃないから」
「敵を倒せないの?」
「結界で攻撃を防いだり、人を守ったりする主職だと聞いているよ」
「守るための力か」
「うん。誰かを支えることもできると思う」
アレンは、もう一度『結界師』という名前を頭の中で繰り返した。
守るための力。
それなら、悪い力ではないように思える。
けれど、周囲の者たちはそう考えていないらしい。
「王族には、相応しくないのかな」
「私は、そう思わないよ」
クローネは迷わず答えた。
「まだ何ができるかも分からないのに、相応しくないって決める方がおかしい」
「でも、みんなはそう思ってるみたいだ」
「みんなが思っていたら、正しいの?」
「そういうわけじゃないけど」
「それなら、今決めなくていいよ」
クローネは祭壇へ目を向けた。
儀式は続いている。
それでも、周囲ではアレンについて囁く声が消えなかった。
「アレンはアレンでしょう?」
クローネが言う。
「結界師になったからって、昨日までのアレンと何か変わった?」
アレンは自分の手を見る。
先ほどまでと同じ手だった。
急に頭が悪くなったわけでもない。
できていたことが、できなくなったわけでもない。
「変わってないと思う」
「でしょう?」
「うん」
「なら、それでいいよ」
クローネは、当たり前のことを話すように言った。
その言葉が嬉しかった。
大広間の空気が変わっても。
周囲の者たちが戸惑いを見せても。
クローネだけは、儀式の前と何も変わらなかった。
◇
儀式が終わると、アレンの周囲へ何人もの大人が集まった。
「殿下。結界師は稀少な主職でございます」
「扱い方によっては、十分に役立ちましょう」
「副職による補強も可能です」
誰も、結界師が良い主職だとは言わなかった。
稀少。
役に立つ可能性がある。
別の力で補えばよい。
慰められているのだと、十歳のアレンにも分かった。
「アレン」
人の輪の外から、クローネが声をかける。
アレンは大人たちへ一礼し、その場を離れた。
二人は大広間を出て、いつもの庭園へ向かった。
風が吹いている。
鳥が一羽、城壁の向こうへ飛んでいった。
「皆のところにいなくていいの?」
アレンが尋ねる。
「いいよ」
「魔術士になったことを、もっとお祝いしてもらえるのに」
「もう十分、お祝いしてもらったから」
クローネはアレンの隣へ腰を下ろした。
「それに、一人でいたくなったのでしょう?」
「分かるの?」
「三年も一緒にいるからね」
アレンは小さく息を吐いた。
「何かが変わったのかな」
「何が?」
「僕が結界師になったことで」
「変わってないって、さっき言ったでしょう?」
「僕じゃなくて、周りが」
クローネは答えなかった。
儀式の前まで。
多くの者がアレンを優秀な王子だと評価していた。
学問にも剣の稽古にも真面目に取り組み、将来を期待していた。
それなのに。
結界師という名が現れた途端、その者たちの顔から期待が消えた。
「周りが変わっても、私は変わらないよ」
クローネは告げた。
「本当に?」
「うん」
「この先、僕が何もできなかったとしても?」
「まだ何もしていないのに、できないって決めないで」
少し怒ったような声だった。
「まず、結界師のことを知ろうよ」
「一緒に?」
「もちろん」
クローネが微笑む。
「私も魔術士のことを勉強するから、アレンも結界師のことを勉強する。それで、分かったことを教え合おう」
天啓を授かる前。
二人はさまざまな国や人の話を教え合っていた。
これからは、それぞれの力についても話せばいい。
「分かった」
アレンは頷いた。
「結界師に何ができるのか、調べてみる」
「うん」
「クローネも、魔術士のことを教えて」
「任せて」
この時のアレンは、まだ知らなかった。
結界師という一つの言葉が。
これまで当たり前にあったものを、少しずつ崩していくことを。
ただ。
庭園で隣に座るクローネだけは、何も変わらず笑っていた。




