第二章 崩れゆく日々 ②
交流会の日から、アレンとクローネは何度も顔を合わせるようになった。
最初は、各国の交流を目的とした会食だった。
次は王族の子供たちを集めた学習会。
その次は、季節の訪れを祝う園遊会だった。
どの催しにも、多くの大人と子供が集まっている。
けれど二人は、顔を合わせるたびに人の少ない場所へ移動した。
「また外を見ているの?」
クローネの声を聞き、窓辺に立っていたアレンが振り返る。
「見てる」
「今日は何を?」
「鳥」
「やっぱり」
クローネは呆れたように言いながら、アレンの隣へ並んだ。
庭園の木から飛び立った鳥が、王城の屋根を越えていく。
その姿を追うアレンの横顔は、初めて会った日と何も変わらなかった。
「飽きないの?」
「飽きないよ」
「毎回、同じ鳥を見ているわけではないでしょう?」
「うん。だから飽きない」
「どういうこと?」
「今日は、昨日とは違う鳥かもしれないから」
クローネは窓の外を見る。
鳥は既に城壁の向こうへ消えていた。
「違っていても分からないと思う」
「それでもいいよ」
アレンは気にした様子もなく答えた。
「どこへ行くのか考えるだけでも面白いから」
「変なの」
「また言った」
「だって、やっぱり変だもの」
初めて会った時にも、同じ言葉を口にした。
あの時は、本当に理解できなかった。
目の前には各国の王族や貴族がいる。
将来、国を動かすかもしれない者たちが集まっているのに、アレンは人ではなく鳥を見ていた。
けれど今では、その理由が少し分かる。
アレンは鳥だけを見ているのではない。
鳥が飛んでいった先にある、まだ知らない場所を見ているのだ。
「ねえ、アレン」
「何?」
「外へ出たら、何をしたいの?」
アレンは少し考えた。
「いろいろな場所へ行きたい」
「いろいろな場所?」
「本で読んだ国とか、森とか、海の向こうとか」
「危険な場所もあるよ」
「うん」
「魔物に襲われるかもしれない」
「それは怖いと思う」
「それでも行きたいの?」
「行きたい」
迷いのない返事だった。
「知らないものが怖いなら、知らないままにするより、見に行った方がいいと思うから」
クローネは目を瞬かせた。
自分なら、知らないものへ近づく前に調べようとする。
危険があるのなら、それを避ける方法を探す。
けれどアレンは、怖くないから進むのではない。
怖くても、自分の目で確かめたいから進もうとしている。
「クローネは?」
「私?」
「王国を守りたいって言ってただろ?」
「うん」
「そのために、何をしたいの?」
尋ねられたクローネは、すぐには答えられなかった。
国を守れる王女になる。
その思いは、今も変わっていない。
けれど、何をすれば守れるのかまでは分からなかった。
「まずは、いろいろな人を知りたい」
クローネは会場を振り返った。
「この人は何が得意なのか。何に困っているのか。何を大切にしているのか」
「全部覚えるの?」
「できるだけ」
「大変そうだ」
「アレンが世界中を見るよりは簡単だと思う」
「そうかな」
「そうだよ」
二人は顔を見合わせ、小さく笑った。
◇
顔を合わせる回数が増えるにつれ、二人でいることは珍しい光景ではなくなっていった。
大人たちから庭園にいるよう指示されなくても、気づけば同じ場所へ集まっている。
アレンはクローネへ、王城で読んだ本の話をした。
海の向こうにある国。
一年のほとんどを雪に覆われた土地。
空へ届きそうなほど高い山。
クローネは、アミール王国の話をした。
城壁の近くまで広がる森。
国境で魔物と戦う兵士たち。
父や母が、国を守るために働いていること。
互いの国について話しているだけなのに、不思議と飽きなかった。
「アレン様とクローネ様は、本当に仲がよろしいのですね」
ある日の会食で、貴族の女性が微笑みながら言った。
「二人で何を話しておられたのです?」
「鳥です」
アレンが答える。
女性は一度、言葉を失った。
「鳥、でございますか?」
「はい」
「アレンは、ずっと鳥を見ているの」
クローネが補足すると、周囲の大人たちから笑いが起きた。
馬鹿にするようなものではない。
微笑ましい子供の話を聞いた時の笑い方だった。
「仲が良くて何よりです」
「ええ。まったくですな」
「両国の将来にとっても、喜ばしいことでしょう」
最後の言葉の意味は、アレンにはよく分からなかった。
ただ、周囲にいる大人たちは納得したように頷いている。
クローネも不思議そうにしていたが、やがて食事が再開され、その話は終わった。
◇
その日の帰り際。
クローネは父であるアミール国王のもとへ向かう途中で、開かれた扉の向こうから自分の名前が聞こえたことに気づいた。
「アレン殿下とクローネ殿下は、随分と親しくなられましたな」
「子供同士、気が合うのでしょう」
「両国の関係も良好です。いっそ、将来を約束させてもよいのではありませんか」
クローネの足が止まる。
将来を約束する。
その言葉の意味がすぐには分からなかった。
「婚約、ということですか」
「ええ。お似合いだと思いますよ」
婚約。
許嫁。
家同士、国同士の意向によって、将来結婚する相手を決めること。
王族である以上、いつか自分にも関わる話だと教えられている。
けれど、それが今日、アレンの名と一緒に語られるとは思っていなかった。
父はすぐに返事をしなかった。
「まだ幼い二人です」
「もちろん、すぐに答えを出す必要はありません」
「しかし、クローネ様もアレン殿下には心を許しておられるようです」
「アルベニスタ王国の第一王子であれば、お相手として不足もありますまい」
それ以上聞いてはいけない気がして、クローネはその場を離れた。
自室へ戻った後も、聞こえてきた言葉が頭から離れない。
アレンが許嫁になる。
そうなれば、これからもアレンと会える。
知らない国へ嫁ぐのではなく、既に知っている相手の隣にいられる。
嬉しい。
そう感じた自分に気づき、クローネは頬へ手を当てた。
◇
数日後。
クローネはアルベニスタ王城の庭園で、木陰に座っているアレンを見つけた。
その手には本がある。
珍しく鳥を眺めていない。
「何を読んでいるの?」
「海の向こうにある国の本」
「また遠い国?」
「うん。街の中に大きな川が流れていて、船で移動するらしいよ」
クローネはアレンの隣へ腰を下ろした。
「アレンに聞きたいことがあるの」
「何?」
「最近、私たちのことを仲が良いって言われるでしょう?」
「言われるね」
「嫌じゃない?」
アレンは本を閉じ、クローネを見た。
「どうして嫌だと思ったの?」
「私と仲が良いって言われるのが、嫌な人もいるかもしれないから」
「僕は嫌じゃないよ」
あっさりとした返事だった。
「本当に?」
「うん」
「何で?」
「クローネと話すのは楽しいから」
飾り気のない言葉だった。
それだけに、本心で言っているのだと分かる。
「クローネは嫌だった?」
今度はアレンから尋ねられた。
「嫌じゃない」
クローネは小さく答えた。
「それなら、別にいいんじゃないかな」
「そうだけど……」
自分だけが悩んでいたことが、少しだけ恥ずかしくなる。
けれど同時に、胸の奥が軽くなった。
「もし、ずっと一緒にいることになっても?」
「ずっと?」
「たとえばの話だよ」
アレンは少し考えた。
「分からない」
「分からないの?」
「結婚したことなんてないから」
「それは私もないよ」
「でも、クローネが相手なら、楽しそうだから嬉しいと思う」
「……そう」
「どうしたの?」
「何でもない」
クローネは顔を逸らした。
頬が熱くなっている。
そのことを、アレンに気づかれたくなかった。
◇
その夜。
アミール王国へ戻ったクローネは、父の執務室を訪れた。
「お父様」
「どうした?」
「お話があります」
机へ向かっていた父が顔を上げる。
クローネは緊張していた。
それでも逃げずに、父の前へ立った。
「許嫁の話です」
父の手が止まった。
「どこで聞いた」
「聞こえただけです」
「クローネ。これは国同士の話だ。まだ何も決まってはいない」
「分かっています」
父はクローネを見つめた。
「では、何を話しに来たのだ?」
クローネは両手を握り締めた。
王女として正しい答えなのかは分からない。
国のためになるかどうかも、今のクローネには判断できない。
それでも、自分の気持ちだけは分かっていた。
「もし、許嫁を決めるなら」
一度、息を吸う。
「私はアレンがいいです」
部屋に沈黙が落ちた。
父は驚いた顔をしていた。
当然だと思う。
クローネ自身、自分からこんなことを願い出るとは思っていなかった。
「理由を聞いてもよいか?」
「一緒にいると、無理をしなくていいからです」
王女として立派でいなければならない。
皆の期待に応えなければならない。
そんな思いに押し潰されそうになった時、アレンだけは大丈夫だと言わなかった。
迷うことも。
怖がることも。
情けないことではないと教えてくれた。
「アレンは、私が王女だから話してくれるわけではありません」
鳥を見て。
本の話をして。
時には何も話さず、同じ空を見上げている。
「私も、アレンとなら一緒にいたいです」
父はしばらく黙っていた。
やがて、厳しかった表情を僅かに緩める。
「お前の気持ちは分かった」
「では」
「両国で話し合わなければならない。アレン殿下の意思も確かめる必要がある」
「はい」
「すぐに決まることではないぞ」
「それでも構いません」
クローネは真っ直ぐに父を見た。
「私はアレンがいいです」
今度は、最初よりもはっきりと言えた。
◇
それからしばらく後。
アレンとクローネは、両国の王から呼び出された。
告げられたのは、二人を正式な許嫁とすることだった。
「嫌なら、今のうちに言っていいんだよ」
話が終わった後、アレンが小声で尋ねた。
「私は嫌じゃないよ」
クローネは答える。
「アレンは?」
「僕も嫌じゃない」
「それだけ?」
「それだけじゃ駄目?」
クローネは少しだけ頬を膨らませた。
「駄目じゃないけど」
アレンは、やはりいつもどおりだった。
許嫁になったからといって、急に態度が変わるわけではない。
それでも。
「これからも、話してくれる?」
「もちろん」
「今度も外で?」
「あの中よりは、外の方がいい」
「私も」
二人は顔を見合わせて笑った。
約束の意味を、まだ十分には理解していない。
王族同士の婚約が、二人だけで決められるものではないことも知っている。
それでも。
これから先も、アレンの隣にいられる。
そのことを、クローネは素直に嬉しいと思った。




