第二章 崩れゆく日々 ④
天啓の儀から数日が過ぎた。
アレンは王城の図書室で、結界師について書かれた本を読んでいた。
結界を展開し、外から加わる力を防ぐ。
一定の空間を閉ざす。
魔力の侵入や拡散を抑える。
人を守るために使われることが多い一方で、相手の動きを封じることや、危険を知らせるためにも利用できる。
書かれているのは、それくらいだった。
「これだけ……?」
最後の頁まで確認したが、求めていた答えは見つからない。
結界師自体が珍しいため、技術を体系的にまとめた記録はほとんど残されていなかった。
剣士なら、剣の振り方を教える者がいる。
魔術士なら、魔力を魔法へ変えるための教本がある。
けれど結界師には、それさえない。
過去の結界師が残した僅かな記録も、扱えた結界の形や性質がそれぞれ異なっている。
同じ結界師でありながら、一方にできたことが、もう一方にもできるとは限らないらしい。
「アレン様」
司書に呼ばれ、アレンは顔を上げた。
「特別講義のお時間です」
「分かりました」
開いていた本を閉じる。
調べる前よりも、分からないことが増えたような気がした。
◇
「本日は、職業の成長と副職について説明いたします」
教師が大きな資料を机へ広げた。
アレンは椅子へ座り、書かれている内容を確かめる。
資料には、天啓の儀で授けられる主職の名が並んでいた。
剣士。
槍士。
弓士。
拳士。
魔術士。
神官。
召喚士。
策士。
創作士。
そして、結界師。
「天啓の儀で授けられた職業を、主職と呼びます」
「僕の結界師や、クローネの魔術士ですね」
「そのとおりです」
教師は頷いた。
「主職は神から授けられるものです。本人が望んで選ぶことも、後から別の職業へ変更することもできません」
アレンは結界師の項目へ目を向けた。
望んだわけではない。
拒んだわけでもない。
自分へ与えられた力だった。
「主職の力を鍛え、一定の領域へ至った者は、上位職へ昇華することがあります」
「上位職?」
「主職が持つ力を、さらに高度な形へ発展させた職業です」
教師は資料の最初に書かれた項目を示した。
「剣士の上位職は、剣聖師です」
剣を扱う技術を極め。
剣そのものへ魔力を通し。
常人では届かない領域へ至った者だけが得られる職業だという。
「槍士の上位職は、聖槍師です。槍による戦闘能力だけでなく、自らや味方を守る力にも秀でています」
「守る力もあるのですか?」
「はい。ただし、結界師とは異なる形です」
教師の指が次の項目へ移る。
「弓士は鷹眼師。拳士は闘拳師へ至る可能性があります」
遠く離れた標的を正確に捉える鷹眼師。
自らの肉体と魔力を一つにし、強大な力を振るう闘拳師。
元となる主職の性質を受け継ぎながら、その力を大きく発展させた職業だった。
資料には、それぞれの職業について簡潔な説明が記されている。
「主職ごとに、上位職は一つなのですか?」
「必ずしも一つとは限りません」
教師は魔術士の項目を開いた。
「魔術士には、操魔師と魔導師という二つの上位職が確認されています」
「何が違うのですか?」
「操魔師は、魔力そのものを操ることに優れた職業です。相手が放った魔力へ干渉することや、周囲の魔力を利用することもできると言われています」
続いて、もう一つの名を指す。
「魔導師は、複数の魔法を高度に扱い、既存の術式を発展させることに優れています」
「同じ魔術士でも、違う上位職になるのですね」
「本人が何を学び、どのように力を使ってきたのか。その積み重ねによって、至る先が変わると考えられています」
教師は神官の項目へ指を移した。
「神官にも、森羅師と呪術師という二つの上位職が存在します」
「呪術師も、神官から至るのですか?」
「はい。神官が扱うのは、傷を癒やす力だけではありません」
生命の働きを助けることも。
身体へ入り込んだ悪いものを退けることも。
逆に、相手の身体や魔力へ悪い影響を与えることもできる。
その力を自然や生命との調和へ発展させた者が、森羅師へ至る。
呪いや弱体化へ発展させた者が、呪術師へ至るのだという。
「同じ力でも、使い方によって変わるのですね」
「そのように考えられています」
教師は説明を続けた。
「召喚士の上位職は、星喚師です。策士の上位職は、智導師となります」
方針を示し、味方を導く策士。
その上位職である智導師は、戦場にいる大勢の意思と行動をまとめ、個々が持つ力を最大限に引き出すとされている。
「創作士にも、二つの上位職があります」
教師の指が資料の下へ移る。
「錬金術師と、霊薬師です」
錬金術師は、複数の物質を組み合わせ、新たな素材や道具を生み出す。
霊薬師は、薬草や魔力を利用し、通常の薬では治せない傷や病へ作用する薬を作る。
同じ創作士から至る上位職であっても、得意とするものは大きく異なっていた。
アレンは資料を最初から見直した。
剣士には、剣聖師。
槍士には、聖槍師。
弓士には、鷹眼師。
拳士には、闘拳師。
魔術士には、操魔師と魔導師。
神官には、森羅師と呪術師。
召喚士には、星喚師。
策士には、智導師。
創作士には、錬金術師と霊薬師。
どの主職にも、その先へ続く道が記されていた。
けれど。
一番下にある結界師の欄だけは、空白だった。
「結界師は?」
アレンが尋ねる。
教師の指が止まった。
「結界師の上位職は、まだ確認されていません」
「存在しないのですか?」
「分かりません」
教師は首を横へ振った。
「上位職へ至った者がいないのか。至った者がいても、記録に残されなかったのか。あるいは、本当に存在しないのか」
そのいずれなのかも、明らかになっていない。
「少なくとも、現存する記録の中に、結界師から上位職へ至った例はありません」
アレンは空白の欄を見つめた。
何ができるのかを記した本は少ない。
どのように鍛えればよいのかも分からない。
その先にあるはずの上位職さえ、確認されていない。
結界師について調べれば調べるほど、分からないことばかりが増えていく。
「結界師は、弱い職業なのですか?」
教師は少しだけ考えた。
「単純に弱いと断じることはできません」
慰めるような口調ではなかった。
「結界師は稀少です。そのため、ほかの主職と同じ基準で評価できるほどの記録がありません」
「分からないから、評価できない?」
「そのとおりです」
弱いと証明されたわけではない。
けれど、強いと証明されたわけでもなかった。
「なお、上位職へ至れる者はごく僅かです。最初から上位職だけを目的として、主職を鍛えるものではありません」
教師は空白の欄から指を離した。
「まずは、自らへ授けられた力を知ることです」
「はい」
「そのうえで、主職へ何を加えるのか。その選択に関わるのが、副職です」
教師が副職について記された別の資料を開く。
「主職とは異なり、副職は本人が選べます」
「先ほどの職業から選ぶのですか?」
「基本的には、そうです」
剣士が、さらなる戦闘手段を得るために槍士を選ぶ。
魔術士が、接近された時の弱点を補うために拳士を選ぶ。
神官が、攻撃する手段を得るために弓士を選ぶ。
何を選ぶかは、その者が何を目指すのかによって変わる。
「結界師に向いている副職はありますか?」
「戦闘能力を補うのであれば、剣士や槍士が候補となるでしょう」
「それ以外は?」
「結界の後方から味方を支援するのであれば、魔術士や神官も考えられます」
教師は副職の資料を閉じ、アレンを真っ直ぐ見る。
「副職は、一度選べば変更できません」
アレンが顔を上げる。
「変更できないのですか?」
「はい。副職もまた、生涯にわたって本人と共にある力です」
「間違えて選んでも?」
「選び直すことはできません」
一度だけ。
やり直しはできない。
なら。
周囲に勧められたという理由だけで、適当に決めてよいはずがなかった。
「いつまでに選ぶ必要がありますか?」
「明確な期限はありません」
「すぐに決めなくてもいいのですか?」
「制度上は問題ありません。ただ、多くの者は天啓の儀を迎える前から、自分が授かる可能性のある主職と副職の組み合わせを考えています」
しかし、アレンは結界師になることを予想していなかった。
そもそも。
結界師について知っている者自体が少ない。
何ができるのかも。
どの力を補うべきなのかも。
まだ何も分かっていない。
「慎重にお考えください」
教師は告げた。
「ですが、選択を遅らせるほど、副職を鍛え始める時期も遅くなります」
「分かりました」
アレンは資料へ並ぶ職業名を見つめた。
どれを選ぶべきなのか。
今の自分には、まだ答えられなかった。
◇
その日の午後。
アレンは父であるアルベニスタ国王の執務室へ呼び出された。
机には、副職について記された書類が置かれている。
「お前の副職についてだ」
挨拶を終えると、父は前置きなく本題へ入った。
「剣士を選べ」
相談ではなかった。
既に決定されたことを伝える口調だった。
「剣士ですか」
「そうだ」
国王は書類へ手を置く。
「結界師は、自ら敵を倒す力に乏しい。剣士を副職とし、その不足を補え」
合理的な考え方だった。
結界で攻撃を防ぎ。
剣で敵を倒す。
少なくとも、何も知らないまま選ぶよりは、分かりやすい組み合わせに思える。
「王族として、戦う力は必要だ」
「はい」
「異論はあるか」
アレンはすぐには答えられなかった。
剣士が嫌なわけではない。
剣の稽古は、幼い頃から続けている。
剣士を選ぶことが間違いだとも思わない。
ただ。
「分かりません」
執務室の空気が変わった。
「何が分からない」
国王は怒鳴らなかった。
静かで低い声の方が、アレンには怖かった。
「結界師について、まだ何も知らないからです」
「人を守るための主職だ。それ以上に何を知る必要がある」
「何を守れるのかも、どのように使うのかも分かりません」
「だからこそ、欠けている戦闘能力を剣士で補うのだ」
「本当に欠けているのかも、まだ分かりません」
国王の眉が僅かに動いた。
「結界師の上位職は、確認されていないそうです」
「それがどうした」
「結界師に何ができるのかも、どこまで成長できるのかも分かっていません」
「上位職へ至る者など、ごく僅かだ」
「はい」
それでも。
アレンにとって重要なのは、上位職になれるかどうかだけではなかった。
「一度しか選べないなら、ちゃんと考えたいです」
「考えた結果、剣士を選べばよい」
「それでは、最初から決められているのと同じです」
口にしてから、言い過ぎただろうかと思った。
けれど。
言葉を引っ込めることはできなかった。
父は長く黙っていた。
「考える時間は有限だ」
やがて、静かに告げる。
「お前が迷っている間にも、同じ歳の者たちは鍛錬を始めている」
「分かっています」
「分かっていない」
国王の声が重くなる。
「立場ある者の迷いは、自分一人の問題では済まぬ。お前が立ち止まれば、その判断を待つ者も立ち止まる」
アレンは何も答えられなかった。
「いつまでも待つつもりはない」
「……はい」
「下がれ」
アレンは一礼し、執務室を出た。
扉が閉まる音が、いつもより大きく聞こえた。
◇
その日から。
王城の中で、アレンの副職について語る声が増えた。
「まだ剣士を選んでおられないそうだ」
「陛下が直接お命じになったと聞いたが」
「何を迷う必要がある」
「結界師には、確認された上位職すら存在しないのだろう?」
「ならば、剣士を選んで戦えるようになるべきだ」
「王子ともあろう方が、決断できぬとは」
最初は、聞き間違いかと思うほど小さな声だった。
けれど、日が経つにつれ。
隠そうともせず口にする者が現れ始める。
「優柔不断」
廊下ですれ違った貴族の言葉が、はっきりと聞こえた。
否定したかった。
何も考えずに迷っているわけではない。
真剣に考えているからこそ、簡単には選べない。
けれど。
いつ決めるのか。
何を選ぶのか。
そう尋ねられても、今のアレンには答えられなかった。
◇
「また難しい顔をしてる」
庭園の木陰で考えていたアレンへ、クローネが声をかけた。
「そんな顔をしてた?」
「してたよ」
クローネはアレンの隣へ座る。
「副職のこと?」
「うん」
「まだ決めていないんでしょう?」
「剣士を選ぶように言われた」
「国王陛下に?」
「うん」
クローネは少し考えた。
「剣士が嫌なの?」
「嫌じゃない」
「なら、どうして選ばないの?」
責める声ではなかった。
理由を知りたいだけだと分かる。
「結界師のことを、まだ何も知らないから」
アレンは自分の両手を見る。
「結界師に何ができるのかも、何ができないのかも分からない」
「うん」
「それなのに、戦う力が足りないと決めて剣士を選ぶのは、違う気がするんだ」
「剣士が必要かどうかも、まだ分からない?」
「うん」
「それで、皆に何を言われても考えてるの?」
「一度選んだら、変えられないから」
クローネは黙った。
やがて、少しだけ困ったように笑う。
「覚えてる?」
「何を?」
「初めて会った日、私が守れなかったらどうしようって聞いた時のこと」
「ああ」
「アレンは言ったでしょう?」
クローネは三年前に聞いた言葉を、そのまま返した。
「分からないのに決める方が怖くない、って」
アレンは目を瞬かせた。
自分が口にした言葉だった。
「私は、あの言葉を覚えてるよ」
クローネは続ける。
「だから、まだ分からないなら考えていいと思う」
「でも、皆は待ってくれない」
「皆を待たせたくないからって、アレンが後悔するものを選ぶの?」
「それは……」
「ちゃんと考えて。それで剣士を選ぶなら、私はそれでいいと思う」
クローネはアレンを見つめる。
「でも、皆に言われたから選ぶなら、それはアレンが選んだことにならないよ」
胸の奥へ絡みついていたものが、少しだけ解けた気がした。
「クローネは、僕のことを優柔不断だと思わない?」
「思わない」
即答だった。
「本当に?」
「アレンは、決められないんじゃなくて、考えているんでしょう?」
「うん」
「なら、いいよ」
クローネが笑う。
「私はアレンのことを知ってるから」
王城の者たちは、結界師になったこと、上位職が確認されていないこと、副職を決めていないことだけで、アレンを判断し始めていた。
しかし、クローネは違う。
三年間、隣で話してきたからこそ、アレンが何を見て、何を考え、どのように答えを出そうとするのかを知っている。
「皆が何を言っても、私は変わらないよ」
天啓の儀の日にも、クローネは同じ言葉を伝えてくれた。
「もし、誰も僕を信じなくなっても?」
半分は冗談のつもりだったが、クローネは少し怒ったように眉を寄せた。
「信じるよ」
「迷わないんだ」
「迷う理由がないもの」
クローネは一歩だけアレンへ近づいた。
「私は、アレンを守れる人になりたいから」
国を守れる王女になりたい。
交流会の日にそう語った少女が、今はアレンのことも守りたいと告げてくれている。
「ありがとう」
アレンが答えると、クローネは少し照れたように顔を逸らした。
◇
それから数日後、アミール王国から急使が訪れた。
国境付近で魔物の活動が活発化しているため、アミール王家から、アルベニスタ王国に滞在しているクローネへ帰還要請が出されたという。
「帰らなくちゃいけなくなった」
出発を前に、クローネは庭園でアレンへ告げた。
「すぐに?」
「今日中に出ることになったの」
「危険なの?」
「今のところ、王都までは来ていないよ」
クローネは心配させまいと微笑んでいたが、その表情には僅かな不安が浮かんでいた。
「大丈夫?」
「うん。お父様もお母様もいるから」
「それならいいけど」
「アレンも、ちゃんと考えてね」
「副職のこと?」
「うん」
「戻ってくるまでに決められるかは、分からないよ」
その返事を聞いたクローネが吹き出す。
「アレンらしいね」
「笑うところ?」
「違うよ。安心したの」
「どうして?」
「私に、早く決めるって嘘をつかなかったから」
クローネは風に揺れた瑠璃色の髪を押さえながら、アレンを見つめた。
「ちゃんと考えて決めて」
風が二人の間を通り抜ける。
「私は待ってるから」
アレンは頷いた。
「うん」
「戻ってきたら、何を考えたのか教えてね」
「分かった」
「約束だよ」
「ああ。約束する」
クローネは安心したように微笑み、アレンに見送られて王城を離れた。
その日から、いつも二人で話していた庭園は驚くほど静かになった。
クローネがいないだけで、見慣れた王城まで以前より広く感じられる。
アレンの隣から彼女の姿が消えた一方で、王城の者たちから向けられる視線は、日に日に厳しさを増していった。




