第五章 見えない亀裂④
日が傾き始めた頃。
教会の前には、北側の畑から集められた薬草が並べられていた。
どれも見た目に大きな違いはない。
しかし。
ユナが一枚ずつ確かめると、その半数ほどから森で見つけたものと同じ匂いがした。
「こっちも駄目」
ユナが薬草を右側へ置く。
「それも?」
「うん」
隣で数えていたアレンが、右側の山へ目を向けた。
調べ始めた頃は、数枚しかなかった。
それが今では、問題のない薬草よりも多くなっている。
「畑のどこで採れたか、分かる?」
「全部、北側だって」
フィナが村人から聞いた場所を地面の図へ記していく。
印は北の端に集中していた。
「森に近い場所から広がってるのかな」
アレンが呟く。
「だったら、そこから全部抜けばいいんじゃないか?」
レンが薬草を一本つまみ上げる。
「触らないで!」
フィナの拳が、レンの頭へ落ちた。
「痛っ!」
レンが薬草を手放し、頭を押さえる。
「いきなり殴るなよ!」
「ガルドさんから、北側で採れたものには触るなって言われたでしょ」
「ユナも触ってるじゃん」
「私は布越し」
ユナが薬草を持った手を見せた。
指先まで、厚い布で覆われている。
「先に言えよ」
「聞かなかったから」
「普通は教えるだろ!」
「普通は言われなくても触らないの」
フィナが冷たく言い放つ。
「アレン兄」
「今回はレンが悪いと思う」
「味方がいない!」
レンの声が教会の前へ響いた。
薬草を届けた村人達から、小さな笑いが漏れる。
朝から村を覆っていた不安が。
その時だけ、僅かに薄れた。
けれど。
アレンが北側へ目を向けると、森の上には鳥の姿がなかった。
◇
村の入口に、一人の男が立っていた。
泥に汚れた外套。
潮風に晒された荷物。
長い旅をしてきたことは、その姿を見るだけで分かった。
「ガルド殿に、報告があります」
男が差し出した封書には、組織の印が刻まれていた。
ガルドは封を切る。
港との連絡途絶。
放棄された防衛線。
魔法を使えなくなった兵士達。
そして。
アミール王国の滅亡。
「王からの連絡は」
「ありません」
ガルドは男を見る。
「では、これは誰が確認した」
「現地へ渡った者です。王都も、既に……」
「国王の亡骸は」
男は答えなかった。
ガルドは封書を閉じる。
「滅亡したとは断定できん」
「ですが」
「あの国の戦力は、俺が知っている。各国からの支援も整えた」
何より。
友である国王が、何も知らせずに消えるとは思えなかった。
「追加の確認を取れ」
「それまで、この報告を信じないと?」
「お前達の言葉だけで、友の死を決めるつもりはない」
男は何かを言いかけた。
だが。
ガルドの視線を受け、口を閉じた。
「分かりました」
小さく頭を下げ、村を離れていく。
ガルドは再び封書へ目を落とした。
滅亡という言葉は信じられない。
それでも。
報告書に記された、別の一文が頭から離れなかった。
魔力は残っている。
しかし、魔法へ変えることができない。
北側の森で起きている異変が、脳裏をよぎった。
ガルドは封書を握り締める。
そのまま、一人で北側の森へ向かった。
◇
ガルドは北側の森で足を止めていた。
調査員達の靴跡は、さらに奥へ続いている。
だが。
ガルドが見ているのは足跡ではなかった。
掘り返された地面。
その中に、黒い器具の破片が残されている。
拾い上げることはせず。
周囲へ小さな結界を張った。
淡い光が破片を包む。
次の瞬間。
結界の表面へ、細い波紋が広がった。
昨夜、何もない空間へ結界を触れさせた時と同じ反応だった。
ガルドは腰を落とし、破片を見つめる。
表面には、いくつもの線が刻まれていた。
ただ魔力を測るための術式ではない。
線の一部が、結界を形成する術式と酷似している。
「違う」
刻まれているのは、何かを守るための形ではなかった。
動き続けるものを捕らえ。
一つの場所へ縫い止めるための形。
かつてガルドが、世界の境界へ触れた時に使った術式を、不完全に組み直したものだった。
「観測じゃない」
ガルドの声が低くなる。
彼らは、移動する干渉領域を追っていたのではない。
捕らえようとしていた。
その先にある世界へ。
自分達の手で触れるために。
「世界を繋ぐつもりか」
ガルドは立ち上がった。
森のさらに奥へ結界を広げる。
一つ。
二つ。
三つ。
同じ反応が、離れた場所から返ってきた。
既に複数の器具が設置されている。
「馬鹿どもが」
ガルドは地面を蹴った。
◇
「中止すべきです」
薄暗い森の中。
戻ってきた調査員が、黒い器具を机へ置いた。
「装置を止めた後も、魔法が使えませんでした。このまま続ければ、何が起きるか分かりません」
机の向こうに立つ男は、器具の表面を確かめている。
「今は使えるのか」
「ここまで離れて、ようやく」
「ならば問題ない」
「問題はあります」
調査員の声が強くなる。
「魔力はありました。それでも、魔法へ変えられなかった。あの場所では、何かが魔力の働きを妨げています」
「だからこそ、接続に近づいている」
男は器具から手を離した。
「これまでの試験では、境界へ僅かな揺らぎを生じさせるだけだった。今回は違う。異なる世界の魔力が、こちら側へ影響を与え始めた」
「それを成功と呼ぶつもりですか」
「世界を繋ぐとは、そういうことだ」
男の背後には、いくつもの木箱が積まれていた。
箱の中には、黒い器具が隙間なく収められている。
「向こうには、我々の知らない資源がある」
精霊界にしかない薬草。
魔界でのみ採れる鉱石。
未知の魔物から得られる素材。
世界を繋ぐ道を押さえれば、そのすべてを手にできる。
「接続を管理する者が、これからの交易を管理する」
「ガルド殿の許可は」
「必要ない」
男は即答した。
「あの男は、自分にしか扱えない力だと思い込んでいる。だから我々へ待てと言った」
「本当に、それだけでしょうか」
返事はなかった。
やがて。
男は机の上に広げられた地図へ指を置く。
「干渉領域が離れる前に、次の試験を行う」
「ですが」
「出力を上げろ」
調査員の表情が強張った。
「今の装置では、一つの世界へ固定できません」
「固定する必要はない」
「接続先を選べないということです」
「繋がればいい」
男は平然と答えた。
「何が通るかは、その後で確かめる」
◇
夜。
アレン達は、ガルドの家で夕食を囲んでいた。
「父さん、遅いな」
レンが扉へ目を向ける。
ガルドは北側の森へ向かったまま、まだ戻っていない。
「何か見つけたのかしら」
ミレアが鍋から料理を取り分ける。
「父さんなら大丈夫だろ」
「森へ行こうとしていたのは誰だった?」
フィナが尋ねる。
「それとこれとは別だ」
「何が違うの?」
「父さんは強い」
「だから一人で危ない場所へ行ってもいいの?」
レンが言葉に詰まる。
「はい。フィナの勝ち」
アレンが告げる。
「勝負してないだろ!」
「勝負にもなってない」
ユナが料理を口へ運びながら言った。
「お前、最近フィナに似てきたよな」
「レンよりはいい」
「どういう意味だよ!」
ミレアが小さく笑った。
「食事中くらい静かにできないの?」
「俺は静かに食べてたよ」
「最初にガルドの話を始めたのはレンよ」
「心配だったからだろ」
レンは不満そうにしながら、空いた器をミレアへ差し出す。
「おかわり」
「はいはい」
ミレアが料理をよそう。
いつもと変わらない光景だった。
レンが騒ぎ。
フィナが怒り。
ユナが静かに余計な一言を付け足す。
ミレアが笑いながら、全員の器を満たしていく。
アレンは、その光景を見つめていた。
「どうしたの?」
ミレアが尋ねる。
「いえ」
アレンは首を横へ振る。
「何でもありません」
「そう?」
そう言って、ミレアはアレンの器にも料理を加えた。
「ちゃんと食べなさい。明日も調べるのでしょう?」
「はい」
アレンは温かな器を両手で持つ。
扉の向こうから足音が聞こえた。
「父さんか?」
レンが立ち上がる。
扉が開き、ガルドが姿を現した。
その表情を見た瞬間。
食卓から声が消えた。
「ガルドさん?」
アレンが立ち上がる。
「今夜は家から出るな」
ガルドは短く告げた。
「何かあったの?」
ミレアが尋ねる。
「あいつらは、世界を繋ごうとしている」
誰も言葉を返せなかった。
ガルドはアレンへ目を向ける。
「村の周囲へ結界を張る。手伝え」
「はい」
アレンはすぐに頷いた。
「俺も行く」
レンが言う。
「家にいろ」
「でも」
「家族を守れ。そして何かあれば教会へ向かえ」
有無を言わせない声だった。
レンは拳を握り。
やがて、小さく頷いた。
「分かった」
ガルドは家を出ようとする。
「あなた」
ミレアに呼び止められ、足を止めた。
「必ず帰ってきて」
ガルドは振り返らなかった。
「ああ」
その一言だけを残し。
アレンと共に、夜の村へ足を踏み出した。
◇
森の奥で。
地面へ突き立てられた黒い器具が、同時に光を放った。
一つ。
二つ。
三つ。
器具同士を結ぶように、地面の上を淡い線が走っていく。
「固定を確認」
「境界への干渉を開始します」
調査員が術式へ魔力を注ぐ。
空間が僅かに揺れた。
「出力を上げろ」
「既に予定値を超えています」
「構わん」
「接続先を制御できません」
「続けろ」
命令に従い、さらに魔力が注ぎ込まれた。
何もなかった空間へ、細い亀裂が走る。
音はなかった。
光も漏れてこない。
ただ。
亀裂の奥に、人間界とは異なる二つの魔力が満ちていた。
一つは、穏やかでありながら形を持たず。
もう一つは、重く濁り、触れるものを内側から侵していく。
二つの魔力は、狭い亀裂の中で絡み合った。
「成功です」
誰かが呟いた。
その声に応えるように。
亀裂の向こうで、何かが動いた。
獣とも。
人とも違う。
形を持たない影が、二つの魔力を取り込みながら膨れ上がっていく。
次の瞬間。
黒い器具の一本に、亀裂が入った。
「待て」
調査員が目を見開く。
「反応が止まりません」
誰かが装置から手を離した。
それでも。
空間の亀裂は広がり続けていた。
「装置を止めろ!」
「止まりません!」
森を満たしていた風が消える。
鳥も。
虫も。
木々の葉さえも。
何一つ、音を立てなくなった。
やがて。
亀裂の向こうから。
人間界には存在しない何かが、ゆっくりと腕を伸ばした。




