↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/33

第五章 見えない亀裂②

 それから数日が過ぎた。


 滝下の村には、いつもと変わらない朝が訪れていた。


 滝の音が響き、畑では村人達が働いている。

 けれど。

 その日は、村の入口だけが騒がしかった。


「何もいなかった」


 狩りから戻った男が、険しい表情で北側の森を振り返る。


「兎も、鳥も、魔物さえもだ。古い切り株より先へ入った途端、何の気配もしなくなった」


 狩人達の手に獲物はない。

 既にガルドへも報告したという。



 アレンは北側の森へ目を向けた。

 村から見える景色に、変わったところはない。


 木々は風に揺れ、空には鳥も飛んでいる。

 だからこそ。


 森の奥には何もいなかったという言葉が、不気味に残った。


◇


「これ、おかしい」


 昼を過ぎた頃。


 教会で作業をしていたユナが、小さな器を見つめていた。


 粉末にした薬草と木の実が、器の中で不自然に分かれている。


「何度混ぜても戻るの」

「素材が古いんじゃない?」


 フィナが薬草を一つ手に取る。


「今朝、採れたもの」

「どこで?」

「北側の森」


 ユナの答えに、フィナの表情が変わった。


 そこへ現れたアレンは、頼まれるまま器の周囲へ小さな結界を展開した。


 半透明の光を、薬草へ近づけていく。

 その瞬間。

 結界の一部が、僅かに揺れた。


「今のは?」

「分からない」


 アレンは結界を消し、もう一度同じことを試した。


 結果は変わらなかった。


 薬草へ近づけた部分だけが、何かに押し返されるように揺れている。


「何かある」


 だが、それが何なのかまでは分からない。


「だったら、森へ行って確かめよう」


 レンが立ち上がる。


「まだガルドさんが戻ってないでしょ」

「見に行くだけだって」

「一人で行くつもりだったでしょ」

「行くならアレン兄も誘う」

「そういう問題じゃない」

「フィナには聞いてない」

「何?」

「何でもない」

「正解だ」


 教会の入口から声が届いた。


 ガルドだった。


 器の中身と、アレンの結界に起きた反応を確認する。


 しばらく考えた後。


 ガルドは四人へ北側の森を調べるよう告げた。


「古い切り株より先で異変を感じたら、深追いするな。何か見つけても触るな」

「父さんは?」

「俺は村の周囲を調べる」


 最後にアレンを見る。


「日が傾く前に戻れ」

「はい」


◇


 森へ入ってすぐは、いつもと変わらなかった。

 鳥の声が聞こえる。

 風が葉を揺らし、小動物が木々の間を走っている。


 けれど、奥へ進むにつれて。


 一つ。

 また一つと。

 生き物の声が消えていった。


「ここからだ」


 古い切り株を越えたところで、レンが足を止める。


 土の上には、鹿や兎、小型の魔物の足跡が重なっていた。


 種類は違う。


 それでも、向かっている方角は同じだった。

 どの足跡も、北側の森から離れようとしている。


「ここにいた生き物が、まとめて逃げたんだ」


 レンの声から、いつもの軽さが消えていた。

 四人は互いの距離を縮め、さらに奥へ進む。


 しばらくして。


 フィナが木の根元へ駆け寄った。


「まだ生きてる」


 倒れていたのは一匹の野兎だった。


 外傷はない。


 それでも呼吸は浅く、身体を起こすこともできずにいる。


 フィナが両手を近づける。

 淡い光が生まれ、野兎の身体を包んだ。


 しかし。


 回復術の光は身体の表面を滑り、内側へ馴染もうとしなかった。


「何、これ……」


 もう一度試しても変わらない。


「魔力は届いてる。でも、何かに邪魔されてるみたい」


 無理に続ければ、野兎の負担になるかもしれない。


 四人はソフィアに診せるため、野兎を村へ連れ帰ることにした。


「俺が持つ」


 レンが布に包まれた野兎を受け取る。

 普段よりも、少しだけ静かな声だった。


「アレン兄」


 引き返そうとしたレンが、近くの木を示す。

 幹に、三本の直線が刻まれていた。


 獣の爪痕ではない。


 周囲の木にも、一定の間隔で同じ印がある。


「村の人が使う印じゃない」


 足元の土も、一部だけ色が違っていた。

 誰かが掘り返し、埋め戻した跡だった。


「何か埋まってるのかな」

「触らない方がいい」


 アレンの言葉に、レンも手を止める。


「でも、誰かがここに来てたってことだよな」


 答えられる者はいなかった。


 アレンは片手を前へ出す。

 小さな結界が広がり、周囲の木々を包んでいった。


 風が光の表面を撫でる。

 何も起きない。


 さらに奥へ広げた瞬間。

 結界の一部が大きく歪んだ。


「っ……」


 アレンは魔力を込め、歪んだ箇所を修復しようとする。


 だが。


 どれだけ形を整えても、その場所だけ光の膜が定着しなかった。


 結界が破られたわけではない。

 何かに攻撃された感覚もなかった。


 作り出したはずの光の膜が、そこだけ形を保てずに崩れていく。


「どうしたの?」

「結界が張れない」


 アレンは何もない空間を見つめた。


「いや。張っても、そこだけ残らないんだ」


 目の前には何もない。


 木も。

 岩も。

 魔物もいない。


 それなのに。


 何もないはずの空間に触れた途端、光の膜が形を失っていく。


 背筋へ冷たいものが走る。

 アレンはすぐに結界を消した。


「戻ろう。ガルドさんへ報告する」


 レンは森の奥を見つめた。

 まだ調べたいのだろう。


 けれど。

 腕の中にいる野兎へ目を落とし、小さく頷いた。


「分かった」


 四人は来た道を引き返す。


 その背後で。

 誰もいない空間が。


 一度だけ、水面のように揺れていた。


◇


 村へ戻った四人は、森で見つけたものをガルドへ報告した。


 北側の森から逃げた生き物達。

 回復術を受けつけなかった野兎。

 木へ刻まれた三本の印。

 掘り返され、埋め戻された土。


 そして、アレンが張った結界の一部だけが、形を保てなかった場所。


 ガルドは黙って聞いていた。


「今日はもう森へ入るな」

「明日は?」


 レンが尋ねる。


「俺が確認する」


 それ以上。


 ガルドは答えなかった。


◇


 夜。


 村の灯りが消えたあと。

 ガルドは一人で北側の森へ入った。


 木へ刻まれた三本の傷を辿り、アレン達が見つけた場所へ向かう。


 目の前には何もなかった。


 どこにでもある森の一角にしか見えない。

 ガルドが片手を前へ出す。

 淡い光が広がり、巨大な結界となって木々を包んだ。


 アレンのものより大きく。

 厚く。

 僅かな揺らぎもないはずだった。


 だが。

 結界の一部が歪んだ。


 光の膜が形を失い、僅かに崩れ始める。


 ガルドはすぐに魔力を強めた。

 消えかけた光が再び形を取り戻す。


 それでも。


 同じ場所だけは、絶えず歪み続けていた。


 アレンでは維持できなかった結界を、ガルドは力ずくでその場へ留める。


 やがて。


 歪んだ光の向こうから、微かな魔力が流れ込んできた。


 ガルドは目を細める。

 この感覚には覚えがあった。

 三つの世界を繋いだ時。

 異なる世界の境界へ、初めて結界を触れさせた時のものと似ている。


「あり得ない」


 あれから境界は安定していた。

 少なくとも。

 人里の近くで、このような揺らぎが生じたという報告は受けていない。


 ガルドの脳裏に、アレン達の報告が蘇る。


 混ざり合わなかった薬草。

 回復術を受けつけなかった野兎。

 そして、一部分だけ形を保てなかったアレンの結界。


 全てが同じ異変によるものかは分からない。


 だが。


 ここで何かが起きていることだけは、疑いようがなかった。


 ガルドは木へ刻まれた印へ目を向ける。


 掘り返された土も。

 一定の間隔で残された傷も。

 自然に生まれたものではない。


「誰が触れた」


 低い声が森へ落ちる。

 答える者はいなかった。


◇


 ガルドが立ち去ってから。

 闇の中より、複数の人影が現れた。


「気付かれたな」


 男の一人が、ガルドの立っていた場所を見る。


「中止するか」

「いや。場所を変える」

「ガルド殿からは、まだ待てと言われている」

「待っている間にも、揺らぎは移動している」


 男は木へ刻まれた三本の印に指を触れた。

 淡い光が指先へ集まり、すぐに消える。


「ここで観測できるものは、もう残っていない」


 別の男が掘り返された土へ屈み込んだ。

 土の中から、細長い黒色の器具を引き抜く。


 表面には見慣れない文字が刻まれていたが、その多くは既に光を失っていた。


「次はどこへ」


 男は森の奥へ目を向ける。


 生き物の声が消えた暗闇の先から。

 冷たい風が吹いてきた。


「北だ」

「発生源を確かめる」


 人影は器具を回収し、静かに森の奥へ消えていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。