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第四章 滝下の日々④

 滝下の村で暮らし始めてから、二年が過ぎた。


 朝の広場に、木剣のぶつかる音が響く。


 レンが踏み込み、ガルドの肩を狙って木剣を振り下ろした。


 ガルドは半歩だけ身体をずらして避け、空いた脇腹へ木剣を返す。


 レンは慌てて剣を引き戻し、その一撃を受け止めた。


 乾いた音とともに両者の木剣が弾かれる。


「まだだ!」


 体勢を崩しながらも、レンは地面を蹴った。


 振り上げた剣を途中で止め、ガルドの足元へ狙いを変える。


 ガルドは木剣で受けることを選ばず、後ろへ下がって間合いを外した。


「おっ!」


 見ていたアレンが声を上げる。


 以前のレンなら、勢いのまま追いかけていただろう。


 今は深追いせず、木剣を構え直してガルドの動きを待っている。


「少しは考えるようになったか」

「少しじゃない。かなりだ!」

「そういうところは変わらんな」


 ガルドが一歩踏み込む。


 レンは正面に木剣を構えたが、次の瞬間には足を払われていた。


「うわっ!」


 背中から草の上へ倒れ込む。


 起き上がろうとしたレンの喉元へ、ガルドの木剣が突きつけられた。


「終わりだ」

「今のはずるいだろ!」

「何がだ」

「剣で来ると思わせて、足を狙った!」

「お前も先ほど同じことをした」

「俺のは工夫で、父さんのはずるだ!」

「負け惜しみね」


 広場の端から、フィナの呆れた声が飛んでくる。


 白い布を巻いた籠を抱え、その隣にはユナも立っていた。


「違う。正当な抗議だ」

「負けた人は皆そう言うの」

「フィナは見てただけだろ!」

「見ていただけでも、レンお兄ちゃんが負けたことは分かるよ」


 ユナが小さく告げた。


「ユナまで!?」


 ガルドが木剣を引くと、レンは文句を言いながら起き上がる。


 二年前と同じように負けてはいたが、ガルドと打ち合える時間は確実に長くなっていた。


 剣を振るだけで精一杯だった頃とは違い、相手の動きを見て、次の一手を考えている。


「次は勝つからな」

「次も同じ台詞を聞くことになりそうね」

「うるさい!」


 レンとフィナが言い合う傍で、アレンは掌へ小さな結界を浮かべた。


 薄い光の膜を幾つかに分け、レンの周囲へ配置する。


「何してるんだ?」

「次にガルドさんと戦う時、どこから攻撃されたか分かるようにしてみようと思って」

「おお! それがあれば勝てる!」

「気付けても、避けられるかはレン次第だよ」

「そこも何とかしてくれ!」

「自分で何とかしなさい」


 フィナが即座に切り捨てた。


◇


「フィナさん、こちらをお願いします」


 声を掛けられ、フィナは村の女性のもとへ向かった。


 畑仕事の途中で指先を切ったらしく、布の下から僅かに血が滲んでいる。


「見せてください」


 フィナは傷口を確かめ、付着していた土を水で洗い流した。


 傷が深くないことを確認してから、両手へ淡い光を集める。


 神官になったばかりの頃は、光を生み出すだけでも長い時間が必要だった。


 今では呼吸を整えれば、安定した光を傷口へ注げる。


 開いていた傷が少しずつ塞がり、血も止まった。


「これで大丈夫です。ただ、今日はあまり濡らさないでください」

「ありがとう。随分と頼もしくなったね」

「まだ、ソフィアさんには敵いませんけど」

「比べる必要はないさ。フィナに助けてもらっているんだから」


 女性は礼を告げ、畑へ戻っていった。


 フィナは自分の掌を見つめる。


 初めて回復術を使った時に助けられたのは、萎れた小さな花だけだった。


 今では軽い怪我であれば、一人でも対応を任されるようになっている。


「フィナお姉ちゃん、すごい」


 隣にいたユナが嬉しそうに言った。


「このくらいならね」

「この前は、熱が出た子も診てた」

「あれはソフィアさんも一緒だったでしょ」

「でも、お薬を選んだのはフィナお姉ちゃん」

「よく覚えてるわね」

「うん」


 ユナは得意げに頷いた。


 二年前であれば、大勢の前でこれほど話すことはなかった。


 今も人見知りがなくなったわけではないが、親しい相手には自分から言葉を向けるようになっている。


 特にアレンの前では、教会へ隠れるように帰っていた頃の面影が薄れていた。


「お兄ちゃん」


 ユナが広場へ向かって手を振る。


 呼ばれたアレンは、レンの周囲へ張っていた結界を消して二人のもとへ来た。


「どうしたの?」

「フィナお姉ちゃんが治したの」

「見てたよ」

「ちゃんと全部?」

「うん。傷を洗ってから回復術を使ってた」


 アレンが答えると、ユナは満足そうに頷いた。


「どうしてユナが得意そうなのよ」

「フィナお姉ちゃんだから」

「理由になってないと思うけど」


 そう言いながらも、フィナは嬉しそうに笑っていた。


「なんだかんだ、ユナって一番アレン兄に懐いてるよな」


 いつの間にか傍へ来ていたレンが、二人を見ながら言った。


「そうかな?」


 アレンがユナへ目を向ける。


 ユナは少しだけ頬を赤くしたものの、否定しなかった。


「だって、お兄ちゃんだから」

「俺も兄ちゃんだろ?」

「レンお兄ちゃんは、レンお兄ちゃん」

「アレン兄は名前なしで、俺には名前が付くのか!?」

「分かりやすくていいじゃない」


 フィナが笑う。


「よくない! 何か俺の方が遠く感じるだろ!」

「レンお兄ちゃんも好きだよ」


 ユナが慌てて付け加えると、レンは一瞬だけ言葉を止めた。


「……なら、まあいいか」

「簡単ね」

「いいだろ、別に!」


 レンが声を上げる隣で、ユナはもう一度アレンを見上げた。


 その表情は、二年前にフィナの背中へ隠れていた頃よりも、ずっと柔らかくなっていた。


◇


 その日の夕方。


 アレンとユナは、教会へ続く道を並んで歩いていた。


 ユナが抱えている籠には、ガルドの家で焼いたパンと、ミレアから預かった煮込み料理が入っている。


「重くない?」

「大丈夫」

「持つよ」

「お兄ちゃんは、もう持ってる」


 アレンの両手にも、薪の束が抱えられていた。


「結界に乗せれば運べるよ」

「それは練習?」

「半分くらい」

「じゃあ、半分だけお願い」

「籠を半分にするの?」

「そうじゃない」


 ユナが珍しく頬を膨らませる。


 アレンは笑い、籠の底へ薄い結界を滑り込ませた。


 重さをすべて持ち上げるのではなく、下から支えるだけに留める。


「軽くなった」

「これなら僕も魔力を使いすぎないから」

「便利だね」

「フィナにも同じことを言われたよ」


 二人が教会へ着くと、ソフィアが扉の前で待っていた。


「ありがとうございます。いつもすみません」

「ミレアさんからです」


 ユナが籠を差し出す。


「今日は一緒に食べないのですか?」

「ミレアさんが、フィナの好きな料理を作るって言ってました」

「それなら、そちらで食べたいですね」


 ソフィアは冗談めかして笑い、籠を受け取った。


 アレンは薪を教会の脇へ運ぶ。


 置き終えて戻ると、ユナが扉の前に立ったまま空を見上げていた。


「明日だね」


 声を掛けると、ユナは頷いた。


 翌日は、ユナの十歳の誕生日だった。


「怖い?」

「少し」

「楽しみ?」

「それも、少し」

「半分ずつ?」

「ううん。どっちもいっぱい」


 ユナらしい答えに、アレンは小さく笑った。


「フィナの時は、神官だったら嬉しいって言ってたよね」

「うん」

「自分は何になると思う?」


 ユナはしばらく考えた後、首を横へ振った。


「分からない」

「なりたいものは?」

「お母さんと同じ神官」


 教会の入口では、ソフィアが静かに二人の会話を聞いていた。


「でも、フィナお姉ちゃんも神官」

「神官は一人しかなれないわけじゃないよ」

「分かってる。でも、違うものでもいい」

「そうなの?」

「フィナお姉ちゃんが神官になって、皆を治してるから」


 ユナは教会の窓へ目を向けた。


「私は別のことができたら、それもいいと思う」


 二年前であれば、母親と同じ道だけを望んでいたかもしれない。


 今は、異なる力を持つフィナやアレンが、それぞれの方法で誰かを助ける姿を見ている。


「何になっても、ユナはユナだよ」


 かつてフィナへ伝えた言葉を、今度はユナへ告げた。


「お兄ちゃん、前にも同じこと言ってた」

「聞いてたの?」

「少しだけ」

「それで、フィナに下手だって言われたんだ」

「うん。ちょっと下手」

「ユナまで?」


 ユナはアレンを見上げた。


「でも、嬉しい」


 その一言に、アレンも表情を緩めた。


◇


 その夜。


 ユナは寝台へ入った後も、なかなか目を閉じられずにいた。


 部屋の外から聞こえてくるのは、教会を吹き抜ける風と、遠くにある滝の音だけだった。


「眠れませんか?」


 ソフィアが扉の隙間から顔を覗かせる。


「うん」


 寝台の傍へ腰を下ろすと、ユナは母の手を握った。


「お母さん」

「はい」

「神官じゃなくても、悲しくない?」


 ソフィアはすぐには答えず、ユナの指を包み込んだ。


「ユナが神官になれば、同じ道を歩けることを嬉しく思うでしょう」


 ユナの表情が僅かに強張る。


「ですが、別の天啓であっても悲しくはありません」

「本当に?」

「ええ。お母さんが望んでいるのは、ユナがお母さんと同じになることではありません」


 ソフィアはユナの髪を優しく撫でた。


「自分の力を大切にし、自分で進む道を見つけてくれることです」

「見つけられるかな」

「すぐに見つからなくても構いません」

「お兄ちゃんみたいに?」

「そうですね」


 結界師となり、進む道を失ったアレンも、今は村で結界を役立てている。


 副職については、今も答えを探し続けていた。


「皆がいますから、一人で急いで決めなくてよいのです」

「うん」

「明日は、どのような天啓でも一緒に喜びましょう」


 ユナは母の手を握ったまま、ようやく目を閉じた。


◇


 翌朝。


 教会へ村人たちが集まり始める頃、ユナは祭壇の前に立っていた。


 フィナの時とは違い、教会の中を何度も見回している。


 ソフィア。

 ガルドとミレア。

 レンとフィナ。

 そして、アレン。


 皆がいることを確かめると、ユナは小さく息を吐いた。


「緊張してる?」


 フィナが尋ねる。


「してる」

「正直ね」

「フィナお姉ちゃんも、してた」

「私はしてないって言ったでしょ」

「してたよ」


 レンが横から口を挟む。


「顔が固まってた」

「今それを言う必要ある?」

「ユナだけじゃないって教えてるんだよ」

「珍しくまともな理由ね」

「珍しくは余計だ!」


 二人のやり取りに、ユナの肩から少し力が抜けた。


「ユナ」


 アレンが傍へ来る。


「大丈夫。皆ここにいるから」

「うん……お兄ちゃんも?」

「もちろん」


 ユナはアレンの顔をしっかりと見つめ、頷いた。


「ありがとう。それじゃ、行ってきます!」


 祭壇へ向き直るユナの背中を、皆が見守っていた。


「これより、天啓の儀を執り行います」


 ソフィアの声が教会へ響く。


 ユナは祭壇へ向き直り、差し出された石板へ両手を置いた。


 冷たい感触が掌へ伝わる。


 目を閉じると、不安と期待が胸の中で入り混じった。


 神官になれば、母と同じ力を持てる。


 別の天啓なら、自分に何ができるのだろう。


 どちらであっても、皆が一緒に喜ぶと言ってくれた。


 ユナはゆっくりと息を吐く。


 石板から、柔らかな光が生まれた。


 フィナの時とは異なる、幾つもの色が混ざり合う光だった。


 赤。

 青。

 緑。


 小さな光が形を変えながら、ユナの周囲を舞っていく。


 村人たちが息を呑んだ。


 やがて光が一つに集まり、石板の上へ文字が浮かび上がる。


 ソフィアはその文字を読み、穏やかに告げた。


「ユナ・創作士」


 ユナは目を開き、石板へ浮かぶ文字を見つめた。


「創作士……」


 母と同じ神官ではなかった。


 ユナは祭壇から手を離すと、ソフィアの顔を窺った。


「お母さん」

「おめでとうございます、ユナ」


 ソフィアは柔らかく微笑み、ユナの両手を包み込んだ。


「あなたが授かった、大切な力です」

「……うん」


 昨夜と変わらない母の声に、ユナの表情が僅かに和らいだ。


 一拍遅れて、教会の中へ大きな拍手が広がる。


「おめでとう、ユナ!」

「創作士か。これから何を作るのか楽しみだな!」


 次々と届く祝福の中、ユナは教会を見渡した。


 レンとフィナが笑っている。


 ガルドとミレアも、穏やかな表情で拍手を送っていた。


 最後にアレンと目が合う。


「おめでとう、ユナ」


 その言葉を聞くと、ユナはようやく嬉しそうに笑った。


「ありがとう、お兄ちゃん」


 誰一人、神官でなかったことを残念がる者はいなかった。


 創作士という新しい道を得たユナを、村の皆が笑顔で祝福していた。

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