第四章 滝下の日々②
天啓の儀を数日後に控えた夕暮れ。
フィナは村から少し離れた場所で、一人、滝を見上げていた。
昼間の眩しさを失った水飛沫が、夕日を受けて淡い橙色に染まっている。
「こんなところにいた」
背後から声を掛けられ、フィナは振り返った。
「アレン」
「探したよ」
「どうして?」
「ミレアさんが、夕食の支度を手伝ってほしいって」
「忘れてた」
フィナは滝へ視線を戻した。
けれど、立ち上がろうとはしない。
アレンは何も言わず、その隣へ腰を下ろした。
「どうかした?」
「別に」
「嘘だ」
「なんで分かるの?」
「なんとなく」
何の根拠にもなっていない。
それでも、この三か月でアレンが人の様子をよく見ていることは分かっていた。
「天啓のこと?」
フィナは観念したように息を吐く。
「まあね」
「楽しみだって言ってなかった?」
「楽しみだよ」
それは本当だった。
レンも、アレンも、村の大人たちも、それぞれ自分の天啓を持っている。
間もなく、自分にも進む道が与えられる。
「でも、少し怖い」
口にしてから、フィナは膝を抱えた。
「レンは剣士でしょ。父さんは結界師。母さんは創作士」
「うん」
「この村にも、色々な天啓を持つ人がいる」
誰もが自分の力を使い、村の中で役目を担っている。
「私だけ、何もできない天啓だったらどうしようって思う時があるの」
「何もできない天啓なんてあるかな」
「分からない。知らないから怖いの」
天啓は選べない。
どれほど望んでも、思い描いたものとは異なる力を授かることがある。
「アレンは、怖くなかったの?」
何気なく尋ねられ、アレンはすぐに答えられなかった。
「その時は、分からなかったかな」
「今なら?」
「怖かったと思う」
「結界師が嫌だった?」
「嫌というより、どうすればいいのか分からなかった」
アレンは流れ落ちる滝を見つめた。
「周りの人たちは、結界師になった僕を見てた。でも、僕には結界師が何なのかも分からなかったんだ」
「今は?」
「まだ分からないことは多いよ」
それでも、以前とは違う。
結界を使って生き延び、レンたちを魔物から守り、今はガルドから新しい使い方を学んでいる。
「でも、結界師でよかったと思うこともある」
「そうなの?」
「あの時、僕が別の天啓だったら、レンたちを守れなかったかもしれないから」
フィナは目を瞬いた。
アレンにとって、結界師は望んだ力ではなかったのだろう。
それでも、自分たちを助けられたことで、その見方は少しずつ変わり始めている。
「だから、何になってもフィナはフィナだと思う」
「何それ」
「励ましたつもりなんだけど」
「下手すぎない?」
「そうかな」
「そうだよ」
フィナの口元が緩む。
言葉としては、あまり上手くない。
それでも、胸に溜まっていた不安は少しだけ軽くなった。
「いたー!」
村の方角から、騒がしい声が近付いてくる。
「やっぱりここだった!」
レンが走ってきた。
その後ろを、ユナが一生懸命追いかけている。
「夕飯だって!」
「分かってる。今行くところだった」
「絶対忘れてただろ」
「うるさい」
レンはフィナの隣へ立ち、その顔を覗き込んだ。
「また天啓のこと考えてたのか?」
「別に」
「嘘だな」
「何で分かるのよ」
「なんとなく」
先ほどのアレンと同じ答えだった。
フィナは思わず二人を見比べる。
「何?」
「二人とも、こういうところだけ似てるのね」
「アレン兄と俺が?」
「似てないよ」
「そこは否定するのかよ!」
レンが抗議する。
ユナもフィナの傍へ来ると、そっと手を取った。
「フィナお姉ちゃん」
「何?」
「一緒に帰ろう?」
小さな手から伝わる温もりに、フィナの表情が僅かに和らいだ。
「うん」
フィナが握り返すと、ユナは嬉しそうに目を細めた。
四人は並んで村へ戻り始める。
村の家々には明かりが灯り、ガルドの家からも夕食の煙が上がっていた。
不安が消えたわけではない。
けれど、戻れば家族がいる。
不安を分かち合ってくれる人たちがいる。
フィナは、そのことを少しだけ心強く思った。
◇
数日後。
フィナの十歳の誕生日が訪れた。
教会には、朝から村人たちが集まっている。
滝下の村では、十歳を迎える子供も一年に一人いるかどうかだった。
そのため、王都のように同年代の子供を集めるのではなく、誕生日を迎えた日に一人ずつ天啓の儀を行う。
「緊張してるな」
「してない」
「してる」
「してない」
「顔が固いぞ」
「うるさい」
フィナの拳が、レンの脇腹へ入った。
「痛っ!」
「ほら、いつもどおりだ」
「レンを殴ると落ち着く人みたいに言わないで」
「違うのか?」
「もう一回殴られたい?」
「遠慮する」
レンが距離を取る。
その様子を見ていたユナは、フィナの服をそっと掴んだ。
「ユナの方が緊張してない?」
「してない」
「してるよ」
「してない……と思う」
ユナは自信を失ったように声を小さくする。
フィナがそんなユナへ優しく微笑みかけた。
「私が受けるのに、どうしてユナが緊張するのよ」
「フィナお姉ちゃんは、神官がいいから」
「私が?」
「うん」
「どうして?」
「神官になったら、教会に来るでしょ?」
「そうね。お母さんから教わることになると思うけど」
「そしたら、一緒にいられるから」
ユナは少し照れたように俯いた。
「だから、神官だったら嬉しい」
慕っているフィナと少しでも長く一緒にいたいというユナの素直な願いだった。
◇
「これより、天啓の儀を執り行います」
ソフィアが祭壇の前へ立つ。
教会の中が静まり返った。
フィナは一度だけ深く息を吸い、前へ出る。
レンも、ユナも、ガルドも、ミレアも見守っている。
少し後ろでは、アレンが静かにこちらを見ていた。
「手を」
ソフィアに促され、祭壇へ手を置く。
冷たい石の感触が掌へ伝わった。
何になるのだろう。
人の役に立てる力なのか。
自分に使いこなせるのか。
不安が胸へ込み上げる。
その時、祭壇から柔らかな光が生まれた。
「わぁ……」
誰かが息を呑む。
光はフィナの手元から広がり、教会の中を優しく照らしていく。
温かな光の中へ、やがて文字が浮かび上がった。
ソフィアがそれを確かめ、穏やかに告げる。
「フィナ・神官」
一瞬の静寂。
直後、教会の中へ歓声が上がった。
「神官か!」
「フィナらしい!」
「おめでとう!」
祝福を受けながら、フィナは浮かび上がった文字を見つめていた。
「神官……」
まだ実感はない。
けれど、胸の中にあった不安は、光へ溶けるように消えていた。
「ね!」
最初に駆け寄ってきたのはユナだった。
「神官だった!」
自分が天啓を授かったかのように喜んでいる。
「当たったね」
「うん!」
ユナが誇らしそうに胸を張る。
「おめでとう」
アレンも二人の傍へ来た。
「ありがとう」
「似合ってると思う」
「ありがとう」
その後ろから、レンも歩いてくる。
「神官か」
「何よ」
「似合うと思う」
珍しく真面目な声だった。
フィナは少し驚き、レンの顔を見つめる。
「本当に?」
「ああ。優しいかどうかは別として」
「余計なことを言わなければ、お礼を言ったのに」
「今のなし!」
「もう遅い!」
フィナの拳が飛び、レンの頭へ落ちた。
「痛っ! 神官になった直後だぞ!」
「神官だからって、殴らないとは言ってないでしょ」
「治す側が怪我を増やすなよ!」
教会の中へ、笑い声が上がった。
◇
天啓の儀から数日後。
フィナは教会で神官としての勉強を始めていた。
「難しい……」
開始から三十分も経たないうちに、机へ突っ伏している。
神官になれば、すぐに回復術を使えるようになると思っていた。
だが、実際には覚えなければならないことがいくつもあった。
魔力の循環。
傷と病気の違い。
薬草の知識。
回復術を使うべき状態と、使ってはいけない状態。
「思ってたのと違う……」
「まだ一ページ」
向かい側に座るユナが、小さく指摘した。
「分かってる」
「分かってない顔してる」
「ユナは平気なの?」
「慣れてるから」
ユナは教会で育っている。
ソフィアが人を治療し、薬を用意する姿も、幼い頃から見てきたのだろう。
「ずるい」
「ずるくない」
「フィナさん」
ソフィアが穏やかに呼びかける。
「一度にすべて覚える必要はありません」
「でも、早く回復術を使えるようになりたいんです」
「焦って使えば、治せる傷も悪化させてしまいます」
優しい口調だった。
それでも、告げられた内容は重い。
「力を使えることと、正しく使えることは別です」
フィナは身体を起こし、もう一度本へ目を落とした。
「分かりました」
しばらく学んだ後、ソフィアは窓辺に置かれた鉢植えを机へ運んだ。
白い花は茎を傾け、葉も僅かに萎れている。
「この花へ、魔力を流してみましょう」
「治せるんですか?」
「今のフィナさんにできるのは、僅かに力を与えることだけです」
それでも、初めて力を使うことに変わりはない。
フィナは鉢植えへ両手を向けた。
天啓の儀で感じた温かな光を思い出しながら、身体の内側へ意識を向ける。
「急がず、少しずつです」
「はい」
掌へ、淡い光が集まる。
光は頼りなく揺れながら、白い花へ注がれた。
すぐに元気になるわけではない。
それでも、俯いていた花が僅かに顔を上げた。
「動いた……」
「フィナお姉ちゃん、すごい」
ユナが目を輝かせる。
「本当に、私が?」
「ええ」
ソフィアが頷いた。
「初めてとしては十分です」
ほんの僅かな変化だった。
けれど、自分の力で弱っていたものを助けられた。
フィナは掌へ残る光を見つめた。
神官になったという実感が、今になって胸へ広がっていく。
◇
勉強を終えて教会を出ると、畑の方から騒がしい声が聞こえてきた。
「だから俺はレンだって!」
「あら、レンレンじゃないか」
「まとめるな!」
「二人いるみたいで賑やかだから、ちょうどいいよ」
「よくない!」
畑仕事をしていた女性たちに囲まれ、レンが必死に訂正している。
その傍にはアレンも立っており、口元を緩めていた。
「アレン兄まで笑うなよ!」
「僕は何も言ってないよ」
「顔が笑ってる!」
「レンレン」
フィナが呼ぶと、レンが勢いよく振り返った。
「お前まで言うな!」
「似合ってるよ」
「うるさーい!」
隣でユナが小さく笑う。
レンは何か言い返そうとしたが、フィナが得意そうに掌を向けると淡い光が灯った。
「使えたのか?」
「少しだけね」
「すごいじゃん」
今度は余計な言葉を付けなかった。
フィナは僅かに目を丸くした後、得意そうに笑う。
「当たり前でしょ。神官なんだから」
「さっきまで難しいって騒いでたのに」
ユナが小さく告げた。
「ユナ、それは言わなくていいの」
アレンとレンが顔を見合わせ、笑みをこぼした。
フィナも少し遅れて、その笑いへ加わった。
何ができるのか分からず、怖いと思っていた天啓だった。
今はまだ、小さな花へ力を与えられただけだった。
それでもフィナは、自分の道を歩き始めていた。




