第三章 放浪⑤
滝下の村へ続く道を歩きながら、レンは先ほどから何度も魔物との戦いについて尋ねていた。
「なあ、アレン兄。さっきのやつ、もう一回できるのか?」
「さっきのやつって?」
「魔物を崖から落としたやつ!」
「同じ場所ならできるかもしれないけど、いつでもできるわけじゃないよ」
「でも、すごかったぞ!」
「レン、それしか言ってないよね」
フィナが呆れたように口を挟むと、レンは何が悪いのか分からないという顔をした。
「すごかったんだから、仕方ないだろ」
「説明する気がないだけでしょ」
「見てたなら分かるだろ?」
「見ていたからこそ、もっとほかに言い方があると思うの」
二人のやり取りを聞きながら、アレンは小さく笑った。
先ほどまで魔物に追われていたとは思えないほど、レンの声は明るい。
フィナも口では呆れながら、レンが普段どおりに騒いでいることへ安堵しているように見えた。
「ねえ、アレン」
今度はフィナが隣へ並ぶ。
「結界って、どのくらい硬いの?」
「大きさや厚さで変わるよ。さっきみたいに広く張ると、その分だけ壊れやすくなる」
「小さくすれば、もっと硬くなるの?」
「うん。魔力も少なくて済むし、形も保ちやすいと思う」
「じゃあ、雨も防げる?」
「防げると思うけど、雨が止むまで張り続けるのは難しいかな」
「物を運ぶのには?」
「軽いものならできるかもしれない」
フィナはしばらく考えた後、納得したように頷いた。
「やっぱり便利そう」
「便利なのかな」
「便利だよ。戦う以外にも使えるんでしょ?」
結界を便利だと言われたことなど、これまで一度もなかった。
王城では、王族に相応しくない天啓として扱われた。
「畑にも使えそうだよね」
「畑?」
「鳥や獣が入らないようにするとか、倒れそうな苗を支えるとか」
「そういう使い方は考えたことがなかったな」
「もったいないよ」
フィナは不思議そうに言った。
その言葉は、アレンが思っていた以上に胸へ残った。
少し後ろでは、ユナがこちらを見ながら歩いている。
目が合うとフィナの背中へ隠れ、しばらくすると、また僅かに顔を覗かせた。
何度か同じことを繰り返した後、アレンは歩調を緩める。
「ユナ」
「っ……!」
名前を呼ばれたユナの肩が大きく跳ねた。
「まだ怖い?」
ユナはアレンの顔を見上げ、少しだけ考えてから首を横へ振る。
「そっか」
無理に話しかけず、アレンは前へ向き直った。
すると、背後から小さな声が追いかけてくる。
「……ありがとう」
振り返ると、ユナは頬を赤くしながらも、今度は隠れずにアレンを見ていた。
「どういたしまして」
アレンが答えると、ユナは安心したようにフィナの隣へ戻った。
「言えたね」
「子供みたいに言わないで」
「ユナは子供でしょ?」
「フィナも同じくらい」
「私は少し年上だよ」
二人の会話を聞き、アレンは姉妹なのだろうと思った。
性格は違っていても、フィナがユナを気にかけ、ユナもフィナを慕っていることが伝わってくる。
◇
しばらく進むと、木々の間から巨大な滝が見えてきた。
崖の上から流れ落ちる大量の水が白い飛沫を上げ、その轟音が周囲の森まで震わせている。
滝から続く川の傍には広い畑があり、その間に家々が建っていた。
「あそこだ!」
レンが滝の下を指差す。
木造の家々の煙突から細い煙が上がり、遠くからは子供の笑う声も聞こえた。
「滝下の村だ!」
二か月間探し続けていた人の暮らす場所を前に、アレンは思わず足を止めた。
王都を離れて以来、旅人や行商人とすれ違うことはあっても、誰かの暮らしの中へ入ることはなかった。
自分が近付いてもよいのかという迷いが、今になって胸へ浮かんでくる。
「アレン兄、早く行こうぜ!」
先へ進んでいたレンが振り返る。
フィナとユナも、少し離れた場所でアレンを待っていた。
その姿を見て、アレンは再び歩き始めた。
村の入口へ近付くと、レンの姿へ気付いた村人が声を上げる。
「レンたちが帰ってきたぞ」
「随分遅かったじゃないか」
「おかえり」
畑や家の前にいた人々が、次々と四人へ顔を向けた。
三人の無事へ安堵した後、その視線が見知らぬアレンへ集まる。
「その子は誰だ?」
「旅人か?」
アレンは僅かに身構えた。
事情を尋ねられても、すべてを話すことはできない。
何と答えるべきか考えていると、人垣の向こうから一人の男が歩いてきた。
肩幅が広く、大柄な男だった。
鋭い目と無駄のない足運びから、戦いに慣れていることが分かる。
男はアレンへ目を向けるより先に、三人の子供を順に見た。
「怪我はないか」
低く、よく通る声だった。
「大丈夫!」
レンが元気よく答える。
「私たちも平気」
フィナも頷き、ユナの様子を確かめるように手を握った。
男は三人に目立った傷がないことを見届けると、僅かに息を吐いた。
フィナが男の傍へ駆け寄る。
男は短く頷き、その頭へ大きな手を置いた。
厳しそうな外見とは違い、触れ方は優しかった。
「父さん、聞いてくれよ!」
レンが待ち切れないように声を上げる。
「森で魔物に襲われたんだ!」
男の表情が変わった。
「どこでだ」
「滝壺へ続く森の近くだよ。黒い狼みたいな魔物がいて、俺たちに飛びかかってきたんだ」
「それを、この人が助けてくれたの」
フィナがアレンを見る。
男の視線が、初めてアレンへ向いた。
衣服や手足に残る傷、背負っている荷物まで、一つずつ確かめているように見えた。
「結界師か」
「分かるんですか?」
「少しな」
男は短く答えた。
「魔物を滝壺へ落としたというのは、本当か」
「はい……倒せる手段がなかったので」
「そうか」
男の目が僅かに細くなり、口元へ微かな笑みが浮かぶ。
「悪くない」
「え?」
アレンが言葉を返せずにいると、男はさらに尋ねた。
「名前は?」
「アレンです」
「そうか。君がアレンか」
「僕を知っているんですか?」
「いや」
男はすぐに首を横へ振った。
「俺はガルドだ」
差し出された大きな手を、アレンは少し迷ってから握る。
「子供たちを助けてくれたことに感謝する。歓迎するよ、アレン」
「……ありがとうございます!」
ガルドの手は硬く、長く武器を握ってきた者の手だった。
それでも、その言葉にはアレンの警戒を解く温かさがあった。
◇
「それでな、アレン兄が魔物を崖まで連れていって、最後にばーんって落としたんだ!」
村人たちに囲まれたレンは、身振りを交えながら先ほどの出来事を話していた。
「ばーんではないよ」
「細かいことはいいだろ!」
「一番大事なところだと思うけど」
フィナが訂正しても、レンの話は少しずつ大げさになっていく。
村人たちは笑いながら聞き、ときおりアレンへ礼を告げた。
感謝されることに慣れていないアレンは、そのたびにどう答えればよいのか迷った。
「アレン」
少し離れた場所からガルドに呼ばれ、アレンは人の輪を抜ける。
「行く場所はあるのか」
率直な問いだった。
アレンは首を横へ振る。
「ありません」
「家族は」
「今はいません」
王城には父がいる。
けれど、もう家族ではないと告げられた。
だから、今はいないという答えは嘘ではなかった。
ガルドはそれ以上尋ねなかった。
「なら、うちへ来い」
「え?」
「子供たちを助けてもらった恩がある。それに、行く場所のない子供を一人で追い出すほど、この村は薄情ではない」
「でも、僕は今日ここへ来たばかりで」
「過ごした時間は関係ない」
ガルドは迷いなく言い切った。
「ここへ来るまで一人で生き延びたのなら、怠ける人間でもないだろう。働けることはしてもらう」
「それは、もちろんします」
「なら問題ない」
あまりにも簡単に決められ、アレンの方が戸惑ってしまう。
「父さん、本当にいいのか?」
レンが会話を聞きつけて駆け寄ってきた。
「ああ」
「やった!」
レンはアレンの返事も待たずに飛び跳ねる。
「これでアレン兄も同じ家だ!」
「まだ僕は返事をしてないよ」
「来るだろ?」
人里を探し続けていたアレンに、断る理由はなかった。
何より、目の前の人たちは、アレンが何者なのかも知らないまま手を差し出してくれている。
「……よろしくお願いします」
アレンが頭を下げると、ガルドは大きく頷いた。
「決まりだな!」
レンが嬉しそうに笑い、フィナもその隣で微笑む。
ユナもフィナの後ろから、小さく笑っていた。
◇
日が暮れ始めた頃、フィナが隣にいるユナへ声をかけた。
「そろそろ帰らないと、お母さんが心配するよ」
アレンは二人を見る。
「一緒に帰るんじゃないの?」
「え?」
「姉妹じゃないのか?」
一瞬の沈黙の後、最初に吹き出したのはレンだった。
「ぶっ!」
「ははははっ! なんでそうなるんだよ!」
「え?」
「なんで二人が姉妹になるんだよ!」
「だって、仲が良いから」
出会ってからずっと、フィナはユナを気にかけていた。
ユナもフィナの服を掴み、傍を離れようとしなかった。
姉妹だと思うには、十分な理由があるように思えた。
「そこ!?」
レンはさらに声を上げて笑う。
「いやいや、このチンチクリンと!」
「誰がチンチクリンよ!」
フィナの拳が、即座にレンの頭へ落ちた。
「痛っ!」
レンは頭を押さえたものの、懲りた様子はない。
「このチンチクリンと!」
「うん」
「このおとなしいのが!」
今度はユナを指差す。
「姉妹!?」
レンは二人を交互に見ながら、再び腹を抱えて笑い始めた。
「全然違うだろ!」
「そうかな」
「そうだよ!」
フィナが呆れたように息を吐く。
その隣で、ユナはフィナと自分の姿を見比べていた。
「……ちょっと?」
「ちょっとなの?」
アレンが聞き返すと、今度はフィナまで吹き出した。
「ちょっとだけね」
「ちょっとなんだ」
「ちょっと」
ユナも小さく頷く。
「全然似てないだろ!」
「うるさい」
「痛っ!?」
フィナの拳が、再びレンの頭へ落ちた。
同じところを押さえて騒ぐレンを見て、周囲の村人たちからも笑い声が上がる。
つい先ほどまで知らなかった場所で、自分の勘違いをきっかけに皆が笑っている。
少し恥ずかしくはあったが、不快ではなかった。
アレンも気付けば、一緒に笑っていた。
「ユナ」
笑い声が落ち着いた頃、ガルドが呼びかける。
「暗くなる前に送っていこう」
ユナは小さく頷き、フィナの服から手を離した。
ガルドが視線を合わせるように屈んで頭を撫でると、ユナは安心したように身を委ねる。
「母さんも心配しているだろう」
「うん」
ガルドはユナを抱き上げた。
「俺も行く!」
レンが手を上げる。
「家に帰るのを少しでも遅らせたいだけでしょ」
フィナが意地の悪い笑みを浮かべた。
「ち、違う! ユナが無事だったって説明するためだ!」
「それなら私だけで十分だけど」
「俺も行くったら行く!」
結局、全員でユナを家まで送ることになった。
◇
ユナの家は、村の教会に併設されていた。
ガルドが扉を叩くと、間もなく穏やかな顔立ちの女性が姿を現す。
「ソフィアさん、ごめん。遅くなった」
レンが声を掛けると、ソフィアは安堵したように息を吐き、ガルドの腕から娘を受け取った。
「今日は遅かったわね。どこへ行っていたの?」
「森まで行っていたの」
フィナが答えると、ソフィアの表情が僅かに曇る。
「森へ?」
「そこで魔物に襲われたんだ」
レンの言葉に、ソフィアは腕の中にいるユナへ目を向けた。
「怪我はないの?」
「うん。このお兄ちゃんが助けてくれたの……」
ユナがアレンを見る。
「そう……」
ソフィアはユナの身体に傷がないことを確かめてから、アレンへ深く頭を下げた。
「娘を助けてくださり、ありがとうございます」
「い、いえ。そんな大したことは……」
「それでも、あなたが来なければ、この子たちは戻れなかったのでしょう」
アレンは返す言葉を見つけられず、女性へ頭を下げた。
女性がユナを抱き直すと、ユナは安心したようにその肩へ身体を預けた。
アレンたちが教会を離れようとした時、ユナが母親の腕の中から顔を上げる。
そして、アレンへ小さく手を振った。
「またね」
「うん。また」
アレンが手を振り返すと、ユナは安心したように笑った。
◇
ユナを送り届けた後、アレンはガルドたちと家へ向かった。
木造の家は広くはなかったが、窓から温かな明かりが漏れている。
ガルドが扉を開くと、煮込んだ野菜と魚の匂いが流れてきた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
奥から、赤い布で髪をまとめた女性が姿を現した。
穏やかな顔立ちをしているが、腰へ手を当ててレンを見る姿には妙な迫力があった。
「レン」
「は、はい」
「随分と遅かったわね」
「ちょっと森で色々あって」
「その色々を、きちんと話してもらえるかしら」
「もちろんです」
先ほどまでの勢いが消えたレンの返事に、フィナが吹き出す。
「母さん、レンは魔物に襲われたの」
女性の表情から笑みが消えた。
「怪我は?」
「ないよ。そこにいるアレンが助けてくれたから」
女性の視線がアレンへ向く。
「アレンです」
「ミレアよ」
女性は柔らかく微笑んだ。
「子供たちを助けてくれて、ありがとう」
「いえ」
「アレンは、今日からうちで預かる」
ガルドが簡潔に告げる。
ミレアは僅かに目を見開き、アレンの汚れた衣服と傷んだ靴へ視線を落とした後、何も尋ねずに頷いた。
「そう。なら、立っていないで入りなさい」
「いいんですか?」
「ガルドが決めたのでしょう?」
「それは、そうですけど」
「子供一人分の食事くらい増えても変わらないわ」
ミレアは当然のように言い、食卓へ向き直った。
「詳しい話は、ご飯を食べてからにしましょう」
その言葉に応えるように、アレンの腹が大きく鳴る。
室内が静まり返った。
「鳴った!」
レンが腹を抱えて笑い始める。
「聞こえても言わなくていいだろ!」
「だって、すごい音だったぞ!」
「レン。笑っていないで、料理を運びなさい」
「俺だけ?」
「フィナはもう手伝っているでしょう」
見ると、フィナは慣れた様子で器を並べていた。
レンも文句を言いながら鍋を運び、ガルドは人数分の椅子を整える。
食卓には、焼いた魚と野菜のスープが並んだ。
湯気とともに広がる香りだけで、二か月間食べてきたものとは違うと分かる。
「いただきます」
皆と同じように手を合わせ、スープを口へ運ぶ。
塩気のある温かな味が舌へ広がり、柔らかく煮込まれた野菜は簡単に噛み切れた。
アレンは気付けば、次々と食事を口へ運んでいた。
「そんなに急がなくても、なくならないわよ」
ミレアに言われ、アレンはようやく食事へ夢中になっていたことに気付く。
「すみません」
「謝らなくていいの。足りなければ、いくらでもおかわりしてちょうだい」
「はい」
空になりかけた器へ、ミレアが新しいスープを注いだ。
「アレンは、アルベニスタ王国から来たそうだな」
ガルドが尋ねる。
「はい」
「随分と遠いわね」
ミレアが驚いたように言った。
「一人でここまで来たの?」
「そうです」
「ご家族は?」
アレンの手が止まる。
「今は……いません」
ミレアはアレンの表情を見つめた後、それ以上は尋ねなかった。
「そう。分かったわ」
短く答えると、今度はレンの皿へ視線を向ける。
「レン。野菜を残さないの」
「食べてるよ」
「皿の端へ避けることを、食べるとは言わないわ」
「これは最後に食べるつもりで」
「いつも同じことを言って残すでしょう」
レンは助けを求めるようにガルドを見たが、ガルドは何も言わずに食事を続けていた。
「アレンを見なさい。好き嫌いせず食べているわよ」
突然名前を出され、アレンは顔を上げた。
二か月間、食べられるものがあるだけでありがたい生活をしていたため、残すという考え自体が浮かばなかった。
「アレン兄は偉いなぁ」
レンがわざとらしく言う。
「見習いなさい」
「アレン兄が来たばかりなのに、もう俺より扱いが良くないか?」
「日頃の行いね」
フィナが即座に答えた。
「フィナには聞いてない!」
「聞かれなくても分かるから」
二人の言い合いにミレアが笑い、ガルドも僅かに口元を緩める。
アレンも自然と笑っていた。
誰かと同じ食卓を囲み、温かい料理を食べる。
王城の頃とは違う食卓の様子に少し戸惑いもあった。
しかし、不思議と居心地がよかった。
食事を終える頃には、外はすっかり暗くなっていた。
「今日はもう休みなさい」
ミレアが、レンと同じ部屋に用意した寝具を示す。
「明日、着られる服を探しましょう。今のままだと、すぐに破れてしまいそうだから」
「ありがとうございます」
ミレアは笑い、レンの寝台の隣へ毛布を敷いた。
灯りが消えると、部屋の中へ静けさが戻る。
隣の寝台では、レンが横になって間もなく寝息を立て始めた。
アレンは毛布の中で目を閉じる。
頭上には屋根があり、冷たい地面へ体温を奪われることもない。
薄い結界を周囲へ広げ、近付くものの気配を探る必要もなかった。
台所に残る食事の匂いと、別の部屋から聞こえる人の気配に包まれている。
ここが自分の帰る場所になるなど、まだ考えてはいなかった。
それでも、その夜のアレンは二か月ぶりに、一度も目を覚ますことなく眠り続けた。




