第2話 覚悟は未だ
そんな生活の中で、もう一つ印象的だったのが、眠る前に必ず歌ってくれる子守唄だった。
『これを歌うと皆寝たように静かになるんだ。きっとリオンもすぐ寝てくれる』
そう言って、母さんは歌い始める。
『眠れ、眠れ、地の底へ』
『一つ、二つ、槍を取れ』
『三つ、四つ、旗を立て』
『夜の帳が今下りる』
『眠れ、眠れ、血の底へ』
『五つ、六つ、火を放て』
『七つ、八つ、首を狩れ』
『朝の光が今昇る』
『眠れぬ者は、連れていく』
……はい。
完全に敵軍へ夜襲をかける軍隊の歌です。ありがとうございます。
そりゃ、みんな静まるだろ。
これから夜襲をかけようという歌なのだから。
そんな母さんだったが、俺がこの世界について知るにつれて、疑問が生まれた。
あんな野生味ある母さんが、食事のたびに祈るほど敬っているヴァルガン様とは、いったい何者なのか。
なぜ食事を『慈悲』と呼ぶのか。
俺が尋ねるたび、母さんは嬉しそうに答えてくれた。
どうやらこの世界では、神への信仰というものが、生活の中にかなり深く根付いているらしい。基本的には多神教だが、職業によっては特定の神を信仰する一神教的な側面もあるようだ。
母さんはその神々の中でも戦の神ヴァルガン様を信仰しているという。
どの神を信仰するかによって、生き方も死に方も変わってくるらしい。
例えば、知恵の神ネメシアならば、知識を後世に残すこと。商の神ヴェルディスならば、利益を得ることを生き方として定めているらしい。
ちなみに戦の神ヴァルガンはどうなのか聞いたら、戦に生き、戦で死ぬことを是としているという。とんでもない神様だな、おい。
そんな話を聞けば聞くほど、俺はこの洞窟の外が気になっていった。
しかし、母さんは一向に俺自身について教えてくれなかった。母さんが俺の実母ではないことは、ほぼ確実だ。だが、そんなこと母さん目線ではわからないだろう。きっと母親だと思ってくれているうちは黙ってくれているのかもしれない。
だが、そのことを伝えるのはためらわれた。何か急ぎすぎている気がしたのだ。
俺の知っている世界は、この寝ぐらと、その周囲だけ。
翼も、角も、尖った耳もある。なのに、俺が何者なのかは分からない。でも母さんは俺が何者なのか教えてくれない。
ならばーー外へ出てみたい。
自分の目で、この世界を見てみたい。
そう思うようになるまで、時間はかからなかった。
だが、そこで一つ問題があった。
俺はまだ幼い。外に出たいと言ったところで、当然のように許してもらえない。
寝ぐらの一画の周囲には魔物と呼ばれる巨大な生物たちが徘徊している。
ならば、どうするか。
答えは簡単だった。
強くなればいい。
幸い、俺の目の前には、とんでもないお手本がいた。
母さん――セレナ。
彼女の剣捌きと体捌きは、凄まじいの一言だった。
ある日、俺たちの寝ぐらに猪のような巨獣が飛び込んできた。
俺たちの何十倍もの図体を持つ化け物だった。だというのに、母さんは一歩も怯まなかった。
巨獣の突進を紙一重で躱し、その巨体を舐めるように剣を走らせ――
一刀両断。
あまりにも鮮やかだった。気づいた時には敵は事切れていた。
俺は思った。
この人に教えてもらえば、俺も強くなれるのではないか。
そして、俺が外へ出るためには、俺自身が強くならなければならない。
そう考えた俺は、母さんに稽古を頼んだ。
すると、彼女は二つ返事で――
「却下する」
......はい?
「今なんて」
「稽古はしない」
返答は変わらなかった。
「母さん、いつもの鍛錬を近くで見せてもらうだけでいいんだ」
「リオンは、力をつけて何を為す」
その射抜くような目を向けられ、俺は正直に答えなければと思った。
「外に出たいんですっ」
「それはダメだ」
「なんでですか」
「危険だからだ」
危険って。そんなこと言ったら何もできんぞ。
「危険なのはわかってます。危険だからここの魔物に対処できるようになりたいんだ」
「それではダメだ」
頑なに受け入れない母さんに苛立ちを募らせてしまう。だがふとその言い回しに引っかかった。
「それでは? じゃあ、どうすれば稽古をつけてくれますか」
そう言うと、ニヤリと笑う母さん。
「お前の覚悟を聞いている。剣鬼と言われた私を動かすだけの覚悟を示せ」
「それは......」
剣鬼、きっと彼女の二つ名であろう。
これほどの実力なら、地上にいた頃は弟子入りを志願する者も多かったのではないか。
そういう者たちにも、同じように覚悟を問うていたのだろうか。
だとしても、今の俺にできることは何だ?
金もない。権力もない。実力もない。
こんな三歳児に母さんは何を求めているんだ。わからない。わからないから覚悟も示せない。
何も言い出せない俺を見て、母さんは『リオン』と俺の名を呼び、語り出した。
「リオンにとっては、この洞窟の外の方が危険だ」
それは想像以上に厳しい現実だった。
「お前は魔族だ。私のような人族とは根本的に異なる」
母さんは語った。魔族は魔物を操る力を持つ者が多い。それゆえに、人族やその他の種族からも狙われる存在なのだという。
普段は人里離れた洞窟内で暮らし、その洞窟は長い年月を経て成長する。やがては誰も手出しできない『ダンジョン』へと変貌するらしい。
そして重要なのはこの場所のこと。
「この洞窟はスール大迷宮という場所だ。別名、奈落迷宮」
この世界には、ダンジョンと呼ばれる魔物の住処があちこちにある。
それを攻略することは人類の悲願であり、攻略を担う者たちは冒険者と呼ばれる。その冒険者を束ねる冒険者ギルドが、毎年ダンジョンを査定し、攻略難易度によってランクを定めているらしい。この奈落迷宮は、最高難易度のランクだという。
「今のリオンにとっては魔物より冒険者のほうが危険だ。幸い、奈落迷宮はその規模から国の一資源として管理されている。七層に常駐する騎士団員が下の階層に行こうとする冒険者を止めてくれるんだ。だからこの深層までは滅多に冒険者が来ることはない」
奈落迷宮が国の重要な資源なら、そこにいる魔族まで勝手に討伐されれば、国としても困るのだろう。
「それに魔族は評判が悪すぎる」
俺をこの場に止めるため、いろいろと理由を並べていたのだろう。だが、勢い余って口が滑ったのかもしれない。案の定、母さんは一瞬言い淀むが、やがて口を開く。
「魔族は同族を喰らうと言われているのだ。頭からかぶりつき、内臓もまんべんなく喰らうと」
故に、魔族がそれぞれのダンジョンを拠点に争う。地上から魔物の群れを侵攻させることもあり、その余波が周辺国にも及ぶため魔族は迷惑がられているのだと言う。
ああ、確かに魔族の俺の前では言いづらいだろう。
だが、なるほど。母さんが生肉を食べさせようとしていた理由はその悪評のせいか。
「でも、俺は違いますよ」
「それは、そうだが」
口を窄め、頬をぷくりと膨らませる母さん。俺のこれまでの言動を思い起こしているのだろう。
そうだ。ちゃんとお願いしたからな。俺が初めて喋った言葉は『ミディアムで』だからな。
「リオンがそうでも、世間はそう思わない」
何かを振り払うように頭を振り、母さんは話を続ける。
人族と魔族の間の確執というより、人族の魔族に対する憎悪なのかもしれないが、それは想像以上に根深いものがあるようだ。
「とにかく、この深層にいる限り、お前が殺されることはないだろう」
俺に目線を合わせて肩に手を置く。それはまるで諭すかのようであった。
「だから、私は息子にそんな危険な目に遭って欲しくない。それに......」
もったいぶるかのように、一呼吸置いて告げる。
「それに......私がいれば事足りる」
母さんは、話は以上だ、と切り上げてしまった。
母さんがいなかったら、いなくなったら、などと反論することはできた。
だけど、直後の寂しそうな表情を見ると、呼び止めることはできなかった。
俺は母さんのことを全く理解していなかったんだ。俺は肝心のことを知らない。
なぜ人族の母さんがこの場所にいるのか。
外に出ることなく何年も明かりのない洞窟で暮らしているのか。
なぜ魔族の俺を育ててくれているのか。
覚悟とは何か、俺はまだその答えを持ち合わせていなかった。




