第10話 ナイトウォーカー
「人族の匂いがするわねぇ」
アデリアの視線が俺の首元に落ち、尖った牙を光らせた。
直後、俺は真後ろに跳んだ。
真上からは火球が降り注ぐ。同時に、足元からは土色の触腕が伸びた。
スラ太とエッサイム。スラ太は地面に同化し、エッサイムは天井近くの横穴に潜ませていた。
会話の間に仕込んでおいた、上下からの同時攻撃。
避けられるはずがない。
そう思っていた。
避ける必要もなかった、が正しかったようだ。
その瞬間、世界がスローモーションのように見えた。
アデリアが足を踏み込む。ただそれだけで、足元から伸びたスラ太の触腕が吹き飛ぶ。
さらに、火球が着弾するよりも早く地面を蹴ると、一足飛びに俺の懐に入り込む。
鋭い牙を剥き出しにし、三日月のような笑みを浮かべて、その右手が俺を捕まえようと眼前まで迫ってくる。
俺は咄嗟に、骨刀を抜刀し、眼前を切り上げる。その迫る手の軌道の先に骨刀を合わせ、左手も柄に添えて支えた。
結果は一瞬だった。
アデリアの掴もうとした右手と骨刀がぶつかる直前に、その手が拳を握る。直後、パンッと甲高い乾いた音をあげて骨刀が砕け散った。衝撃で俺は再び背後の壁際まで弾き飛ばされた。
「カハッ」
地面を何度も転がり、ようやく止まったときには、肺から空気がすべて抜けていた。
どのくらい経ったのか、土埃で見えない中、アデリアがコツコツと足音を響かせながら近づいてくるのはわかった。だからといって、もはやできることはなかった。
「あら、大丈夫? 少し加減できなかったわぁ」
遅れてやってきた全身の痛み、その痛みを抑えつけて顔を上げた。
「人族から、逃げて、来たんだ」
人族に襲われたから、身体に人族の匂いがついたのだ。
そう思わせるくらいでしか、人族の匂いが身体についていた理由を説明することはできないだろう。俺は誤解を解こうと、途切れ途切れになりながら言葉にした。
「ええ? まだ白を切るの? 先に攻撃してきたくせに?」
否定することができない。あの行動は本能的なものだったから。だが、後悔もしていない。
あのときのアデリアの目は俺を見ているようで見ていなかった。首元という急所を狙っていた。あれ以上接近を許したら、俺の命はなかった。
「ご丁寧に自己紹介までしちゃって、時間稼ぎしてるのバレバレよ。その間に罠を仕掛けてたのでしょう?」
やはり露骨すぎたか。
「あなたが人族と関わりがあるのは、すぐにわかったわぁ」
答え合わせをするかのように楽しそうに話し出すアデリア。
「簡単な話。私たちにはナイトウォーカーっていう立派な種族名があるの。魔族って人族が使う蔑称じゃない」
匂い以前の話だった。だから俺の芝居も無意味だったわけだ。
俺は思わず乾いた笑いを漏らした。
「でもリオンくんはオスだから。少し様子見してあげてたけど......」
「オス、じゃないっ。男だっ」
「どっちも同じ意味じゃない」
アデリアは俺の前に立つと、薄紫の吐息を吹きかけてくる。それは甘ったるい香りで......。
「でももう、見込みのないオスはいらないわね」
まるで死刑宣告するかのような冷たい言葉。アデリアが空の右手を振り上げた。
俺にはわかる。あの一撃を受ければ、確実に死ぬ。
それでも、身体は動かなかった。
「死になさいな」
アデリアが振り下ろす瞬間の、その無防備な後頭部にーー。
ーーこつん、と。石礫が当たる。
「は?」
俺を見ていた顔をぐるんと背後に向けるアデリア。そこには、地に伏せていながらも、石を投げた姿勢のまま固まるローブ姿の少女がいた。
「何のつもり?」
「は、はなれてっ」
俺に向けていた粘っこい、人をおちょくるような声とは違う、ドスの効いた声をあげるアデリア。
一方の少女は、震えていた。
少女は下唇を噛んで立ち上がると、その短い右手をアデリアに向ける。
何かをしようとしているのはわかった。
周囲の光を飲み込むような黒いモヤが手に収束していく。明らかに、魔法を放つ前兆であった。
だが、そのモヤは小さい。威力が低いのは目に見えた。
「逃げ、ろっ」
何をしてる、そんなことしても無駄だ、そう思い必死に叫ぶ。
すると、少女はこちらをまっすぐ見つめて言う。
「にげないっ」
なんで、そこまでするんだ。俺たちは今日会ったばかりじゃないか。
それに、なんの意味がある。アデリアは強い。俺が引き付けている間に逃げるべきだ。
「あなたが、にげて」
少女は足を震わせながらも、アデリアに狙いをつける。
その姿に、その言葉に、なぜか心が揺れた。
「へえ、あんたで相手になると思ってんの」
「その人は、関係、ない」
「楯突こうっていうんだ?」
少女とアデリアとの間には何か因縁があるらしい。
「彼は見込み、ないんでしょ。なら、帰してあげて」
少女は、俺から一度も目を逸らさなかった。
「いやよ。生きたまま帰したら、人族に私のことを言いふらされちゃうわぁ」
アデリアはそう言いつつも、少しも不安そうには見えなかった。
「あなたは、強い。今さら、知られたところで、意味ない」
「だって、この私が男を求めてたなんて言いふらされたら、生き恥じゃない」
そんな、そんな理由で、俺は死ぬのか?
「ナイトウォーカーとしての本能、恥じゃない」
「あんたみたいな地べたを這いずり回るやつと一緒にしないでほしいわね」
「なら、隷属、させれば、いい」
それが何を意味するかは分からない。ただ、少女が俺を生かすために必死にアデリアを説得しようとしていることだけは分かった。
「うふふ、人族と通じてるオスなんて、飼っても面倒なだけだもの。それとも何?彼に惚れた?」
それを否定するかのようにアデリアに向けて魔法を放とうとする少女。しかし、動揺が隠せていなかった。
「本能だものねえ。恥じゃないわ」
そう言ってケラケラ笑うアデリア。少女はそれを睨みつけるしかなかった。
「でもいいの? こっちには彼がいるけど」
「っ」
息をのむ少女。このまま魔法を放てば俺にも被害が及ぶ。それを危惧して魔法を放てずにいたのだ。
俺は、足手まといになるのは御免だった。
アデリアの意識が少女に向いているうちに、俺は腰の脇に差していた短剣に手を伸ばしていた。
やるなら今だ。
俺は立ち上がり、目の前のアデリアの首元を狙う。
だが、その手が届く前に、振り返ったアデリアによって、逆に首を掴まれる。
「イキのいい子ね」
体が宙に浮き、同時に、カランと、短剣が手からこぼれ落ちる。
「はなしてっ」
少女が魔法を放とうとする。それに対し、アデリアは掴んだ手と逆の手を少女にかざした。
すると少女の足元が揺らめき、地面から大蛇のような土の塊が幾筋もせり上がる。それらは、少女の四肢にまとわりつき、拘束する。
「そこで大人しくしときなさい」
少女を拘束すると、アデリアは俺に向き直った。
「ごめんねえ、少し邪魔が入っちゃったぁ」
足をじたばたとさせるが、俺の首を掴む手はぴくりとも動かない。
「どうせ人族から聞かされてるんでしょ、魔族は〜ってやつ。それは事実よぉ」
母さんは言っていた。魔族は同族を喰らう、と。それが事実なら、この後起こることは容易に想像できる。
「あの、子は、どうなる」
掠れた声をあげる。
先ほどから、アデリアの背後で土壁に拘束されている少女の視線を感じていた。
「他人の心配してる場合?」
首を掴む手を引き剥がそうとするが、指を差し込む隙間すらない。
「安心して。あの子はまだ利用価値があるから」
そうか、それなら......よかっt
「だめッ」
「ッ!!」
少女の言葉に一気に現実に引き戻される。
「信じちゃ、だめッ」
「諦めちゃ、だめッ!!」
……なぜだ。なぜだか、目が熱くなる。違うはずなのに、もう会えるはずないのにっ。
「うるさいわねぇ。黙らせちゃいましょうか」
振り返ったアデリアは腕を一閃する。
同時に、少女は拘束されながら、ぱたんと項垂れる。
そしてアデリアは今度こそ俺に狙いを定めた。
「いいこと思いついたぁ」
少女の姿に、前世のあの子を重ねてしまった。
顔も、背丈も、声も、喋り方も違う。
それなのに。
「ふふ、せっかくだから、生きたまま食べてあげるわぁ」
アデリアの口が迫ってくる。
鋭い牙を覗かせて、首元に視線を向けてくる。
「俺は……」
そうだ。
もう、二度と。
「いただきまぁす」
最後まで。
抗ってやるッ。
次回の更新予定日は 2026年10月22日(木)9時 です。が、一つ余計な話(余計ではない)を挟みます。
長いのでお暇なときにでもお読みください。




