往復ビンタ
「アクレシア? 君はあのアクレシアなのかい?!」
大きくきれいな目を見開いて、ハインツ殿下が駆け寄り、わたくしの手を取りました。
わたくしは取られた手をふりきって、殿下の顔に平手打ちを決めます。
いい音がしました。人の顔を打つってこんなに痛いのですね。手が震えています。でも声は震えないようにはっきりといいます。
「はい、そうですよ、ハインツ殿下。あなたのおかげで魔物がたくさんいる国外で何度も死ぬような体験をしてきましたアクレシアだったものです」
「やはりそうなのか! アクレシア、なんともなかったんだね!」
思わず返す手で再び頬を叩きます。往復ビンタになりましたね。してやる、とは思っていましたが、本当にやってしまうとはわたくし自身思っていませんでした。
「何をバカなことを。なんともなかったわけがないでしょう! わたくしを不意に死地に追い込んだのは殿下、あなた自身ではありませんか!」
これは仕方ないよね。こんなこと面を向かって言われたら、怒るのも仕方ないよね。怒りで頭が沸騰しかけながらも、端っこではこんな風に考えていました。
「違うんだ、アクレシア。僕はまさかこんなことになるなんて……」
わたくしに叩かれて姿勢を崩した殿下は両手で頭を守りながらそんな事を言います。
「こんなことになるとは思っていなかったって、それで死にかけたわたくしは……」
再び手を振り上げましたが、それはいつの間にか寄っていたスヴェンさんに止められました。
「これ以上はいけない。護衛たちが動いている。それに私は立場上、あなたを止めるしかない」
そんなことを小さく言われては動けなくなります。殿下の護衛は剣を抜こうとしていましたが、殿下が止めていました。
「アクレシア、君が怒るのも無理はない。僕はとんでもないことをしてしまった。けどそうだと気づいた時はもう時間が経ちすぎていたんだ」
護衛の動きを抑えつつ、立ち上がって弁解し始めました。
「今日、こちらに来たのは、もしかすると君に会えるかもしれない、と思っていたからだ。報告に君の影が見えた気がしてね。それに帝都でも大きな噂になっていた。聖女が帝国に再来したかもしれない、とね」
「……っ。そんなことのために! 今あなたのお兄さんも、国の兵士たちもランダイオで戦っていらっしゃるというのに!」
それに聖女なんて、すでにライラがいるじゃないですか。何を言っているんでしょうか。
「皇帝陛下は、そんな命令を出していない。ただの自動防衛だ。帝国の巨体を考えると、そんなことまでいちいち陛下が関わるものじゃないよ。それらは兵の責務で、兄上は今はただの冒険者だからどこでなにをしているかは、少なくとも僕は把握していない」
もうわたくしに近づこうとするのはやめたようで、再びハインツ殿下は自分の席に戻って腰掛けました。
「君がどう思おうとアクレシア。僕は君が生きていてくれて本当に嬉しいんだ」
わたくしも別に追いかけていってまで叩きたいとは思いませんので、用意された席に座ります。ドレスを着てきた意味はあまりありませんでしたわ。
「わたくしが生き残れたのは大きな偶然がいくつも重なったからですわ。ですから仕掛けてきた殿下に喜ばれても困ります。というかそんな話をしにきたのですか? わたくしがここにいるとの確定情報もなしに」
今は国の大事のはずなのに、一切関知しないみたいなことを言い抜けましたけど、さすがにそれで納得はできません。
「そんなことより、君は砦からいろんなものを販売し始めたみたいだね。帝都にもそれらの商品は届いているし、僕も使ってみた。あの蝋燭はいいものだね」
この人、国の大事を、今国の正規兵が国のために死んでいるかもしれないのに、そんなことでまとめましたわ。本当に以前から変わってらっしゃらないようで。また頭に血が上り始めましたが、急速に冷静になっていきます。ルファが約束通りわたくしの怒りの感情を食べてくれたようですわ。ルファの判断ではここで怒るべきではない、ということですね。
「わたくしが、というのは正確ではありませんね。確かにきっかけを作ったのはわたくしかもしれませんが、多くの関わった者がおります。一言では申せませんが……」
ここで経緯を説明してもいいのですが、おそらくまっとうには理解されないでしょうから省略しました。彼が理解できるように話さないといけないのでしたね、そこがわたくしが足りていない部分だったはずです。
「若い女性が指揮を取っているという話だった。彼女はオークたちやドラゴンまで引き連れているということだったが、本当なのかい?」
「横から失礼します皇子。その者たちをここへ呼ぶことも可能ですが、いかがしますか?」
スヴェンさんが仕切ってくれました。一息つけそうです。
「そうなのかい? 竜は是非とも見ておきたいな」
「では、呼んでまいります」
そういってスヴェンさん自らが呼びに行ってしまいました。なので、この部屋に残ったのは今ハインツ殿下とその護衛、わたくしとその護衛だけになってしまいましたわ。今ハインツ殿下がわたくしを怒らせるようなことを口走らないことを祈るばかりです。




