ノスタルジー
「え、ええ、もちろんありますわ。今の生活も悪くない、と思えるようになってきましたし、ここで会った方々ともずっと一緒にいたいですが、やはり戻れるのであれば戻りたいですわ」
「ではワシらとともに北に行きませんか? ワシのもう一つの願い、生まれ育った土地をもう一度この足で踏みたい、というきっかけもありまして、北の壁を乗り越えるつもりですので」
オークが言う北の壁である国境砦の中で出会ったスヴェンさん、そして気の良い女兵士であったマリーさんの顔が浮かんできました。
「砦を突破するのですか? それは……。他の方法はありませんか?」
「今のところはありませんな。もともとはワシの願望だったのですが、南の地はもう限界でしてな。北に広がるしかないのですよ、オーク族は。ここの森は荒野から南を守るために必要ですし、荒野には住めません。じゃからあの壁を突破せんといかんのです」
そ、そんな。オークたちは帝国に戦争を仕掛ける気なのでしょうか。テグモスさんの動きからそんな気はしていましたが、こんなに早くとは。今帝国が南から攻められてはだいぶと危うい気がします。戦力が著しく減少しているみたいなこととか言っていましたし。
「せ、戦争はさすがに避けたいですわ」
聖女様の慈愛も南までは届いていなかったようで、自分たちが戦争を希望していなければ戦争は起きない、などの夢はやはり夢だったようです。ここに聖女の慈愛も帝国の慈善もまったく関係のない戦争事案がありましたわ……。
「ワシもすぐに戦争、帝国を奪い尽くすつもりなどはありませんよ。ただこのままだとオーク族が膨れ上がり、帝国に害為す立場になるのも見えておりますので、ワシが生きておるうちになんとか手を打っておきたい、ということもあるんですじゃ」
「具体的には、どうしたいおつもりなのですか?」
「そうですな。出来うるなら帝国の南の地の一部をオーク族に割譲していただきたい。見返りは南の管理と荒野の撃滅ですな。森からだと荒野の撃滅は難しいようで」
「荒野の撃滅、とは?」
「あの荒野は死の荒野とも呼ばれておりましてな。様々な凶悪な魔物が住み着いておるのですが、特にやっかいな魔物三種族が延々互いを食い合っている、という恐ろしい土地でしてな」
「私が説明いたします」
テグモスさんがミルトさんの代わりに説明を始めてくれました。
「あの荒野にはテリジノンという巨大なかぎ爪を持ち直立するとかげ、バージャストラという巨大でまっすぐ進んでくる陸生のカニ、そしてエアロムというこれまた巨大で獰猛な陸生の貝がおります。バージャストラとエアロムは鉄の武器すら弾く硬さの部位を持っておりますし、テリジノンの動きはすばやくそのかぎ爪は非常に危険です。森にもいるヘイドディタスももともとは荒野にいたものが森に逃げてきたのだと言われております」
ええ? あのヘイドディタスが追いやられるほどやばいやつらがいるのですか。
そういえば荒野で生き延びるのは無理だから森へ入るよう、言われていましたわね。そういうことだったのですか。荒野を渡る際は装甲馬車でしたものねぇ。
ヘイドディタス以上がうじゃうじゃいるのでは、すぐにどうにかなるものではありませんね、確かに。
「話し合いでなんとかなるのでしょうか?」
「それでおさめたいのですがね。時間の問題なのです、北へという流れは。ワシのせいで加速した、という面もありそうなのでなんとかならんか考えているんですがね。死の荒野を人が住めるようにするのには何十年もかかるじゃろうし、間に合わんのですよ。逆に壁の向こうを少しでも明け渡してもらえるなら、そこから効率的に死の荒野に干渉できますからな」
「帝国が欲しい、というわけじゃないのですね」
「ええ、そんなものはいりません。オークが人間を支配するのも、その逆も自然ではありませんしな。移住させて欲しい、というだけですわ。しかし帝国はオークへの偏見が強いでしょう。先程ワシが追放されたのには予想がついていると言いましたな。ワシの顔のせいですよ。ワシはオークの中ではそんなにオークではないが、人間の中では限りなくオークじゃ。そんなワシが気に食わない、恐ろしかったんじゃろう」
「まさか、そんな理由で?」
「シア様もつまらぬ理由で国外追放されたのかもしれませんぞ? 人間とはそういうものではないですか?」
た、確かに聖女はやりすぎだとは思いますが、最近ようやく慈愛というものが国民全体にも広がってきているというのはあるのかもしれません。逆を言えばミルトさんの時代だと、かなりひどかった気もします。
「オークたちが移民であるとすれば、砦付近の土地は誰の手も入っていないはずですから、帝国としてもそんなに痛手になるとも思えません。むしろ皆様の鎧などを見ると、鍛冶技術なども帝国に匹敵するレベルはあるようですし、確か穀物も育てておられるのですよね。ちゃんと納税されるのであれば、帝国にとってもメリットがある話に思えます」
「ええ、ワシが来た当時は部族同士で争い合っていたオーク族ですが、ワシが統一しました。法も制度も今では人間にも通用するもののはずです。発案は人間の文化背景を持つワシですからな。ですから今の南のオーク族は人間の世界と隣り合った位置ででも暮らしていけるはずです。帝国の全面的支配は正直信用ならんので無理ですが、納税ぐらいはなんとかなると思っております。……帝国が無茶を言わなければ、ですがね」
わたくし、政治はまだまだ勉強中でしたのでそれほどなのですが、このオークの王、ミルトさんがいればオークの移住はなんとかなりそうな気もしますわ。今の国境砦はオークに任せて、オークの地と帝国の領内を分かつ境界を設定し、今国境砦を守る兵士はそちらに移動すれば、帝国は何もしなくても、遊んでいる土地を貸すだけである程度の税収を得れるのですから。帝国の全面支配を拒否するということは治安維持などはオーク自らがするということでしょうし。
「部族長を超える、王、オーバーロードであらせられるミルト様がいる今こそ、移住のチャンスなのです。しかも今はオーバーロードの後継者足りうるオークヒーロー、ゾーグ様もおられます。どうか、我らのため、そして将来の北の国のためにも、北のお貴族様であられたシア様のお力添えを頼めぬでしょうか?」
敵対していたと思っていたテグモスさんまでそんなことを言い出しました。なぜわたくしとミルトさんを会わせまいとしていたのでしょうか? 疑問はすぐに解消した方がいいわよね。聞いてみましょう。
「テグモスさんは、ミルトさんに忠誠を誓っているようにも見えますが、どうしてわたくしとミルトさんが会うのをよしとされなかったのですか?」
またテグモスさんが青くなりましたわ。ミルトさんの前で聞くのはちょっと配慮が足りませんでしたか? こちらもちょっと困った顔をしているとミルトさんが助け舟を出してくれました。
「そうだな、テグモス。お前はワシに今まで尽くしてくれた。それがいったい、なぜじゃ? 大した妨害にもなっておらぬから、ワシの中でとどめておくが、お前の心の内を聞いておきたいものじゃ」
観念したのかテグモスさんはミルトさんに向かい直して座り直し、両拳を前に床につきました。
「わ、私は北への進軍の前にミルト様の念願を叶えてしまうと、萎えてしまうのでは、と恐れておったのです。ミルト様の誇り高さ、我らオーク族への献身の志を甘く見ておりました。誠に申し訳ありません」
「ワシに正当な後継者はおらんからな。無理もないかもしれぬな。じゃがゾーグというワシの後継足り得るものを得ている今、自分の願望を一つ叶えたところで、そこで止まるはずもないわ。お主の言う通り、ワシを見くびっておったようだな」




