3話
その言葉を聞いて、しばらく身動きが取れずにいた。
目が渇いて仕方ないのに瞬きをすることすらままならない
なぜ?どうして?フィリッツは何故殺人鬼の事を知っている?だってあれは教会の―――
「何故そんな事を知っているんだ・・・なんて顔だね。そりゃ勿論、日暮くんのちょっとした動作や言動から少しずつ推測していったんだ―――なんて言うつもりは毛頭ないよ。僕だってそこまで神がかりな洞察力はしていない。そうだな・・・要するに、僕は君がその事件を知るより前にその事件について知っていたのさ」
耳にとろりと降りかかる甘い吐息が俺の耳元を盛大にくすぐる。空気越しに彼の体温まで感じられてしまいそうだ。
頭の中で何度も迷走しているうちにフィリッツは少し気恥しそうに近づけた顔をゆっくりと遠ざけていく、同時にこんがらがっていた脳みそも少しずつ冷却されていった。
場を仕切りなおすようにフィリップが咳ばらいをして、普段通りの調子で話し始める。
「何だよ、今の告白は日暮くんからしたらかなり衝撃の大きい物であると思うんだけど?もっと驚いたりとかしない訳?」
頭を抱えて二回瞬きをする、ぼやけた視界が正常になるのと同時に彼の顔をようやくまともに見れるようになる。
「・・・十分驚いたよ。何でそんなことを知っている?だってあれは・・・」
そこで気づいて口を塞ぐ、フィリッツが何故事件の事を既に知っていたかに気を取られていたがそもそも今話している内容は機密事項だ。誰が聞き耳を立てているかも知れぬ教室で話す事ではない。
一人であたふたする間抜けな様子を観察していたフィリッツは呆れたように軽く微笑を浮かべた。
立てた人差し指を唇の辺りまで持ってきて彼は言う。
「僕から話しておいてなんだけど、とりあえず今その話はよした方が良さそうだ。午前中の授業が終わったあとのお昼休みにでもまた集まればいい。そこでみっちり二人だけの密会を楽しもうじゃないか。」
誰かに聞かれていると諭すように彼は視線を右に反らした。
少しの間彼からの提案にどうするかを考えて硬直していたが、結局合意の姿勢を見せるために俺も彼の発言に頷いたのだった。
これで話は終わったと本来の机の方角へ顔を向けようとすると彼の手が自分の右肩をポンポンと叩いたのが分かった、慌てて振り向くと彼は平然とした顔で頬杖を突いている。
「・・・何だよ?さっきの雰囲気からして会話を終わらせるに適切なタイミングだと思ったんだが」
にやけながら頬を紅潮させるフィリッツを見て俺は生理的嫌悪的なものを感じてしまうが、それを表に出すのは礼儀に反するので堪える。こいつに礼儀を払う必要があるかと言われたら首をかしげるが。
話が長くなることはこれまでの傾向から簡単に予想が出来たので、俺は椅子ごと彼の机に向けた。
「いやいやぁ君の方から言ってきたんだよ?どんなにしょうもない事でもいいから情報が欲しいって」
「・・・お前さては噂話がしたいだけだな?事件の事とは何の関係なしに」
「どうせ先生が帰ってくるまでしばらく時間がかかるだろう?それまで少し話に付き合っておくれよ」
そう言って楽しそうに手早くフィリッツが取り出したのは一枚の写真。
荒くて不鮮明なその写真に写っていたのは―――今朝俺が路地裏で吐いたのを目撃した女だった。印象的な容姿をしていたから一目でよくわかる。その写真は何とも彼女にバレない様に撮ったという様子で、遠くから写してあった。こっちからの撮影にはまるで彼女は気づいていないように自分の歩く道に目線を集中しているようであった
「フィリッツ、この女の人が一体どうしたんだよ。というか勝手に人を投影するのは倫理的にどうかと思うぞ・・・そりゃ確かに神法にはそんなルール書かれちゃいないけどさ。」
フィリッツの固有魔法、それは通称「風景投影」と呼ばれている。名付けたのは教会の魔法協会の本部である。その内容は簡単に言えば彼自身が見た彼の写したい景色を紙に書き出す・・・そういったなんとも奇妙な技だ。超精巧な絵を描く能力とでもいっていい。彼のその固有魔法は魔術協会で超精巧な複写術であると高く評価され一級魔術に認定された。
せっかく恵まれた能力をしているというのにそれをまともに有効活用することなく、人の秘密や痴態を
取ることに全力を注いでいるのでアカデミーからは虫のような扱いを受けている。
「そんなこと言って日暮くんも僕の魔術が使えるんだろ?ほら、カメラとか言ったっけ?ボタンを押しただけで風景を投影できるとか・・・どうせ君は好みの子を無断で写しては夜な夜な一人でだらしなく鼻の下を伸ばしているんだろう??」
「何を笑顔でそんな過大妄想をしているんだ・・・俺が無断で人を撮る訳が無・・・」
そういって今朝の事を思い出す、というより今朝以前の事も含めて確かに俺は天川の写真を大量に携帯電話の中に保持しているのだった。
自分自身の過去の愚行のせいでこの男に何一つ反論することが出来ないという事実に気付いてなんとも唇を噛みしめたくなる気分に陥る。
「まったく僕のアイデンティティが台無しだよねホント。何てものを発明しちゃってくれてんだよこの天才科学者さん。」
「・・・いや、そもそもこの技術を作ったのは俺じゃないよ。俺はただ設計書通り作ってみたらたまたまうまくいっただけだ。恨むんならこの技術を考え着いた先代の天才科学者にでも言うんだな」
フィリッツは手の上に顎を乗せたまま目を伏せ、ふーん、だなんて無関心なのかそれとも感心してるのかも微妙な反応をするだけであった。かと思えば今度は唐突に俺の方に目を合わせ口を動かし始める。
「・・・まあ、僕が勝手にこの人を写したのは一旦置いておくとして、勿論日暮くんはこの人を知っているよね。アカデミー内では有名人だもん」
知っているかと、そう聞かれたなら確かに俺は知っていると答えるしかない。なんせ今日彼女に会ったのだから。しかしこの質問には正直に答えていい物かと迷ってしまう。だって彼女との出会いは余りにも奇妙かつ他人からは知られたくない場面であったし、それにフィリッツが言うにはどうやら彼女は有名人らしかった。確かに俺は彼女の顔は知っているものの、有名人としての彼女については何も知らない訳であるの。
そんな状態で知っていると話を進めてしまったらなんとなくフィリッツとの会話には摩擦が起こりそうで、感覚的にどうも気持ち悪い。
俺は嘘をつくことにした。この行動選択にはどっちかというと俺が路地裏で吐いていたという事実を隠蔽したかったという側面が大きい。
「悪いんだけどフィリッツ。俺はこんな女の人なんか知らないよ。誰なんだ一体」
すっとぼけた顔で俺は微妙に真実を織り交ぜた嘘をついた。
流石のフィリッツも嘘と真実の入り混じった俺の言質には何も引っかからなかったようで、『マジですか・・・』と俺が彼女の事を知らないという事実に驚愕している様子であった。
フィリッツは少しだけ引いているように眉をひそめて俺に彼女の事を説明してくれた。
「えーとね・・・この女の人はアカデミーの代表生なんだよ。僕らと同じ高等部2年所属。校内でもよく見かけるし聞いたこともあるはずなんだけどな。よく生徒が彼女の話をしているし」
そう言われて学校での記憶を辿ってみると、確かにそれに近しい噂話をしている場面に遭遇したことがあったような気がする。アカデミー新代表生はえらく美人だとか、魔法学と体術においては120点を引き出す超エリートだとか、まあそんな感じで彼女を褒める文言が大半であったのを記憶している。
俺としてはその代表生に匹敵するか、それ以上に優秀な幼馴染がいたのでそれらの実績があまり耳に残らなかったのかもしれない。
「ようやく思い出したよ。いや、見かけたことは無いが確かにその新代表生の噂はときたま生徒が話しているのを聞いたことがある。そうか、優秀な代表生というのはこの人の事だったのか。どうりで威厳があると感じたわけだ。」
「・・・?見たこと無いんだよね。なにその実際に会ったことが過去にあったみたいな言い方。」
言われてぎくりと目を反らした。しまった、つい彼女と実際に会ったことをほのめかすような言い方をしてしまった。なんとか誤魔化そう。
「そうじゃなくてな。彼女の噂を聞いた時から俺は彼女の事を優秀な人物だなと思っていたんだよ。そして写真を見ればすぐに納得できた。これ程美麗な方なら確かにそれらの称号にも似つかわしいなと」
「何その言い方、日暮くんにしては随分と浅はかな思考の結びつきだね」
フィリッツが怪訝な表情で俺の顔を見つめる。すると何かを諦めたかのように目を閉じてため息をついた。
「まぁ、確かに美人であることは認めるけどね。僕でも彼女の顔とスタイルの完璧さには勝てるかは分からないな。」
どこから取り出したかも分からぬ手鏡で己の髪を豪快に掻き立てては、何が面白いのか自分の顔を凝視しては気色悪いくらいに微笑み、
『いや、やっぱり僕の方が上か』だなんて独り言を呟くのだった。
嗚呼、これだからナルシストは。と俺は心の中で彼に悪態をつく。
普通にしていれば俺だって彼の事を誇らしき友人であると堂々としていられるというのに、誰の前であってもこの唯我独尊を崩そうとしない彼の態度のせいで、俺は日々の生活の中で彼と友人であるという事実を後ろめたく隠匿せねばならない。
正直俺から言わせてみればどっちもどっちである。何より元来人の美しさを外見だけで判断するのは無理があるのだ。むしろ俺の価値観の元で判断するのであれば、この自己愛の塊みたいなフィリッツもあの悪態つきの代表生も、どちらの人間性も醜いと言って差し支えない。勿論これは醜いからと言って友人としての仲を深められるかという判断には無縁である。
何故フィリッツは唐突に彼女の顔を見せてきたのだろう。彼が代表生の外見に対抗心を燃やしているという事は先程の行動からなんとなしに理解できたため尚更不安である。
俺は若干に自分の友人を疑いながら聞いた。
「つまり、この代表生さんはお前の好敵手って訳だ。そんな奴の写真を勝手に撮ってお前は何をするつもりだよ。いっとくが俺はお前の悪事には手を貸さないからな」
するとフィリッツは思ってもいなかったというように目を点にして、そして今度は何かを閃いたかのように手をポンと叩いた。彼の顔は何か悪巧みを思いついたようにスプラッタと邪悪に満ちた笑顔をしていた。彼の開いた口の中が暗黒になっているのがなんとも不気味で俺は思わず少し顔を引いてしまうのだった。
どうやら俺はミスを犯したらしい。こいつは恐らく先ほどまでは彼女に何かをしでかすつもりは無かったのだろう、それを俺が悪事へと誘発してしまったのである。
「なあ、お前まさか」
「いやいやぁ、じゃなくて、いやいや、僕がそんな華やかな彼女の経歴に傷をつけて野郎だなんて3流の悪党が思いつきそうなことを考えるわけがないじゃないか!!」
「絶対考えてるじゃねぇか!!」
「くぅうう・・・!」
フィリッツは息苦しそうに喉を鳴らしながら唸っている、それは一瞬でも下衆な思考をしてしまった自分への戒律であるように見えた。まあ、もしかしたら俺がそう見えて欲しいだけなのかもしれないが。
だが少なからずフィリッツはもう彼女に対して悪を働く気は起きないだろう、フィリッツはなんだかんだ自分のする悪事には嫌悪的なタイプだ。こいつのナルシズムは確かに鬱陶しい人格であるが、それと同時に彼の気高さを証明する長所でもある。
一度気付いた自分の中にある醜い憎悪を彼が逃すことは無いだろう。見ろ、今にも泣きだしそうなくらいに涙目になっている。
落ち込んでいるフィリッツを俺はそっとなだめることにした。
「いや、まあ落ち着けよ。俺が悪かったからさ・・・。お前がそんな卑怯な奴じゃないって事は知ってるから・・・元気出せって」
そっと俯いているフィリッツの方に手を差し伸べようとするが、それを確認したフィリッツはいじけて俺の手を叩いた。思いっきり叩いた。しかも叩いた途端、元気になりやがった。
そこで俺はようやく目をハッとして気づいた。こいつはいじけてなんかいない、むしろ俺がこうして手を差し伸べる瞬間を虎視眈々と狙っていたのだ。
「ふっ・・・残念だったね。僕が本気で落ち込んでいるとでも思ったのかい、確かに一瞬自分の醜さに絶望したのは認めてやるが、それはそれとしていつまでも落ち込んでいる僕じゃないさ、HAHAHAHAHAHA!!」
そういって高らかに心底愉快そうに雄叫びを上げるフィリッツ。対比するように俺の右手はジンジンと痛んでいた。彼が貧弱な筋肉をしていることもあってか、ダメージ自体は大したこと無かったので良しとしよう。
そうだ、この程度怒るような人間は余りにも器が小さすぎる。そんな野蛮人は神にでも捌かれてしまえばいい。争いは同じレベル同士の者でしか発生しないという教訓を俺は散々に叩き込んできたのだ、そんな俺が冷静に対処できないはずも無い。本で読んだ通り6秒間だけ怒りを我慢すればいい。
フィリッツが何かを期待しているみたいにその憎たらしい瞳で俺の顔を覗き込んでいる。そんな可愛い顔で見つめてきて、一体どうしたんだろうなぁ。
―――俺はフィリッツの頭を思いきり引っ叩いた。フィリッツは嬉々とした表情を浮かべている。
「んで、そんなことはどうでもいいんだよ。結局お前はこの人の写真を出して何をするつもりだったんだ」
「ああ、これ?最近この良い噂しか聞けない新代表生のちょっと意外な面白い話を聞いてね。まあどうせホラだろうし、暇つぶしに丁度いいかなって思って持ってきたんだ。」
なんだか嫌な予感がするが、彼の会話を止める理由も思いつかないので俺はそのまま頷く。
「・・・その面白い話ってのは?」
「なんと彼女―――涼風蘭さんは・・・度を超えたサディストらしいんだ!!」
「・・・」
「いやぁー意外だよねぇ。情報提供者の男子生徒はどうやら、涼風さんを校舎の日陰に呼び出して告白したらしいんだけど、その時に彼の容姿や内面に関する批評を悉く浴びせられたらしくてね。挙句最終的には『アカデミー内では恋愛は禁止です。次私に話しかけてきたら貴方の愚行をアカデミー側に告発させていただきます』だなんて批評と全く関係のない理由で断られて、結局彼はその後3日間寝込んだって話だよ。まあどうせ、振られた事への八つ当たりが妥当なところだろうけど。そうだよね、日暮くん」
「・・・は、はは。ああそうだな。あの名高い代表生がそんな事言うはずがないぜ!!」
路地裏で披露された彼女のあの毒舌ぶりについては、黙っておこう。
その男子生徒には申し訳ないが、俺はその涼風さんに借りが出来てしまった、彼女に都合の悪い事実を広めることはできない。
そうして―――俺とフィリッツは嘘かホントか分からない噂話を楽しむのだった。
―――
それから10分程経っただろうか。ようやくこのクラスの担任であるミレイ先生が何やら疲れた様子で教室に入ってきた。
「やぁ・・・どうもどうもどうもぉ皆さん。もーセンセイは朝から疲れちゃいましたよ・・・トホホ」
そう言って閉められたドアは、いかにも力なく弱い慣性によって少しずつ閉められていった。
まるで死にかけの悪魔のようにトボトボ俯きながら教卓にミレイ先生が腕を乗せる。
早速なぜ遅れたかの説明が聞けるかと期待しながら待っていたのに、ミレイ先生は教卓の硬い椅子に座ってから微動だにしない、座り心地が良いわけでもあるまいに、まるで魂が抜けたみたいに安楽な表情を浮かべてただただ置物のように腕を組んでいる。
1分ほど経ったころだろうか、しびれを切らしたやんちゃな生徒が先生の楽園に割って入った。
「ねぇー先生、いい加減ホームルーム始めてくださいよー!俺ら何をすればいいか分かんないよ!」
その生徒の意見はまさに他の生徒、全員では無い物の授業を受ける気のある生徒なら必然的に思うであろう感想であった。俺自身もその意見には深く頷ける、気持ちを落ち着かせるために数十秒程座っているだけならまだ誰も文句は言わないだろうが、流石に何の断りもなく1分間も動かれないままなのは反応に困る。
ミレイ先生も流石にその正論は耳に痛かったのか、深く閉じた目を不愉快な音を聞いたように眉を八の字にしながら開けた。
「んぅ・・・?あぁ、やばい!!もしかして私眠っちゃっていましたか!?」
目を閉じていたのでまさかとは思ったが、ミレイ先生は疲弊のあまり椅子に座った瞬間から寝てしまっていたらしい。そんな事あり得ないだろうと思ったが、目をこすりながらあわあわしている先生の様子を見るにそれは真実であった。
前々からやけに慌ただしい教育者だとは感じていたが、今日に至ってはそれらの性質が度を過ぎている。
いくら先生が元々おっちょこちょいだとしてもアカデミーで正式採用されている優秀なはずの教師がここまでの不手際を起こす事はあり得ない。よっぽど何かの大変な目に遭っていることは容易に推測できた。
崩れた丸眼鏡をかけ直して、ミレイ先生が一息ついた後ようやくその重たい腰を上げる
「たっ・・・!大変失礼いたしました皆様!!教師ともあろうものが生徒の目の前で寝るだなんてぇ・・・!」
ミレイ先生は今にも泣きだしそうな顔で声を震わせながら話し始める。
「えっとですね・・・今朝の職員会議は大変込み合っておられまして・・・具体的な内容は言えないものの、とにかく大変大変だった訳です・・・おかげで私も朝の5時から叩き起こされました。う、うぅぅ・・・」
そう言って今度は何か嫌な記憶を思い出したのかとうとう泣き出してしまった、2年前からこの先生の授業を受けているが、これでミレイ先生が職務中に落涙してしまったのはおよそ11回目だ。そのうち6回が洪水が起きそうなほどの大号泣である。
授業自体はそこそこ分かりやすく優秀な分、如何せんまだ精神面が拙いのが欠点である。
だがその欠点も一部の生徒や教師からはマニアックな人気があるらしく、自分が守りたいだの逆に泣かせたいといった欲望を強くぶつけられているのだが、本人はそのひそひそ話には全く気付いていないように思える。少なくとも後者の輩は一度墓に埋まった方が社会のためだろう。
「と、取り合えず、授業は今から10分後に開始しますので、皆さんは授業準備を済ませておいてください・・・職員会議で潰れた分の時間は自習という扱いになります・・・」
先生の気苦労を心配する顔の生徒が大半だったのが、自習扱いになるという文言を聞いた瞬間にその心配を忘れて歓喜する生徒が次々と出てきた。かく言う自分もその一人である。授業が潰れた分就学時間が遅くなるようではその他の時間に割く時間が割かれるためだ。今は新しい自転車装置の開発にも忙しいのでそういった良心的な処置はかなり助かる。もしかしたら偉大なる教師たちも早朝からの会議で疲れて追加授業なんてする気が起きなかったのかもしれない。
さて、授業が始まるまであと10分もある。この間に教室から抜け出してフィリッツから事情を聞くことだって可能だろう。
俺は後ろに振り返り、鏡の中の華麗な自分を確認しているフィリッツの鏡を無理やり奪い取った。
「なっ・・・!」
「おい、フィリッツ。時間が出来たからさっきの件について話してくれよ。」
「手鏡返してくれよぉ!」
「お前が話してくれるんだったらな。どうせお前の貧弱さで俺から物を奪えるなんて無理なんだから大人しく連行されたまえよ」
「そんな極悪非道な手法取らなくたってちゃんと話すってば!!いいから返してくれ」
言質も取れたので大人しく手鏡を返す、鏡面の部分には触れていないので多分指紋などで汚れてはいないはずだ。もし仮に指紋なんぞつけたならフィリッツがどう拗ねるか分かったもんじゃない。
無論、フィリッツの手鏡を奪わなかったところでフィリッツが俺に事情を話すことなんて分かってはいたが、やはり適当に誤魔化されたら面倒くさいため、実行手前で言質を取っておくのは重要だ。
まあそれと、普段の気色悪い言動に対する仕返しもほんのちょっぴりだけ含まれているかもしれない。
場所を移し替えて、俺達は普段生徒が滅多に通らない6階の誰も入らないであろう物置に到着していた。
適当に設置されている木箱の上に俺が座って、フィリッツは物置内の重い物を運ぶであろう運搬台の鉄棒部分に腰かけた。
万が一外で会話が聞かれてる可能性を考慮して、若干声量を小さめにしてネズミのように密談をする。
「それで、結局なんでお前は連続殺人事件の事なんか知ってるんだ」
正直、彼が知っている訳を頭の中で思案している内に何となく理由は察する事は出来たのだが、やはり確認が取れないと落ち着かない。実証されることのない仮説には余り価値が無い、なんて事は経験上分かっている。だからこそ態々2階から6階まで必死こいて足を酷使しながらここまで来たのだ。
フィリッツが少し息切れしたまま話し出す。
「僕がその事件の概要を知っているのは、僕の固有魔術、『風景投影』が事件の解決において役立つと教会とアカデミーの方から判断されたからだよ。意外かもしれないし、虚栄かと思うかもしれないけれど、案外事件現場の写真って捜査に結構役立つものなのさ」
そう言ってフィリッツは誇らしそうに鼻を鳴らした、俺としては毛頭彼の魔術が事件解決に役立たないなんて思っちゃいなかったので以外でもなんでもなく、ただ予想通りの答えが出てきたので、むしろ無味無臭の寒天を食べている気分だった。
「へぇーーそうだったのかーーいやー驚いた」
「本当に驚いたならもっと心込めてリアクションしたまえよ!!この野郎!!」
フィリッツの大声が狭い物置内で木霊する。
「お前声がでかいんだよ!!感情が高ぶったらすぐ合理性を失って大声上げやがる!!」
「それは日暮くんも同じことだろうに、全く君はいつも客観性が取れていない!!もっと他人の視点を学びたまえよ!!」
ガミガミガミガミガミガミガミガミ、暫く3流どころか5流の悪役同士がやりそうな質の低い罵声大会が始まった。浮いてもいない足を無理やり持ち上げたかのような揚げ足取りに、全く理路整然としていない幼稚な罵倒。録に当たりもしないフィリッツの握り拳。これほど陳腐な見世物はきっとどんな物好きの金持ちだろうと直ぐに呆れて荷物を整理するであろうことは自明の理であった。
かれこれ5分程罵り合った後だろうか、ようやくフィリッツの一言でお互いのいがみ合いが終わることになる。
「待て日暮くん、そういやそろそろ授業じゃないのか。しかも次の授業はあの強面のアルゴ先生だ。今から2階の教室までおよそ1分は掛かる。」
そこでようやく俺も冷や汗をかいて全ての動作を停止させる。
俺は乗りかかったフィリッツの細い背中から腰を上げ、そして臀部を2,3回はたいて付着していた誇りを払う。
そうして俺が物置の扉を開けようとしたドアノブに触れようとした瞬間、先に触れたのは俺の足首を掴んだフィリップの左手だった。
「なんだよフィリッツ。まさかお前、俺を遅刻させようって魂胆じゃないだろうな。いいから手をどけやがれってんだ」
俯いたままのフィリッツが顔を上げた、そこには少し前に見たことのあるあの邪悪な笑みであった。
「いやだなぁ日暮くん。僕がそんな卑怯なマネをする訳がないだろう。あくまで一緒に教室へ向かおうっていう親友としての可愛らしい頼みじゃないか」
「なっ・・・フィリッツ・・・///」
くそっ・・・こいつは自分の足の速さではもう教室に間に合わないだろうからと道連れにより少しでも責任を分担するつもりだ・・・!!ここまで軽薄に聞こえてくる『親友』があっただろうか。
容赦なく俺は足をぶん回してフィリッツの手を薙ぎ払った
「じゃあなーーー!!負け犬のフィリッツ君!お前は大人しくサボるか遅刻するなりしてアルゴ先生に怒られとけばいいんだ!!ひゃははははは!!」
そうして俺は勢いよく物置の扉をしめた。扉の向こうからは、フィリッツのいたたまれない喚き声が聞こえてくる。
俺はそれを聞いて、強く生きて欲しい―――そう思うのだった。




