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2話

頭が痛くなるほどに喧噪とした生徒の話し声が、学校に到着すると同時に聞こえてくる。

これだけの人がいるならまだ遅刻ではないだろう。急いだ方がいいことに変わりはないだろうが。

すし詰めになった自転車スペースに、他の自転車を押しのけながらなんとか自分の自転車をねじ込む

ずっと漕ぎっぱなしだった足も歩いたことで緊張が解けてきたのか、すこしだけ楽になった気がする

「ふーーー・・・」

キックスタンドで倒れそうな自転車を固定した後、やっと落ち着ける時間が来たから思わず息を吐いた。

慌てて走る必要のない平穏な時間が好きだ、今が何も考える必要もなく満足できる程寝れる時間って訳

じゃないけども、少なくともアクシデントを乗り越えた後に比べれば幾分落ち着ける。

通学路の方に目を向けると、遅刻ギリギリに学校に向かう数多くの有象無象が見えた。

普段での学校生活におおよその振る舞いが悪い方の予測でついてしまうような間抜け面が大半を占めている。それも当然か、遅刻寸前にまで来る人間は大抵自堕落な人間か、やむ負えない事情で遅れてしまった人間しかいないだろう。どっちにしろ間抜けと言ってしまって差し支えはない。


まあ今日はそんな間抜けな生徒の中に俺も含まれている訳だが・・・

この大勢の中に飛び込むという事に少しだけ躊躇したあと、自分もここを乗り越えなければおおよそ遅刻が確定してしまうという事を思い出して仕方なくその戦場へと近づき飛び込んだ。

若い修道女の元気に満ちあふれた甲高い話し声と、あの子がいいだとかいいやあいつだなどの会話のレベルとしてはかなり下等な恋バナに花を咲かせている。

恋愛の禁止されているアカデミーでする会話ではない、俺がアカデミーに正当雇用された講師であれば学校の規則に従いしょっぴかなればいけない所だ。


なんてことだ。今まで俺が登校していた時間帯っていうのはかなり平和だったらしい。遅刻寸前の阿保共に囲まれているとそれが良く実感できる。

別に後悔なんかはしていない。これも全部天川のためだと思えばなんの苦にもならない、むしろ逆境に襲われて俄然この生徒共の大海原を乗りこなす気が・・・気・・・


あ、ダメだ、これ無理。耐えられない。

荒波に呑まれて30秒、俺の心はもう既に限界を迎えていた。

視界がぐるぐるして気持ち悪い、麻袋に入れられたまま振り回されている土とはおおよそこんな気分なんだろう。

実際には目が回っている訳でも、ましてや俺自身が振り回されているだなんて訳でもないが

こうも人が多くて呼吸がしづらい環境ではどうも目が回った時と似た嘔吐感を誘発されてしまう。

そうだった、ここ数年間は人混みの中に放り込まれたことが無かったのですっかり忘れていたが俺は人と人の間に挟まる事が極端に苦手なんだった。

幼少期の頃から少しずつ積みあがっていった人間に対する不信感や嫌悪は、もはや俺の心にトラウマと言っていいレベルで深く心に刻み込まれている。たとえ今ある程度恵まれた環境に囲まれているとは言え、そう簡単にはトラウマというものは払拭できない。

横にいる生徒を強引に手で押しのけて、近くの裏路地へと移動する。変な目で見られたろうがもうそんな事など気にしていられないだろう。


くそっ、こんな情けない姿を誰かに見られるわけにはいかない・・・!もっと人から見られない所へ隠れなければ・・・!

丁度人ひとり分隠れられそうな草の茂みを見つけた。距離はおよそ5メートル、健康な人間であったなら

何の苦労もない間合いだろう、しかし胃の中の内容物が今にも口から零れ出そうな俺にとってそれはどんな茨の道をも超える針山地獄であった。

ゆっくりと、身体に衝撃を加えないように亀よりも遅く一歩ずつその茂みへと近づいていく。

とうとう永遠にも感じられたその道を乗り越えた時、俺は余りの解放感に思わず緩んでしまう。

そして、こみ上げてくる胃酸を抑えていた筋肉も同時に緩んでしまったのだった。

「おええぇ、、、おごぉ・・・おろろろろろ・・・・」

喉が焼けるような痛みが走る。

コルクの取れたまま倒れたワイン瓶みたいに、ただただこの気持ち悪さを無くすために節操なく吐いた。

せっかくの贅沢だった朝飯が自分の体に吸収されることなくこうして道端に汚物として捨てられることが堪らなく悔しい。

情けない、ただちょっと人混みに紛れただけでこうもなってしまう自分の弱さが。

一体どうして今こうしてうずくまっている男が、天川の役に立とうだなんて考えてしまったのか。おこがましいにも程がある。

大きな波が終わってようやく楽になれたかと安堵した瞬間、出涸らしのように再度嘔吐してしまった。

咄嗟の事で反応が出来ず、靴に少しだけ吐しゃ物がついてしまったのが音で分かる。

身体をうずめ、喉の痛みに必死に耐えながら何度もえづいた。


我ながらなんて惨めな姿なのだと呆れてしまうが・・・まあでも、誰かに見られたわけでもあるまい・・・

そう、決して誰にも見られてはならないの弱いところは・・・

「あのっ・・・だ、大丈夫!?」


声の聞こえてきた後ろへ驚いて顔を向けると俺の3歩後ろに綺麗な黒髪をした女がいた。リボンが赤色なので恐らく同級生だろう。

そんな事はどうでもよかった、例え彼女が何者であろうとも俺のこの醜態を誰かに見られてしまったという事実に比べればちっぽけなことでしか無かった。

待て。落ち着け、頭を整理しろ。まず一番の問題はこの女に俺が吐いた姿を見られたかどうかということだ。さっきは見られたと断定して焦ってしまったがもしかしたら彼女いまこの瞬間偶然通りがかっただけなのかもしれない。どっちみち俺が不審なえづく音を立てていたことは変わりはないが、そんなものはいくらでも誤魔化せる。取り合えず今俺がすべきことは彼女が俺の嘔吐する姿を見たかどうかを確認することだ。


「あ、ああ。っおほん。・・・えっと、ああ。大丈夫・・・聞きたい事があるんだけど、君は今どこから来た?こんな路地裏の奥に学生が通りかかるだなんて、何か怪しい事でもしようとしてたんじゃないのかね?」


・・・我ながらとんでもないブーメランを投げてしまった、咄嗟に取り繕った口調が余計に怪しく見える。


「それは貴方にも当てはまるというか、どっちかと言うと多分貴方の方が怪しいというか・・・」

「・・・ああそうだな。いやすまない。少し気が動転していた・・・一応聞くんだが、どこまで見ていた?」


半ば諦め気味に彼女に問うた。冷静になって考えると、そもそも自分の立っているところのすぐ近くに吐しゃ物が広がっているのだから仮に彼女に見られていなかったところでバレるのは確定していたのだ。


「ええと・・・まあそうですね。貴方が何やら苦しそうに路地裏に入っていったところから・・・胃液が靴について驚いている場面までしっかりと」


予想を超えてその事実ははるかに最悪だった。まさか終始に至るまで俺の数年に一度のレベルの醜態を確認されてしまうとは。せめて吐いた後に彼女が現れたのならまだ俺の心も保てただろうに。

想像以上の自身の失態に気を落とす。それと同時に一つ彼女に対する疑問が沸いた。

何故だ?何故彼女はそこまで完璧に俺の醜態を観測している??この醜態を完璧に知っていいのは、自分と、全知全能の神くらいなものだ。それ以外でありえて良い存在は・・・


「なあ、黒髪ロング。君はもしや俺のストーカーか何かか?なんで俺の行動をそこまで完璧に把握している?追ってきたと考えないと説明がつかない。」


彼女が俺の跡を追っていた事が事実だとして、彼女にとってその行為に何の得がある?

確かに大の男が通学中に明らかに具合を悪くしたまま路地裏に向かっていくのを確認すれば、多少の興味が沸くのはあり得るとしても、かといってこんな路地裏の奥までついていくのはおかしい。

普通はちょっと気を引いた後にまた再び学校へ目を向けるのが普通だ。


それに今は遅刻寸前ギリギリの時間。ホームルームが始まるまで5分を切っているというのに態々顔も名前も知らない男に掛ける情なんてないだろうに・・・


俺が彼女にストーカーかなんて素っ頓狂な問いをした訳は、意外と天川から聞いた殺人鬼の話を想起したからなのかもしれない。

殺人鬼はもう既にこの街に来ていると天川は言っていた。

もし今目の前にいる女が殺人鬼だったとして、今の状況で俺はどうやって殺人鬼から逃げればいいんだろうか。魔術で人を殺せるような化け物に対峙したとして、俺に出来る事なんてあるはずもない。一方的に蹂躙されるだけだ。俺みたいな魔術も体術も使えないような奴、その殺人鬼にかかれば俺が悲鳴を出すまでも無く殺す事だって可能だろう。

路地裏じゃ人の目にはつかないし、それに今は通学時間でこんな場所を通る変な奴なんかそうそういない。殺人には最適な場所と時間。


そりゃ当然目の前の女が殺人鬼だなんてイカれてる妄想だとは分かっている、万が一にもあり得ない確率だ。だけど俺は軽率すぎたのかもしれない、それを女の姿を再度確認して思った。

ゾッとする位に美しい女だった。

作り物の人形なのではないかと疑いたくなるほどに美の形をしているその身体の輪郭に、逆光に映し出された艶やかな漆黒の髪に、凛としたその鋭い眼差しは強い光を映し出すことは無く紅梅色に濁っている。

その綺麗さが、まるで俺を殺そうとしている殺人鬼なのではないかと疑えてしまうくらいに異質だった。


俺の言葉を聞くと彼女はまるでおかしいのは俺の方だとでも言うみたいに、明らかな不満な、それにどこか冷ややかな顔を浮かべて口を開いた。


「もしかして貴方、私がさっき貴方に押しのけられた事を忘れてるんですか?

いえ、その反応を見るに忘れているんでしょうね。急に顔も名前も知らない男の人に押されて、腹が立ったから文句を言いに来たってのに、呆れて文句を言う気も失せましたよ。一応もしもの事があったらって心配もしましたが・・・そんな失礼な事を言える元気があるなら大丈夫そうですね」


そう言われて、丁度少し前の事を思い出す。

ああ、そうだった。確か路地裏に入る少し前に大勢の人に囲まれて抜け出すのが大変だったから、一瞥もせずに誰かを手で押しのけたんだった。まさかそれがこの女性徒だったとは。

・・・ようやく自分が目の前の女性にどれだけ失礼なことをしてきたかが理解した。


「申し訳ない。俺は君に大変失礼なことをしてしまったようだ。」


「・・・本当ですね。申し訳ないと思ったならもう二度と私の前にその顔を見せないで下さい。不愉快ですから」


随分と度が過ぎた嫌われ方をしてしまったらしい、それも致し方あるまい。どんな聖人であっても急に突き飛ばされた挙句心配してついてきたらストーカー扱いなんてされたら怒るに決まってる。俺が彼女の立場であったらかなり凹んでその日はどんな作業にも手がつかないだろう。それ位に今俺がしてしまったことは彼女にとって不条理でどこにもぶつけようがない事なのだ。

少しだけ悩んで、振り返って去ろうとする彼女に呼びかける。


「おいそこの黒髪ロング。俺はあなたに対して申し訳ないと思った。だから貴方の言う通り俺からは出来る限り顔を見せないようにしよう。貴方をアカデミー内で見かけたらそそくさと俺はどこかへと消えてってやるとも。

だがそれでは貴方が損しただけに見える。もし何か困ったことがあったら第3棟の技術研究室へ訪れるといい。

俺は学生だが、同時にそこで技術顧問もしている。魔術に関することはからっきしだが、工学分野で俺より詳しい奴はアカデミーにそういないからな。魔術で解決できないことがあったなら頼ってみるといい。

失礼を犯した分一回は何でも無料で依頼を受けてやろう。」


「何故そちらが偉そうなのか理解できませんが結構です。貴方たちみたいな何の生産性の無い科学者に頼る事なんかありません」


そういって彼女は俺に一瞥することもなく路地裏を去っていった。

ふむ・・・あまり素直な性格じゃないらしい。天川でもまだもう少し温和な対応はできるだろうに。

俺も彼女に続いてそろそろ学校に向かわないといけない頃合いだろうが、顔を見せるなと彼女に言われてしまった以上、少し待ってからにするか。

にしても生産性が無いか・・・まあ確かに現代において科学で出来る事なんて大半は魔術で出来るだろうしな。神話では、昔は魔術なんて存在せず人間は皆科学を基に発展していたと言われていたが・・・随分と昔に比べて立場が衰弱したものだな。無論俺は神など信じていないが。

少しだけ自分の頑張ってきたものを否定された気分になって落ち込んでしまう。言われ慣れてることとはいえやはり胸に来る・・・


「さてと、そろそろあの黒髪も去ったころか・・・ならまたあの荒波に巻き込まれるとしますかね」


態々吐いた甲斐があったというか、いやそもそも俺が人混みが苦手でなければ吐く必要もなかったわけだが何はともあれ胃の内容物をスッキリ吐き出した今なら耐えられそうだ。

えづいて座りこんだままだった状態から身体を起こし、路地裏から抜け出すことにした。


本校舎にたどり着いて教室のドアをこじ開ける。階段を上って息も絶え絶えだったので普段なら軽く開ける扉が今では一苦労だ。朝食を吐いたせいでエネルギーが身体に通っていないのも原因の一つだろう。

まあ何はともあれ学校にはギリギリつくことが出来た、取り合えず朝の間はそれで良い事にしよう。

くたびれながら鞄を机に置き、席に座る。

それから丁度二秒後くらいにホームルームの時間を告げる鐘が鳴った。

危ない、あと二秒遅れただけでせっかくの4年間分の皆勤賞をゴミクズに変えてしまう所だった。

息を整えていると、後ろの席から声を掛けられる。


「やあ、日暮君。今日は随分と遅かったんだねぇ!!ギリギリもギリギリ、あとちょっとで優等生リストから漏れ出るところだったじゃないか」


ああ、この軽薄な声とふざけた言い分には聞き覚えがある。

「そのトイレ我慢みたいな言い方をやめろよ・・・フィリッツ」


そう言って俺は彼の方に目を向ける。

相変わらず毒々しいワイルドな長髪に、うまく付け足されたかのようなギラギラとした三白眼。

まるで爬虫類を思い出させるような外見をしている実際に精神までその外見が反映されるかのように何ともいやらしい奴だ。


「あはは!トイレなんて下品な言葉使わないでくれよ、いくら君がむっつりとはいえ、そんな捉え方をされたら僕がまるで変態みたいじゃないか」

「俺がムッツリならお前はフルオープンだ、それにお前はまごうことなき変態だよ、たく。」


「やめてくれよそんな。本気にしちゃうぞ」


もじもじと顔に両手当てながら身体をくねらせるフィリッツに俺は歯軋りをしながら睨みつけた。だが生憎この変態には効果はないどころか余計に反応が酷くなっていく、みるみる頬を紅潮させるフィリッツを見て俺も軽蔑ぶった表情を止める事にした。


「今日はちょっと色々事情あって遅れたんだよ、言っておくが寝坊などの類では断じてない。俺がそんなヘマを犯すわけがないだろう・・・いや確かに一瞬それで遅刻しかけてしまったが・・・まあとにかく色んな不都合が重なったんだ。分かったな」


「ふぅん、ただの言い訳にしてはなんだかやけに早口で言葉数が多いんだね。そんなに寝坊を疑われることが嫌なのかい?」


ニマニマしながらフィリッツはまるで俺の胸の内を分かっているかのようにそんなことを言った。

人と話す事や噂を収集することが趣味である彼は、人の本心をちょっとした言動や身体反応から探るのが抜群に上手い。これは彼が人から噂を収集しまくった経験から染みついた特殊能力のようなものであり、この妙に粘っこい洞察力は彼のいやらしさの根源のようなものである。


天川との会話の内容を簡単に話すわけにはいかないと無意識に思ってしまったのが会話の中に出てしまい、そしてその僅かなノイズを彼が受信してしまったのだろう。

かといって俺も天川に他言無用と言われてしまった以上、例の殺人事件の事は口が裂けても言えないので

彼の分かった気でいる反応を無視して誤魔化すことに決めた。


「そうだよ、寝坊で遅刻しかけただなんて誤解が世に広まってしまったら俺の知的でクールなイメージが台無しになっちまう。」


「・・・ふ~ん、そうなんだ。相変わらず日暮君の冗談って面白くないね。」

俺の露骨な誤魔化し方にしらけてしまったフィリッツは適当な相槌を打って、虚空の方へとそっぽを向いた。俺の秘密を探る事に内心では心を躍らせていたんだろうが、かといって俺にも知られたくない事はある。誤魔化されたといってそんな反応をされてもこちらは困惑することしか出来ない。

このまま話を続けた所で気まずいままなので、先程から少し気になっていた事を訊いてみることにした。


「えーと、今日ミレイ先生遅いんだな。いつもならベルが鳴った瞬間にジャストで来るってのに」


うちのクラスの担任であるミレイは時間に厳しいのか、それとも出来る限りサボっていたいだけの怠け者なのか分からないがいつもベルの鳴る時間にピッタリ来る。

正確にはベルが鳴ってその数秒後に入ってくるというのが正しいので、恐らく怠け者の方が説としては有力である。

するとフィリッツはきょとんと目を丸くして俺に問いかける。


「なんだい日暮君。聞いていなかったのか?・・・いや、そりゃそうか。丁度今来たところなんだもんね。確かに君は10分前にあった校内放送の内容なんか知る由もないわけだ。」


「何かあったのか?」


「教員同士での緊急ミーティングだってさ、だからミレイ先生なら今会議だよ。いつ帰ってくるかは僕も分からないけどね」


成程・・・会議か。別にそこまで珍しい事ではない。アカデミーに在籍していれば月に一回は遭遇するちょっとしたイベントだ。なにせうちのアカデミーは他のものと比べてもかなり規模がでかいため、定期的にミーティングを行わなければ潤滑に業務が進行しないのだ。自分も一応は技術顧問であるためその会議には何度か参加したことがある。

その事実に気付いた途端に俺は心臓が飛び上がるかのような感覚に襲われた、そして汗をかき席を立つ。

万が一のためにフィリッツにも問うた。


「待て・・・!その会議って俺は行かなくてもいい奴か?俺も一応技術顧問ではあるんだが・・・」


すると、俺の焦りに反してフィリッツは思いの外俺の言葉に動揺もしないまま流し目で返した。


「正職員だけって話だからどうせ日暮君は多分対象外でしょ。そもそも君って顧問としての報酬とか貰ってる訳?」

「え・・・?いや・・・研究室の中の物を自由に使っていいという条件で引き受けただけだから特にそういうのは貰ってないな」

「相変わらずの研究バカだね日暮君は。報酬も貰ってないなら尚更いかなくたっていいだろう。そういうのはちゃんと仕事として教師をしている人たちに任せたらいいさ。」

「・・・まあ、それもそうだな。」


彼の言葉に素直に納得出来たため、焦って立ち上がった脚を再び折り曲げて腰を落ち着かせた。何の会議をしているかは少しだけ気になるが、どうせ大したことじゃ無いだろうと無根拠に思い込む事によってすんなりとその探求心も消え失せた。


咄嗟に切り替えた話題も大して長く続かなかったためまた沈黙が流れ出すが、今度は先程の居心地の悪い沈黙ではないため無理に話すことを終わらせる。


こうしていざ会話が終わってしまうと、自然と集中が会話から彼の方へと向いてしまう。

それはきっとフィリッツの物静かな顔と朝焼けの斜陽、二つの組み合わせが余りにも似合い過ぎているからだろう。

鮮やかに周囲の色を反射する純白な髪が眩しく輝いていて、整頓されていない枝毛ですら画伯の描いた芸術作品のようであった。


フィリッツ・エイル・カーター、それが彼の名前。

白くて長ったらしい髪に艶のある唇と肌。女みたいな外見をしているが、性別は雄で心は変態。学校内の色恋沙汰に目がなく、どこから仕入れてきたかも分からないような噂話ばかり収集しているような奴だ。

中等部の頃になぜか興味を持たれてしまったがために、俺とこいつは何だかんだ友人という関係を築いてしまっている。俺自身彼の喋り方には苦手意識を持っているためやめて欲しいと何度も頼んだが、結局無駄だったため高校に入ってからは矯正を諦めているのが現状だ。

体術と勉学に関してはアカデミーの中でも平凡な成績を誇ってはいるものの、魔術に限っては他の生徒と比べて秀でた部分があったりもする。

別にどんな魔術でもそつなくこなせるだとかそんなことではないんだけど・・・まあとにかく色々特殊なやつだ。性癖も魔術も何もかも癖がある。


・・・丁度いい。彼の保有する噂話の数と、彼の固有魔術なら殺人鬼の手がかりについて何かを掴めるかも知れない。

変態と朝から会話をするのは今後の疲労に影響する、だがもう少しだけ彼との会話を続けてみる事にした。

肘を自分の椅子につけて口角を意図的に上げたあと、まるで彼の噂話に興味津々であるかのような口調で尋ねた。


「・・・なぁ、親愛なる大親友フィリッツ君。俺は今君が趣味で収集しているとっても面白~い噂話を聞きたくてたまらないんだよ。ちっぽけなことでも大きな出来事でも何だっていいんだ、世界一面白い君の噂話をこの愚かな僕に拝聴させてくれ。」


手を合わせて少しだけ顔を傾けあざとさをアピールしてみる。人間の警戒心を解かせる媚びた口調で俺はフィリッツに頼み込んだ。

俺が殺人鬼について探っていることを、彼や周囲の人間に悟られないように最大限の自然なジェスチャーを取ったつもりだ。

この完璧な演技の前にしてみれば、たとえ神の目を持ってしても俺の本意を見破ることは不可能だろう。

嘘を見破る事が唯一の取柄と言ってもいいであろう彼がどんな表情をしているのだろうと期待して、細めた目を気づかれない程度に見開く。

そこには、思いきり顔を歪めてのけぞったフィリッツの姿があった。


「っうわ・・・!何だよ唐突にそんなニタニタ笑顔なんか浮かべちゃって。歯茎を出すなよ気持ち悪いなぁ・・・!!そういうのは僕のキャラだろうに!」


立ち上がって椅子を引いたかと思えばまた俺から距離をとる。

周囲の生徒も何やら物珍しそうな、というよりまるで怪奇現象を見ているかのようにギョッとしながら俺を見つめている。


「な・・・何だよ。そんなに距離取らなくたっていいだろ。いいから早く聞かせてくれよ。親愛なるフィリッツ君。」


会話を続けようとする俺の言葉なんか聞こえてないみたいに無視を決め込んで、彼は再び俺に怒号を浴びせた。


「そのヘッタクソな媚顔をやめたら僕だって近づいてやるさ。何だよ急に!!普段君が浮かべているあのしかめっ面を思い出してからそういう芝居は打てよ!!」


指を刺された挙句なんとも叱責を受ければ、どれだけ温和な人間であろうとも多少なりとも腹が立つというのが当たり前である。自分がそこまで優れた人間であると自負をしている訳ではないが、流石に今の発言には少しばかりプライドが傷つけられた。

俺が・・・しかめっ面?そんなはずはない。幼年期の頃、あまりにも笑わな過ぎて不気味だと言われた反省を生かして、日常から出来る限り感情を表面に映し出すよう心掛けているというのに。


「そんなこと言われても俺は普段の自分の顔を見る手段がないぞ・・・それに俺はそこまでしかめっ面じゃない。流石に今の発言はショックだ、取り消せ。」


「見てなくたって多少は普段自分がどういう顔をしているかは分かるだろ!!いや分かんないからそういう見込み違いな事が言えるんだろうね!君がそんな素直な笑顔をしてるとこなんて五年間一回も見たことないぞ!!」


胸の辺りに刃物がグサリと突き刺さるかのような感覚が走ったのは、そこまで言われるとは俺が心の底から思っていなかったからだ。もしかして自分の中で笑っていたつもりだっただけで、第三者から見たら普段の俺はそこそこ無表情だったのだろうかと疑ってしまう。


「そんな言わなくたっていいだろ・・・。俺は、結構表情豊かなはずだ。」


フィリッツは一瞬目を見開いて黙り込んだ。石膏像のように暫く硬直したかと思えば、何か可哀そうな生物を見るかのように涙目になりながら、優しい声で俺に語り掛けてくる。


「いやぁ・・・そ、その、悪かったよ。まさかそこまで自覚が無かったとは・・・じゃなくて、うん。そうだね、日暮君は表情豊かだもんね。その、悪かったからその媚びたままの両手を下ろしてくれ。表情とポーズがチグハグしてて怖いんだよ・・・」


さっきまで喧嘩腰だったというのに、急に穏やかな口調になった彼に困惑してしまう。

言葉の中に何やらノイズが混じっていた気もするが、彼の言葉に絆され俺も彼に言われた通り合わせた両手を下ろして太ももの辺りに着地させる。

物珍しく俺の方へ顔を向けていた生徒ももう目新しい展開は無いだろうと推測してしまったのか、再び各々のすることへと戻ってしまったようだ。

俺が素直に手を収めたのを見たフィリッツもホッとしたようで、席を戻していつものように俺と向かい合った。


「えっと・・・それで日暮くんは僕に一体何が聞きたかったんだっけ。さっきの日暮くんが余りにも気色悪いもんだから忘れちゃったよ」


若干失礼な言い分も挟みつつも、どうやらフィリッツは改め直して俺の尋ねたい事に乗ってくれるらしい。変態ではあるが同時に気のいい奴ではあるのだなと少々感心してしまった。先刻の芝居は不要だったかもしれないと少しだけ反省する。

彼の善意に乗っかるように俺も今度は取り繕うことなく素直に聞きたいことを話すことにした


「お前が収集した噂話が聞きたいんだ。ちょっとした事情があってね、この街の付近で起きている情報ならどんなにちっぽけ物でも欲しい。お前なら誰も知らないような噂をいくつも知ってるだろ」


フィリッツは俺の言葉を聞くや否や、何やら難しそうな表情を浮かべて顔に指を置いた。


「そんな事言われてもな・・・君が何を欲しがっているかすらも分からないし・・・最近あった物珍しい事なんて、中等部で一番の美少女と言われているオフィーリアさんが同性の女の子と15股してた事くらいだねぇ。それ以外に僕が知ってる珍しい事なんて無いね。日暮君の反応を見るに恐らく恋愛沙汰とかそういう系じゃないんでしょ?」


「そのオフィーリアさんの話にもなんだか興味は出てきたな・・・でもそうだな、確かに俺が求めてるのはそっち系の話じゃない」


・・・いっその事フィリッツにだけは殺人鬼の情報を伝えてしまおうか、そもそも9人も犠牲者が出ているってのに未だにその事実を隠蔽している教会もおかしいのではないかと。

天川を裏切ることになるけど、それでも自分のたった一人の親友にだけはバラしたって良いかもしれない・・・それはフィリッツの身の安全のためでもあるし、捜査のためでもある。実際天川だって教会の規律を破って俺には話したわけだし。人ひとりに情報を伝える位罰は当たらないだろうと。


ただフィリッツにこの情報を伝える上で問題が何個か出てくる。それはこいつが噂好きという事だ、殺人鬼が出たなんて情報をこいつが入手してしまったらあっという間にアカデミー中にその噂がばら撒かれる危険がある。そうなった時に責任を問われるのは俺にその情報を伝えてしまった天川だ、実際彼女があれだけ情報を伝える事を渋った理由はそれが大半を占めるだろう。

噂というのは一人に伝えようとどれだけ工夫したところで、いつの間にか蛆のように増殖して手に負えなくなってしまう性質のものだ。

そんな危険な賭けをするわけには・・・第一、天川の信頼を裏切ることはやはり出来ない。そんな事をしてしまえば俺は地獄に落ちる。だから俺は・・・


「フィリッツ、俺から詳しい説明をすることはできない。それをしたら俺は最低な人間になっちまう。でも今はどうしても情報が欲しい・・・だからそうだな・・・。俺が聞きたいのは・・・近頃起きた不可解な事件だとか、そういう不審な情報が欲しいんだよ」


その言葉を聞いた途端、フィリッツは何か思い当たる節があるかのように一瞬身体を硬直させ首を傾げた、それは疑問という意味よりも何かを躊躇しているかのような様子であった。

暫く唸り声を鳴らしながら瞬きもしないフィリッツに不気味さを覚えた所で、ようやくフィリッツが口を開く。


「日暮君って、確か天川ちゃんと友達だよね・・・?」


てっきり何かの手がかりがフィリッツの口から利けると思っていたため、予想外の角度からの質問に後頭部を殴られたかのような衝撃が走る。

だが同時に、少しその質問の意図を考えてみることによって、その質問に答えることによって何か彼から情報が聞ける事は彼の何かを知っていそうな雰囲気から予想が出来た。

そのため俺は正直にフィリッツの質問に答えることにした。


「ああ、確かに天川とは10年以上の付き合いになる。今でも多分・・・そこそこ仲は良いと俺は思っている」


「また微妙な反応だねぇ。日暮くんいつも曖昧な答えは無価値だってよく言ってる癖に、人間関係の話になるとすぐ話を濁すんだから。もう一度聞くよ___天川ちゃんと日暮君は友達ですか?イエスorノー、さあどっち?」


「えぇ・・・・えっと、じゃあ___そうだな・・・確かに俺と天川は友達だ。お前と並ぶ大親友と言って遜色ない」


何が気に入らなかったのか、フィリッツは俺の返答に少しだけ眉を顰め舌打ちをした。意味の分からない反応に少しだけ鳥肌が立った。


「そこまで言わんでええっちゅーの・・・。うん、そうだよね。日暮君、また一つ質問です。もしかして君が朝遅刻したのは、天川ちゃんが原因なんじゃないの___?」


確信めいたその質問と、その何もかも見透かされているかのようなそのつまらなそうな顔に・・・俺は心底動揺した。


「なんで・・・それを知って・・・」


フィリッツが顔を近づけ、俺の耳元あたりにまで近寄って、小さな声で囁いた。


「君が聞きたいのは・・・この街で起きた殺人事件の事だろう___?日暮くん。」

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