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① オタクな転生王子だけど地味に努力してます!~今日も筋トレと魔法修行~  作者: あんてな
第四章

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第三十六話

 蒼組の会場は、水に抱かれた庭園だった。


 円形の闘技台を囲むように浅い水路が巡り、

 石造りの小橋がいくつも架かっている。水面には空の青が映り込み、

 足元から立ちのぼる冷気が、肌を薄く撫でていった。美しい場所だ。

 だが同時に、足場の悪さと視界の遮られやすさでは、

 紅組の遺跡にも劣らない。


 ミラは橋の中央に立ち、静かに周囲を見渡した。

 参加者は十六人。互いに距離を取り、水路を挟んで睨み合っている。

 

 「お隣、失礼する」

 「えぇ、構いませんわ」

 「アニマディアの王女、ミラ殿とお見受けする」

 「そうですわ、あなたはどちら様?」

 「俺はヒノモト帝国から来た、シエンと申す。侍だ」

 「あなたの事は、目にも止まらないほどの剣捌きをすると

 聞いているわ」

 「俺の事はこの国まで届いているのだな」


 それだけ言って、シエンは黙った。

 ミラは小さく笑う。愛想のない男だが、言葉の端々に嘘がない。

 それだけで、背中を預けるには十分だった。


 (さて)ミラは腰の双剣に指を這わせながら、思考を巡らせる。

 第一予選で、レオンたちは怪しい者たちに遭遇している。

 この大会は、何かに狙われている。 レオンには「情報は私が集める」

 と約束した。ならば、今日も目と耳を澄ませておく必要がある。


 そうしているうちに開始の鐘が鳴った。


 最初の数分は、ごく普通の乱戦だった。

 水路を飛び越えて斬りかかってきた大男の剣を、

 ミラは双剣で受け流し、闘気を込めた脚で脇腹を蹴り抜く。

 体勢を崩したところへ、背後から別の参加者が迫るがそれもかわす。


 銀光が一閃した。シエンが抜いたことすら、誰も捉えられなかった。

 気づけば相手は水路に倒れ込み、手から離れた得物が水面に浮かんでいる。

 刀は既に鞘の中だった。


 「……見事な剣技ね」

 「峰打ちだ。斬る必要はない」


 淡々とした声。ミラは苦笑しながら、次の標的を探した。

 二人で背中を預け合えば、半数近い参加者は容易く脱落していった。

 このまま順当にいけば、上位四名には問題なく残れるだろう。

 そう、思った時だった。


 ――ざわり。


 ミラは、肌を撫でる空気の変化に気づいた。

 遠く、他の会場のどこかで、何かが膨れ上がったような感覚。

 水面に落ちた雫の波紋が、遅れてこの場所まで届いたような。


 「今の……」

 「ああ」シエンが目を細める。

 「遠くで、闘気が膨れる感じがした」


 二人が同時に口を閉ざした、その瞬間。

 庭園の水路から、白い靄がゆっくりと立ちのぼり始めた。


 最初は薄く、足首を濡らす程度だったものが、

 みるみるうちに濃さを増していく。ほんの十数える間に、

 数歩先すら見えなくなった。


 「な、何だ、これ――」

 「おい、誰か魔法を使ってるのか!?」


 参加者たちの動揺する声が、あちこちから上がる。

 ミラは双剣を構え、呼吸を落とした。霧の中では、

 視覚に頼れば足元をすくわれる。聴覚と、闘気の気配だけを研ぎ澄ませる。

 すると――。


 「……え?」誰かが、掠れた声を漏らした。

 霧の向こうに、人影が揺らめいている。見覚えのある輪郭。

 先ほど、ミラ自身が蹴り倒した大男の姿だった。


 「そんな、馬鹿な。確かに倒れたはずなのに」


 大男だけではない。霧の中に、倒したはずの参加者たちが

 次々と立ち上がってくる。得物を落とした者、水路に落ちた者、

 気を失ったはずの者たち。全員が、無表情のまま、

 ゆらゆらと揺れながらこちらを向いている。


 「おそらく幻覚よ。惑わされないで」ミラは声を張ったが、効果は薄かった。

 恐慌に駆られた参加者の一人が、霧の中の"人影"に向かって剣を振り抜いた。

 刃は人影をすり抜け――その背後にいた別の参加者の肩を、深々と斬り裂く。


 「ぎゃあっ!?」

 「違う、俺じゃない、俺は幻を――!」


 混乱が、混乱を呼ぶ。霧の中で、悲鳴と怒号が重なり、

 水路に誰かが落ちる音が響く。


 (……これが狙い) ミラは歯噛みした。幻影そのものは、害を為さない。

 だが、それを見た人間が勝手に自滅していく。

 静かで、悪趣味で、効率的なやり口だった。


 その時。霧の中の人影たちが、一斉に口を開いた。


 『――ミラ王女殿下』

 『――第一王女ミラ』

 『――よく来た。よく来た』


 十数の声が、重なる。男の声、女の声、老人のような声、

 子供のような声。そのどれもが、聞き覚えのある参加者たちの声音だった。

 だがその奥に、もっと根源的な何かが蠢いている。


 ミラは、背筋が冷えるのを感じた。 声は笑っている。

 だが、その笑い声には、笑う者の"口"がどこにもない。


 「……シエン」

 「分かっている」


 隣で、シエンは目を閉じていた。両足を肩幅に開き、

 刀の柄に手を添えたまま、石像のように動かない。

 霧の中で、彼だけが完全に静止していた。


 「気配を感じない」シエンが低く呟く。

 「いや――違うな。逆だ」

 「逆?」

 「気配がないのではない。この霧の全てが気配だ。霧そのものが敵だ」


 ミラは目を見開いた。 霧の中に潜んでいるのではない。

 霧そのものが、相手の体。だから、どこを探しても本体は見つからない。

 どこを斬っても、手応えがない。


 「ならば」シエンが、ゆっくりと目を開いた。

 「この霧を切る!」


 刀が、抜かれる。 音はなかった。

 ただ、空気が一瞬だけ張り詰め、霧の流れが止まった。

 シエンは何もない空間――霧の一点を見据え、踏み込んだ。

 一閃。


 斬られたのは、人影でも、霧でもなかった。

 何もない、何も映っていない空白。そこだけ、

 霧の密度がほんの僅かに異なっていた。

 空間が、裂ける。

 そして――断ち割られた虚空から、何かが溢れ出した。

 輪郭を持たない、ぬめぬめとした黒い塊。目も、鼻も、口もない。

 のっぺりとした球体の表面が、波打つように脈動し、

 時折そこに顔のようなものが浮かんでは、すぐに溶けて消える。


 霧が、その塊に吸い込まれるように収束していった。幻影たちが一人、

 また一人と掻き消えていく。残されたのは、

 石橋の中央で蠢く、不定形の異形だった。


 「……貴様は例の者たちの一人か?」


 ミラが、書庫で読んだ古い文献の一節を思い出す。

 顔なき者。形なき者。目も耳も鼻も口も持たぬ者――。


 『そうだ…我名はコントン…』

 『よく斬った。侍…』 塊が、笑った。 口はないのに、確かに声が響く。

 今度は、無数の声が一つに溶け合い、不気味な合唱のように重なっていた。


 『気配に気付く者は多い。だが、気配の"歪み"を見つけた者は久しぶりだ』


 「コントン…シキョウか」シエンが、刀を正眼に構え直す。


 『兄弟たちも、既に動き始めている。遠くで、騒がしいだろう』

 塊の表面にぐにゃりと顔が浮かぶ。ミラの顔だった。

 その顔が、にたりと笑う。


 『さあ、続けようか。第二予選は――まだ、始まったばかりだ』


 「待ちなさい」 ミラが、一歩前に出た。双剣は構えたまま、

 声だけは努めて静かに保つ。

 「兄弟たち、と言ったわね。あなたたちは何者で、

 何のためにこの大会に紛れ込んだの」


 『ほう。この状況で、問うのか』 塊の表面で、ミラの顔が愉快そうに歪む。

 『怯えもせず、命乞いもせず。まず"理由"を求める。

 ……なるほど、書庫で熱心に調べ物をしていたのは、お前か』


 ミラの指先が、ぴくりと跳ねた。 書庫。

 あの場にいたのは、レオンと自分だけだったはずだ。


 「……どこで、それを」

 『さあな。我らは"見ている"。それだけのことだ』


 顔がすっと別のものに変わった。背筋を這い上がる冷たいものを、

 ミラは奥歯で噛み殺した。


 「ミラ」シエンが、前を見据えたまま低く言う。

 「会話に乗るな。時間を稼がれているだけだ」

 「分かってる。でも、聞いておく価値はあったわ」


 ミラは視線を逸らさぬまま、小さく息を吐く。

 敵は、自分たちを知っている。それだけは、今の会話で確かになった。


 『賢いな。だが、答えは一つだけやろう』コントンの声が、

 無数の声となって庭園に反響する。

 『我らは、"試す"ことが望みだ。この国を。この大会を。

 そして――王の血を引く者たちを』


 「試す……?」その単語に、ミラは眉を寄せた。聞き覚えがある。

 レオンが迷宮で聞いたという、男の言葉と同じだ。


 『それ以上は、教えられんな』 塊が、ぐにゃりと膨れ上がる。

 足元の水路から、再び白い靄が噴き出した。先ほどよりも濃く、重く。

  『さあ、お前たちはどこまで耐えられる? 気配を斬れる侍と、

 鎖に繋がれた王女。見せてもらおうか』


 「……鎖?」ミラは聞き返したが、コントンは答えなかった。

 ただ、顔のない塊が、楽しげに揺れているだけだった。


 視界の端で、まだ意識のある数人の参加者が、

 這うようにして庭園の出口へ向かっている。霧に呑まれ、

 足をもつれさせながら、それでも必死に。誰も、彼らを追わない。

 コントンの意識は、完全にミラとシエンの二人に向けられていた。


 「……選ばれた、ということね」ミラが、苦く笑う。

 「光栄だと思うべきかしら」

 「思わんでいい」シエンが、刀の切っ先をわずかに下げる。

 「ただ、斬るだけだ」


 ミラは双剣を握り直し、静かに息を吐いた。 脳裏にふとレオンの顔がよぎる。

 今頃、レオン達も同じように"何か"と向き合っているのかもしれない。

 ――なら、私も負けていられない。


 隣のシエンと、視線を交わす。言葉は要らなかった。


 霧の晴れかけた蒼組の庭園で、二人は、形なき敵と対峙した。

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