第三十五話
正午を告げる鐘が、北闘技場に響き渡った。
紅組に割り当てられた会場は、円形の闘技台を中心に、
崩れかけた遺跡を模した石柱がいくつも配置されている。
足場は複雑で、視界も悪い。単純な力比べだけでは勝てない、
そんな設計された場所だった。
「…十六人ですか」 リュカが辺りを見渡しながら呟く。
石柱の陰に、ちらほらと参加者の姿が見えた。
誰もが互いの出方を窺い、動きを止めている。
「…上位四人が突破…つまり今見えている人、
ほとんどが脱落してしまいますね」
「…ええ。でも」リュカが横目でレオンを見る。
「…一番厄介なのは、恐らくアイツでしょう?」
その言葉に、レオンは苦く笑うしかなかった。
開始の合図と共に、石柱の間に散らばっていた参加者たちが一斉に動き出す。
魔法の光が交錯し、金属のぶつかる音が響く。
レオンとリュカも背中合わせに位置を取り、迫る敵に対処していった。
最初に仕掛けてきたのは、剣を構えた若い参加者だった。
踏み込みは悪くないが、重心の置き方が甘い。
レオンは相手の初撃を半歩分だけずらして受け流し、
空いた脇腹へ短く一撃を入れる。崩れた体勢を、
リュカが追撃し戦闘不能にした。
「まず一人」 短くそれだけ言って、レオンは次の気配へと視線を移す。
二人目は、遠距離から魔法を撃ち込んでくるタイプだった。
石柱を盾にしながら間合いを詰めるレオンに対し、
相手は着弾点を読んで次々と軌道を変えてくる。
だが、リュカが真横から割り込むように闘気を放つと、
意識が一瞬そちらへ逸れた。その隙を、レオンは見逃さなかった。
「ありがとう」
「お互い様」
背中合わせのまま、二人は小さく頷きあった。
二人目を沈めた直後、レオンは妙な違和感に気づいた。
倒した相手の姿が、消えている。
「リュカ、さっきのいなくなってるけど…これ大会の仕様?」
「…いいえ、こんな事初めてよ」
「やあ、お二人さん…」
二人が身構えた瞬間、石柱の陰から長身で痩躯のあの男が姿を現した。
「ずいぶん美味そうに食ってますね、君たち」
男は唇の端を歪め、軽い足取りで近づいてくる。
「……食ってる?」レオンが眉を寄せる。
「君たちが倒した連中は、こっちで全部馳走になったよ…」
男は腹をさすりながら笑う。
「闘気も、魔力もな」
リュカの顔が強張った。
「まさか…闘気ごと人を喰らって」
答える代わりに、男は一歩を踏み込んだ。
ただそれだけの動作で、地面が軋み、
石柱の一本がひび割れ奴の姿が消えた。
「速い――!」
レオンは咄嗟に腕を交差させて受けたが、衝撃は防ぎきれず、
背後の石柱ごと弾き飛ばされた。瓦礫の中から立ち上がりながら、
腕の痺れを振り払う。 重さが、これまでの敵とは桁違いだった。
技巧も駆け引きもない、ただひたすらに圧倒してくる力。
「レオン!」 リュカの放った闘気が男の足元に突き刺さるが、
奴に食い込む前に弾け、効果らしい効果を見せなかった。
「無駄だよ、無駄」男は愉快そうに喉を鳴らす。
「わたくしに通じるのは、もっと
――骨の髄まで届くような一撃だけですよ」
レオンは奥歯を噛みしめた。 このままでは押し切られる。
小手先の技では、この質量に届かない。
――だったら。
意識を深く沈め、闘気と魔力の流れへと手を伸ばす。
まだ完全に制御できているわけではない。
それでも、今この瞬間、迷っている余裕はなかった。
二つの力が、体の内側でぶつかり合う。
痛みにも似た感覚と共に、レオンの拳に紅い光が纏わりついた。
踏み込む。 これまでとは比較にならない重さを乗せて、
レオンの拳が男の腹に突き刺さった。
初めて、男の足が止まった。
愉悦でも余裕でもない、獲物を値踏みする者の顔――。
「――ほう」
声色が、変わった。人のものとは思えない、地の底から響くような声。
布鎧が内側から膨れ上がるように弾け飛ぶ。露わになったのは、
丸太のようなに太くなった肉体だった。
「トウテツ……」 奴が呻くように名を漏らす。
「それがお前の名か…!」
「正解だ」トウテツが、顎を打ち鳴らして笑う。
「久しぶりに、歯応えのある馳走に当たった。
王の血筋ってやつは、こんなにも――旨いのか」
レオンは構えを崩さぬまま、拳に残る紅い光を見つめた。
手のひらが、まだ痺れている。
「なぜ、人々を襲って闘気を集めている!」
「さあな」トウテツは答えず、ただ涎を垂らして笑った。
「知る必要があるか?お前たちはここで我々の糧となるのだ」
「……リュカ、下がって。これは」
「言われなくても」リュカは短く答え、拳を強く握り直す。
その手が、わずかに震えているのをレオンは見逃さなかった。
恐怖ではない。むしろ逆この状況でなお、退く気がないという意志の震えだ。
トウテツは二人のやり取りを眺め、喉の奥で低く笑う。
「仲がいいことだな。だが、二人がかりで来ようと、結果は変わらんさ」
巨躯が、ゆっくりと身じろぎした。それだけで、周囲の瓦礫が震動で跳ねる。
「それに――」トウテツの黄色く濁った目が、ぎょろりとレオンを捉える。
「お前が気づいているかは知らんが、今頃、他の会場も似たようなものだ。
わたくしたちは、揃って動くと決めている」
その言葉に、レオンの背筋が冷えた。
「揃って…? まさか!」
「さあな。続きは、自分の目で確かめるんだな」
トウテツはそれ以上語らず、ただ愉快そうに牙を剥いた。
会話はここまでだと言わんばかりに、巨躯が沈み込む。
「来る――!」
レオンは拳に残る紅い光を強く握り直し、迎え撃つ体勢を取った。
リュカも拳を構え、互いの呼吸を合わせる。 決着は、まだ先だった。
闘気とも魔力ともつかない圧力が、トウテツの巨躯から溢れ出す。
空気そのものが重く沈み込むような感覚に、レオンは思わず息を呑んだ。
その圧力の余波が、まるで水面に落ちた雫が波紋を広げるように、
闘技場の外へ――遠く離れた会場にまで、静かに伝わっていった。




