別離の道⑧
ぼんやりとその光を主張し始めたラピスが、街灯の中から子供たちの丸い頭を照らす。
昼と夜の狭間で手を振る無邪気な頭たち。さよならの挨拶を済ませるとそれぞれの家路へつく。
跳ねるように進む影が長く伸びていた。少女は上機嫌に歌を口ずさむ。向かうは兵士たちの宿舎だった。
「ソフィアちゃん、おかえり」
「ただいま〜」
ソフィアと呼ばれた少女は兵士たちに挨拶する。宿舎の中でもかなり立派な扉をソフィアは慣れたように開いた。
「ただい、ま…」
元気よく飛び出した言葉は最後まで言い切る前にその勢いを失う。人の言い争う声が奥の部屋から聞こえていた。ソフィアはその声を無視して寝室へと向かう。
音を立てないようにそっと寝室の扉を開いた。薄暗いベッドには小さな男の子が眠っている。
「チャーリー、ただいま」
ソフィアはそう声を掛けると相変わらず眠ったままの幼い弟の隣に潜り込んだ。
「パパとママ喧嘩してるみたい」
ソフィアが言う。
「だってパパの部屋から声がするんだもん。喧嘩する時はいっつもあそこに行くでしょ?チャーリーもそう思うよね?」
眠っている弟は何も答えない。ただ静かな寝息だけが聞こえていた。
「チャーリーはまだちっちゃいから分かんないかー」
ソフィアはそう言ってクスリと笑う。
「パパ、お仕事大変なんだって。ママがリンリンのとこのおばさんと話してた。先生も変な人が増えてるからあんまり遅くまで遊んじゃダメって」
少女は弟が抱いているぬいぐるみを奪い取るとぎゅっと抱きしめた。
「つまんないよ」
小さな呟きは弟の寝息と混ざり合う。ソフィアは一つあくびをすると、そのまま寝入ってしまった。
壁にコルクボードが下げられた部屋で男女が言い争いをしていた。
「婦女子の会を創ることの何がいけないの?私たちはちょっとでも役に立ちたいだけよ!」
「役に立ちたい気持ちは有難いと思ってるよスカーレット。でも危険だって言ってるんだ。町の警らを女たちがするなんてあり得ない!」
浅黒い肌の大男が言う。
「誰かと争ったりしないし、揉め事も起こさないわ。ただ町を見回るだけ。子供たちが安全に過ごせるように大人の目を増やすだけよ」
ブロンドの長い髪の女が説得するように言った。
「さっきはそれに加えて星骸に傾倒してる人間を見つけるとも言ってた筈だ」
「ええ言ったわ。でもそれは結果として見つけたらの話よ。ピーストップ家の紋をつけた兵士の男たちが歩いてて星骸の仲間が見つけられる?ねぇ、貴方はどう思うのアレクサンドル?皆んな警戒して守りを固めるだけだわ!私たち女の方がよっぽど警戒されず奥まで入り込める!」
スカーレットは大きな声で言った。
「それがマズイって言ってるんだ!君たちは敵の中に入り込む必要なんて無い!俺たちがどんな気持ちでピーストップ家に仕えてると思ってる?どんな気持ちで町の巡回をしてると思う?君たち女子供を守る為だ!!君たちのやろうとしてる事はそれを台無しにする行為なんだ!守るべき人が後ろに居ないと俺たちはどうやって守ればいいんだ!」
アレクサンドルの反論に、スカーレットは唇を噛み締めて口元を歪める。衝動のままに言葉を紡ぐのを抑え込むかのように何度か口を開いたり閉じたりした。
「…じゃあ私たちは、何もっ、出来ないの?ただ、ただそこにいる事しか出来ない?」
「スカーレット、」
アレクサンドルは、言葉を詰まらせながら眉を下げている妻の名前を呼ぶ。
「役に立つ事も出来ない?立ちたいと願う事すら出来ない?」
「違うよスカーレット」
「何が違うの?私たちは別に邪魔しようとした訳じゃ無い」
「もちろん、分かってるよ」
アレクサンドルは妻の肩を抱く。
「君たちを大事に思ってるからこそ、危険な事はして欲しく無いんだ。危険に近寄って欲しくない。君もソフィアやチャーリーの事を思えば分かるだろう?」
スカーレットは夫の広い肩に頬を寄せた。
「危ない事は辞めてくれ。俺は君や子供たちの事だけが心配なんだ」
男の声が静かな部屋に響く。明るかった室内はいつの間にか薄暗くなっていた。
「…私が、子供がいる母で家を守るべき妻だからダメなの?」
スカーレットはポツリと言う。アレクサンドルは眉をしかめた。
「いつもそう。私は、いつも何も出来ない。何もさせてもらえない。いつだって男たちが中心。私たち女はこの世界のどこにもいない。ただ守られる事しか出来ない」
「…君は子供たちをよく守ってくれてるじゃないか」
「そうね。でもそれだけよ。それだけしか出来ない」
「子供を守る事は誰にでも出来る訳じゃ無い」
アレクサンドルはスカーレットの目を真っ直ぐに見て言う。
「貴方は優しいわアレクサンドル。誰よりも素晴らしい人よ。でも貴方も分かるでしょ?求められている事以上の事をするなって言われる苦しみ」
女は男から離れると絞り出すように言った。
「エリック様を探す為に貴方はゾラっていういけ好かない男と組まされた。ソイツより貴方の方が市民の事を思ってるし、ずっと優秀だわ。でもソイツとの仕事はどうだった?貴方の優秀さは求められた?より良いと思って提案した事は受け入れられた?」
スカーレットの言葉にアレクサンドルは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「違うでしょう?階級の低い人間は、っ優秀である事すら条件付き」
その言葉にアレクサンドルは目を逸らした。
「それと、同じ。女は役に立とうとする事すら条件付きなの。必要以上の事は…邪魔だと思われる…」
整った言葉で驚くほど理性的に話すスカーレットは、その声音とは対照的に泣き出していた。今までずっと抱え続けていた苦しみや嘆きは、整えた言葉だけでは収まらなかったのだ。女は一歩、二歩と距離を取る。
「スカーレット、俺はそんなつもりじゃ」
「ええ分かってるわ。貴方にそんな気が無いことぐらい。でも…苦しいのは、事実なのよ」
女は唇を噛んだ。
「…貴方を、恨めしく思う私がいる。役割に押し込められるこの世を、呪ってる私がいる…」
スカーレットは鼻をすする。
「…っ、ごめんね」
それだけ言って部屋を出て行ってしまう。妻を抱きしめようと伸ばされた手は宙を掴んだ。
「はぁ、」
重いため息は部屋に沈んでいく。妻がいつも通りの明るい声で子供たちを起こすのが聞こえた。
ザクザクと大きな足音を鳴らしながら金髪の男が歩く。薄っすらと張った霜が小気味良い音をさせていた。
チャックは大あくびをしながら早朝のツリータウンを歩く。
向かうは音ラピスの中継地点のひとつだ。
昨日の夜からその辺りと交信出来なくなっていた。以前置いた中継用の岩のようなラピスが不具合を起こしている可能性が高かった。
町行く人々の噂話が聞こえてくる。どうやら先日の星骸による関所制圧の件についてのようだった。
ー噂が回るの早いな〜ー
チャックがそんな事を思いながら歩いていると目的の岩が見え始めた。
金髪の男がゆっくりと作業をしてしばらく経った頃、後ろからすすり泣きのような音が聞こえて来た。
チャックは集中していた意識の中でその音をぼんやりと聞いていた。だがふと頭を上げた時、その音が明確に泣き声に聞こえて思わず振り返る。
地面に腰を下ろして項垂れている中年の男が一人。苦悶の表情を浮かべ、涙を流していた。
チャックは男の禿げ頭をチラリと見た後、何事も無かったかのように作業に戻る。
だが、作業をしながら何となく気になって来る。
ーこんな時、皆んなは声をかけるのかな?革命を目指す人間なら声をかける?ー
チャックは作業しながら考えるように口をモゴモゴと動かした。
もうすぐ作業が終わってしまう。ここに居る理由が無くなる。
チャックは最後の工具をしまうと意を決したように口を開いた。
「あのっ、大丈夫か?」
金髪頭の若者の声に中年の男は顔を上げる。深く皺の刻まれた顔は濡れていた。
「誰だ貴様は…うっ、分かるまい…この悲しみと失望を…」
禿げ頭の男はぶっきら棒に言った。拒絶するような物言いにチャックはひるむ。だが、歯を食いしばるともう一度問いかけた。
「あ、何が悲しいのか俺には分かんないけど、でも、きっと腹が膨れたらちょっとは悲しいのもマシになると思うんだ、けど…」
「もうお終いだ、エリック様、、」
男はチャックの言葉を聞いていないのかぶつぶつ言う。
「エリック?エリックって言った?」
チャックがそう言うと禿げ頭の男は鋭い視線を向けた。金髪は睨み付けて来る男を見て緊張したように唇を舐める。
「えっと、その…エリックなら今日、配給しに出て来ると思うけど…まあお前が言ったエリックは俺の知ってるエリックじゃないかもしれないけど、」
中年の男はチャックの言葉に真剣な表情を浮かべた。そこには先程までの強い拒絶は無い。
「あ、来る?今日は教会の方に居るとか言ってたはずだし。エリックと話したいなら俺が取り次ごうか?アイツ、貴族だけどいい奴だから話してくれると思う」
「…」
中年の男は小さく頷いた。それを見たチャックは嬉しそうな表情を浮かべる。自分の声掛けで何かが変わったかもしれない事が嬉しかったのだ。
「じゃあ行こうぜ。俺はチャック、お前は?」
男は立ち上がりながら金髪をチラと見上げる。
「ゾラだ」
禿げ頭の男の声が静かに鼓膜を打った。
読んで頂きありがとうございます。
喧嘩するアレクサンドルとスカーレット。時代のうねりの犠牲になるのはいつだって子供だと思います。
いよいよゾラが星骸に入り込んできました。
選民意識の強いゾラがどんな風を起こすのか。
次回も土曜の21:00です!




