反響⑨
夜になっても相変わらず厚い雲が空を覆っている。月の光すら届かない真っ暗な夜の森を密かに進んでいる人影があった。
塊のようなそれは、広い敷地にポツンとあるピーストップ家の食料庫を取り囲むようにして動いていた。
冷たい風が吹く中、五つの班に分かれた約百人の市民がそれぞれの班長の元、作戦通りの位置につく。
耳が痛くなるような寒さの中、ガタガタと震えながら市民たちは班長からの合図を待っていた。
寒さを紛らわせる為の控えめな足踏みで枯れ草のひしゃげる音がわずかに響く。
手をすり合わせて息を吹きかけているエリックの横でレイは真剣な表情を浮かべながら遠くの食料庫を見つめていた。
もうすぐ交代の時間だった。
『交代の兵士が来たよ』
サトシの声が耳元で聞こえる。少しすると、馬に乗った兵士たちの姿がレイの目にも見え始めた。
「もうすぐだな。サトシ、交代した兵士たちの姿が見えなくなったら教えてくれ。合図のタイミングを逸すれば作戦は失敗に終わる。頼むぞ」
『言われなくても』
レイの言葉にサトシは軽く答えた。馬に乗った兵士たちはそれぞれ自分の持ち場まで行くと、次々と交代を完了させて行く。
最後の一人が馬で去って行き少しするとサトシから声がかかった。
『全員行ったよ。いつでもどうぞ』
その言葉にエリックが短く息を吐く。食料庫を取り囲む全員に緊張が走った。
「じゃあ皆んな、行ってくるよ」
エリックはレイと一緒にいた二十人ほどの市民たちを振り返って言う。にこりと笑う表情はいつも通りで市民たちの緊張をわずかに和らげた。
耳元からも仲間たちの激励の声が次々と聞こえる。
「僕の演技、是非とも楽しんでね」
エリックは楽しそうにそう言うと、ゆっくりと足を踏み出した。
暗い森からエリックは出て行く。食料庫の正面へと歩いて行く。
夜目すらほとんど利かないような暗い夜をエリックはいつものように優雅に歩いた。
兵士の一人が森の方から近づいて来る影に気づく。兵士は目元ギリギリまで引き上げていた防寒具をわずかに下げると、影が獣のものかどうか見極めるために目を凝らした。
その時、厚く空を覆っていた雲がわずかに隙間を作る。スッと差し込んだ月明かりがエリックを照らした。
「人か?」
兵士は眉間に皺を寄せてそう呟くと警戒したように腰から下げた剣に手をそえる。
エリックは兵士が自分に気づいた事を察してゆっくりと両手を上げて少し怯えたように足をもつれさせた。
「お願い、傷つけないで。僕はエリックだよ、エリック・ピーストップだ」
長身の男は震える声で叫ぶ。静かな夜に突如として響いた大声に他の兵士たちも振り返った。
「エリック様?」
最初に気づいた兵士は小さく呟くと近くの仲間に目配せして少しだけ首を傾げる。
「君たちに頼み事があって来たんだ」
エリックは手を上げたままの状態で歩きながら話し始めた。
「君たちはどうしてこんな所に行方不明になってるエリック・ピーストップが居るのかって不思議に思ってるだろうし、一刻も早く僕の発見を伝えなくちゃって思ってるだろう。でもちょっと待って欲しい」
エリックは話しながらどんどん近づく。兵士たちは戸惑ったような表情を浮かべながらも静かに聞いていた。
「ここに居る全員の為にまずは僕の話を聞いて欲しい。そして僕を助けて欲しい」
エリックは兵士の少し前で立ち止まった。兵士は一歩下がると恐縮したようにわずかに頭を下げる。
「エリック様、今日まで一体どちらに、いえ、ご無事で何よりでございます。自分はいっかいの兵士ですので、今、兵士長をお呼び致します。少々お待ち頂けますか?」
「僕もそっちへ行くよ。とっても急いでるんだ」
「か、かしこまりました」
兵士は短くそう言うとエリックの前に立って歩き始めた。周りの兵士たちはいつもと違う動きをする仲間をチラチラと気にしている。
少し歩くと簡易的な椅子に座っている人物が見え始めた。兵士がその人物に近づくと口を開く。
「兵士長、エリック様が、、その、」
「君が兵士長?」
エリックが割り込んでそう言った。兵士長はエリックの顔を見ると一瞬考えるような表情を浮かべた後、思い出したかのように目を見開いた。
「貴方は、エリック様!?」
立ち上がった勢いで椅子が倒れる。
「色々言いたい事があるだろうし、やらなきゃいけないこともあるだろう。でも時間が無いんだ。僕の話を聞いてくれるね?」
長身の男は兵士長を真っ直ぐに見てそう言う。兵士長は慌てて敬礼した。
「僕は今、星骸に命を握られてるんだ」
エリックは単刀直入に言った。
「星骸に捕まってずっと彼らの言う通りにさせられてて、星骸は知ってるよね?」
「もちろん存じております。それより、捕まっていた?今は逃げて来られたと言うことですか?ご無事で本当に何よりでございます!今すぐにでもリンブル様にお伝えしなくては!」
「待って待って、落ち着いて。それじゃダメなんだ」
今にも駆け出そうとする兵士長の腕を捕まえてエリックは早口で言う。
「僕は逃げて来た訳じゃ無いんだ。ここに来たのは星骸の指示」
不穏な言葉に兵士長は眉をひそめた。
「彼らの要求はこう『食料庫の中身を持って来い。さもなくば殺す』」
そう言うとエリックは唇を震わせた。怯えたように手を握る。
「僕、このままだと殺されちゃうんだ」
金色の瞳から一筋、涙が流れた。
「今、この食料庫の周りを星骸の一味がぐるっと取り囲んでる。彼らは完璧な計画を立てて僕をここに送り込んだ。君たちの動きや連携を何日もかけて調べたって!だから君たちが少しでも変な動きをすれば僕は殺されてしまう!」
エリックはすすり泣きながら兵士長にすがりついた。
「兵士長、カガイの門を炎上させた爆弾の事は知ってる?僕のポケットにそれが入ってるの。あの時みたいな大規模な爆発は起きないけど、人間の身体をバラバラにするには十分な威力があるってっ!ううっ、、」
エリックは鼻をすすって涙を拭った。
「だから、お父様には当然伝えられないし援軍も呼べない。呼んだら僕は死んでしまう!星骸の要求を飲めば僕を解放しても良いって彼らは言ってる。食料庫を敵に取られるなんてあってはならないし、ここを守る君にこんな事を頼むのは酷だと分かってる。でも、」
エリックは声を震わせる。
「兵士長、どうか僕を助けて」
整った顔は悲壮感に溢れ、その金の瞳は恐怖で揺れる。兵士長は唇を噛み締めると力強く頷いた。
「エリック様、貴方を必ずお助け致します。まず、星骸が周りを取り囲んでいるというのは本当のお話ですか?」
「本当だよ、嘘なんて言わない。僕はあそこから歩いて来たけど、向こうにも、あっちにもいる。すごい数の人間が集まってるんだ」
エリックは暗い森を指さしながら言う。その言葉に兵士長は目を凝らしてそちらを見た。暗くてよく見えなかったが、わずかに何かが動いたような気がした。
「そうだ、コレを読めって言われてたんだ」
エリックは兵士長が他の考えを起こす前に口を開く。思い出したような口調でそう言うと胸ポケットから紙を取り出した。
「『一、食料庫を守る全員を一箇所に集める事。ニ、集めた全員の武器を一箇所に集める事。三、兵士全員を縄で縛り、行動不能状態にする事。四、全員が行動不能状態になったらこちらに合図を送る事。五、それらが達成されなかった場合の事をよく考える事』……兵士長、彼らは本気なんだ。この紙に従ってくれるよね?」
エリックの言葉に兵士長は唇を噛む。
食料庫を守る事が男の仕事だ、そう簡単にその職務を放棄は出来ない。
だが食料庫と自分が仕える家の次期当主の命、どちらが大切かは言うまでも無かった。
兵士長はすぐに部下たちを食料庫前に集めた。流石は訓練された兵士たちと言うべきか、驚くほど早く紙に書かれた指示は完了した。
兵士たちは誰一人として上官たる兵士長に疑問や文句の言葉を投げかけなかったのだ。
何の説明もされず、武器を投げ出せ互いを縛れと言われたのにも関わらずだ。
これこそが軍人の強みだった。
「エリック様、最後に私をこれで縛り、奴らに合図をお送り下さい」
兵士長はそう言って腕を差し出す。エリックは言われた通りに兵士長を縛ると、あらかじめ持っていた小さな光ラピスを力強く地面に叩きつけた。
光ラピスは地面にぶつかって割れる。その割れ目からピカッと鋭い光がこぼれた。暗い夜にその光は合図としてよく働いた。
それぞれの場所からその合図を確認した革命家たちは暗い森からぞろぞろと出て来る。
その数の予想以上の多さに兵士たちは息を飲んでいた。
「なんだこの人数は、星骸はここまで勢力を広げているのか?」
兵士長が絞り出すように言った時、エリックはそれと比べるとかなり呑気な声音で兵士長に尋ねる。
「食料庫の鍵は持ってる?」
「いいえ。私共は警護が仕事ですので、」
「無いのか、困ったね」
エリックが顎に手を添えると、チャックの声が耳元で響いた。
『大丈夫!俺、鍵開けは得意!』
その声と呼応するように食料庫の左側からこちらへ向かって来る団体の先頭の人物がぶんぶんと腕を振っていた。
百人近く集まった市民たちはチャックがあっという間に開けてしまった食料庫の前に集まる。
「事前に説明した通り役割分担してくれ、その方がずっと早い」
レイの言葉にラミアが口を開いた。
「ほらアンタたち聞いたでしょ!アタシらの班は中に入ってどんどん運ぶ班!行くよ!」
女の声に市民たちは雄叫びを上げて後に続く。その団結力にイーサンは驚いたように少しだけ笑った。
「ラミアとリリスが班長なことをよく思ってなかった市民たちがあんなにやる気満々なんてな〜」
「ラミィのお陰なんです」
片割れを見送ったリリスが言う。
「女の指示なんて聞けない、それも忌み子の女なんて、って言った男性に食ってかかったんですよあの子。うふふ、あんな剣幕で女に文句言われるのはきっと初めての経験だったんでしょうね。中流階級の女性たちは大人しくて聞き分けが良いですから」
そう言いながら楽しそうに笑う。
「でもラミィは違います。あの子ほどのじゃじゃ馬はいません。でもただのじゃじゃ馬で終わらないのがあの子の魅力なんですよ。現に人をまとめてる」
リリスは誇らしげにそう言うと、イーサンに小さく目配せして去って行った。
その様子を見てわずかに口角を上げたエリックにレイが近づく。
「エリック、ご苦労だったな。想定よりかなり早く作戦は進んでる。お前のお陰だ」
「兵士長が良い人で有能だったからこその早さだよ。僕の言葉を信じて、すぐに行動してくれた。隊をまとめる早さには脱帽したぐらいだったしね」
エリックは自分で縛り上げた兵士長を振り返った。兵士長は、エリックが反逆者たちと親しげに話す姿に言葉を失っている。
「ありがとう兵士長。そしてごめんね。さっき言った事は全部嘘なんだ」
「え、、エリック様?」
「僕は星骸に命を握られてもいないし、脅されてここに来た訳でもない。全部自分の意志なんだ」
兵士長を含め、全ての兵士たちがその言葉を聞いて絶句する。それもそうだろう。信じていた主君が裏切っており、自分たちを騙しただなんて受け入れられるはずがない。
「君たちもきっと新聞を読んでいるでしょう?新聞は嘘も書くし大げさだけど、カガイでの僕の記事はそのほとんどが本当の事だよ。僕は星骸の一員なんだ」
エリックは兵士たちの前で膝を折り、目線を合わせてそう言った。
「そんな、エリック様!」
「騙してごめんね。でも君たちは何も悪くないよ。僕の命令に従っただけ。僕の命を守ろうとしただけ。それがちゃんとお父様にも伝わるように手紙を書いてきたんだ」
エリックは懐から取り出した手紙を兵士長の足元に置く。
「お父様は厳しいけど賢明な方だから君たちがミスをして食料庫が敵の手に落ちた訳じゃ無いとこれを読んだら理解して下さるはず」
エリックはそう言うとためらうように目をふせた。そしてもう一度ゴソゴソと懐を探る。
「……これは、、いや、やっぱりいいや」
エリックは何か言いかけてやめるとスッと立ち上がる。考えるように手紙を一瞥するとそのまま去って行った。
市民たちは出来る限り集めた馬と荷車に、運び出した食料を次々と縛り付けた。
やる気に満ち溢れた志願市民の体力は凄まじく、想像していたよりもずっと早く作業は進んでいた。
「タイムリミットまでに全てを運び出すのは不可能かと思っていたが、希望が見えて来たな」
空になった荷車を引いて再び帰って来たロシュたちを見てレイが言う。
食料庫の中はみるみる内に無くなり、そのほとんどが運び出された後だった。
冷たい風が強くなってきた頃、交代の兵士たちが居る宿舎を一人で見張っていたサトシから交信が入る。
『交代の兵士たちが準備し始めてる。そろそろ引き上げる動きをした方が良いかも』
「そうか」
レイは短くそう言うと、周りを見回した。まだ食料庫の中身を運び切れておらず、二割ほど残っている。
だが無理をして全てが水の泡になってしまっては意味が無い。
レイは、エリックが兵士を騙した時にやったように光ラピスを地面に叩きつける。
眩しい光に百人近い人間が作業の手を止めて顔を上げた。
「合図だ」
「帰るぞー」
「でもまだ残って、」
「バカ、残ってても合図があったら帰るって説明されただろ」
市民たちは口々に言って来た道を戻り始めた。
続々と引き上げて行く仲間たちをレイは最後まで残って見守る。
吹き付ける風が男の体温を奪った。耳が千切れそうなほど冷たい。縛られた兵士たちはガタガタと震えていた。
そんな男たちから少し離れた所でエリックが落ち着かない様子で百面相していた。
「レイ、中にはもう誰もいないぜ」
食料庫から出てきたイーサンが言う。
「悪いな、確認してもらって」
「気にすんなよ。さ、二人とも帰るぞー」
イーサンとレイは歩き出す。しかしエリックは動かない。
「エリック?どうした?」
イーサンが声をかけるとエリックは意を決したように兵士たちの元へと駆け出した。
そして懐から先程とは別の手紙を取り出す。
「……これ、お母様への手紙。君は直接会えないかもしれないけど、どうか渡して欲しい」
エリックは兵士長の顔を見てそう言う。声はわずかに震えていた。その切羽詰まった表情に兵士長は思わず頷いてしまう。
「ありがとう」
エリックが紡いだ言葉は小さく、冷たい風に押し流されてしまう。
反逆者たちが去って行った後に残ったのは縛られた兵士たちと随分と寂しくなった食料庫だけだった。
夜明けが来る。この星が生まれてから何度目の夜明けだろうか、何度目の絶望だろうか。
そんな事は誰も知る由もない。知りたくても知れないのだ。
あの子の気持ちのように。
ヴァネッサはそんな事を思いながら暖かいベッドの上に寝転んだまま天蓋を見つめる。
「エリック、」
小さく呟くのは行方不明の息子の名前。
もう顔を見なくなって何日経ったか分からなかった。
「どこに居るんです、お願いよ戻って来て。母を悲しませないで」
蚊の鳴くような自分の声が鼓膜を打つ。
だが答えは帰って来ない。知りたくても知れない。
金色の瞳が涙で揺れる。そっと頬を伝ったそれは枕に小さな染みを作った。
7章完結です!ここまで読んで下さりありがとうございます!
ずっと小説を書いたり読んだりしてると時間の感覚が狂います。
トリップしたようにいつの間にか暗くなってるだけじゃなく、何日も経ったかのような感覚になります。
1日家に籠もってただけなのに1週間ぶりに外に出た気分に。
それが心地よくもあるんですが、「なぜココに居るんだろう」と現実に違和感を覚えてしまう瞬間があって、ちょっとドキッとして同時にゾッとすることも。
私が正気じゃないと物語を完成させられないので、気を引き締めないとと思います。
でも素晴らしい時間なんですよねー、没頭してる瞬間って。
8章は同じく土曜日の21:00公開です。またお会い出来ますように。




