解放の火 後編⑦
小山の上にある貴族の療養所。寒さに葉を落とした木々と悲しげに鳴く鳥の声を聞きながら、アレクサンドルは馬を進める。
踏み固められた道は轍の跡がうっすらと残っていた。
パカパカと蹄の音だけが響く静かな森。
アレクサンドルは今朝の会話を思い出していた。
「一人で行く?」
ステラは言いながら眉間に皺を寄せる。
「はい。今日は犯行予告当日、あの療養所が星骸の根城ならば必ず全員が出払う筈です」
大男ははっきりとした口調で言った。
「それは分かる、だがなぜ一人で?僕も、」
「恐れながら、中隊長である貴方様が今日持ち場を離れる事は不可能かと」
「それはっ、、でも一人じゃ危険だ。もし誰か残って居たらどうするんだ。小隊ぐらい連れて行くべきだ」
「人が大勢動けば勘付かれます」
「たかが十人程度じゃないか!」
ステラは頑ななアレクサンドルに向かって怒鳴る。
「それに、部下たちを巻き込めません」
「…」
若い男は歯噛みする。この年上の部下は一度言ったら聞かない。それにアレクサンドルの言っている事は正しかった。
「……仕方ない。君に任せる。ただし、何かあったらすぐに戻って来ることを約束してくれ。君が部下を思うように、僕も部下である君を思ってる。君の家族の元へ君を返すのも僕の仕事の内なんだからな」
アレクサンドルは中隊長の言葉に深く頭を下げると馬に乗って駆け出した。
アレクサンドルの意識は鋭く鳴いた鳥の声によって引き戻される。いつの間にか随分と進んで来ていた。もうすぐ療養所が見えて来る頃だろう。
大男は緩みかけていた警戒心を再び引き締めて馬を進めた。
人の手のほとんど入らない小さな山を登りきると美しく整えられた療養所が姿を現す。
シンとした静寂が療養所を覆う。厩には馬はおらず、馬車も無い。
以前偵察に来た時のような人の気配も一切無かった。
ーやはり留守かー
アレクサンドルは大きな馬から滑り降りると療養所の柵に手綱を結びつける。
「ここで見張っててくれ。出来るな?」
大男は馬にそう声を掛けた。馬は鼻を鳴らしたかと思うとくるりと体の向きを変えて、来た道を鋭く睨みつける。
「いい子だ」
アレクサンドルは馬の尻を軽く叩いて玄関へと歩いて行った。扉は想定していたよりずっと簡単に開いた。大男は素早く中に入るとざっと中に目を通す。
左に扉、正面に廊下、そして階段。
ーまずは一階からー
アレクサンドルは療養所の中に誰も居ないかを確かめながら慎重に歩みを進める。
開いた扉の先には大きなリビング。
男は見上げる程大きな窓を見て偵察の時に見えた部屋だと確信した。
楕円形のテーブルの周りには八脚の椅子。丁寧に仕舞われているものもあれば、明後日の方向を向いているものもあった。
テーブルの上には几帳面に置かれた紙の束。
アレクサンドルはそれを一旦見過ごすと、本当に誰も居ないかを確認しに歩みを進める。
食器が整然と並ぶキッチンに、ピアノだけがポツンと置かれた広すぎる部屋、階段を上った先にあったいくつかの部屋も、見た事が無い程広々としたバスルームも、屋上に置かれたベンチも全て確認したが誰も居なかった。
それどころか、二階の部屋にはほとんど何の痕跡も無かった。
まるで最初から誰も居なかったかのように何もない。階段に敷かれた重厚な絨毯の端にわずかに埃があるのみだった。
アレクサンドルは階段を降りると、再びリビングへと戻って来る。
目的はテーブルの上に置かれた紙の束。コツコツと自分の足音がやけに大きく響く。
大男は紙を手に取った。ぺらりとめくる。
紙に記されていたのは日付けとその隣に並ぶ誰かの名前。
その名前には見覚えがあった。心臓が早鐘を打つ。遂に証拠を見つけたかもしれなかった。
「これは、」
アレクサンドルは紙をめくる。どこかの建物の見取り図のようなものがいくつも出て来る。
「これは星骸が倒した貴族の名前、日付けは侵入した日、じゃあこの見取り図は…」
大男が小さく呟きながら思案していると、手元の束からスルリと一枚落ちる。チラリと視線を向けた。
「…やっぱり」
アレクサンドルは唇を舐める。そっと屈んで落ちた紙を拾った。そこに書かれていたのは、散々見たマーク。星骸のマークだった。
アレクサンドルは自身を落ち着かせるように深く息を吐くとその紙の束を懐にしまう。
足早に療養所を後にすると、縛った手綱を素早く解いた。
「見張りお疲れさん。急いで戻らなきゃならない。頼むぞ」
アレクサンドルは馬にそう声を掛けて慣れた動作で馬に飛び乗る。その時、遥か遠くで何かが爆発したような音が聞こえた。
馬は緊張したように耳を立て、体をこわばらせる。
「…何の音、まさか!」
大男は音の聞こえた方向を見た。
療養所がいくら小山の頂上にあるとはいえ、周りにはそれなりに木がある。視界を遮る木々の隙間から何とか見えたのはもうもうと立ち昇る黒煙。
距離の遠さと、空の雲と混ざり合った事で非常に見えづらかったが、何かが確かに燃えていた。
アレクサンドルは馬に拍車をかけようと足に力を込める。
だが、寸でのところで思いとどまった。
ーあれは確実に星骸の仕業、今すぐにでも向かった方が良い。それは分かってる。
だがここは星骸の拠点!だとしたら、顔も分からない、何人居るかも分からないような人間たちを闇雲に探しに行くよりもここに留まって奴らの帰りを待つのが確実じゃないか?ー
アレクサンドルは眉間に深く皺を刻んで考える。
ーだが一人で待ってどうなる、まずは部隊を連れて来るのが先か。いや、戻ればあの爆発の所へ行く事になる。それに頭の硬い上がこの緊急時に部隊の一部だとしてもここに人数を割いてくれるとは思えない。だったらどうする!ー
大男が最善の手を考えていると、背後から馬の蹄の音が聞こえた。
アレクサンドルは急いで馬首を巡らせる。
「誰だ!」
そこに居たのは黒い服を着た鋭い目付きの男だった。ピンと伸ばした背筋で馬に乗る姿は凛としており、男の人柄が垣間見えるようだ。
「俺の名はレイ、貴方は?」
男は平然と名乗る。隠す素振りも躊躇う素振りもひとつも見せなかった。
「レイ、レイ、まさか!エリック様を訪ねていた神父!」
アレクサンドルは何の躊躇もなく名乗った男に若干面食らいながらも、聞き覚えのある名前に目を見開いた。
その反応にレイは少しだけ意外そうな顔をすると小さく笑う。
「貴方は随分と優秀な人のようだ」
レイは言葉を続ける。
「だが動きが遅い。だから俺たちに逃げる隙を与えてしまった」
そう言って療養所を見上げた。
「中は資料以外何も無かっただろう?残念だが、ここで待っていても星骸は帰っては来ない」
レイの言葉にアレクサンドルは眉を寄せる。
ーコイツ、こっちの考えを読んでるー
「貴方の行動が遅いのは軍という組織のせいかな?」
レイはアレクサンドルの軍服を見て言った。
「軍の顔色を伺いながら一つひとつ手続きを踏んでいた。だから遅かった。違うか?」
アレクサンドルは何も言わない。目の前の男をどうやって捕まえようか考えていたのだ。
思案するように視線を巡らせる軍人の様子にレイは確信したような表情を浮かべる。
「俺を捕まえるか?だがそう上手くいくかな?お前が想像すらした事がない事がこれから起こる」
レイは冷静に言う。余裕すら見られた。
「捕まえてやるさ、まずはお前からだ。そしてふざけた事は全て辞めさせてやる。イチア地区の治安を子供たちが安心して暮らせるよう元の姿に戻す」
アレクサンドルはグッと手綱を握る。馬は合図を待つかのように足を踏み鳴らした。
「俺一人を捕まえて果たして元に戻るのか。貴方の動きは遅すぎる。気づいてしまった人間を元に戻す事など出来ない」
レイが言う。アレクサンドルが遂に馬に合図を送ろうとしたその時、ギャロップで駆けてくる蹄鉄の音が聞こえた。
「小隊長ー!!!」
アレクサンドルはその声に振り返る。猛スピードで向かって来る部下はそのまま大声で話し出した。
「カガイの門が燃えています!星骸の仕業です!それにエリック様がっ!!エリック様がカガイに姿を現されて、革命を宣言されました!!!それで、招集が来て、とにかく!人手が足りません!!」
部下の放った言葉の凄まじさにアレクサンドルは驚愕の表情を浮かべる。
「中隊長が、貴方はここに居るから連れて来いと!どこもかしこも収集がつかなくて!」
部下はアレクサンドルの程近くまで来ると少しだけ速度を落として馬首を巡らせた。
「説明は走りながら!中隊長の元までご案内致します!」
そう言って慌ただしく来た道を戻って行く。アレクサンドルは、部下のあまりの慌てっぷりに事態は想像以上に悪い事を悟った。
チラリとレイを見るとアレクサンドルも馬首を巡らせる。
「何を信じ、選び取るかは一人ひとりが選ぶ道だ。もちろん、貴方も。貴方は優秀な人間だ小隊長殿。仲間になる時はいつでも歓迎しよう」
アレクサンドルはその言葉を背に走り出す。冷たい風と馬の荒い息遣いの中、男の言葉がいつまでも脳内にこだましていた。
読んで下さりありがとうございます!
ついに巡り合ったレイとアレクサンドル。レイは相変わらず怖い男ですね。
そういえば最近気づいたというか知ったんですが、私は外面というか他人からレイのように見えてるみたいです。
中身は全然違うし身内にはそんな風に見えないと言われるんですが、外面はレイ笑
通りで小学校の担任に「冷静」と言われた訳だ笑
通りで友達にあだ名のひとつも付けられた事ない訳だ笑
だってレイはめっちゃ冷静だし、あの人にあだ名付けようなんて思わない笑笑
そんな気づきがあったここ最近でした。
次回も土曜日の21:00!お楽しみに。




