第38話・草枕・1
その冬十月、僕は天皇宝皇女の行幸にお供することになった。
宝皇女が建皇子ロスで鬱っぽくなってしまったらしく、気晴らしに紀国の『牟婁の湯』、二十一世紀で言うと和歌山県白浜の温泉にみんなで湯治に行くのだ。
行幸は数ヶ月に及ぶかもしれない。宝皇女が元気になるまでだから。まあ、僕と大臣とかはそんなに長居はしない予定だけれど。
そう。この時代、あり得ないと思うのは、天皇や政府高官が長い期間、京を留守にしても大丈夫だという点だ。もちろん京に留守居を残すし、官庁ではみんな普通に働いてるんだけど「いいのかよ」と思ってしまう。
ちなみに、今回の京の留守居の長は蘇我赤兄だ。石川麻呂や右大臣の蘇我連子の異母兄弟になる。
冤罪で処罰された石川麻呂への償いの意味もあるのか、蘇我氏を重用することが多くなった気がする。
「家族を連れて行ってもよいって。貴女も一緒に行かないか」
はっ! しまった!
ついうっかり鏡王女に声をかけてしまったが、葛城皇子が鏡王女と会って関係が再燃してしまっても困る。
「私は遠慮しておきますわ。牟婁は遠いでしょ。長旅は大変そうですもの」
「そうだな。ひとりで湯に浸かるとしよう」
ふう。助かった。
鏡王女が言うように、この時代の旅行は大変だ。
まず乗り物がない。
まだ馬車とか牛車がない時代だ。基本は徒歩。トホホ。それか馬。水路を舟で行くこともある。
飛鳥から難波まで馬なら半日程度で行けるけど、天皇の輿と一緒だと徒歩の速度だから丸一日、途中の行宮に泊まれば二日かかるような状態だ。天皇は輿に座って行くからいいが、輿を担ぐ者を含め供の人間は苦労する。
街道には宿屋も食堂も茶店もないから、乾飯などの食糧を持って行く。途中の村々に食糧や水を提供させたり、食事の提供を受けることもあるが、それは天皇たちだけで、荷物持ちの下男たちには何もないからだ。
寝る場所にも困る。
天皇や身分の高い人間は行宮で寝るけど、小規模な行宮では他の人間は野宿になる。そうすると簡単な寝具、といっても布だが、も必要になる。大荷物だ。
僕は屋根も敷物もある場所で寝られる身分だけど、みんなが庭で天幕を張って寝ていたり、布にくるまって寝袋状態で寝てるのを見てると、つらい仕事だよな、と思う。
難波なら一、二日だからだが、和歌山は全然遠い。
今回、まず難波で集合する。僕などは飛鳥から馬で難波に行き、天皇が徒歩か川を舟でくるのを待つ。その間に先発隊として、使用人たちが行宮の準備をする。
難波で長旅の支度を整え、難波津から舟で陸沿いに行く。舟だと早いし、荷物を積めるし、徒歩旅行より全然楽だ。
そうして、宝皇女、間人皇女、葛城皇子と大海人皇子とその妻たち、それから僕と右大臣などで、紀国の牟婁の湯へ出かけた。
牟婁の湯や有馬、道後温泉など皇族の御用達の温泉地は、ある程度の長期滞在できる行宮が整っている。行宮の食糧庫には先に運ばれていた米俵や塩漬け肉などの食糧もあるし、地元の人間も食糧を持ってくる。
牟婁の湯も、行宮を中心に小ぶりの建物が幾つもあってちょっとした集落のようになっている。僕が滞在するのはその中のひとつで、同じ建物の別室は右大臣が使う。
僕は、転生前も転生後も和歌山に行くのは初めてだ。
紀伊の山々が紅葉に染まっていてちょうど美しい季節だ。牟婁の湯は海のすぐ近くで、海に沈む夕陽がなんとも旅情を感じさせる。
「このような地にいると、政のことなど忘れてしまいますね」
夕食の支度が整うまで、右大臣の蘇我連子と一緒に湯に浸かった。
「ふー、やはり湯は気持ちがいいですね」
「私も久しぶりですよ、湯に浸かったのは」
この時代の風呂は、湯帳という薄い布のバスローブを着て入浴する。湯殿に浸かるというより半身浴や足湯が一般的なので、湯帳を着たまま入浴するのが普通なのだ。
二十一世紀では清潔感を売りにしていた僕からすると考えられないことだが、飛鳥時代の人は風呂に入らない。身分の高い人間などは時々こうして温泉に入れるが、通常は濡れた布で身体を拭いたり、井戸や川で水浴びをして済ませるのだ。
初めての夏、大の大人が川で水遊びをしているのに驚いたが、遊んでいるのではなくお風呂なのだと知った時の衝撃。
「昔、大君が湯治に行かれて何ヶ月も戻られないことがよくありましたが、今ならわかりますなあ。ここにいると、帰りたくなくなります」
蘇我連子は石川麻呂と雰囲気が似てる温和な人物だ。
「陛下でなくとも、冬場はずっとここで過ごしたいですね」
「このような湯が京の近くにもあればいいのですがなあ」
「吉野の奥のほうにも湯があるらしいけれど、何しろ行くまでが大変ですからね。仕事の帰りにふらっと入れる湯がほしいですね、はは」
「陛下に上奏して作ってもらいましょうか」
普通に毎日お風呂に入れる二十一世紀を思い出す。懐かしいな、温かいお風呂。風呂上がりのアイス。
「風呂上がりの井戸水、うめー、ゴクゴク」
温泉横の板の間で涼んでいると、葛城皇子が来た。
「もう湯に浸かったのか」
「ええ、気持ちようございました」
「ひとりでか? 」
「いえ、右大臣と」
「右大臣と? 右大臣と湯に入って楽しいか? 」
「誰と入っても湯は気持ちいいものですよ。何なら今度、皇子もご一緒に」
「……」
いや、そこ、頬を染めるとこじゃないから。
「明日は狩りでもするか。しばらくは帰らなくてよいのだろう、鎌足」
「さあ、どうでしょう、皇太子がお許しくださるかどうか」
「あはは、許す」
葛城皇子は笑った。
滞在中、天皇たちと、僕と右大臣の食事は別々である。
天皇皇子皇女たちがどんな感じで食事を摂っているのか知らないけれど、僕と右大臣はふたりで、旅先ということでわりと簡素なメニューだ。時折、葛城皇子がBBQを催したり、僕らと一緒に食べることもあるが、その時はちょっといい食事が出る。
僕らは狩りをしたり、釣りをしたり、温泉に入ったり、野山を散策したり、休暇を満喫した。和歌山は飛鳥より暖かいし、新鮮な海の幸がいつでも食べられるし、最高だ。
しかし僕だって、毎日遊んでるわけじゃない。
宝皇女や皇子皇女たちが歌会をして遊んでる間、僕と右大臣は仕事をすることもあった。
右大臣とみかんを食べながら、来年の任官について話し合ったりもする。
「右大臣は東北をどのように治めたら良いと思われます? もぎゅもぎゅ」
「そうですねえ、派遣する人数をもっと増やしたほうがいいですかねえ、もぎゅもぎゅ」
仕事といっても大したことはできないから、形だけだ。ずっと遊んでるわけじゃなくて仕事もしてますよアピール。
「人をよく吟味しないと、あちらの豪族と結託して反乱を起こすハメになりますからねえ、もぎゅもぎゅ」
「ええ、身内を人質に取っておく手もありますねえ、もぎゅもぎゅ」
二十一世紀のみかんより酸っぱいけど、みかん食べ放題は嬉しい。
ある日の午後、僕が温泉に入ろうとしたら、湯帳を着た葛城皇子がそっと湯殿に手を入れて湯加減を見ている。
これは知ってる。昔ネットで見たことがある。「押すなよ、絶対押すなよ」ってヤツ。
僕はそっと近付いてドンっと皇子の背を押した。
「うわ」
皇子が綺麗に湯に落ちた。
「何をする。あ、鎌足」
「あはは」
立ちあがろうとする皇子に、僕は笑いながらお約束通り手を差し伸べた。
グイッ。
皇子が僕の手を引っ張り、僕を湯に落とす。
「うわああ」
「ははは」
「やめてくださいよ、皇子、子供みたいに」
バシャバシャ。
「そなたが先にやったのだ、ははは」
バシャバシャ。
おっさん二人が、何やってんだか。
「ふう……」
「……」
「……」
何なの、この雰囲気……。
「皇太子、こちらにおられましたか」
舎人の声がした。
「何用だ。せっかく湯を楽しんでおるのに」
「今宵の食事は猪肉と鶉肉とどちらになされますかと、」
「どうでもよいわ、そんなこと」
葛城皇子は苦笑して答えた。
夕食の前、廊下で右大臣がこそっと僕に言った。
「いやあ、内臣、すごい度胸ですな」
「はい? 」
「さっきのアレ、見てましたよ。皇太子を湯に落とした、アレ、私がやったらその場で首が飛びますよ」
「ああ、いやまあ、皇子とは長い付き合いなもので、機嫌のいい時はなんとなくわかるのですよ。今日は大丈夫、とか」
「はあ、そういうものですか」
そんなふうにのんびり過ごして二十日目の昼前、飛鳥京から早馬が来た。




