第39話・草枕・2
「なんだ、こんな旅先に」
馬から飛び降りた遣いは、荒れる息を整えもせずに何やら書状を出した。
「皇太子に直接手渡すようにと」
葛城皇子は一瞥すると、遣いを自分の部屋へ通し、人払いをした。
僕と右大臣は顔を見合わせた。
「早馬とは、一体なんでしょう」
「京で何かあったのでしょうか」
やがて、出てきた葛城皇子は自分の舎人たちをその遣いと共に旅立たせた。
眉間に皺を寄せている皇子に、僕は声をかけた。
「何があったのです? 」
「謀反だと。有間皇子の。こちらへ護送していると言うから、我が飛鳥で裁きを行なうから引き返せと言った」
「有間皇子が謀反? 」
そんな、ばかな。
「留守居の蘇我赤兄からの報告だ。我らが京を離れている隙に兵を上げ、京を占拠するつもりだったそうだ。阿波の水軍を出して海路を塞ぎ、牟婁津を封鎖して、我らを紀国に閉じ込め滅ぼす作戦だったのだ。赤兄が知らせたおかげで未然に防げた。まさかそのような大それたことを考えるとはな」
信じられない。本当にそのようなクーデターを企んでいたのか? また、讒言ではないだろうか。
「で、いつ裁きを、誰が行なうのです」
「急がなくとも良いだろう。我が京に戻ってから裁くから、それまで牢に入れておけと言った」
「私も立ち合わせてくださいませんか」
「……よいぞ。一緒に申し開きを聞こう」
それから六日後、僕と葛城皇子と右大臣は、天皇と皇女たちを牟婁の湯へ残して帰京した。
僕は一刻でも早く帰りたかったのだが、葛城皇子の許可が出なかった。
帰るまでの間中ずっと、有間皇子のことが頭の片隅にあって温泉旅行を楽しめなかった。
どうして有間皇子はクーデターなんて考えたのだろう。皇子ひとりの考えとは思えない。
僕らが飛鳥に戻ってみると、既に有間皇子の刑は執行されていた。有間皇子は護送途中の藤白坂という場所で、皇子は絞首刑に、舎人二人は斬首刑に処されたと知った。
「皇子の舎人を処刑しろとは言ったがな、どうやら手違いがあったようだ」
葛城皇子は僕に言い訳した。
僕が甘かった。
古人大兄の時を思い出せば、このようなことになるのは予測できたことだ。
「そうだ、これをそなたにやろう」
皇子は木簡を差し出した。
歌が書いてあった。
「有間皇子が護送中に詠んだ歌だそうだ」
「家にあれば 笥に盛る飯を草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る」
(家にいたならご飯を食器に盛るのに、旅の途中では椎の葉に盛って不便なものだ)という意味だ。
皇子の身分であるのに、今は罪人として繋がれ不便な旅を強いられている、と言いたいのだろうか。
僕は、ずっと前に軽皇子が聞かせてくれた上宮太子の歌を思い出した。
「家ならば 妹が手まかむ草枕 旅に臥やせる この旅人あはれ」
(家にいたなら妻が手枕をしてくれるだろうに、道端で亡くなってしまったこの旅人はかわいそうなことだ)
軽皇子は「この歌のように、旅をすると行き倒れになるから旅は嫌いだ」と言っていた。
その時は、天皇陛下が旅先で行き倒れになることはない、とみんなで笑ったのだが、息子の有間皇子が、行き倒れではないにしても、まさか旅先でこのような死に方をしようとは、誰が予見しただろうか。
なぜ、有間皇子は謀反を企てたのだろう。
気狂いのふりをしてあちこちの湯治場を巡っていたのは、計画の下調べだったらしい。いつの間にか阿波の舟民も引き入れていたようだ。
それほどの計画は、有間皇子ひとりではできまい。
僕は蘇我赤兄を呼んだ。
「そなたが有間皇子を唆したのか」
「唆したなど、人聞きの悪い。全て有間皇子がご自身でお考えになられたことです。私どもは、近頃の政治に対する人民の不満の声を皇子にお聞かせしただけです」
「どのようなことを言ったのだ」
「皇子は、巷には今の世に対する人民の不満が溢れていると聞いたがどのようなことか、と私に問われました」
「私は、どう申し上げてよろしいのか迷いましたが、皇子の今後の勉強のために、正直な話をお聞かせしたほうが良いと思ったのです」
「陛下は民から集めた財産をご自分たちの物にして蓄えていると人民が噂しています、また、無駄に水路や石垣をを作り、土木工事に人民は疲弊しています、と、申し上げました」
「皇子は、それは真のことか、と大変驚いていらっしゃいました」
「私は、皇子から伯母上の陛下にお諌めいただけないかと思って申し上げたのです。けれど、皇子は、民を苦しめる世ならば滅ぼそう、とご決意なさったようでした。皇子は今の世を覆し、民を救うためにご自身が立つと仰言いました」
「その後、舎人と相談なさりながら計画を練られていたようです。先月、計画を相談された私は、内臣のお力をお借りしましょう、そうしたら乙巳の時のようにうまくいくでしょう、と申し上げたのです」
「でも、皇子は拒んだのです。父君を見捨てた内臣を我は信じていない、内臣を頼りたくない、と」
そこまで僕は有間皇子に疎んじられていたのか。
「私はそのお言葉を聞いて、皇子の計画は成り難いと思いました。内臣がお味方になってくれれば心強かったのですが。他の者も、てっきり内臣がお味方であられると思っていたようで、違うとわかったら及び腰になり」
「もう少し皇子が年長になられてからのほうがよろしいのではないかと進言する者も現れました。でも、皇子が事を起こそうと考える気持ちは変わらなかったのです」
「手始めに、陛下たちが牟婁の湯へ行って留守中に飛鳥京の宮を焼きはらう、とおっしゃったのです」
「それで私は恐ろしくなり、腕っぷしの強い下人たちを連れて、有間皇子の御身を拘束した次第です。未然に防いでおれば、まだ有間皇子の罪も軽くて済むと思ったのですが」
「ですが皇太子はお許しになりませんでした」
やはり、葛城皇子が処刑させたのか。そんな気はしていたけれど。
赤兄が言う言葉が全て正しいかはわからない。
赤兄が唆し、有間皇子の謀反を密告し手柄を立てるつもりだったのか、それとも、葛城皇子が赤兄を使って有間皇子を陥れたのか、本当に有間皇子本人が積極的に考えていたのか、有間皇子がいない今となっては確かめる術もない。
ただ、僕は有間皇子を守ることができなかった。それだけだ。




