第36話・石の京
そんな感じで、僕は鏡王女と結婚し一緒に住むことになった。
この時代は夫婦が別居している「妻問婚」が多いけれど、皇族や貴族の場合は正妻とは一緒に住むケースが多い。僕は寂しがり屋だから家族と一緒に住みたい派だ。
それに「妻問婚」だと前もって文を送って「いついつ行く」って知らせなきゃならないし、別居してると食糧や衣類などを定期的に送らなきゃならないし、不経済だと思うし。要は離れて住むと面倒臭いのだ。
僕は、難波に単身赴任してる頃からずっと、食事は軽皇子か葛城皇子とすることが多かったし、家族揃っての食事は年に数回しかなかった。
軽皇子がいない今でも、三、四日に一度は葛城皇子からの誘いがある。葛城皇子が女性のところへ行かない夜は、ほとんど僕が呼ばれると思っていい。それは僕が再婚しても変わらない。
鏡王女やトヨと食べる時は昼のうちに伝えておく。この時代は「夕食を一緒に食べる」と「夜の営み」はセットになってるからな。
この時代の人はみんな、毎日お風呂に入らないし髪も洗わないし何日も同じ服着るから、ちゃんと前もって言っておかないと支度ができないのだ。
二十一世紀だったら突然そういうことになってもすぐシャワー浴びることもできるし、普段から綺麗な下着つけてたりするけど、この時代は違うから。
ちなみに、トヨとはもう熟年夫婦みたいな雰囲気になってるし「夜の営み」無しで許されるのだが、さすがに新婚の鏡王女にはそれはできない。
いつか「夜の営み」抜きで家族揃って食事できるように法律を変えたいものだ。
その後、結局、小墾田に宮を新築する話は無くなった。材料の木材が揃えられなかったからだ。
小墾田宮を中心に京を作る構想は諦めざるを得なかった葛城皇子だったが、皇子の京作りの熱は冷めなかった。
僕がいつものように葛城皇子に呼ばれて宮を訪ねると、皇子は楽しそうに巻物を広げて見せた。
「これを見よ、鎌足」
よくわからない道具の設計図のようだ。
「百済の使者から献上されたものだ。ここから水を落とし、時を測る。正確な時が測れるのだぞ」
「というと、水時、いえ、漏刻ですか」
「よく知っておるな、鎌足」
「ええ、まあ」
「作ったことはあるか? 」
「いえ、ないです」
「我はこのような物を作りたい。さすれば皆の仕事の管理もやりやすくなろう」
そういえば六月十日が時の記念日なのって、天智天皇が初めて水時計「漏刻」を作ったからだって聞いたことがある。
「それから、これも見よ」
「はい」
「百済の職人が作った城壁の設計図だそうだ。このように見張り台と城門がある。良からぬ人間は入れないのだ」
「ほほお」
葛城皇子は次々と図面を出してくる。
「こっちは豊璋王子が描いた百済の山城の絵だ」
豊璋王子。久しぶりに名前を聞いたが、まだ親しくしていたのか。
「知っているか。百済には山城があるのだ。このように山の頂上に宮殿を作り、尾根に石垣を築いて囲む。すごいだろう」
「万里の長城にも似ていますね」
「そうだ、そなたはさすが物知りだな。このあたりだったらそうだな……田身の嶺なんかどうであろう。それとも」
「楽しそうですね」
「楽しいさ。今、大陸では石だ。地に石を敷き詰め、宮殿を石垣で囲う。石ならば木のように腐らないし、頑丈だ。我はこれから、飛鳥京をこんな風に改造するのだ」
「またまた大変なことを」
「大丈夫だ。作業をするのは我ではないからな」
こいつ……。
「ははは、そのような顔をするな。ちゃんと我だって考えておるわ。さすがに人力で石を運ぶわけには行かなかろう。水路を作って舟で運ぶようにするのだ。だからまず水路が先だな」
「京を整えるのは結構ですが、皇子、もう少し人民のことをお考えください。このところ遷都やら何やらで人民の負担が増えています。宮の修復工事に加え、水路や石垣を使った建築は木材よりもさらにきつい仕事、このままでは人民の不満が爆発しますよ。先日も、建設中の宮が放火される事件も起こったばかりでしょう」
「人民の不満か。大いに結構」
「唐が隋を滅ぼした時のように、皇太子である時代に律法制度や宮殿を作らせ、人民の不満を先帝に担わせて、ご自分は良いところだけを引き継ぐおつもりで? 」
「そなたにだけは隠せないな」
「そのようなことをしたら、人民がいずれ」
「人民が反乱を起こすか? ふふん、面白い。不満があるのなら、我を殺めればいい」
「誰もそのようなことはできません。ご存じでしょう。やる時は、慎重に且つ大胆に、準備万端にしなければ成功しないということ。その後のことも、混乱を収めるのに誰を立てるかも考えなくてはなりませんからね。誰がそんなことができるというのです」
「そうだな。そなたしかできないな」
「私はやりませんよ。もうそんな野心はありませんから。あの時は……」
「あの時は貴方様を天皇にしたい一心で参謀役を務めました。今はもう、私が何もしなくとも皇太子に敵はいません。私は貴方様が平に世を治めるのを見たいだけです」
僕は嘘をついた。葛城皇子を天皇にしたかったわけじゃない。
今も、有間皇子を皇位につけたいと思っている。
葛城皇子が無茶をやって人民に嫌われるのは大いに結構なのだ。
が、だからといって反乱が起きたり、世の中が乱れるのは本意ではない。天皇制そのものの危機になるかもしれないもの。
ただ、このまま無事に有間皇子を天皇にできればそれでいい。
そうしているうちに、鏡王女も徐々に僕との暮らしに慣れていった。
本人も「住む家が違うだけで生活はさほど変わらない」と言っていたように、昼間は勉強したり、実家や友人宅を訪問したり、マイペースで暮らしている。
再婚同士だし、自立した大人の夫婦って感じで、僕的にも楽だ。
もちろん、適度にコミュニケーションは取っている。若爺にもトヨにも「跡取りを早よ」と言われてるし。
やがて正月が近付いた。
僕はふと、殿様との正月を思い出した。
「子供の頃、僕の家では」
僕は、初めて中臣家で正月を迎える鏡王女に説明した。
「正月にみんなそれぞれ歌を作るんだ。元日の夕べ、子供たちとみんなで食事をして、その時に僕は歌の題を出して、それぞれが歌を作る。それで二日の午後に発表会をするんだ。父上が亡くなってからずっとやっていなかったけれど、今年はやってみようと思う」
「まあ、面白そう。私もやりたいわ」
「貴女は歌が得意だからね。僕なんか、大の苦手だから」
「知っておりますわ。前にいただいたお歌」
「忘れてください。では貴女には子供たちの歌の批評などお願いしようかな」
「そうですわ、私がお題を出して、貴方様も子供たちと一緒に歌を作るの、いかがかしら」
「えええ〜」
「苦手、苦手、と逃げていてはいけませんわ。皆で一緒に学びましょう」
この人、サドっ気があるのかもしれない。
元日の午後、僕が宮殿の朝賀から帰った頃、トヨと娘二人が挨拶に訪れる。
夕食にはみんなで中臣家のお雑煮を食べた。
鴨肉と青菜の汁に焼いたお餅を入れ少し煮る。
「まあ、このようなお餅の食べ方があるなんて」
鏡王女が驚いていた。
「私も初めていただいた時は驚きました。今ではこれを食べないとお正月という気がしません」
「はは、僕もだ」
正月料理を食べながら、僕が子供らに宣言する。
「今年から、昔ながらの中臣家のお正月を復活させようと思う。僕が歌の歌の題を出すので、皆それぞれに明日の午後までに題に沿った歌を作ってもらう」
若爺とトヨが懐かしい目をする。
「明日の夕食前に発表会をするので、皆、頑張るように」
「はいっ」
「では、歌が苦手なとと様に代わり、キミ様が皆にお題を出します」
と、鏡王女に振る。
「コホン、では、歌のお題を発表いたします。今年のお題は、春、にします」
「キミ様、春という言葉を入れるのですか」
「いいえ、入れなくても春を感じさせる歌ならば良いのですよ」
「難しそう」
「今年は殿もご一緒に作られますからね」
「はーい」
「はーい」
娘たちもすっかり鏡王女に慣れた。
「あ、そうだ、トヨも作ってみないか」
「私などは文字も満足に書けませんし、一度も歌を作ったことがありませんから」
「殿はご自分だけが恥をおかきになるのがいやだから、初心者のトヨ様を巻き込もうとしているのですね」
「いや、まさか、僕がそのような卑怯者に見えるかね」
「くすくす」
娘たちに笑われた。
「殿のことはお気になさらず、トヨ様は私とご一緒に子供たちの歌を楽しみましょう」
「ええ」
絶対サドだ、この人。




