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第35話・僕の再婚

 飛鳥暮らしが落ち着いてきた夏の終わり頃、葛城皇子は僕を呼び出して唐突に言った。


「そなた、正妻がいないな」

「正妻の安媛が没してからはそのままでございます。子もいるし、もうよいかと」

「正妻を娶れ」

「は? 」

「内臣ともあろう人間が、正妻がいないとはよくない。そなたの正妻にちょうど良い娘がいる。どうだ? 美しい女だぞ。だが我は事情があって妃にできない。そなたの正妻によいと思ってな、そなたに譲ろうと思う」

 譲るとは? 


「嫌なら断っても構わぬ」

「…………わかりました。そのお話、ありがたくお受けいたします」


 譲るって、何だよ? 

 だいたい皇太子からの直々の話を断れるわけがないだろうが。

 軽皇子といい、この人といい、僕の結婚を、女性の人生を、全く何だと思っているんだ。二十一世紀だったら絶対パワハラ、セクハラだぞ。



 この時代、身分が高い家は前もって両家の話し合いで結婚が決まる。結婚が決まると男性は女性の家に贈り物をし、二十一世紀で言う結納みたいなものらしいのだが、それを受け取って結婚成立、みたいな。

 僕も葛城皇子に言われ、彼女の家に反物を贈らさせられた。


 贈り物をして程ない夜、僕は葛城皇子に、鏡王女かがみのおおきみの宮へ連れていかれた。

 夕方、早めの夕食を取ってから葛城皇子の宮へ行き、一緒に出かける。


 鏡王女は皇族で、葛城皇子の元妻らしい。子供はない。

 僕より十歳くらい若いし、僕のような身分の男が皇族の女性を妻にするなんて、本来ならあり得ない。

 鏡王女の父親は既に他界し、母親と暮らしている。人手が足りないのか、手入れが行き届いていない宮の庭には野菜なのか雑草なのかわからない草木が生い茂っている。没落貴族という言葉が似合う屋敷だ。



 葛城皇子と僕は奥の間に通され、そこには正面に鏡王女の母親と思しき女性、その下に男性が座っている。

 あれ? 父親はいないと聞いたのだけど。


栗隈王くりくまのおおきみもいらしていたんですか、ご機嫌麗しゅう」

 葛城皇子が挨拶をする。

 知り合い? 


嶋皇祖母しまのすめみおやから頼まれ、見届けに参りました」

「それは、ご足労おかけし誠に恐縮です。この者が内臣、中臣連鎌足です。よろしく頼みます」

「中臣連鎌足です、末長いお付き合いをよろしくお願いいたします」

 ふええ〜。緊張する。


 酒肴の膳が出される。

 といっても、お茶代わりだ。

「中臣連の亡きお父上は確か神祇伯でしたな」

 栗隈王がひと口、酒を飲んで言う。


「はい。私のような身分の人間に、このようなお話をいただき身に余る光栄にございます」

「いやいや、そなたは内臣、立派な身分ですぞ」

「滅相もない」

「で、この先、神祇の仕事はどうなさるので? 」

「はい、私の叔父、中臣連国子の家で継いでいくことになります。私はまつりごとに専念するつもりです」

 ヒー、お見合い面接かよー。


「では鎌足連はもう神祇のお仕事には戻られないと」

「はい。政と神祇、どちらも疎かになってしまう恐れがありますので。もちろん、個人として神祇を祀る気持ちを続けていきます」

「そう。鎌足連の跡取りはもう決められているのですか? 」

「私には後を継ぐ男子がおりません。いずれ娘に婿を取ろうと思っております」

「ところで、鏡王女は正妻の扱いでよろしいのでしたかな」

「もちろんです」

「では、鏡王女が男子を成したら? 」

「ええ、その男子を跡取りとします」

 栗隈王が鏡王女の母親と目を合わせ頷く。


「当方の希望、鏡王女が中臣連の屋敷に住む、というのは受け入れられましたか」

「ええ、先達てのお話通り」

 葛城皇子が僕の代理人みたいになってるし。


「よかったな、鎌足」

「はい」

「では来月、十五日に婚姻披露ということでよろしいですな」

 え? 何それ? 聞いてないんだけど。


「よろしいな、鎌足」

 だから、何それ? 


「来月十五日だ、鎌足」

「はいっ、よろしくお願いいたします」

 なんなんだよおおお! 


 そのタイミングで、部屋の外から侍女の声がかけられた。

「支度が整いました」


 僕は別の部屋に案内される。

 部屋を出た僕の背後で声が聞こえた。


「ところで葛城皇子、そなたの後継の話は……」


 栗隈王、何者なのか知らないけど、あの葛城皇子と対等に話してるあたりが怖いよー。


 いや、今は他人のことより僕だ。この縁側の先に試練が待ってる。


 僕は侍女に案内されて縁側の廊下を部屋へ渡った。

 デジャヴ。童貞喪失を思い出す。


 薄暗い部屋にはベッドのような台に敷物が敷かれ、若い鏡王女が座っていた。

 部屋に入ると僕は挨拶をする。


「中臣連鎌足です、末長いお付き合いをよろしくお願いいたします」

「皇太子のご命令なのでしょ? よろしいのかしら」

 思っていた以上に美しい女性だ。まあ、美し物好きの葛城皇子の元妻だから当然だが。


「貴女様こそ、本当によろしいのでしょうか。私のような者の妻になっても」

「嫌だと言ったらどうなるのかしら」

「それは……困りましたな」

 ……僕を困らせて楽しむ葛城皇子と同じ人種かよ。


「では、私は帰りましょうか。拒む女性を強引に妻にするのは好きでない」

「あら、皇太子はどんな女性も力ずくで手に入れますわよ」

「それは……、皇太子だからできることで、私がそのようなことをしたら、世の中の全女性を敵に回します」

「まあ、ホホホ」

 やっと鏡王女が笑った。


「冗談ですのよ。ちょっとからかってみたくなっただけ」

 彼女はそう言って、僕の首に手を回した。

 ああ、若い女性に翻弄される悲しい中年がここにいる。


 そうしてまた僕の試練。

 しかし、安媛やトヨとの経験から、どうしたらうまくいくかそれなりに技を得てきた。

 僕は女嫌いなのではない。女性を恋愛対象として見られないだけだ。友達としてなら付き合える。女性の美醜や人間としての魅力もわかると思っている。

 鏡王女は美しいし、葛城皇子が惹かれたのはわかる。皇子は十代の頃から采女に手を出し、何人もの女性を妻にしている。きっと美しい女性がいると我慢できないタチなのだ。

 床の最中に、葛城皇子の顔が浮かんだ。僕を気分で挑発するわがままな猫のような目。皇子……。


「うっ……」

 はあはあ。


 ……あああ、いかんいかん、なんということをしたんだ、僕は。皇子を思い浮かべてイクなんて。ああ、押し寄せる自己嫌悪感……。



 翌朝、目を覚ますとすっかり辺りは明るくなっていた。

「しまった。つい、寝入ってしまった」


 横に鏡王女はいない。慌てて飛び起きると、侍女が声をかけてきた。

「食事を召し上がってからお帰りになりますか」

「いえ、帰ります」

 ヒー、ありえない。

 やってしまった。女性の家を訪れた場合、朝まだ薄暗い時間に帰るのが常識なのだ。


「姫様が、こちらを」

 マッハで服を着ていると、侍女から結び文を手渡され、僕は懐にしまってそそくさと立ち去った。


「家に帰る時間がないから、仕事へ直行! 」

 仕事服より上等な服だけど、誰もわからないから平気。



 官庁へ行くと早速、葛城皇子から呼び出された。

 まあ、あるだろうと思っていたが。


 皇子の宮へ行く前にこっそりもらった文を確かめる。歌が書いてあった。

「冷たそうに見えても恋歌とか、ツンデレか、ふふ」


「…………」


 意訳すると「まあ結婚するんだからいいんだけど、夜が明け切ってから帰られるとご近所の評判になるし、私が好色女だと思われるのよね。ちょっとは気を遣ってちょうだい」だ。

 うわあああん。すみませんっ。二十代の頃と違って、ぐっすり眠らないと回復しないんですう。



 どよ〜んと落ち込みながら葛城皇子の宮に行くと、昨夜と同じ服を着ている僕を見て、皇子はニヤニヤした。


「どうだった? 鏡王女は」

「ええ、私には勿体無いほど魅力的な女性です」

「どうした、寝不足か? 」

「いえ、逆です。ぐっすり眠ってしまって……」

 僕は肩を落としてもらった文を見せた。


「ははは。彼女らしいな。そういう女なのだ。アレは」

 他人事だと思って楽しそうに笑う。


「まあ、これはそなたをからかって楽しんでおるのだ。気にするな。ははは」

「はあ、そんなもんですか……」

「で、どういうところがよかった? 」

 それを聞くか? 変態。


「皇子はまだ彼女のことを愛しておられるのですか」

「愛してる? 我は母上の言いつけで結婚したのだぞ。そなただって同じことだろう」


 一夫多妻制のこの時代、ある程度以上の高い身分の人間は正妻とは政略結婚で、恋愛関係の女性は妾にするのが常識だが、第二夫人、第三夫人なども政略結婚のことも少なくない。


「ええ、失礼いたしました」

「子ができなかったから関係を解消する。それだけのことだ。ま、良くしてやってくれ」

「で、来月の十五日って、なんですか」

「そなたの婚姻の宴だろう。皇族の娘を正妻にするのだから、きちんとしないと」

「ええ、それはわかりましたが、葛城皇子は招待しませんが、いいですね? 」

「うん? 行ってもよいぞ」

「来ないでください。皇太子が来られるとなると、他の者が緊張します」

「ふうん」

 ニヤニヤしてる。サプライズで来る気満々だろ、これ。


「絶対ぜったい来ないでください。もし来たら絶交しますよ。この先一生、皇子とは口をききません」

「厳しいな、ははは。仕方ない、そこまで言うなら」


 ふう、しかし皇族ってわからない。早速、セレブ社会の洗礼を受けた気分だ。本当に結婚しても大丈夫なの、僕? 絶対尻に敷かれるよね? 



 翌十五日、鏡王女を僕の正妻することを世間に公表する、結婚披露宴のような宴を催した。

 披露宴の朝、僕は部屋にトヨと娘たち、それから若爺と小間使いを集め、鏡王女を紹介した。

 午後は仕事関係の人を集めての宴だ。


 ちなみに、この時代では結婚式というものはない。一般的には親族に報告するだけだ。

 皇族や貴族など身分の高い人間は、正妻との結婚の際に宴を催し、皆に知らせることが多いが、特に決まり事はない。三々九度もない。だからいっそ「日本で初めて三々九度をしたのは藤原鎌足」という歴史を作ってしまおうかとも思ったが、そんないたずらをするほど若くないのでやめておいた。


 葛城皇子は、当日、代理の人間に祝いの言葉と品を届けさせた。僕ら夫婦にだけでなく、出席した客全員分のお土産も用意されていた。

 一体、誰の結婚なんだよ。僕の結婚は皇子の手の平の上で行われてるような気がする。

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