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第28話・僕の猫

 僕がこの世界に転生してきてからずっと、親戚のおじさんのような優しさで石川麻呂は接してくれていた。殺されたなど信じられない。


 夕方近く、僕が難波の屋敷に到着すると、留守居が言った。

「佐伯子麻呂様が、殿様が戻られたらお会いしたいとのことです」

 なるほど、子麻呂も話したいことがあるのだな。僕も聞きたいが、天皇のほうが先だ。


 僕は着替えをしてひと息入れると、天皇の宮へ行った。


「おお、鎌子、よく帰ってきた。そちがいなくて寂しかったぞ。もうそのまま飛鳥から戻ってこないのかと思った」

 軽皇子は身体全体で喜びを表してきた。僕がいなくて本当に不安だったのだろう。

「そのような。私は隠居するにはまだまだ早うございます。もうしばらく陛下にお仕えさせてくださいませ」

 僕はそう言って大袈裟に笑顔を作った。軽皇子は安心した顔をして笑った。


「しかし、いったい何が起こったのですか」

「我にもよくわからぬ。そちが飛鳥に帰ったその日、皇太子から遣いが来て、右大臣が皇太子に対して謀反の計画を立てていると発覚した、兵を向かわせ捕縛する許可を出してほしい、と言われたのじゃ」

「右大臣が謀反など、我には考えられぬ。それなら話を聞きたいから兵に右大臣を連れて参るように、と言ったのじゃ」

「ええ」

「じゃが、次に報告が来たのは、右大臣は逃亡し、嫡男と共に飛鳥の山田寺に籠ったので、討伐隊を向かわせた、という後じゃった。我はなにがなんだかわからぬままにいると、そのうちに、右大臣とその家族は自害し果てたとかで、その首が京に届けられたのじゃ」

「首はご覧になられたので? 」

「いや、見ますかと問われたが、恐ろしくて断った。そうしたら皇太子が、謀反者の首として淀川の大橋に晒させたらしい」

「なんですって! なんと、酷いことを」

「ああ、恐ろしい」

「右大臣の謀反の証拠はあるのですか」

「それがな、結局、謀反などなかった、讒言だったのじゃ。それで剥奪した右大臣の地位と冠位を戻し、財産も戻した。それで終わりじゃ」

「え、讒言……」

「で、今日は宿直していくのであろう? 鎌足」


 知りたいことは山ほどあるが、まずは軽皇子の不安を取り除いてあげるのがいいだろう。僕はその夜、いつもより豪華と思われる食事を振る舞われ、そのまま宮に泊まった。



 翌朝、宮を退出した僕は、僕は今回のことで世話になった旻法師にお礼を言いに、安曇寺を訪ねた。


「この度は、ご配慮ありがとうございました」

「いえ、拙僧など何も。右大臣のお力になれなかったことが悔やまれます」

「それは私も。陛下に事件のことを伺ったのですが、晒し首の話は本当なのでしょうか」

「……ええ。驚きました。そこまでやる必要があるのかと思いましたが……、異議を申し立てられなかった自分を不甲斐なく思います」

「仕方がありません。その状況で皇太子に物言える人間がおりましょうか。私がその場にいても何もできなかったでしょう」

「お気遣い恐れ入ります」

「それにしても、皇太子はなぜ讒言を信じてしまわれたのでしょうか」

「ええ、皇太子が岳父にあのようなことをなさったことに、皆、衝撃を受けているようです」

「それはそうでしょう。古人大兄の時は、将来ご自身の即位に障壁となるし、敵対する蘇我氏の血縁であったので理解できます。ですが、石川麻呂様は改新にご尽力下さったお味方、しかも石川麻呂様の娘をお二人も妃にしているのに」

「身内であろうと誰であろうと、改革に反対する者、朝廷の意に反する者は容赦なく滅ぼすということを世間に知らしめたのですよ。皆そう言っています」

「朝廷の意というか……」

 皇太子の意だろう、と言いかけて僕は止めた。

「陛下は、頼りにしていたお二人を一度に亡くして、さぞお心落としかと」

「ええ、本当に」


 阿倍臣、石川麻呂、共に軽皇子の妃の父として、軽皇子が頼りにしていた腹心である。葛城皇子はそうやって軽皇子の力を削いでいこうという考えではないだろうか。これが単なる僕の思い過ごしであればいいのだが。



 そのまま葛城皇子の宮を訪ねようかと思ったが、子麻呂から話を聞いておこうと考えた。 

 いったん自宅へ帰り軽い昼食を取っていると、子麻呂が訪ねてきた。

「京に戻ったと聞いたから」

「ああ」

「鎌足がいない間、京は大変だったのだぞ」

「石川麻呂様のことは聞いた。でも、詳しい話は知らない。どういう事情なのか、教えてくれないか」


 子麻呂は近衛兵。葛城皇子に近いから、話は葛城皇子寄りの話だと思って聞いたほうがいい。


「飛鳥で石川麻呂様と会ったか? 」

「いや、僕は服忌でずっと家に籠っていたから。子麻呂は」

「俺は、石川麻呂様と親しいからと、今回の件では討伐軍から外された」

「そうか。ちょっと安心した」

「うむ」

「で、どういったことなのだ」

「……」

 子麻呂が躊躇する間が少しあった。


「実は……、皇太子の勇み足なのだ」

「どういうことだ」

「石川麻呂様が改革に抵抗し謀反を起こそうとしている、皇太子を廃そうとしている、と皇太子に言った者があってな」

「そんな話を信じたのか」

「石川麻呂様の腹違いの弟、日向臣からの話だ。でたらめとは思うまい。皇太子が陛下に報告したら、陛下は、石川麻呂様から話を聞きたいから宮へ連行するように、とおっしゃられて、それで皇太子が兵を出して石川麻呂様の屋敷を取り囲み真偽を問い正したのだ。だが、石川麻呂様は陛下と直接お話ししたい、と言うばかりで屋敷から出てこない。そうしているうちに、石川麻呂様はこっそり屋敷から逃げ出し飛鳥にいる長男の元へ逃げ、気付いた兵も追って飛鳥に向かった。その後、山田寺に籠ったところを兵に囲まれ、観念してご自害なされたのだ。家族や従者と皆で」

「山背大兄の時と全く同じではないか」

「いやまあ、そなたが納得いかないのはわかる。なぜ、皇太子がそのような讒言を信じたのか。左大臣がご病気で亡くなられ、そなたが難波を離れてすぐに、あまりにも時期がおかしい。企てがあったのではないかと思っても不思議ではない。もしかしたら、そういった時期を狙って讒言したのかもしれないし」

「しかもご自害なされたのに、首を晒すとは、やりすぎではなかったのか」

「皇太子が、見せしめに、とおっしゃったのだ。我々だっていい気持ちはしなかったよ。……で、その後、石川麻呂様のお屋敷を確かめたら、山田寺の蔵に収めようとした宝物やら貴重な書物やらが入った箱がたくさんあって、その箱全部に『葛城皇子に献上する品』と書かれていたとかで、家臣の話では皇太子が即位した時に献上しようとしていたらしいって。石川麻呂様には結局、謀反の気持ちなど全く無かった、ということだったのだ。讒言した日向臣は、太宰府に隠流しのびながしになったよ」

 隠流。表面的には栄転だが、実質は京から遠く離れた場所への流罪のようなものだ。


「それにしても、皇太子がそのような讒言をすぐに信じるとは」

「ほら、俺たち、鞍作臣と戦う時、飛鳥寺に陣を敷いただろ。皇太子はそれが頭にあったらしく、石川麻呂様が山田寺を作ると聞いた時に、皇太子と戦うための布石なのではないかと疑ったのだと思う」

「皇太子と戦うって、何のために」

「……ここだけの話」


 子麻呂は僕の耳に顔を近付けた。

「陛下が皇太子をじゃまに思っているのではないかと、皇太子は邪推しているのかもしれぬ」

「そんなまさか。いや、」

「いつだったか皇太子は、陛下は本当は有間皇子を皇太子にしたいのだろう、と冗談めかして言っていた。陛下には阿倍臣や石川麻呂様、それにそなたがいるだろ。陛下がその気になったら皇太子を滅ぼすなんて簡単にできる。いつかご自分の身が危うくなると思っていたのかも、と」

「……それで阿倍臣が亡くなった機に」

「ま、俺の考えすぎかもしれないけどね」

 ありえない話ではない。軽皇子が葛城皇子に対して危機感を抱いているのと同様に、葛城皇子もそう思っていてもおかしくはない。


「……で、皇太子は今はどんな感じだ」

「悔やんでいるよ。讒言を信じた自分が愚かだった、と」

「落ち込んでるのか」

「いや、そうでもない。もう気持ちを切り替えたようだ。あの御方はそういう御方だから」

「ああ……、そうだな、知ってる」



 子麻呂が帰った後、僕は葛城皇子の宮を訪問した。


 僕に会うなり、葛城皇子は言った。

「何も言うな。我は後悔しているのだ」

「何を後悔なさったのです」

「右大臣の無実がわかった。飛鳥の屋敷に、山田寺に収める予定だった宝物の箱がたくさん出てきた。それらの箱には全て『葛城皇子所蔵』と書かれていたそうだ。右大臣は我のために宝を蓄え、我が天皇になる日を楽しみにしていたのだ。右大臣を信じてやればよかったと後悔しておる。だから我は、讒言してきた者を京から遠ざけた」

「私を信じてくださいと申し上げたではないですか」

「我を嫌いになるか」

「いえ、そうではなくて」

「そなたに見放されたら、我は生きてはいけぬ」

「そのようなことをおっしゃるのはおやめください。皇太子ともあろう方が」

「ああ、そうだ、我は皇太子だ。それなのに、何も良いことがない。そなたは叔父上と楽しんでいる。叔父上は自分ばかりが楽しんで、遊んで暮らしている。だから仕方なく我は、叔父上が疎かにしている政を考えてやっているのだ」

 もしかしてやきもちか? 本気で言っているのか冗談なのかわからない。いや、やきもちで有能な人材を殺されては困るし。


「そのような心配事は、私にも共有させてください。何のために私がお側にいると思っているのです。私はいつだって皇太子のお力になりますから」

 葛城皇子が、ふふ、と笑った。

「そうだな、これからはそうしよう」

 皇子は叱られて楽しんでいるようだった。


 なんだ、この痴話喧嘩みたいなのは。全然反省していないじゃないか。やはり葛城皇子は猫だ。試験勉強をしていると参考書の上に寝転がってくる猫だ。僕の気を引きたくて、かまってもらいたくて絡んでくる。でも僕が近付こうとするとスルリと逃げていく。そうして僕はいつも彼に振り回されるのだ。



 その後、左右大臣の空いた席には、葛城皇子の希望で、以前から葛城皇子に肩入れしていた巨勢臣こせのおみ、僕の叔父にあたる大伴長徳連おおとものながとこのむらじがそれぞれ据えられた。

 巨勢臣は蘇我氏がいる限り大臣になれない状態だったのだから、彼が何らかの策謀を巡らせていたと想像はつく。彼も僕と同様に、葛城皇子が若い頃から皇子の信頼を得ようと画策していたのかもしれないな。


「そなたの叔父なら、我を裏切ることはないだろ。取り立ててやったぞ」

 葛城皇子は得意気な顔をして僕に言った。

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