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第27話・飛鳥での別れ

 ようやく新制度が世の中に浸透しつつある頃、三月、左大臣の阿倍臣倉梯麻呂が逝去し、葬儀が行われた。彼は、軽皇子の妃小足媛の父親で、有間皇子の祖父だ。高齢ではあったが、せめて有間皇子が成人するくらいまでは長生きして欲しかったものだが、残念だ。


「次はやはり現右大臣の石川麻呂を左大臣にしようか、そうしたら右大臣は誰にするか。阿倍臣の嫡男はまだ成人もしていないし」


 などと僕が考えていると飛鳥の屋敷の管理を任せている若爺から文がきた。

 安媛が近頃体調が良くないので、できるなら見舞いに帰ってきて欲しい、ということだった。

 珍しいな。安媛もトヨも、今まで病気になっても僕に会いたいとか言ってくることはなかった。そんなに病が重いのだろうか。

 僕は軽皇子に休暇を願い出て、飛鳥に帰ることにした。


 翌朝早く、下男をひとり連れ難波を出立する。馬で急げば昼頃には飛鳥に着く。急ぐと言っても、この時代の馬はサラブレッドのような馬ではないから、そんなにスピードは出ないし長時間走れない。逆にそんな馬だから僕でも乗りこなせるようになったのだが。

 重い病気でなければいいと祈りながら、馬を走らせる。



 僕が飛鳥の屋敷に着いた時、安媛は既に息をしていなかった。

 庭では、埋葬するまでの間の遺体を安置する「喪屋」の柱を立てていた。


「急に具合が悪くなられて、あっという間でした」


 この時代、栄養が偏り、たいした薬もないから、人間はちょっとした病気や怪我でもすぐに死んでしまう。僕は、この時代に来て「死」というものがすごく身近になった。そして「死」に慣れてしまった自分を恐ろしく感じる。


 安媛の顔は穏やかで眠っているようだった。声をかけたら目を覚ましそうだ。離れて暮らしていたせいか、実感が湧かない。

 息子のマヒトは、安媛の遺体の傍らに座って歯を食いしばっていた。マヒトは普段から爺に「男の子は泣いてはいけない」と教育されている。


「マヒト」

 僕はマヒトの隣に座った。

「男はな、人生で三回だけ涙を見せてもいいって決まりがあるんだよ。そのひとつは母親が死んだ時だ」

 どこかで聞いたことのあるようなセリフだが、僕がそう言ってマヒトの頭を撫でると、マヒトは涙をボロボロこぼした。僕はマヒトを抱きしめた。


 僕は、妻の服忌のためしばらく休暇を取る旨、軽皇子に文を送った。

 服忌は亡き殿様の時に経験済みだ。正妻とはいっても、父親の殿様ほどの服忌はしない。この時代は一家の主人と妻とは扱いがずいぶん違うのだ。


 喪屋に遺体を置いた後、三日目の朝に埋葬する。その後、僕はひとりで部屋に籠り、外出せず誰とも会わず四日間静かに暮らして、忌明けとする。


 こうして思い返してみると、僕は安媛との思い出がほとんどない。正月も何回一緒に過ごしただろう? 本当に数えるほどしかないのだ。


 トヨが訪ねてきた。部屋の外の縁側から声をかける。

「この度は、お悔やみ申し上げます。殿様のお悲しみ、いかんばかりかと」

「マヒトはどうしている」

 マヒトはまだ子供なので僕のように服忌はしない。

「お部屋に籠っておられます。お母上のために写経をなされませ、とお勧めしました。お気を紛らすことができるかと」

「そうか……、世話をかける」

「そのような水臭い」

「……安媛は、僕と結婚しなければよかったんじゃないかと、後悔している」

「何をおっしゃいます」

「僕は、安媛をあまりかまってやれなかった。あのまま軽皇子の宮にいたほうが幸せだったんじゃないかと、思う」

「そんなことはありません! 」

 トヨは腰を浮かせ、部屋に入ってきそうな勢いで言った。

「安媛様は、この屋敷に嫁いでこられたこと喜んでおられました。いつも」

「いつも言っておられました。宮では采女同士がいがみあって心休まるときがなかった、親しい友もできなかった、皇子からお声をかけていただいた時には、子供じみた嫌がらせを受けたと。殿様と結婚してからは、皆が優しく大事にしてくれる、トヨのような友もできた、今までの人生で一番幸せな時だ、と言っておられました」


 若爺がいつの間にかやってきて、一緒になって言う。

「奥方様とトヨは、よく一緒にお子の服などを縫っておられました。本当に見ていて楽しそうでした。まるで姉妹のようで」

「それは……トヨ、そなたらのおかげだ」

 僕は何も知らなかった。家の中のことなど何も気にしていなかったのだ。僕の手柄じゃない。トヨと、この屋敷の使用人のおかげだ。

「ええ、でもそのようなお屋敷を作ったのは殿様でございます。殿様が優しい方だから、皆もそのように仕えるのです」


 僕は心が痛くなった。

 僕はそんないい人間ではない。僕は罪のない人間を滅ぼした。



 埋葬が終わり、僕が屋敷に閉じこもったその午後、何やら外から人の声がする。


「外が騒がしくないか」

 僕は庭にいる下男に声をかけた。

「いえ、そのようなことはありません。暴れ馬でもいるのですよ」

「先ほどトヨの声がしたようだが」

「お聞き間違えでしょう。殿様はお疲れなのです。少しお眠りなさいませ」

「そうか。そうかもしれない」


 四日後、僕は、衝撃の事実を知らされる。僕が外界との接触を絶っている間に、難波京では大事件が起こっていたのだ。

 左大臣の阿倍臣倉梯麻呂が病死した七日後、僕が安媛の埋葬をしたその翌々日、右大臣の蘇我倉山田臣石川麻呂が謀反の罪で殺されたのである。


「石川麻呂様が殺されただと」

「石川麻呂様とは親しかったのでお知らせしたかったのですが、殿様もご傷心の時に辛かろうと、皆に口止めをしておりました。全て私の指示でございます。叱るのなら私を」

 若爺が頭を下げる。

「……いや、ありがとう……」


「それで」

 と若爺が言う。

「しばらく難波へは戻られず、こちらにいたほうがよろしいかと。殿様の御身にも何かふりかかってはいけませぬ。念のため、屋敷の警備を厳しくしておきました」

 確かに、事情がわかるまでは動かないほうがいいのかもしれない。しかし、どういった訳なのだろう。


「なぜそうなったのか、誰か、事情を詳しく説明できるものはいないか」

「私が祖父に聞いた話では」

 トヨが現れた。

「石川麻呂様が謀反を企てた罪で追われ、飛鳥の山田寺に逃げ込んだそうです。ですが、そこを兵に攻められ、石川麻呂様、ご嫡男、ご家族、家臣全員、処罰されたそうです。石川麻呂様とご嫡男は、首を切り落とされ、既にその首は難波京に運ばれたとかで」

「ええ、何と酷い」

「しっ。今の段階では石川麻呂様は謀反人です。迂闊なことをおっしゃらないほうがよろしいかと」

「なぜ石川麻呂様が謀反など」

「事情はわかりません。聞いた話では、山田寺を囲んだ兵が、石川麻呂様が謀反の罪で寺に逃げ込んだから捕らえるのだ、と言っていたそうです。ただ祖父は、斑鳩の時のことを思い出す、と言っておりました」


 トヨの言葉に僕は同感だった。

 上宮一族、或いは古人大兄の時と全く同じだ。指示したのは軽皇子か葛城皇子、どちらなのだろうか。それとも、また葛城皇子が近衛兵を勝手に動かしたか。もしかしたら僕は、彼によからぬ手段を学ばせてしまったのかもしれない。


「まだ、辺りには兵がおります。山田寺や石川麻呂様のお屋敷を調べているようです。殿様も、良からぬ疑いをかけられるかもしれません。服忌を理由に屋敷から出られないほうがよろしいかと」

 兵の中に佐伯子麻呂はいるだろうか? いや、いたとしても会うのは危険だろう。


「うむ、事が収まるまではそうしよう。トヨも、娘たちも下女も女たちは皆、しばらくは家から外に出るでないぞ」

 石川麻呂の屋敷も山田寺もここから目と鼻の先だ。板塀の隙間から外を覗いてみても兵の姿は見えないが、警戒するに越したことはない。


「奥方様を亡くしたばかりだというのに、殿様もおいたわしや」

 この時代は、妻の死を悲しんでいる暇さえ与えてくれない。


 さて、どうしよう。正確な情報がわかるまで、下手に動けない。

 軽皇子の命令なのか、葛城皇子なのか、それとも阿倍左大臣が死んだ直後の機会を狙ってのクーデターもあり得ないことではない。軽皇子や葛城皇子に直接問い合わせるのは避けたほうがいい。

 政権に近い誰かで中立的な人物に、そうだ、旻法師がいい。彼なら事情に詳しいはずだし信頼できる。


 それから数日後、下男に外の様子を見に行かせ兵が完全に飛鳥からいなくなったのを確認してから、難波の安曇寺にいる旻法師に文を送った。

 内容は、誰に見られてもいいような「しばらくの間、飛鳥で幼子の面倒を見ながら服喪したいと思っておりますが、宮での仕事が滞るようでしたら、早くに難波に戻ります。どうでしょうか」というようなものだ。

 これでどのような返事が来るかによる。旻法師なら返事に何かしらのメッセージを込めてくるはずだ。


 返事を待つ間、僕はトヨと爺と話し合った。

「マヒトを難波へ連れて行こうと思っていたが、今はこっちのほうが安全かもしれない」

「ええ、災難に巻き込まれる危険がないとも限りません」

「マヒト様は、私どもで大切にお守りいたします。殿様はご自身のお仕事に専念してくださいませ」

「すまぬ。世話をかける」


 二日後、使いの下男が戻った。

「陛下が寂しがっておられます。早いお帰りをお待ちしています」

 そう返事にあった。


 軽皇子が不安を覚え、僕に早く帰ってきてほしいと言っているのだ。これは正直な話だろう。もし、僕の身にも危険が及ぶような状況だったら、旻法師は「しばらく難波には戻らなくてよい、ゆっくりしろ」と言ってきたはず。旻法師は嘘をつく人ではない。これで、今回の件は軽皇子が仕掛けたことではないとわかった。


 僕は、難波に戻ることにした。

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