第331話『見えないものと見えないもの② 友達の輪』
言葉にせずとも、笑い合える瞬間がある。
居場所も、距離も、肩肘張らない関係が、静かに世界を温める。
『おつゆさん。』
静かな喫茶店に柔らかい声が落ちた。アスと露葉が同時に顔を上げると、入口の方からみきさんが軽い足取りで歩いてくるのが見えた。
みきさんは二人の前で手を合わせ、礼儀正しく頭を下げた。
『こんにちは。時間より早くついたのに更に先回りしましたね~さすがおつゆさん!』
その“おつゆさん”という響きに、アスと露葉は顔を見合わせて笑う。
みきさんは「なに笑ってるの?」と言いたげに、しかし柔らかく微笑みながら空いている椅子に腰を下ろした。
みきさんはすぐに手を上げて店員を呼ぶ。
『お店で一番苦いブラック珈琲をお願いします。あの〜もしできましたら酸味はほどほどで甘みはなしでお願いします。』
店員は思わずクスッと笑って答える。
『苦め珈琲で酸味ほどほど、甘みなしですね。』
みきさんは小さくこくんと頷き、店員に微笑み返した。その仕草はどこか上品で、どこか子どもみたいだった。
『一番苦い珈琲、酸味ほどほど甘みなしなんてあるの?』
アスが不思議そうに聞く。
『………。裏メニュー?』
『ただの好みの味でしょ? 裏メニューだとしても誰も頼まない』
アスが笑うと、
『ギクリ』
みきさんが胸を押さえるような動作をし、アスが即座に突っ込む。
『ギクリって全然謎めいてないし』
隣で露葉も肩を揺らして笑っていた。
みきさんは二人の笑顔を確かめるように見つめて、ふんわりと微笑んだ。
『ところで、アスくんとおつゆさん、友達だったんですね。……友達の輪』
みきさんは指で小さく輪を描くような仕草をして、二人を交互に見つめる。
露葉が答える。
『タケルくんの友達だからよくお話するの。さっきそこで会ったから一緒にお茶飲んでたの』
みきさんはわかりやすく嬉しそうに、うんうんと頷く。
『友達の輪…』
『その言葉言いたいだけでしょ?』
アスが言うと、みきさんはすぐに
『ギクリ』
と返す。
『全然ギクリってならないし』
アスは笑いながら言い、みきさんは微笑んだまま目を閉じ、店内に流れるジャズのリズムに耳を傾け始めた。
その姿は一瞬、喫茶店の空気に溶けてしまいそうに見える。
露葉がその静けさにそっと声を重ねる。
『みきさんとねこの前、偶然ここの美術館で会って、絵画の話で盛り上がっちゃって、持ってる画集を交換しよって話になったの。それで今日待ち合わせしてたの。』
『そうなんだね。ボク居て大丈夫?』
アスが控えめに聞くと、
『もちろん。ねぇ、みきさん?』
露葉がジャズに浸っているみきさんに声を掛ける。
みきさんはゆっくり目を開け、真顔で言った。
『はい。アスくんには私達の闇取引を見届けて頂きましょう。』
アスと露葉は堪えきれずに笑った。
『画集交換するだけでしょ。』
『ギクリ』
『ギクリじゃないし、いちいち大袈裟ないい方』
アスが言うと、みきさんは天井を見つめながら少しぼーっとして呟く。
『ツッコミ係か』
『ツッコミじゃなくて指摘と訂正』
アスが訂正すると、露葉はまた笑い出し、三人の間に小さなやわらかい空気が満ちていった。
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小さなやり取りのひとつひとつが、友達の輪を形づくる。
言葉よりも、笑いと微笑みの連なりが、心の中で静かに響き続ける。




