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「ふぅ……」
風呂上がり。半分ほど残ったペットボトルの水を飲み干し、ベッドに腰かける。
つ、疲れた……。
今日はあまりにも多くのことがありすぎた。女子と秋葉原に行って、ナンパに絡まれて、作家だってバレて、ケンカして、追いかけて……。
普段家から出ない俺からしたら、一生分の体力を使い切った気分だ。
それでも。不思議と気分は悪くなかった。むしろ出かける前よりすがすがしいぐらいだ。体にたまった疲労感も、どこか心地が良い。
『アタシは夕月のこと、けっこー好きだよ』
「はっ」
口元が緩んでいることに気づき、必要もないのに部屋の中を見回してしまう。
何を思い出しているんだ俺は。
あいつは朝日だぞ。ギャルで陽キャで根明な人間だ。人間関係の多いあいつからしたら、俺なんて星の数ほどいる友人の一人にすぎないはずだ。
……けど。
「友人、か……」
ここ数年。意図的に人間関係を避けていた俺からすると、懐かしい響きのある言葉。
まさか、数週間前までまったく話していなかった人間、それもカーストトップのギャルと友人になるなんてな。
夢にも思わなかった、という言葉はこういう時のためにあるのだろう。
――――ティロン
不意に机の上のスマホが揺れた。
『今日はありがと』
画面には朝日からのメッセージが表示されていた。
『こちらこそありがとう』
『無事に帰れたか?』
『またナンパされなかったか?』
『帰れたに決まってるし』
『過保護!』
『鹿野ママ再登場じゃん』
高速でメッセージが返ってくる。
ギャルのフリック入力の速度は異常。もしかすると、俺のタイピングよりも早いかもしれない。
『鹿野ママでちゅよ』
『一応言っとくが、拡散するなよ』
未遂だったとはいえ、前回の反省を踏まえて釘を刺しておく。
『じゃあ言うなし……』
『あ』
『夕月のラノベ読んだよ!』
そのメッセージを見て、心臓が大きく脈打つ。
あいつに作家であることがバレた時、作品名もなし崩し的に知られてしまっていた。
いつか読むだろうと思ってはいたが、まさか今日買っていたとは。
というか、いつもに増して読むの早すぎだろ。
『そうか』
『一応聞いとくけど』
『どうだった』
文面はいたって冷静だが、内心めっちゃドキドキしている。詩織からレビューを貰った時、いや、もしかしたらそれ以上に緊張しているかもしれない。
めっちゃこき下ろされたらどうしよう。ブック○フで売ったとか言われたらワンチャン泣くかも。
高鳴る心臓を抑えながら、ゆっくりと画面を見る。
『面白かった!』
たった五文字。たかが五文字。情報にすれば1KBに遠く及ばないそのメッセージが、何故だかとても暖かく、優しく感じられた。
画面の上で、指が震えていることに気が付いた。
『だろうな』
しかしそんなことを知られるのも癪なので、冷静を装って返信した。
『具体的にどこが面白かったか説明すると』
ん?
『モノローグで主人公が独白するじゃん。一見ただの独白なんだけど、75ページでヒロインが捲し立てるときの口調とリンクしていて伏線として機能してたことに驚いた。あれって伏線だよね。それに、34ページで幼馴染が主人公に詰め寄るシーン。あれが134ページの対比になってることに気が付いて全アタシが震えた。それと、中盤で主人公が――』
「ヒェッ……」
1KBを軽々と超える情報量のメッセージがアプリを通して送られてきた。というか現在進行形で送られ続けている。
雨のように鳴り響く通知に、嬉しいを通り越して少し恐怖している自分がいる。
その後、メッセージは5分にわたって送られ続けた。あまりにも長すぎたものだから、会話のログをさかのぼることすら難しくなってしまった。
『なぁ』
『俺のこと面倒くさいオタクって言ってたけど』
『お前も相当じゃない?』
『Σ(゜д゜lll)』
『ちがうって言いたいけど』
『否定できなくてウケる』
その後、今日の出来事や感想とかを言い合っていたら……
「げっ」
時計の針が11時を越えていることに気が付いた。
流石に原稿に取り掛からなければいけない。
『用事があるからもう寝る』
『おやすみ』
『原稿?』
『秘密だ』
『三巻、めっさ楽しみにしてるからがんば!』
『おやすみー』
……ふつうにおやすみって打てるんかい。なんでこの前は略したんだ。
――――
スマホを充電機に刺し、ゲーミングチェアに腰かける。ノートPCの電源を入れると、HDDの回転音と共にホーム画面が照らし出された。
あの一件以来。原稿にとりかかろうとすると、頭の中にセメントを流し込まれたのかというぐらい、小説について考えることができなくなってしまっていた。
『めっちゃ面白かった!』
『三巻、めっさ楽しみにしてるからがんば!』
しかし、今日は違った。頭の中では話の道筋が浮かび、体力と時間さえ許せば完結までもっていけそうな気さえしてくる。
いける、いけるぞ。
はやる気持ちのままワードソフトを立ち上げ、キーボードに指を置く。そのまま――
「あれ……」
指がキーを滑り、物語が綴られる、はずだった。
おかしい。
キャラクターの会話も、ふるまいも、表情も。まるで物語の中に入り込んでいるみたいに、克明に浮かび上がっているはずなのに。
指が動いてくれない。10本の指はキーに接着剤で固定されてしまったかのように動かず、手首は小刻みに震えている。
なんで、なんでだ。俺は書ける。ストーリーも浮かんでいる。なのに――――
「なんで、動かないんだよ……!」




