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『ネオ・ストレフォ24』セカンドライフ  作者: Hulanes
第一章:やり直しの春
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8/12

第8話:もう一度、春

 合格通知を開いた翌朝。

僕は、いつもより少し早く目を覚ました。カーテンの隙間から差し込む朝日が、部屋の床に細い光の筋を落としている。埃が光の中でゆっくりと舞っているのが見えた。


「……合格、したんだよな」

『したよ』

「夢じゃない?」

『昨日から何回聞いてんだよ』

「だって実感がない」

『じゃあ頬でもつねってやろうか?』

「それはいい」

僕は布団の中で小さく笑った。頬に押し付けた枕の感触が、いつもより柔らかく感じられた。


その笑い声を聞いて、俺も笑った。

――懐かしい。

こんな朝が、ずっと続くと思っていた。

いや。

続くはずだった。

俺は知っている。約一年後、この日常が壊れることを。知っているからこそ、昨日までの俺なら何かを変えようとしただろう。誰かを遠ざける。危険な場所に近づかない。起こる出来事を先回りして潰す。そうすれば、未来は変わる。そう思っていた。


でも――。


『ギン』

「何?」

『今日、何する?』

「……え?」

『高校の合格も決まったんだろ。暇じゃん』

「……そうだな」

俺は少しだけ黙った。天井の木目を数えるふりをしながら、頭の中で言葉をいくつも選び直す。

『ゲームでもする?』

「それもいいけど」

『じゃあ勉強?』

「合格した翌日に勉強する奴いる?」

『ここにいるだろ』

「お前だけだよ」


そして、ふと思った。

――これでいい。今はこれでいい。先のことを知っているからといって、今日まで奪う必要はない。俺が戻ってきたのは、未来を完璧に操るためじゃない。ギンにこの時間を返すためだ。


「なあ、ネオ」

『ん?』

「……ありがとう」

『何が?』

「昨日」

『ああ』

窓の外で電線に止まった二匹の雀が、鳴いてすぐに飛び立った。


『礼を言うのは、まだ早いだろ』

「え?」

『お前、これから高校生活始まるんだぞ』

声が少しだけ弾んだ。

『楽しめよ』



***



 四月。入学式の日。藍晶高校は、僕が想像していたよりもずっと大きかった。ガラス張りの校舎が朝の光をまっすぐに跳ね返している。広い中庭には、まだ真新しい植え込みの土の匂いが残っていた。正面には、春の風に揺れる桜。花びらが数枚、はらはらと舞い落ちて、制服の肩に張り付いた。


『でかいな』

「でかいな」

声が重なり合う。


「……」

『……』

「ふ」

『何笑ってんだよ』

「いや。お前と同時に喋ると、なんか変だなって」

『今さらだろ』

校門をくぐる。制服姿の生徒たちがあちこちで友達と話している。笑い声、上履きの擦れる音、遠くの吹奏楽部が音合わせをしているらしい管楽器の音が、風に乗って途切れ途切れに届いた。


「席、ここだよ」

教室に入ると、隣の席らしい女子が声をかけてきた。


「……え?」


「そこ、君の席」


「あ、ありがとう」


「よろしくね」


柔らかい笑顔。茶色がかった髪が、窓から差し込む光を受けて、輪郭だけがうっすらと透けて見えた。声は、思っていたよりも落ち着いていた。


机の上に置かれた名札に、目が吸い寄せられる。


柊。棘を持つ、あの常緑樹の名だった。なのに、名前に続くのは美しい桜色。棘と儚さ。矛盾した二文字が並んでいるだけなのに、それを見た瞬間、心臓が強く波打った。耳の奥で自分の鼓動の音がやけにはっきりと聞こえた。


『……かわいいな』

「……」

『おい』

「……うるさい」

『何でだよ』

柊が首を傾げる。


「どうかした?」

「いや……何でもない」

「そう?」

彼女は小さく笑った。


「じゃあ、改めて。よろしくね」


「……よろしく」


美桜は前を向いた。僕はしばらく、その横顔を見ていた。


『ギン』

「何?」

『惚れたか?』

「惚れてない」

『動揺してるな』

「……うるさい」


 教室の席に、生徒が全員座り終わった頃。ガラガラ、と引き戸の音がして、先生が教室に入ってきた。


「今日からこのクラスの担任の、佐々木です」

入ってきたのは、ムスッとした顔つきの三十代前半の男だった。未来では、佐々木先生はまあまあ好かれることになる。だが今この瞬間の第一印象は、面倒くさそうなハズレ枠の先生、それに尽きた。


「さっそく自己紹介をお願いします。どうする、前からか後ろからか」

「後ろからがいいでーす」

真っ先に声を上げたのは、教室の後方に座る女子だった。快活な声が、静まり返っていた教室の空気を一瞬でかき混ぜる。


「では、前からで」

「え! なんで」

クラス中に、小さな笑いが漏れた。それまで新入生特有の緊張でカチカチだった空気が、彼女の一声で少しだけ緩んだ気がした。


自己紹介のトップバッターは、一番前の席の男子だった。緊張した面持ちで立ち上がる。

「田(でん)正広(まさひろ)です。出身は近所の中学で、部活は野球部に入ろうと思っています。よろしくお願いします」

まばらな拍手。前方に座っていた男子二人が、小声で「テニス部くる?」「いや野球部行くわ」と話しているのが聞こえた。


「石川寧々です。趣味は読書です。よろしくお願いします」

身長はとても小さかった。そして短く、それだけ言って座った。声は小さかったが、姿勢はまっすぐで綺麗な顔をしていた。近くの男子が「静かそう」と隣に耳打ちしているのが、僕の席にまで届いた。


次に立ち上がったのは、僕だった。


「瀬宮圻です」

名前を口にした瞬間、教室の何人かが顔を上げるのがわかった。珍しい名前だからだろう。


「えっと……」

ああ、声が震えて上手く喋れない。


『俺に任せろ』


「『瀬宮って名字珍しいかもしれないですけど、まあなんか覚えやすいと思うので覚えてください。あと基本的に圻って呼ばれると喜びます』」


「よ……よろしくお願いします」

拍手に紛れて僕は急いで座った。


「ネオ、何してるんだよ!」

小声で俺にそう聞いた。

『ギンの自己紹介はつまらねーだろ? これで友達できるな』

僕は隣席の美桜をひっそり見る。彼女はくすくす笑っていた。


何人かの発表が終わり、柊の自己紹介に移っていた。


「柊美桜です。趣味は特にないですけど、映画は好きです。映画好きって人は話しかけてくれると嬉しいです。よろしくお願いします」

教室の空気が、さっきとは少し違う質感に変わったのがわかった。前の方に座る男子の一人が、隣の友人の肘を小さく突いている。女子の何人かも、「かわいい」と小声で言い合っているのが聞こえた。


柊は特に気にする様子もなく、軽く一礼して座った。

『やっぱりかわいいよな』

「……知らない」


次に立ち上がったのは、眼鏡をかけた男子だった。


「文矢純一です。特技は、あまりないです。物理とかそういうのが好きです」

淡々とした口調だった。誰かが「賢そう」と呟き、別の誰かが「メガネ男子だ」と小声で盛り上がっている。文矢は表情を変えず、静かに席に着いた。


――文矢。

あの目を、俺は知っている。まだ疲労も刻まれていない、まっさらな目だ。


「茂原(もばら)藍(あい)です。自慢じゃないんですけど、藍晶高校の藍って漢字と名前が同じです。よろしくお願いします」


ぐるりと一周した自己紹介が終わると、佐々木先生が黒板にチョークを叩きつけるようにして、日直の順番を書き始めた。教室の中では、まださっきの自己紹介の余韻で、あちこちで小さな会話が続いていた。


「ねえねえ、瀬宮くんって珍しい名前だよね」

振り返ったのは、さっき一番に手を挙げた女子だった。


「飯野のどか。よろしくね」

「よろしく」

彼女は人懐っこい笑顔で、まっすぐにこちらを見ていた。


『友達候補、増えたな』

「あんまり多くても困るけど」

『……』

俺にはギンがどんな顔をしているか、わかっていた。

窓の外を眺めるその顔は、幸せそうだった。



 ***



 入学してから一週間。

「ここ、先生が言ってたところ?」


 美桜が僕のノートを覗き込む。シャープペンの芯の匂いと、ノートの新しい紙の匂いが、彼女が身を寄せるたびにふわりと漂った。

「たぶん。じゃあ、ここ写していいよ」

「いいの?」

「うん。私もここ分からなかったから」

「……ありがとう」

「どういたしまして」

僕たちは、そんな会話を繰り返した。朝礼前、休み時間、授業、昼休み。それだけだった。けれど僕には、それが何より大切だった。


『ギン』

「何?」

『あんまり柊に近づきすぎるなよ』

「……なんで?」

『知らない』

「お前が言ったんだろ」

『なんとなく』

「なんとなくで人間関係に口出すなよ」

『俺の勘だぞ? 信じてみろよ』

「それ一番信用できないやつじゃん」

『ひどいな』


 その日の放課後。夕方の光が廊下を橙色に染め、窓枠の影が床に長く伸びていた。


「瀬宮」

廊下から声をかけられた。振り返る。眼鏡をかけた男子生徒が立っていた。


「……何?」

「文矢」

「え?」

「俺の名前。文矢」

彼はそう言って、手を差し出す。手のひらがひんやりしていた。


「同じクラスだろ」

「ああ……うん」

握手する。その瞬間、俺は少しだけ固まった。


「どうした?」

「……いや」

俺は手を離した。手のひらに、じんわりと汗をかいていた。


「よろしく、文矢」

「ああ」

夕焼けが沈んでいく。昼間に温められた廊下には、まだ微かな熱が残っていた。


 その日の夜。僕は自分の机に向かっていた。デスクライトの明かりの下、新しい教科書のインクの匂いがまだ残っている。新しい制服はクローゼットの中で綺麗に吊るされていた。新しい学校。そして――新しい一年。


机の端には、合格通知が置かれている。


「ネオ」

『ん?』

「高校、案外面白いな」

『ああ』

返事が返ってくる。


合格通知の下に、一枚の小さな紙が挟まっていた。いつ入れたのか分からない。指先で摘み上げると、紙は思いのほか薄く、蛍光灯の光にわずかに透けた。


そこには、見覚えのない文字が一行だけ書かれていた。


令和九年一月十三日。


俺はその日付を見つめた。

指先が冷たくなる。


『……何で』

「どうした?」

『……いや』

俺は紙を裏返した。

何も書いていない。

それなのに、背中には嫌な汗が流れていた。


知っているはずのない人間が――

この世界にいる。

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