SAKURAが終わって、涼子の部屋へ
アキラは原宿から山の手線で新宿に出て、中央線に乗り換え、お茶の水駅に到着した。
駅前の通りを右に曲がり、明大通りへ出るとジャズライブハウス・ブルーバードがある。表には看板とメニュー表が出ていて、コロナの影響もあってか、基本的にはドリンクしか提供していないようだ。
地下へと階段を下りていくと、ピアノの旋律が微かに聞こえてくる。重いドアを開けると、すでにライブは盛り上がりに差し掛かっているようだった。今日は、人気ジャズピアニストである藤原涼子の出演日とあって、座れそうな席がなく、カウンターでシャンディガフをオーダーし、そのまま立ち見をすることにした。
ジャズピアニストの藤原涼子は、詩音の大学の先輩だが、歳はだいぶ離れている。アキラの4歳年下だから今年で38歳になる。ステージ上、ピアノから放たれる旋律は、本格的なジャズからキャッチーなポップスまで演奏の幅は広い。きっと、ジャズの世界では有名といえども、ジャズ自体が敷居が高い世界だから、ファン層を広げる目的もあるだろう。
アキラはスマホで藤原涼子との相性を調べた。驚くべきことに、運命の人である詩音と同じくらい相性が良いと出る。ステージ上の涼子は、ピンク色のドレスを身にまとい、胸元が大きく開いていて、遠目からでもかなりの巨乳であることが解る。コーラルにピンク色を混ぜたような色の艶やかなロングの髪の毛を立て巻きにカールさせて、曲が盛り上がるときには、髪の毛を振り乱して観客を誘惑する。涼子が前髪を直すしぐさにつられて目を見合わせる。大きくて垂れている瞳の奥がキラキラと光っていた。たぶん詩音と同じ大学ということは涼子もお嬢様育ちだろう。
ピアノ演奏が終わると涼子がMCをはじめた。
「今日はお休みの中、ご足労頂き、ありがとうございます」
涼子の声はとても甘くて、さっきまで妖艶なピアノを演奏していた同人物とは思えなかった。観客の拍手に一礼をし、涼子はMCを続けた。
「次で今日は最後の曲になります。この曲は私の大切な友人に向けて書いたものです。季節外れかもしれませんが心を込めて弾きますので聞いてください」
観客のボルテージはマックスになっていく。涼子は囁くように言う。
「SAKURA」
涼子のコールがかかるとオレンジ色の間接照明が落ちて、漆黒のグランドピアノと涼子は、美しいブルーライトに照らし出された。場内は静まり返った。
しんみりとした伴奏にどこか懐かしいメロディーを奏でていく。アキラはそれがジャズで良く使われるセブンスコードやナインスコードだとすぐ解った。
曲は転調し、一気に加速度を上げていく。そして、壮大なサビに差し掛かると、アキラは詩音とはじめて口付けを交わした日を思いだした。それはまるで、夏に咲く桜のようだった。
甘くて少しだけ塩気がピリリと舌を刺激して、なぜかせつなくて、
「世界中の誰よりも愛してる」
ってアキラが言えば、「このままどこか遠くへ連れ去って欲しい」と詩音は言った。
涼子のピアノは桜の花びらが天高く舞い上がるように、爽やかに、かつ妖艶に、天界と地上を自由に行き来するかのよな心地よい旋律を奏で続ける。
この世で一番楽園に近い島。それは沖縄かもしれないと詩音と観たサンセットの記憶が映画のワンシーンを演じているかのように脳内を過っていく。
観客に感動に耽る余韻を残して、涼子のピアノ演奏は終焉を迎えた。
最後に「ありがとうございました」と言った涼子のセリフは、湧き上がる歓喜の声と盛大な拍手の中でかき消されていった。
アキラは涼子が楽屋口に戻るのを確認すると、店のマネージャーに藤原涼子の関係者であることを示すため、星崎詩音と撮ったプライベートでのツーショット写真を見せた。すると、店のマネージャーは快く涼子の楽屋へと案内してくれた。楽屋でくつろいでいた涼子はアキラを見るなり意外な反応をした。
「ひょっとして橋本章君」
涼子の第一声目は、すでに自分のことを知っているかのような口ぶりだった。
「詩音がいつもお世話になっています。橋本と申します」
アキラが短めに挨拶をすると、
「ひょっとして恭子の件で来られたのではないですか?」と涼子は言う。
(恭子?もしかして元宮の隣に映っていた女性のことか)
アキラは元宮の一連の失踪事件の謎を涼子に話した。
そして、元宮の部屋に飾られていた涼子と見知らぬ女性の関係性を聴くためジャズハウスへと足を運んだことも、洗いざらいお話しすると、
「その女性は私の友人の片瀬恭子だと思います」
涼子は髪の毛を耳にかきわけながらそのように言う。
「彼はライブを蹴ってどこかへ失踪してしまいました。彼のご家族からも行方が解ったら知らせて欲しいとお願いされています」
ポケットからメモ帳を取り出して、何か心あたりはありませんかと涼子に尋ねる。
「失踪……。やっぱりあのことが関係しているのかしら」
「あのこととは?なにか事件でもあったんですか?」
アキラが詳しく聞き出そうとすると、
「アキラ君。ここでは人の目がありますから、場所を移しましょう」
涼子はそういうと、「着替えるので裏口で待っていてください」と告げられて、アキラはスマートに裏口へと行くことにした。
涼子を待っている間、アキラはタバコに火をつけて過去の記憶に想いを馳せていた。
詩音との出会いも占いを通じてのものだった。
運命の出会いを信じる詩音は、インターネット上でアキラのことを知り、占いでの相性を調べてみたところ、アキラが運命の人であるという占術結果が出たのであった。
詩音はアキラの電子書籍やブログに全て目を通したと言う。その上で、不自由に生きてきた自分の身の上と、自由気ままに生きるアキラの生き方を比較して、ますます興味を抱いた。詩音はアキラが所属している占術協会の初級鑑定師になり、アキラとの接近を図った。そして、面接するのを口実にして、アキラと出会った初日目に、共に沖縄県へと旅立ったのだ。そして幾多の困難を乗り越えて、二人は結ばれた。
涼子を待っている間、アキラは遠い昔のことに想いを馳せていて、良い気分に浸っていたのだが、同時に悪い予感もした。
涼子のいで立ちは詩音にそっくりで、ありのままで飾らないのだけれど、男を虜にする色気に溢れている。こんな時間から涼子からお誘いを受けていること自体、詩音の逆鱗に触れる行為ではある。果たして、無事に元宮失踪のヒントは得られるだろうか。
アキラは時計見る。22時半を悠に過ぎている。タバコはあと5本しかない。アキラが苛立ちを見せ始めたその時、裏口のドアからカジュアルな服装に着替えた涼子が現れた。
「アキラ君お待たせ」
涼子はベージュ色のパンツに白いブラウス姿で登場した。ステージ上での派手さを隠すように、庶民的な一面をみせている。能ある鷹は爪を隠すというが、有名人のオーラまでは隠しきれていない。
「早かったですね。てっきり一時間くらい待たされるのかと思っちゃいましたよ」
アキラは落ち着いた様子で嘘を吐く。本当は待たされるのは15分が限界だ。
「じゃあさっそくいこうか」
涼子はそう言ってアキラの腕を引っ張って誘導する。
二人の間には沈黙の時間が流れ、涼子が口を開いたのは、タクシー乗り場まで来た時だった。
「アキラ君。今日は朝まで付き合って貰うからね」
「え?」
突然の涼子の誘いにアキラは戸惑う。これは悪い予感がする。なんてことない、男女が一晩を過ごすことになれば性行為の確立はあがるものだ。アキラには欲望に勝てる自信がなかった。
そのあと、タクシーに乗り込み、涼子は五反田へ向かってくださいという。
タクシーは夜の帳を切り裂くように走り抜けていく。涼子の手は細くしなやかにスマホを操作していて、アキラは詩音にはない大人の魅力を感じていた。
五反田駅前の通りで車は停まる。アキラが現金で支払おうとすると涼子が運転手にクレジットカードを差し出した。三井ガーデンホテル五反田店のコンビニで買い物をする。
涼子はレモンサワーとからあげを買い、アキラは酒に弱いのでアルコール度数3パーセントのほろ酔いとポテトチップスを買った。
「アキラ君。五反田は私の地元だけど、今日は積もる話もあるからシティホテルに泊まりましょ」
涼子は大胆な女性だ。アキラだって詩音との別れ話がなければ断っていたかもしれない。だが、アキラはその誘いを受けた。抗えない大人の魅力に惹かれつつあった。
シティホテルの受付は15階にあり、大抵の人たちは田舎に帰省しているとあって、すぐにチェックインすることができた。客室はピンからキリまで空室があったが、涼子は一番高いデラックスツインの部屋を選択した。
ロビーラウンジのシックなデにザインからして、涼子が成功者の一人だということが解る。
16階には大浴場もあるらしい。このようなホテルは本来、男の方が誘うものだが、涼子や詩音といったその道の成功者ならば、感性の赴くまま自由に行きたい場所へ行ける。そのことがアキラには羨ましかった。
部屋へ入ると、涼子は「大浴場に浸かってきたら?」と言った。
「まだ元宮と恭子さんのことが気になって、風呂に入る気分じゃないです」
アキラが渋ると、
「謎を解き明かす時ってのは大抵、お風呂に入っている時に沸いてくるものよ。それにアキラ君、タバコ吸ったでしょ?髪の毛が少し匂うわよ。悪いことは言わないから入ってきて」
「タバコの匂いですか。それは失礼しました。では、お言葉に甘えて入ってきます」
アキラはホテルのアメニティを持って16階まであがる。男湯と書かれたノレンをくぐると、高級ホテルならではの清潔感溢れる脱衣所をみて、蒲田のカプセルホテルとは大違いだなと思い、勝手に笑いがこみ上げてきた。この時間、入浴している人は少ない様子で、脱衣所には一人も客がいない。アキラはおもむろに服を脱ぐと、自分でも汗臭いことが解って、涼子には失礼なことをしてしまったと後悔した。大浴場へと入ると、六本木方面が一望できることにすぐ気が付いた。夜景の奇麗さはやはり都会ならではの楽しみだろう。
アキラはさっと簡単に身体と髪の毛を洗い、風呂へと向かった。夏にはシャワーで済ませることが多く、風呂を沸かして入る習慣がないのだが、ネオンが瞬く都会のビル群を眺めながら入る風呂は格別気持ちよかった。
湯船につかっていると、頭がぼーっとして、身体の隅々がリラックスしていくのが解る。
「詩音いまどこで何をしている?」
アキラは呟いた。
誰もいない大浴場にて、思い返すのは別れたばかりの彼女のこと。
夏の暑い日差しを受けて、沖縄のサンセットビーチで、買ってきたばかりのチョココロネを食べた。アイスコーヒーの氷は解けかけていて、それをストローでチューチュー吸う詩音の唇は、ちっちゃいアヒルみたいで可愛かった。
そのことを詩音に言うと、
「アキラだって醜いアヒルの子じゃん」
って謎めいたことを言いだす。それってどういうことって尋ねると、
「本当は良家の生まれなのに、それに気づかずに貧乏している」
詩音は悪気なく言うと、
「だって本当に貧乏なんだから仕方ないじゃん」
といって、笑い転げる。
そんな日々は永遠のものと思っていた。詩音とこのままずっと二人でいられると思っていた。もしも、占術が科学だと言えるのならば、詩音こそが運命の伴侶だと疑う余地はなかった。
アキラはふと涼子との相性について思い返す。
涼子は宿曜占術で派手さのある張宿と出る。この張宿の特徴は女性にとって美人星の一つで女大将星でもある。アキラの奎宿とは最高の相性である。しかし、特筆すべきは、四柱推命で、天地徳合と呼ばれる夫婦としてはこれ以上ない最高の相性であることと、マヤ暦という占術では、アキラが涼子をガイドする役割を持って生まれてきたことが解る。
しかも反対KINという真反対の性格や性質を持つとされるが、やはりお互いの学びにとってはなくてはならない存在で、お互いの違いを認め合えば最高の夫婦となれる相性なのだ。だが、涼子は9月20日の誕生日がくれば38歳になる。アキラがもたもたしている間に、涼子は高齢出産をせざるを得ない年齢に差し掛かっているのだ。正直言って、詩音と出会う前までは、子供はいらないと思っていた。しかし、将来的に小説家として成功をおさめたら、このDNAを後世に残したいと考えるのは普通のことだろう。
涼子のことは詩音の先輩であること以外は何も知らないに等しい。だが、今日のライブを見る限りでは、人気が出る理由も解る気がしている。詩音と涼子、二人の女性にはジャズや同じ大学出身やお嬢様育ちという共通項がある。
男という生き物はお嬢様に弱いものである。生まれた時から親がお金持ちであるという後ろ盾があるし、知的教養が高くて崇高な精神を持って生きている。そこら辺のキャバ嬢と比べる訳ではないが、やはり人間は学び続けることでしか成長しない。成長なき人生とは貧乏するよりも虚しき人生である。
アキラは湯船に浸かりながら、いろんなことに思索を巡らせていた。少し、のぼせそうになった時、風呂から出て、軽くボディソープで身体を洗いなおし、大浴場を後にした。
部屋まで戻ってくると、部屋の明かりがオレンジ色の間接照明に照らされていて、ジャズのムーディーな曲が流れていた。
ぱっと見た感じでは涼子の姿は見えなかった。
ベッドサイドから涼子の美しく甘い声が聞こえてきて、アキラは目を凝らして眺める。
下着姿の涼子が起き上がると、
「ねぇ、おいでよ」
とアキラを誘惑した。
涼子の豊満な胸の膨らみ。透き通るような白い肌。洗い立ての石鹸の薫り。アキラは吸い込まれるように涼子の魔力に憑りつかれた。
「涼子さん。今日会ったばかりでいきなりこんな………」
「いいの。詩音と違って私は口が固いから」
涼子はアキラのナイトウエアを剥ぎ取ると胸元に顔を埋め乳首をそっと舐めた。




