五反田の朝、沖縄が見えてくる
「すいませんでした……」
アキラは自分の非を涼子に謝った。涼子は何事もなかったかのように、アキラに口づけをねだる。
「誰にだって、そういう気分になれない時はあるもの」
艶めかしくくちづけをしながら涼子は、アキラのペニスをまさぐり足を絡めてくる。つるつるして柔らかな感触がアキラの股間を刺激する。が、勃起しないのだ。
涼子はアキラのペニスをくわえて舌で亀頭を舐めまわす。アキラが完全には絶頂に到れないまま、悪戯に時間だけが経過していく。涼子はアキラの唇にフレンチキスをして「今日はねんねだね」と言った。アキラは堪らなく性欲が脳内を支配しているのに、なぜ射精できないのか情けなく思った。理由はひとつしかない。詩音への執着心だ。
涼子は小さな子供をあやすように、アキラの顔を胸に埋めて「また明日しようね」と言った。
風俗嬢には簡単に身をゆだねる癖に、運命の人だとか、好意を感じている女性の前では、素直になれない。潔癖症なのかもしれない。涼子の大きな胸は、まるで海のようだった。
大いなる母の海に抱かれているような壮大なスケールの物語。はじめて冒険にでた幼少期の頃のように、母親の手から離れて、自由を手にした日。少しだけ、心もとなくて。でも、ワクワクを抑えきれなくて、無我夢中になって森の中を駆けずりまわった。
小さくて羽が奇麗な蝶々が空を舞っていた。この蝶々のように地球の重力から解き放たれて、自由自在に空を舞ってみたい。アキラは夢を見ていた。涼子の胸の中で。
気づけばアキラはいつの間にか寝ていた。
うーん、と言って腕を伸ばして起きるアキラ。隣に涼子の姿はなかった。寝ぼけ眼で目をこすりながらベッドから起き上がる。朝の習慣でカーテンを開き窓の外を眺めた。
8月15日、東京都品川区五反田、曇り。34℃とあって湿気が凄い。昨晩は不思議な夢を観た。元宮の代わりに僕が紅白歌合戦に出場して、エアギターを弾いているのだ。なんとも滑稽な自分の姿に朝から笑いがこみ上げてきた。今日こそは元宮失踪の謎を解き明かしたい。アキラはスマホのメモ帳にそう記入する。テーブルには涼子が書いたメモ書きが置かれていた。
アキラ君おはよう。気持ちよさそうに寝ていたので起こしませんでした。私は軽くウオーキングをして、そのまま大浴場で汗を流してきます。ホテルは明日までの宿泊に延長しておきましたので、アキラ君も起きたらゆっくりお風呂でも入ったらどうかしら。朝食のレストランは諦めてルームサービスでもとりましょう。今日こそは恭子のことお話しできると思います。藤原涼子。
アキラは涼子が残したメモ書きを観ながら、風呂へ行く準備をしていた。その前に悪友の竹田に連絡しておく必要があった。アキラはLINE通話で竹田に連絡する。出ない。また性懲りも無く、出ないパチンコ屋でヒマでも潰しているのだろうと思い、メッセージにすることにした。急遽、用事ができたため、仕事には行けなくなったという趣旨の文面を作り、竹田に送信する。都合の良い時だけ、働かせてもらっておいてなんだが、彼の会社の従業員との摩擦を考えるならば、自分なんていない方がよっぽど気楽に働けるだろうという計算があった。金のことならば心配いらない。また、金持ち相手にパワーストーンを売ればよいだけの話だ。
アキラはまた大浴場に行くことにした。空想に耽りたいときは風呂が一番だからだ。
昨晩とは違い、私服を着て16階まであがる。この時間は宿泊客がチェックアウトする時間だから、風呂は昨日と同じく空いていた。
アキラは脱衣所で服を脱ぐと、右胸あたりにキスマークの跡が残っていることに気づいた。鏡に映るキスマークを見て、何とも言えない気持ちになった。
(またしても、詩音を裏切ってしまった。俺は最低な奴だ)
洗面台に手を置きうなだれる。だが、犯してしまった罪は、もう元には戻らない。なぜ涼子の大人の誘惑に負けてしまったのか。しかも、肝心な時に役に立たなかった。情けなくて、悔しくて、アキラは泣きそうになった。涼子がそろそろ待っているだろうか。アキラはおとなしく風呂に入ることにした。
アキラが湯船に浸かって子供のいる生活について想像を巡らせていると、不思議なシンクロニシティが起きた。小さな子供が一人、元気よく大浴場に入ってきて、後からその子の父親らしき人が「つまづいて転ばないようにね」と、声をかけながら入ってきた。
男の子は元気よく風呂に入浴しようとすると、父親が身体を洗ってからにしなさいと注意する。男の子は幼稚園児くらいで、こんなに大きな大浴場に連れて来られて身体全体で歓喜の姿を示し、かなり興奮している様子だった。父親は男の子の髪の毛に洗面器で優しくお湯をかけると、シャンプーを泡立てて、ごしごしと洗うのであった。
アキラはその様子を見て微笑ましい気持ちになった。きっと詩音とだったら、可愛い子供がうまれるはず。しかも詩音はまだ若い。自分よりも13歳も年下なのだから、子供を産むチャンスはたくさん訪れるはず。一方で、涼子はどうだろうか。今年で38歳になる涼子がなぜ結婚という道を選択しなかったのかは解らないが、きっとジャズに人生を捧げる覚悟ができているのだろう。
涼子だって素敵な異性が現れれば結婚することも考えているのかもしれない。しかし、出会ったばかりでベッドに誘うような自由奔放な涼子のことだから、恋愛はしても結婚は別だと考えている可能性が高い。占い上での運命の人が二人同時に現れたこと。詩音にとって、アキラはもうすでに過去の人なのだろうか。
男の子とその父親が風呂に入ってくる前に、アキラは気を使って風呂を出た。
着替えている間も、幸せな結婚とはどんな感じなのだろうかということに考えを巡らせていた。答えなんか出やしない。ただ、解っているのは、一時的な快楽に負けてセックスするということはすでにその時点で欲に負けているということだ。
操を守り通した末に結ばれる純愛。そして、セックスからはじまる恋愛。この先、詩音と涼子のどちらを人生の伴侶として選ぶだろうか。女心と秋の空という言葉は、中性的な男子であるアキラの心模様を映すような言葉だった。
アキラが部屋に戻ってくると、涼子が椅子に座って読書をしていた。
「おかえり」
涼子は本をテーブルに置いていう。昨夜と同じベージュのパンツに白いブラウスを着ていて、化粧もしていないが、それが逆に妖艶なオーラを醸し出している。
「今日も相変わらずお奇麗ですね」
アキラが褒めると涼子は微笑む。「さぁお腹すいたね」と涼子が言って、ルームサービスを頼むことにした。アキラはカップにインスタントコーヒーを淹れてお湯を注ぐ。それを持ってテーブル席の涼子に手渡す。「ありがとう」と涼子がいう。
「アキラ君は恭子のことで私に会いに来てくれたのでしょ?」
アキラは涼子から話を切り出されるまで、元宮の件をすっかり忘れていた。
恋愛にうつつを抜かしている自分を少しだけ恥じた。元宮失踪の謎。全ては写真に写っていた恭子という女性が握っているのだ。
「恭子は私の親友なんです。元宮君と恭子はお付き合いをしていて、よく私のライブにも遊びに来てくれていました」
「やはり恋人関係だったんですね」
「はい。それで、恭子なんですけど、地元の友人たちの噂では、どうやらうつ病になっちゃったっぽいんです」
「うつ病ですか?それは大変な状況ですね」
「ある日を境にして、連絡が取れなくなって。しばらくして彼女のアパートにも伺ったけれど、どうやら失踪したっぽいんです」
「失踪……それって元宮と同じですね。元宮はうつ病になるようなタイプではないですけど、彼のお父さんは重度のうつ病だったことがあるので、ひょっとしたら遺伝かもしれません。恭子さんがうつ病になったのが事実ならば、自殺を考えていたかもしれませんね」
アキラはそこまで言うと喉が渇いてコーヒーを飲んだ。涼子は黙って聞いていた。
「アキラ君、わたしは恭子を探しに旅に出たいと思っています。アキラ君も一緒に来てくれませんか?」
アキラは涼子の発言を受けて一瞬黙り込んだ。詩音とお付き合いをはじめたのもこのような流れだったからだ。男女が旅を共にする。そして恋心が芽生えるのは当たり前の話だ。しかも、昨夜は涼子の甘い罠に引っ掛かり情欲をむき出しにさせられてしまった。即決できないアキラに追い打ちをかける様に涼子が言う。
「元宮君の安否が心配ではないのですか?」
「解りました。僕も元宮は命の恩人と思って生きてきました。現在、彼はどこにいて何をしているのか、占術師としてこの謎を解明するためにも全面協力します」
「アキラ君はお仕事の方は都合つくの?」
「はい。大丈夫です。涼子さんは大丈夫ですか?」
「自由気ままに生きれるのがアーティストの特権ですから」
涼子はそういうと、髪の毛を掻きあげる仕草をした。美人ゆえのサバサバした雰囲気に男気さえ感じる。アキラは女性的な一面があるので、涼子に言いなりになるしかなかった。
「でも、一体どうやって恭子さんの足取りを探せば良いのか」
アキラがそう言った時、チャイムが鳴ってルームサービスが届いた。涼子がインターフォン越しに「下に置いといてください」と告げると、かしこまりましたとボーイが言う。
「アキラ君。朝食を食べながら作戦会議をしましょう」
涼子がそう言って玄関口までルームサービスを取りに行った。気が付けばアキラのお腹はぐーぐー鳴っていた。腹が減っては戦はできないのだ。
アキラは恭子の天運鑑定を出そうとして、涼子に恭子の個人情報を教えて貰うようにお願いをした。片瀬恭子。1984年4月16日生まれ。女性。満38歳。B型。長女。出生地東京都品川区。それを佳子にLINEをして、天運鑑定依頼をかけた。
「ねぇアキラ君。それって何が解る占いなの?」
「琉球占術といって、鑑定書には運気が上がる色や数字、方位など77項目に渡って運気アップのヒントが書かれているよ」
「今度、私のもお願いしてもいいかしら」
「鑑定結果が出るまでに少し時間がかかるので、事前に鑑定情報を教えておいてもらえばやっときます」
「紙に書いておくね」
涼子はそう言って生年月日を紙に書きだした。アキラはその生年月日をスマホに入力して、相性占いがよく当たると評判高い、月の暦を使った宿曜占星術で涼子と片瀬恭子の相性を簡単に調べた。
驚くべきことに、かなり最悪の相性だった。この宿曜占術という占いは天才僧侶の空海が、唐から持ち帰ってきた仏典に紛れていた占いだ。
あまり仲良くなれないような関係性と出る。もしも、涼子が恭子は親友と言っていることが虚偽の発言だとすると、納得がいく。元宮と涼子の相性は宿曜占術では最高に良い。アキラと涼子の次に、涼子と元宮との相性が良いのだとすると、実は恭子とは元宮勇気という最高の男を奪い合った犬猿の仲なのではないだろうか。そして、もっと相性が良い人が現れるまで、内心では恭子の失踪なんかには興味がなかった。仮定が正しいとするならば恭子は恋敵だからだ。
(涼子の本音はどこにある?)
アキラは朝食を食べながら、心では涼子に疑いの眼差しを向けていた。
「そいうえば、涼子さんのマジカルカラーは赤です」
「マジカルカラーって何?ラッキーカラーみたいなもの?」
「いいえ、マジカルカラーとラッキーカラーは違います。マジカルカラーは護ってくれる色です。さらにいえば、無意識の行動を表していて、その人が持つ周波数を色に例えたものです。だから、マジカルカラーを身に着けていると魔を寄せ付けないので自然に運気があがります」
「そうなんだ?私普段は赤が多いかなぁ。ピンクが一番好きだけどね。ピンクや赤を身に着けていると何故だか、護られている気がして、とっても良いことが起きるのよ」
「マジカルカラーは護ってくれる色。ラッキーカラーは勝負するときに幸運をもたらしてくれる色です。ステージ上ではラッキーカラーを身に着けると良いと思います」
「私のラッキーカラーって何色?」
「涼子さんは黒ですね」
「黒かぁ。黒はあまり着ないけれどこれからは意識して取り入れる様にしますね」
「あとは、派手さがあるのが涼子さんのウリなので、赤を着ることでよりありのままの姿で輝けるのはあると思います」
そう言って、アキラはバタートーストを口にする。涼子はオレンジジュースを飲みほっと一息をついた。
「恭子の実家って五反田なんですよ。私たち幼馴染なんです」
「幼馴染だったんですね。実は僕も元宮とは幼馴染なんです。恭子さんって写真でしかみてませんけど、お奇麗なお顔たちの割に、控えめで、あまり目立たない感じですよね」
「そうなんです。昔は何も言わなくても勝手に私の後についてきて可愛かったな」
「真面目な人ほど自分を追い込んでうつ病になる。そして、それが悪化すると自殺する恐れもある。それって、だいぶ世の中狂ってる証拠だと思うんです」
「恭子もクソが付くくらい真面目でした」
「でも、恭子さんのような真面目な方が、涼子さんのような華やかな人とお友達関係を続けられたってのは、やはり幼馴染だからですかね」
「恭子と私って真反対の性格持っているのは間違いないです。でも、だからこそ惹かれあうっていうか、ほとんど腐れ縁みたいにも思いますけれど」
「実は、元宮と僕も、あまり接点ないんです。プライベートでも遊ぶとかないし。彼はサーフィンやバスケやダンスが趣味だと言えば、僕はサッカーやソフトボールやエレキギターの方が好きだし。何より、僕は泳ぎに自信がありません。母親の故郷が沖縄なんですけど、ただ海辺で奇麗な海を眺めているだけの方が幸せに感じます」
「アキラ君のおかぁ様って沖縄なんですね。私も昔から海が大好きで、三浦海岸や湘南など行ってましたけど、沖縄の海をはじめてみた時に、心から感動が溢れてきました。あぁ、きっとこの島に住む人たちの心が奇麗だから、自然と調和してうまく共存してるんだって思いました」
涼子がそう言って、思い出に浸ろうとしたその時、佳子から天運鑑定の鑑定書が届いた。アキラがスマホからPDF形式のファイルを開くと、マジカルカラー白という鑑定項目が目に入った。
「涼子さん。恭子さんの天運鑑定が届きました。これで、何かしらのヒントが得られると思います」
アキラは涼子に鑑定書のファイルを見せる。77項目に渡って、色や数字や謎の文言が書かれていて、暗号のようで、お客様からは何が書いてあるのか解らないと思うことだろう。しかし、この暗号のような鑑定書を読み解き、解りやすく解説し幸福の道へと案内するのが、本来の占術師の腕の見せ所である」
「難しすぎて私にはよくわからないわ」
「恭子さんの今年の運気は最悪です。バイオリズムと言って2から8の数字で運気レベルを表しているのですが、今年の8月はもっと最悪の運気です」
「じゃあ、恭子は生きているのかもわからないってことですか」
涼子は少し涙目で尋ねる。アキラは普段、クライアントさんを不安にさせるようなことは言わないようにしている。涼子がここまで落ち込むとは予想していなかった。
「最悪の事態を想定しておくというのも大事かもしれません。僕の周囲でも自殺する人が多かった時期がありました。恭子さんのことはまだお会いしていないので、鑑定書でしか解りませんが、最悪の運気の時は、判断を間違えがちです。天輝地といって、運気があがる方位のことなのですが、恭子さんは北とでています。しかし、運気が低迷しているときには、一番行ってはいけない方位である南に行った可能性が高いです。逆に、元宮は運気が絶好調なので、素直に天輝地の南へと言った可能性がある。もしも、二人が一緒に行動しているならば、南の方角で、海が奇麗な場所に雲隠れしていると思われます」
アキラは占術師として最大限の推理力を発揮した。鑑定書に対する信頼がなせる技だ。
涼子はアキラの熱意ある解説に納得した様子でしきりに頷いて聞いていた」
さらにアキラは続ける。
「南と言えば、この時期は沖縄が観光シーズンだし、元宮も沖縄で事業をやっているので沖縄が本命になります。もしも離島にでも行ってたら、その先の足取りを掴むのが困難になります」
「沖縄ってサーフィンでできましたっけ?」
「できる所もありますけど、沖縄の海は浅瀬で、沖に出るまでが長いので、サーフィン向きの海とは言えませんね。ただ一つ言えることは、世界でも有数の透明度の高い海ということは間違いありません」
「私も沖縄は思い出深き場所です。個人的には世界一美しい島だと思っています。アキラ君のお母さまもきっと、故郷を離れる時には後ろ髪をひかれる思いだったと思います、それだけお父様が魅力的だったのでしょうね」
「まぁうちのお袋は、5人兄弟姉妹の4女ですから一人くらいは本島に嫁がせても良いと、沖縄のおじぃはそう考えたみたいです。母はおじぃから一番可愛がられたと聞きますから、うちの親父も何かしら人を魅了する何かを持っていたのだと思います」
「素敵ですね。お父様は東京の人かしら」
「えぇ。東京都大田区の池上ってところで生まれ育ちました。蒲田の隣町ですね。日蓮宗の大本山である池上本門寺があって、日蓮の命日になると盛大に祭りをやるんですけど、うちの親父からしたら蒲田は毎日が祭りみたいで羨ましかったみたいです」
「アキラ君のお母さまが青春時代に観た景色、アキラ君と一緒に観たいな」
「え?」
アキラは突然の涼子の告白に戸惑っていた。含み笑いを隠すように涼子はオレンジジュースをストローで飲んだ。涼子との沖縄旅。果たして詩音との純愛のいきつく先はどこで終着駅を迎えるのだろうか。
「沖縄、行きましょ」
「元宮と恭子さんが生きていると解るだけでいいですよね」
アキラはやんわりと涼子の好意をうやむやにした。涼子は目を輝かせていた。




