帝国ホテル、南を示す占い
占術の師匠である佳子とは、日比谷の帝国ホテルで待ち合わせだった。お盆休みの昼下がり。8月も半ばでも湿気で蒸し暑いという日もあるが、千代田区あたりは緑が多いためか、たまに吹くそよ風が焼けた素肌に心地良い。アキラは黒いTシャツにエメラルドグリーンのサマーカーディガンを羽織り、ジーパンに黒のブーツで帝国ホテルに降り立った。
ホテル内のロビーには、季節に応じた装花が飾られていて、花には詳しくないアキラだったが、すぐにそれは色とりどりのバラであることに気づいた。佳子は千代田区に住んでおり、占術の鑑定やパワーストーンセレクトの依頼などは、帝国ホテルやペニンシュラ東京などのラグジュアリーホテルを使っている。年齢は46歳で占術師としては若い方だ。佳子のマジカルカラーは白でマジカルナンバーは4。このマジカルカラーとマジカルナンバーとは運気があがる色と数字のことで琉球占術の核となる鑑定項目のことである。
アキラは先にラウンジのカフェテリアでアイスコーヒーを飲んでいた。佳子には元宮の天運鑑定を依頼している。彼の失踪の原因は果たして琉球占術で何かしらのヒントを得られるだろうか。ふとテーブルに置かれたスマホをみた。
待ち受けには詩音と沖縄で撮った2ショットの写真のままだ。アキラはしばらく逡巡した後、待ち受けの写真を消そうとした。その時、聞きなれた優しい声がして顔をあげると、佳子先生が立っていた。
「アキラ君お待たせ。今日は遅れちゃってごめんね。頼まれていた天運鑑定の読み解きに時間かかっちゃって」
アキラはつい佳子の胸を眺めていた。白いドレスの胸元には、チベットの秘宝である天珠という楕円形のパワーストーンと天然石のネックレスが眩くばかりに輝いていた。
「いえ、突然の依頼ですみません。鑑定結果は出たのですか?」
「えぇ、今からゆっくりお話しさせて頂きますね」
佳子はラウンジチェアに腰かけると、ウエイトレスを呼びホットコーヒ―をオーダーした。鞄の中からパソコンとA4サイズの書類をとりだしてテーブルの上に置く。
鑑定書を眺めて佳子は首を傾げながらいう。
「アキラ君の幼馴染の元宮君ってかなり人気ある音楽家みたいだね」
「はい。ダブテックというユニットなんですけど、主にジャンルはジャパニーズレゲエに分類されると思います。一時期は武道館でライブをやるくらいに人気があって、今でも根強いファンがいるみたいです」
少し興奮した様子でアキラがいう。元宮は自慢の幼馴染だから褒められると嬉しい。
「でも、この天運鑑定書を眺めていると不思議なことばかりが起きているって感じるのよ」
天運鑑定書は運治があがる色や数字などの鑑定結果が77項目書かれている。
「不思議なことってどんなことですか?」
きっとこの先の話は長くなるだろう。アキラはアイスコーヒーを口にして準備した。
「元宮君のバイオリズムなんだけれども、もともと運気の波にアップダウンがないうえに、今年は最高の年回りとなっているから」
バイオリズムとは10年周期で巡る運気レベルのことで、2から8までの数字で表している。アキラも元宮もバイオリズムが高いということは、もともと強運を持っているということになる。運とは良い人や上質な物や有益な情報との『出逢い』のことをいう。
「最高の年回りですか。僕で言えば、2020年がバイオリズム最高の年だったのですけれど、やっぱり人生を変えるような出会いがたくさんありました。では、元宮も人生に失望して失踪したという訳ではなさそうですよね」
アキラは微かな希望をかけて佳子にいう。バイオリズムが高いということは苦労や苦難に遭遇する確率も低そうだ。
「元宮君の場合、深層心理に歓を持っています。一言でいえば、未来型思考をもっていて、とてつもない未来をイメージするとき才能を発揮します。逆に、わくわくする未来を描けない時は、ドン底まで落ちるのも特徴的です」
佳子は嬉しそうな顔していう。きっと彼女も深層心理に歓を持っているから楽しいのだろう。アキラは嬉しそうに話す佳子を見て顔を紅潮させた。
「マジカルカラーは青なんですよ。マジカルカラーってぱっと見の印象だし、無意識の行動のことじゃないですか?元宮の場合、知的でクールな印象を持ち、明るくさっぱりとした一面もあることが解ります。マジカルカラー青のキーワードに海と出てきます。彼は幼少期の頃からサーフィンをライフワークにしているので、山よりは海の近くにいると考えた方が妥当かもしれませんね」
「元宮君がもしも仮にバイオリズムが最悪で一番運気の悪い場所に行ったとしたら、天輝地である南の逆、北へと逃げるはずです。しかし、これといって今のところ失踪するような直接的原因は見つかっていない。そのことを思えば、運気をあげるために、南へと雲隠れしているようなイメージが涌いてきます」
そこまで詳しく力説すると、
「頭を使ったから甘いものが欲しくなりますね」
と佳子がいうのでメニュー表からケーキセットをオーダーすることにした。
ウエイトレスは数種類あるケーキが並べられているサンプルを持ってきた。
「私はイチゴのショートケーキにしようかな。アキラ君は?」
イチゴのショートケーキはシンプルでおいしそうだが、たくさん種類があって迷う。
「僕も同じのでいいです」
アキラは時間短縮のため佳子と同じものをオーダーした。ケーキセットが届くまでの間、たわいもない雑談がはじまった。
「そういえば、詩音ちゃんは元気にしていますか?」
佳子はアキラと詩音がお付き合いするきっかけをくれた人物だ。最近の事情を知らないとはいえ、純粋なる親心からそう尋ねたのだろう。
「実は、僕が悪友と一緒に地元でお酒を飲んだ後に、中国人がやっているエステに行ったんです。そのことがバレて、一方に別れ話をきりだされて家を飛び出していっちゃいました」
「蒲田のエステってことは裏営業の風俗店ってことよね。それは怒って当然よ」
「はい。僕もそう思います」
「けれども、アキラ君のラッキーナンバーは1でしょ?」
「マジカルナンバーが5でラッキーナンバーは1です」
「ラッキーナンバーはその人のエッチ度が解るのよ。数字が大きくなればなるほど浮気症ってことが解るのです。ラッキーナンバーが1だったら、浮気症どころか女性を束縛するような潔癖の人ですからね」
「風俗店とはいえ、やましいことは何一つしていません。あったとしても、女性セラピストが手で性欲の処理をしてれるくらいです。主に、語学や文化交流の目的で行ってましたが、それでも半年に一回くらいですし、表向きはマッサージ店なので施術もしてくれます」
アキラは精一杯いいわけをする。佳子は少しあきれ顔で聞いている。そこにウエイトレスが来て苺のショートケーキをテーブルに置いていった。
「まぁ、詩音ちゃんのラッキーナンバーからも、貞操観念が高いということが解りますからね。お嬢様相手の恋愛というのは、そこらにいる一般的な女性よりも疲れるかもしれませんよね」
佳子は苺を頬張りながらいう。佳子だって社長令嬢だし、一体なぜこんなにも自分の周囲にはお嬢様タイプが集まるのかとアキラは疑問に感じた。
「まぁなんにせよ、別れ話をきりだされたまま2日間も連絡をとってませんから、詩音だってもう子供じゃないし、結婚できない相手とならばそのまま他に好きな人ができたとしてもおかしくはないです」
「アキラ君は詩音ちゃんと7年も付き合ってきたのでしょう?」
「今年で7年目ですね。詩音は今年で29歳になります」
「詩音ちゃんは、アキラ君が追いかけてくることを待っていると思いますよ」
「え?」
アキラは戸惑いを隠せなかった。簡単な女心すら解らなかったなんて。占術師としてお客さんに恋愛のアドバイスしていることを恥じた。矢継ぎ早に佳子が言う。
「詩音ちゃんはうちの会社にとっても大切な鑑定師です。彼女の決断次第では、銀座や新宿などの一等地に実店舗を構えることだってできます。アキラ君はエリア鑑定師なのですから、幼馴染が心配な気持ちはわかりますが、早く詩音ちゃんと仲直りしてください」
「詩音とのことだったら大丈夫です。運命から始まった恋愛ですから」
アキラは確信を込めて言う。ショートケーキを食べ始める。甘酸っぱい苺の味が詩音とはじめてキスをした瞬間の記憶を蘇らせた。
「それで、幼馴染の元宮君だけど。彼はかなり有名なミュージシャンなのでしょう?」
「はい。全国的にも有名ですが、特に地元の蒲田では知らない人はいないくらい有名になりました」
「アキラ君の周りには凄い人たちが集まってきますね。やっぱり神に選ばれし人ですよ」
「人は40にして惑わず、50にして天命をしる、とは孔子の言葉ですが、確かに40歳を超えてから判断に迷わなくなってきました。けど、インディーズ作家として人気が出てきた一方で、僕は元宮の知名度を利用して今の地位があります。実力で勝負できているとは思っていません。もっともっと小説を読んでたくさん社会勉強をして実力を磨いていきたいです」
アキラは胸の内を打ち明けると、すっきりとした表情を浮かべた。佳子はただ微笑んでそれを見ていた。ケーキを食べ終わるまでの間、ホテル内にはクラシックピアノの生演奏が流れ、その美しい旋律は、中央玄関の吹き抜けの天井へと鳴り響いていった。つかの間の戦士たちの休息は永遠の時間にも思われた。ふと佳子が、眺めていたスマホをテーブルの上に置き話しはじめた。
「アキラ君は苗字が橋本よね?」
アキラはコーヒーカップを持ちながら、はいそうですと答える。
「橋本家は鎌倉時代には羽林家といって公家の家柄だったそうじゃない?」
佳子はアキラが祖先のルーツを知っている前提で尋ねた。
「うりんけ、ですか?はじめて聞きました。まぁ、確かにうちは江戸時代までは苗字帯刀をゆるされた商人の家系ということまでは知っています。江戸時代、士農工商と序列がある中で、商人は一番下の身分とされてきました。が、苗字帯刀の商人だけは武士と同じように刀を持つことをゆるされ、武士と対等に話せることが許されていました」
「苗字帯刀の家系なんて凄いじゃないですか。たぶんアキラ君のご先祖様は高貴な血筋の持ち主で、天からも護られています。だからお墓参りはちゃんとした方が良いですよ」
「はい。うちは浅草にお墓があるので、お墓参りした後に定食屋でとんかつ定食食べるのが楽しみなのです。浅草は天ぷら屋さんとかお寿司屋さんも美味しい店がたくさんあります」
「お墓が浅草にあるってことはご先祖様は相当なお金持ちですね。アキラ君もはじめてお会いした時から、人を圧倒するような気品を感じました。きっと、旧家の出の人だから文章を扱うお仕事は向いていると思います」
「でも、詩音の家柄と比べると、うちは旧家ってだけで金持ちではありません。プロの作家になったとして、果たして詩音の親が結婚を認めてくれるのかも謎のままでした。やはり一度、冷静になって、自分が犯してしまった過ちを反省したりする時間が必要だと思っています。それに、小説家として稼げるようになったら、お付き合いで銀座の文壇バーにも行きたいと思っていますので、果たして詩音がそれを許してくれる器があるかも疑問です」
「なぜ、そんなに小説家になることにこだわっているのですか?アキラ君は占い師としてもちゃんとやれば、普通のサラリーマンの数倍も稼げるじゃないですか。それに比べたら小説家は稼げない職業に分類されると思います。一部の人気作家は億を稼ぐそうですが、そこまでの道のりはとても長いです。小説は趣味のままの方が良いのではないでしょうか」
「佳子先生。せっかくのお言葉ですが、やっぱり僕は小説家になりたいです。どんなに稼げたとしても、またどんなに地位や名声を得ようとも、お金のためだけに働くということはしたくありません。例え今が死ぬほどつらかったとしても、必ず幸せな未来があることを、小説を通して伝えたいのです。氏名には使命が宿るという格言があります。使いきれないほどの財産があったとしても健康でなければ意味がないように、人間の幸せはお金では測れません。僕が死ぬときに、後世に残せるものがあるとしたら、それは書籍だけだと思います。自分が死んだ後も誰かの心の中で生き続ける。そういう作家になりたいですし、そういう生き方をしていきたいです」
佳子からの助言は有り難いが、アキラの意思は固まっていた。佳子はぬるくなったホットコーヒーを飲んで腕時計を見る。
「アキラ君、そろそろ次の予定がああるのでまとめに入りましょうか。聞きたいことあればなんでも聞いてください」
「元宮は生きていると思いますか?」
佳子は首を左右に振り、解らないと答えた。
「そうですか」
「でもね、諦めちゃいけませんよ。天輝地の南を探してみてください」
「南、ですね。」
「バイオリズムからしても失踪する理由は見当たらない。けれども、あれほどの人気あるアーティストですから、何かしらのトラブルに巻き込まれている可能性もあります。まずは彼のお母さんに許可をとって、彼のマンションを捜索してみてください」
「解りました。あと、もう一つだけいいですか?」
「はい。幾らでもどうぞ」
「僕と元宮はもともと実家が同じマンションで誕生日が一日違いです。これって何か意味があって出会ったということでしょうか?」
「まず、間違いなくソウルメイトでしょうね。前世からの強いご縁がなければそうはなりません。元宮君が音楽の世界で成功したということはアキラ君だって成功する可能性が高いのです。これは、占術をとおしても同じことが言えます」
佳子はアキラが成功すると見抜いているようだ。しかし、当のアキラはどこ吹く風といった具合でのほほんと生きている。運命には逆らえない。これはアキラが生きてきた40年ちょっとの人生で学んだ教訓だ。なるようになるさと運命に翻弄されながら生きていく。
自由気ままに風に吹かれながら、大いなる神という存在に身をゆだねる様に、まるで生まれたばかりの赤子のような純粋さだけがアキラの取り柄である。
佳子とのセッションは実のあるものだった。まずは元宮のママさんに許可を取って彼のマンションを捜索してみる。アキラの脳内には突然死した兄の面影が浮かんだ。こうしてはならない。人間が油断している時は悪魔をも引き寄せる。アキラは有楽町から青い京浜東北線に乗り、蒲田へと急いだ。たった20分の移動時間さえも今は永遠にも感じられた。




