十六夜の公園で、元宮を想う
お盆休み初日目の夜、アキラは蒲田のパチンコ屋にいた。
本来ならば恋人である詩音と楽しい夜を過ごしていたはずだった。しかし、浮気がバレてヤケになって夜の蒲田を歩いていたら、タバコが吸いたくなって気づいたらパチンコ屋でスロットを打っていた。
占い師だから、未来が解るとかそういった類の話はほとんど信じないが、今年は彼にとって試練の年まわりとなっている。8月27日の誕生日が来れば、もう42歳になるのだが、一向にプロの小説家になれる気配がない。インディーズ作家として有名ではあるが、それはあくまでもボランティアのような活動であり、プロデビューした時にファンがいたほうが楽だから、というのも無料で書き続ける理由の一つだった。
幼馴染の元宮は失踪しておかぁ様から行方を捜すように頼まれているし、恋人とも半ば強引に別れ話を切り出されてしまった。
アキラの座った台は不思議なまでに、ビッグボーナスをひき続けた。コインが溢れるばかりに受け皿にたまり、次のボーナスをひいたところで、彼はタバコを吸いに席を立った。
喫煙所ではスマホでデータを眺めている常連客が2人いる。アキラは缶コーヒーの中ではかなり甘い、エメラルドマウンテンをぐびぐび飲んだ。ビッグが出るたびに缶コーヒーを飲んでいたら、糖尿病にでもなっちまうなと思いながら、自虐的に自分を痛めつけているのだ。酒飲みが酒に溺れるように、そうすることで一時的な痛みを忘れることができる。もしも、自分が蒲田なんかに生まれていなかったら。もしも、小説家になんてなろうと夢をみなければ。今日のようなことにはならなかったはずだ。
ガラス張りの喫煙所からは、パチスロを打つ客の後ろ姿が見える。コインは受け皿にいっぱいになっているようだが、勝っているのか負けているのかもよく解らない。まるで過去に殺人を犯した罪人のように、背を丸くして帽子を深くかぶって素性も解らない。
この街は昔、ヤクザやヤンキーで溢れかえっていた。中学校の通学路には、裸に近い恰好をして踊る外交人女の姿の怪しい看板やピンクサロンやキャバクラ、デリバリーヘルスなどがある。売春や恐喝などなにかしらの犯罪に巻き込まれてもおかしくない危険な街だった。
いつからだろう。この街からヤクザが追放されてヤンキーも見かけなくなった。ポイ捨て禁止の清掃活動や青少年への声掛けなど地道なボランティア活動によって、こんなにも平和な街に生まれ変わった。それに蒲田は少々の悪戯をしたとしても笑って許してくれる風潮がある。夢追い人に優しい街だ。
こうして、喫煙所から見える景色というのは、色んな人生が垣間見えて楽しい。いつだったか、青年期の年末にも思議な事件が起こった。
その日は夕方から父親がお正月の料理を作っていた。アキラは翌日の1月1日に法華経を信仰する団体に入会する予定だった。スーツで来てくれと言われていたので、兄貴と一緒の部屋にいて、洗濯ものなのか洗ってある衣服なのか解らない状態の中で、ネクタイを探していた。すると、父親が調理をしていたキッチンで異変が起きた。包丁か何かをまな板にバーンと激しく叩きつける音が聞こえて、アキラはキッチンへと向かうと、父親が怒りに身を任せたまま家を飛び出していってしまったのである。彼は自分のせいだと思った。
もともと真言宗の由緒ある家系に生まれながら、父親たちとは一緒のお墓には入れないといって、法華経に帰依したのであるから、世間体を気にする父親なら怒ってとうぜんだ。アキラはダメもとで南無妙法蓮華経と唱えた。すると、不思議なくらいに脳内がすっきりして落ち着きを取り戻せたのである。衣服を洗うものと洗わないものに分けて、洗ってあるものは再度畳みなおし、シャツやアウターはハンガーにかけて、クローゼットにしまっていった。そして、探していたネクタイは、山積みになっていた衣服の一番下の方で見つかった。
次に不思議なことが起きたのは、怒りに身を任せて家を飛び出していった父親が上機嫌で帰ってきたことである。父親は両手にお菓子やジュースが入っていると思われるビニール袋を持って帰ってきた。上機嫌で話しかけてきた父親の息からは、ほんのりウイスキーの薫りが漂っていた。話を聞くとどうやらパチンコでだいぶ勝ったらしく、アキラは父親からちょっと早めのお年玉を貰ったのである。南無妙法蓮華経と唱えると良いことが起きるという、はじめての確信に変わっていった。
アキラは喫煙所で2本目のタバコを消し終えたところだった。色んな思い出がふとした瞬間に蘇ってくる。文章を生業とする人間にとっては特筆すべき才能かもしれない。
アキラはボーナスゲームを消化して、メダルをドル箱に入れると席を立って、メダルを店員に渡した。1027枚の数字が表示され、約2万円の勝ちが確定した。店員がお手拭きをくれて、印字された紙を渡された。それを持って一階のカウンターまで行き、景品と交換をする。パチンコ屋でお金と換金するのは違法行為だ。だから、パチンコ屋の近くには必ず景品交換所があり、そこでプラスチックの箱型のような特殊景品を現金に換える仕組みなのだ。
アキラは約2万円を手にすると、虚無感に襲われた。こんなあぶく銭を手にしたところで喜びを分かち合える人がいないことに寂しさを感じた。そもそも、大財閥のご令嬢の詩音だって、自由自在に生きている人生に憧れて好きになったと言うが、友達の付き合いで風俗に行ったくらいで嫌いになるくらいならば、7年も付き合ってきた方が不思議でしかたない。
月の暦を使った占いで見ると、悪友の竹田とは安壊という壊し壊される最悪の関係性であることに気づいてはいた。身体だけの関係性だったら、風俗は浮気というよりは男の欲望を発散する場所なのだから、女は気づいていても気づかないふりをするのが大人の対応なのだと思っていた。
十六夜の月が東の空に瞬いている。いざよいとは、ためらう、進めないという意味の「いざよう」が名詞化したもの。次の十六夜は9月11日。この日は、奇しくもアメリカの同時多発テロが起きた日に重なる。
失ってみてはじめて気づいた詩音への愛情。この十六夜の語源のように、ためらい、進めないこの心を今夜救って欲しい。
ふと幼馴染の元宮の顔が浮かんだ。彼はアメリカ同時多発テロが起きた日に、世界貿易センタービルに上ろうとしていた。たまたまその日は寝坊したために、一命をとりとめたのだった。彼は2機のジャンボジェットがビルへと突っ込んでいった瞬間、バックドラフトにより身体ごと吹っ飛ばされた。何が起きたのか解らないまま、必死に逃げた先は、レゲエのレジェンドボブマーレーが倒れ、ジョンレノンが暗殺された場所だった。
彼は戻りつつある意識の中で、生きるとはどういうことかということに考えを巡らせていた。俺が寝坊してなければ予定の時刻に世界貿易センタービルに上っていて死んでいた。そうだ、俺は一度死んだんだ。もしも、この身体を自由に使えるとしたら俺は何がやりたい?そして、彼が導き出した答えのようなもの。俺は世界平和のために歌を唄おう、と。
アキラは無意識のうちにアパート近くの公園まで歩いてきた。夜風は頬を濡らすように涼やかに吹きぬけていく。桜の樹は鮮やかな緑色のグラデーションを創りだし、街灯の明かりに照らされて、春などなかったかのように巡りゆく季節を彩っていた。力なくベンチに腰を掛ける。
(こんな哀れな姿を元宮に見られたら彼は怒るだろうか)
アキラの中で何かが弾けて壊れそうだった。もう2週間後には誕生日がくる。その翌日は元宮の誕生日だ。彼は一体どこで何をしているだろうか。会いたい。今すぐに会って、励まして貰いたい。
夏の音は神秘的なまでに魂を浄化してくれる。どこからともなく聞こえてくる風鈴の音。大地の鼓動。樹々が揺らめいて、時計の針は残酷なまでに別れのサインを告げる。眠りにつくとき、人は一度死んでいるのだと聞いたことがある。あの世とこの世を結びつけるもの。現実世界と精神世界を行ったり来たりして、気づいたこと。それは魂のリフレイン。繰り返し繰り返し、何度でも死んでは生まれ変わること。僕たちは光の中にいて、何億光年と離れた星々を行き来する。だから、寂しい時は空を見上げればいい。この空は、誰かが見上げている空へと繋がっている。今夜、私を救って欲しい。アキラは神々に祈った。




