フッドスターが消えた夜
2022年8月12日、スタージョンムーンという特別な満月の日に、アキラは蒲田の心療内科にいた。銀色した外装の9階建てオフィスビルの5階には、小さな心療内科がある。JR蒲田駅からのアクセスも良く、地元住人だけでなく区外からも通う人も多い。ここの院長先生は、話をじっくり聞いてくれるので評判が高い。大抵の心療内科は、薬を処方することで利益をあげているし、一人の患者にかけられる時間は5分程度なのだ。
アキラが通う心療内科は、午後5時を過ぎると、セキュリティの関係で鍵がかかってしまい、外部からは入れなくなる。そのため、どんなに混雑している日でも、午後5時までにはビルの中にいなければならない。
アキラは診察室を正面にして、受付から見える位置にあるソファーに腰かけていた。薬を処方してもらうだけだから、院長以外の先生でもよかったのだが、あいにく休みの関係で院長の診察の日にあたってしまったのだ。
満月の日に心療内科にかかるとは、なんとも皮肉な話ではあるが、竹田から貰っている現場仕事が13日からお盆休みに入るので、一日だけお盆休みを早めて貰ったのだ。
待合室で待ってる間、ずっとダブテックの元宮のことを想っていた。というのは、元宮の父親が重度のうつ病になった時、代わりに待合室で呼ばれるのを待っていたのは彼のお母さんだったのだ。元宮のお母さんとアキラは、この心療内科で再会を果たした。
アキラと元宮勇気とは、もともとは4歳の頃から同じマンションに住んでいた幼馴染であった。元宮は中学二年生の時に、同じ蒲田に新築の家を建てて引っ越していった。小学校の6年間と中学校の2年間、計8年間通学を共にした。
21歳を過ぎた頃、風の噂で、元宮がミュージシャンを目指していることを知った。アキラは思春期の頃、引きこもりがちな少年で、高校も中退しているから、地元の友達しか繋がりがなかったのだが、アキラを引きこもりから救ってくれた新城隆則と元宮が中学の頃からの親友だったため、新城に引っ張られる形で、蒲田の音楽スタジオにて、アキラと元宮は、中学卒業以来の再会を果たした。
新城はプロのギタリストになることが目標だった。日本のロックのメジャーシーンで活躍する品川区戸越出身の海斗と元宮が友達であったため、海斗から『お前たちが本気で音楽でやっていきたいのならば俺が応援する』と言われ、新城は仲間たちと共にデモテープ製作に励んだ。しかし、彼は目の前で苦しむ友人のアキラをどうしても放っておけない思いでいた。そして、最終的にはプロになるチャンスを犠牲にして、アキラと一緒にいることを選んだ。
アキラは新城の励ましのお陰で、社会復帰し彼女ができるまでに回復した。
だが、新城が捨てた夢を引き継ぐことでしか恩義の返し方が解らずに、アキラは夢と現実の狭間にいて、いつも夢を選択していきてきたのだ。だから、元宮がダブテックというユニットを結成して、『ハイウェイ』という楽曲が、ラジオや有線で連日、ヘビーローテーションでかかるようになった時、元宮とその相方と家族の次に喜んだのは他でもない、幼馴染のアキラだった。自分や新城が叶えられなかった夢を元宮は叶えてくれた。しかも、武道館で単独ライブをやるほどに大躍進したのだ。元宮は地元では知らない人がいないフッドスターとなった。
アキラと元宮と新城をつなぎとめているモノ、それは仏法だった。元宮はもともと法華経の信者の熱心な家系に生まれたが、新城とアキラは元宮の影響で仏法を信じる様になった。だから、アキラにとって新城と元宮はかけがえのない恩人なのだ。
アキラは心療内科の待合室の窓の外を眺めた。朝から来たってのに、もう外は真っ暗だった。時計をみた。20時を悠に回っている。時間は永遠のモノと感じられた。そのときアキラの右側から自分の名前を呼ぶ声がした。受付ではないその声は懐かしい響きだった。
「はっちゃん?」
アキラは右側へ視線をやった。白髪とマスクで雰囲気が変わっているが間違いない、元宮勇気のお母さんだった。
「久しぶりです。お元気でしたか?」
「ありがとう。ぼちぼち元気だったよ」
アキラはソファーの左側に寄って、座ってくださいと促した。元宮のお母さんは、白の7分丈パンツに黒のワンピースを合わせていて、胸元はシースルーでひらひらとしたゆるフワ系のリラックスした格好で、足元は夏らしい小麦色のサンダルを履いている。
「はっちゃんはだいぶ久しぶりだったけど、どうしたのかな?って思ってたところなのよ」
元宮お母さんはマスクをしてて解らないが、若い頃は可愛い系美人として近所でも評判の女性だった。アキラのことを『はっちゃん』と呼ぶのは元宮と、その家族くらいだ。
「はい。ママさんと再会した後、病院を変えたのですが、もともと睡眠薬しか貰ってないので、時間の融通が利く蒲田に戻しました。ところで、勇気は元気ですか?」
アキラが質問すると、ママさんは少しの間、沈黙した。意を決して口を開くまでに、約30秒は経過していた。
「実は勇気、行方不明なのよ。ダブテックのライブもキャンセルして、実家に帰ってきたのだけど、様子がおかしくてね。パパもうつ病だから、遺伝の可能性もあると思って、しばらくは様子を見てたんだけど………。ちょっと外出してくるって言ったまま、帰ってこなかったのよ。それで、自分で借りてるマンションにでも、帰ったのだろうと思っていたのだけど。ある日、勇気の事務所の社長からも連絡があって、レコーディングの日に、スタジオにも来ないからマンションに呼びにいったけれど、探さないで下さいって、置手紙だけがあったらしいの」
ママさんはそこまで話すと、喉が渇いたのか、ペットボトルの緑茶を口にした。
「探さないで下さいって、昭和初期のドラマじゃあるまいし。なにがあったのかはわからないですけど、逆に、探してくれって、魂胆みえみえでアイツらしいですけどね」
「そうなの?勇気って変に気弱になる時期があるし、もともと身体も強い方じゃないから、心配でね」
「一人っ子ですものね。ママさんからしたら心配する気持ち、お察しします」
「パパの影響で私まで鬱っぽくなっちゃって、勇気のこともあるし、はっちゃんには悪いけど、今日の診察は長くなりそうだわ」
元宮のママさんは気丈な人だと思っていたが、そこまで事態が深刻だったとは思わなかった。きっと家族にしか解らない何かがあるのだろう。しかしながら、アキラは、元宮なら絶対に大丈夫だ、という強い確信があった。彼は少し疲れているだけなのだ、と。
「はっちゃん。もし、勇気の居場所が解ったら、誰にも言わずに私に教えて。たぶん、強気に見せてもナイーブなところがあるから、しばらくはうちでかくまってあげたいのよ」
ママさんはそういうと、メモ帳を取り出し、電話番号とメールアドレスを書いてアキラに渡した。
「解りました。勇気には、いつも助けて貰ってばかりでしたから、今度は僕の方から、彼の力になってあげれたら嬉しいです。ちょうどお盆休みにもなりますし、実は、勇気と僕は誕生日が一日違いなんですよ。僕が8月27日で彼が28日生まれ。だから、なんとなく気持ちは解ります。誕生日が近くなると、人は色々と考える機会が多くなります。このタイミングで彼が失踪したということ、必ず、何か意味があると思っています」
アキラはママさんの手を握り締めていった。もしも時代が違ってたとしたら、元宮のママさんのような素敵な女性を放っておくことはない、と思っていた。それは一種の憧れや恋心とも言える。何も知らなくて、無邪気だった少年時代。元宮のママさんは、いつも温かく向かい入れてくれた。マンションの2階から、鉄骨の階段を、だだんだんと、勢いよく駆け降りると、インターフォンを鳴らす前に、一階の元宮家のドアが開き、小麦色の健康的な肌のママさんが、にこやかに、『はっちゃんおはよう』と挨拶をしてくれるのだった。子供心に嬉しさと恥ずかしさが混じりあい、こんな素敵な女性と結婚できるのだったら、なんでもやる、と決心するのであった。
元宮の父親は、日本に、はじめてサーフィンを持ち込んだグループの一員で、プロサーファーになることが夢だった。だが、サーフィン中に大怪我をしてしまい、紆余曲折あったが、持ち前の手先の器用さを活かして、サーフィンのアパレルブランドを立ち上げた。地元蒲田では知らない人はいないと言えるほど、伝説的なサーフショップのオーナーになった。バブルの時代、マンションや土地の価格が一番高かった時期に、蒲田に新築のマンションを買えるほど、経済的にも成功を果たした。
アキラは、元宮のパパさんのようなお洒落でロックで破天荒な生き方をしていて、大人の余裕がある男だったら、ママさんが惚れるのも無理はないと思い、お坊ちゃん育ちである自分のことを蔑んだ。
「ママさん。勇気の生年月日と血液型と出生地、出生順さえ解れば、琉球占術という的中率の高い占いで、彼の居場所を特定してみせますから、彼の出生地だけ教えてください」
「ありがとう。勇気は生まれも育ちも蒲田だよ。ところで琉球占術ってなに?」
「琉球占術は、僕が本業で使っている的中率の高い占いのことでして、東洋占星術、数秘術、古典風水に加えて、心理学の要素をミックスさせた、沖縄発祥の占いです。持って産まれた天運色や天運数、運気があがる方位や時間など色んなことが読み解けます」
「へぇー面白そうな占いね。私も運気のあがる色が知りたいわ。でも、なんで占いを学ぼうと思ったの?」ママさんは興味深々といった表情を浮かべて、アキラは少し安堵した。
「単純に、はじめは女性からモテたかったからですよ。思春期の頃に、エレキギター始めるのと同じ理屈です。でも、夢を追いかけている割には、結婚願望が強くて、長いこと運命の女性との出会いを求めていたのです。それで、ご縁があって、沖縄発祥の琉球占術と出会ったんです。占い師として活動する中で、運命の人という鑑定がでたらお付き合いすればよいって、アドバイスを頂いて、プロの占術師になりました」
「なるほどね。はっちゃんも昔は本当に喋らなくて、密かに心配してたけど、今では、占い師ができるくらいに、コミュニケーション力が上達したのね」
ママさんは少し頬を赤らめていう。思えばコミュ障をなおすために、色々訓練してきたものだと、アキラは思う。
「今でも、コミュニケーション障害の気はありますけどね。占いだと、カウンセリングとかで使う傾聴の技術さえ守っていれば、お客さんが勝手にベラベラ喋ってくれますから」
ママさんは、幼き我が子をみつめるような瞳で、アキラをじっと見つめた。
「それで、彼女というか奥さんとは出会えたの?」忘れかけていた、遠い恋愛の記憶を懐かしむように、ママさんは尋ねる。
「はい。いちおう、占い上では運命の人とでた彼女とお付き合いして、7年目になります」
「お名前はなんて言うのかしら?」
「詩音です。星崎詩音」
「ひょっとしてジャズシンガーの星崎詩音ちゃんじゃない?」
「えぇ、いちおう、ジャズの世界では、名の知れたボーカリストみたいですけど、よくご存じでしたね」
「詩音ちゃんは、星崎財閥の娘さんとして、小さい頃から知ってたのよ。大きくなって、とっても可愛らしくて、顔も小さくて羨ましいわ。小麦色の肌してて、胸も大きいから、ドレスを着せると、まるで別人みたいに、妖艶になるのよね」
「まぁ、本人は、ビジュアルで評価されるのは、不本意みたいですけど、ママさんがそこまで褒めてくださるならば、恋人として嬉しい限りです。僕の理想は、ママさんみたいに小麦色の肌して、健康的な美人に憧れてましたから」
アキラは長年胸の奥に大切にしまっておいた、淡い恋心を告白した。ママさんはさっぱりとした表情を浮かべている。息子の同級生からの告白にも、大人の女は嬉しいものなのか。
ママさんが診察室へ入っていった後、アキラはふいに過去に起きた出来事を思い返していた。
ここ数年でアキラが所属している占いとパワーストーンのお店『ミラクルスポット』は、様子が変わった。那覇の国際通りの中ほどにあった、一号店が潰れるだけでなく、広島や和歌山などにあった姉妹店も、続々と閉店を余儀なくされた。しかし、ミラクルスポットは、インターネット店がメインのため、沖縄のカーゴスにある本店は、主に発送作業がメインとなっていて、全国の鑑定師からのパワーストーン製作依頼や鑑定書の発行作業だけで経営が成りたっていた。アイドル占術師のKAKOや人気ナンバー2だった絢香が独立していき、アキラと詩音が出会った時の7年前のメンバーとは、顔ぶれが一新した。
7年前、星崎詩音は23歳で、まだ男性経験がなかった。アキラとは琉球占術を通じて出会ったのだが、詩音は、アキラと出会う前から、インターネットで彼のSNSを隈なくチェックしていた。
アキラは未来、小説家になりたくて、占い師の世界に飛び込んだのだが、彼の人生は波乱万丈で、思春期の頃、5年間ほど家に引きこもったり、自殺未遂も経験していた。
詩音は政財界に強い影響力を持つ、星崎財閥の父親の一人娘で、母親も名家の出身のため、思春期には門限が設けられるなど過保護に育てられた。その反動で、大学時代には、一人暮らしをして、親の監視下から離れ、友人たちとラーメン屋巡りなどをしていた。詩音にとって、庶民が行くようなお店は、むしろ憧れでもあったのだ。
不自由な生活を余儀なくされていたため、アキラのような自由人に惹かれて、琉球占術の初級鑑定師になった。詩音ははじめから、アキラに近づくことだけを目的にして、2015年9月13日に、東京帝国ホテルでの面接を口実にしてアキラと出会うなり、そのまま彼をハイヤーに押し込めて、羽田から琉球王国こと沖縄県へ旅立った。そして、アキラは詩音のヴァージンを奪った。
付き合いたての頃、詩音はアキラにべったりだった。四柱推命を通しても、干合といって淫乱の合の関係性だし、マヤ暦でも詩音がアキラをガイドする役割を持っているし、宿曜占術を使ってみても共に親しみ栄あう栄親という最高の相性だったからだろう。
しかしながら、付き合い始めてから7年という月日がたった現在、ミュージシャン志望だった詩音は、JAZZシンガーとしてCDデビューする夢を叶え、もともと資産の配当金だけで、億単位を稼いでいる成功者のため、プロの小説家志望のアキラはなかなか結果が出ない焦りと戦っていた。彼女の方がどんどん出世していき、自分だけがヒモ男のように詩音にぶら下がっている。
アキラだっていちおうは旧家と名家の父親と母親から生まれた男だ。江戸時代、苗字帯刀を許された商人の家系の生まれだから、おばぁちゃんの代までは、東京千代田区の神田に生まれた、生粋の江戸っ子だったのである。アキラのお母さんは、沖縄では有名な財閥の娘だった。アキラの母親の代までは、幾ばくかの財産分与を貰ったり、長男から定期的な資金援助を受けていた。そのお金は本来ならば、アキラの学費に充てられる予定だった。
しかし、アキラは大学に行く費用には使わなかった。
彼はもともと高校を中退しており、そもそも教科書通りの教育に疑問を抱いていた。しかも、普通とされることが苦痛以外の何物でもなく、世間一般の常識など、時代の変化と共に変わっていくものだ、という悟りを得ていた。そのため、アキラは人が怪しそうと思って、ためらうような、仏法やスピリチャルな世界での学びに投資をして、さらには占い師になると言い出したのだから、もしも彼が、一般家庭に生まれていたら、とてもじゃないけれど、危なっかしくて、一人にはさせておけないはずだった。しかし、彼の両親は、世間一般の親とは全く異なる考えを持っていた。
アキラが橋本家の末っ子として生まれた時、占い師の行商から「この子は将来大物になる」と言われ記念に手形を取った。さらに父親がアキラの名前を考える時、占いをもとにして決めた形跡がみられるのだ。
アキラという名前は文章の章からとって名付けられた名前だが、アキラが占い師として自分探しの旅をしている最中に、面白いほど、小説家が天職であることを物語っているかのような、人生を変える気づきを得たのだった。
彼の誕生日である8月27日を数値化すると、『827』になり、この827は『144番目の素数』となるので、そもそも『144』とは、アキラが生まれ育った大田区の郵便番号なのだ。しかも、彼の実家近くには蒲田郵便局の本局と支店の2店舗がある。アキラはダブテックがインディーズながら、デビューアルバムは280万枚以上の大ヒットを記録したことにヒントを受けて、インディーズ作家を名乗り、その世界では有名な作家ではあった。
『引きこもりのすゝめ』という彼の自叙伝的エッセイ集は、累計5000ダウンロードを記録していて、ブラウザで読むだけの一見さんを含めれば、蒲田周辺では、彼はちょっとした有名人ではあった。なぜプロになる前からエッセイ集を出したのかといえば、有名になる前に実績を作っておいた方が、出版社にアピールできるからという戦略的な側面もあるが、一番には引きこもりで苦しむ人たちに向けて、引きこもりでも必ず蘇生できる、というメッセージを伝えたかったからだ。彼は法華経を供養することにより仏になった。
ママさんが診察室から出てきた。晴れやかですっきりとした表情を浮かべている。
「橋本さん診察室にお入りください」というアナウンスが流れて、アキラはママさんに軽く会釈してから診察室に入った。今日は満月。ここで出逢ったのも何かの縁。
アキラは元宮家との不思議なご縁をしみじみと実感していた。先生からは大した質問はでず15分ほどで診察は終わった。帰り道、満月は、眩いほどブルーライトのように妖しく光って、当りを照らしていた。




