空飛ぶタクシー
「あ! 気が付いた!!」
ちせりの声がする。
声のする方を見ると、少し怒った表情のちせりと、心配そうな母親の姿が見えた。
改めて回りを見渡すと、そこは白一色の内装で、幾つかのベッドが並べられている部屋だった。
かすかに消毒薬の匂いが漂っている。
「ここは……病院?」
「そうだよ。お兄ちゃん、熱中症で倒れてここに運ばれたんだよ」
その言葉を聞いて悠馬が飛び起きる。
「熱中症? そんなバカな!?」
悠馬の腕には注射の痛みがまだ残っていた。熱中症になる注射なんて聞いたことが無い。
「バカはお兄ちゃんだよ! 普段しない早起きなんてするから、こんなことになるんだよ」
怒ってそっぽを向いている。
どうやらかなり心配させてしまったらしい。
「体はどう? だるいとか吐き気は無い?」
こちらは純粋に心配そうにして、母親が尋ねて来る。
悠馬は首や腕を回して体の調子を調べたが、気味が悪いほど、どこもおかしくなかった。
「もう大丈夫みたいだ」
「そう。よかった。それじゃお母さん、先生と話をしてくるわね」
そう言って病室を出て行く母親を目で追っていたら、見覚えのあるポニーテールが見えたような気がした。
(神島? いや見間違いか)
ちせりの文句を聞き流しながら、悠馬はずっと病室の出口を見つめ続けていた。
その後、入院の必要は無しと判断され、家族と共に家に帰ってきた。
悠馬はベッドに転がりながら、改めて自分の身になにが起こったのか考えていた。
(熱中症なんかじゃねえ。どう考えてもあの注射が原因じゃねえか。結局、あれはなんだったんだ? 死んでないから毒……じゃないよな。でもあの感じ、体の中から壊されていくような感じは尋常じゃなかったし……それに、選ばれるってどういう意味だろう?)
どれだけ考えても結論が出るわけでもなく、悶々としている悠馬の傍らで突然、携帯が鳴り出した。
「メールじゃなくて電話か。ん? 知らない番号だな」
今までの事が事だけに、電話に出ることにかなり躊躇いがあったが、出なかったからといって事態が変わるわけでもないので、悠馬は思い切って通話のボタンを押した。
『さっさと出なさいよ! この熱中症男!』
神島の声だった。
なぜか熱中症の事を知っている。
間違いない、病室の外にいたのはこいつだ。
一つの確信を得つつ悠馬は電話に応じる。
「神島……さん?」
『別に無理してさん付けしなくていいわよ。ところで体の方はどう? なんか変わったところとかない?』
「いや、特に変わったところはないけど。……ところで一つ疑問があるんだが、何で神島……が俺の携帯番号知ってるんだ?」
悠馬は神島に番号を教えた覚えは無かった。
まあ、実際は神島の番号やアドレスは知りたくて仕方なかったのだが、基本、ヘタレな悠馬に自分から番号やアドレスの交換を申し出る度胸はなかった訳で。
『個人情報なんてものが本当に保護されてるとでも思ってるの? 幸せな奴ねー』
大丈夫かよ日本、と、この国の将来を割と真剣に案じてみる。
「ま、まあその件については怖いから突っ込むのはよそう。で、なんの用なんだ? 俺、誰にも喋ってないぞ? それにもう係わり合いにならないんじゃなかったのか?」
『状況が変わったの。直接話したいから此処まで来て欲しいんだけど』
ベッドの上で仰向けになりながら天井を見つめて答える。
「あー無理だ。今日の事で家族がかなり心配しててさ、出かけてくる、なんて言える雰囲気じゃねえ」
『それなら大丈夫。そんなこともあろうかと、ちゃんとタクシー派遣しといたから』
「は?」
その時、窓をコンコンとたたく音が響いた。
仕方なくベッドから起き上がり、悠馬がカーテンを開けると、そこにはサッカーのユニホームを着た男が、何がうれしいのかニヤニヤしながら立っていた。
とりあえずカーテンを閉める。
もう一度、開けてみると、残念な事にそこには相変わらずにやけ面の不審者が立っていた。
仕方が無いので窓を開ける。
「ええと、ここ二階なんですけど」
「気にすんな少年」
再び携帯電話を耳元に寄せる。
「なんかお前の仲間がベランダに不法侵入してるんですけど」
『だからタクシーを用意したって言ったでしょ。安心して。乗り心地は最悪だから』
「はぁ!?」
「それじゃいくでぇ」
話の流れについて行けない悠馬を、強引に小脇に抱えると、浮島は脚力を開放し、そのまま月を目指すかのように高く舞い上がった。
「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
飛行機の離陸を窓から見ているみたいに、眼下の景色がどんどん小さくなっていく。
「ちょ! 飛んでる! 飛んでるぅ!!」
「いや、正確にゆーと飛んでるんや無くて、ただのでっかいジャンプや」
「せやから」
放物線の頂点に達し、一瞬の無重力感が悠馬を包む。
「下にまいりまーす」
「ぎゃわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
今度は動画の早送りを見るかの様に、真下に立ち並ぶ家やマンションの屋根が、どんどん大きくなっていく。
「し、死ぬぅぅぅぅぅぅぅぅ」
「あははははー。ええリアクションや! 少年!」
そう叫びながら、浮島が人気のまったく無い道路に着地する。
その瞬間、悠馬の体に凄まじいGが係る。
まるで内臓を大きな手で鷲摑みにされて引きずりだされそうな、そんな衝撃だ。
危うく意識を失いかけている悠馬に構わず、浮島がそのまま二度目のジャンプを開始する。
「気持ちええやろ? 少年」
「いっそ殺してくれ……」
「まだまだ続くでぇ」
「いやだー! 降ろしてくれぇぇぇぇぇぇぇ」
夏の夜空に突然の不幸に襲われた高校生の悲痛な叫びが、虚しく響いていた。




