神の試練
悠馬の思考が再び現実時間に戻る。
時計の時間を見るとまだ7時前だった。
いつもはこの後、盛大に二度寝を繰り返すのだが、今日はまったくその気になれなかった。
二度寝をあきらめた悠馬はベッドから起き上がり、顔を洗うため洗面所に入って行く。
「お兄ちゃん?」
ちせりが髪の毛をセットしている所だった。
「ああ、わりい。使ってたのか」
「どうしたの? こんなに早く」
「いや、ちょっと目が覚めちまってな」
「珍しい。雨でもふるんじゃない? って、わたし今日、球技大会なんだから雨、降らせないでよね」
「俺にそんな力ねーよ」
適当に妹をあしらいながらリビングに向かい、久々に朝食を食べながら、テーブルの傍らに置いてあった新聞を虚ろな目で見つめる。
昨日、事件の事が気になって普段はテレビ欄と四コマ漫画しか見ない新聞を珍しく読んでみた。
地元のニュースの欄に小さく『刈上浄水場で事故。警備員一名が軽症。原因は老朽化したパイプの破損』と出ていた。
(どー考えても事故って感じじゃなかったよな。情報操作って奴か。でもこんなことが出来るって事は、神島達が言っていた政府の機関ってのは本当みたいだな。……よくよく考えると俺、とんでもねえ事に巻き込まれてたんじゃ?)
深く考えると怖くなりそうだったので考えるのを止め、朝食を食べることに専念する。
うん、たしかに朝食をきちんと食べるのも悪くない。
息子がしっかりと朝食を食べたのがうれしかったのか、やたら機嫌の良い母親に見送られ悠馬は家を後にした。
いつも通りの通学路を経て教室のドアを開けた時、いつもと変わらない神島の姿が目に飛び込んできた。
幻のように消えているのではないか、そんな気がしていた悠馬は、変わらぬ神島を見て、奇妙な安心感を感じていた。
何故そんな感情を抱くのか自分にも良くわからなかった。
「お、おはよう神島さん」
約束通りいつもと変わらぬ挨拶をする。
「……おはよう。片瀬君」
いつもと同じ様に半分だけ振り向いて、挨拶を返す神島。
あまりにもいつも通りの流れ。
土曜日の晩の出来事など本当に無かった気さえしてくる。
授業が始まっても、悠馬の頭には一切、教師の言葉は入ってこなかった。
目の前に座っている少女の綺麗な髪をただただ見つめる。
あの時は括られてポニーテールになっていた。
悠馬の好きだった少女は、とても儚く、守ってあげたくなるような存在だった。
しかし、あの夜に出会った少女は強い意志をその瞳に抱き、何かを守ろうとしていた。
今、自分の目に映っている少女と、炎の刀を携えた少女が同じ人間だということが、未だに信じられない。
前から配られたプリントを渡すために神島が振り返り、一瞬、視線が交わる。
やはり、その瞳からは何の感情も読み取れない。
その時、悠馬の脳裏にあの夜、神島が自分に向けて浮かべた表情が再び浮かび上がってきた。
今思えば、あのどこか儚げな表情、あれだけは今、目の前にいる少女が纏っているものとよく似ている気がする。
その表情を思い出すと、なんだか胸が締め付けられるような、悲しい気持ちになる。
だがやはり悠馬はなぜ自分がそんな感情を抱くのか良くわからなかった。
結局、その日受けた授業が悠馬の脳裏に記憶されることは無かった。
とぼとぼと駅から出て、夕方とはいえ七月の太陽の強い日差しを受けて揺らめく道を、セミの大合唱を聞きながら家に向かって歩いていると、進行方向にスーツを着たサラリーマン風の男が立っていることに気づいた。
立ち止まってこちらを見ているような気がするが、特に気にも留めることなく、通り過ぎようとする。
「片瀬悠馬君……だね?」
びっくりして振り返り、男と視線が合う。
悠馬はこの視線に見覚えがあった。
そう、あの時、浄水場から飛び出してきて、自分を見て笑った、あの視線だ。
悠馬の記憶が男の正体に気づいた瞬間、腕に刺すような痛みが走った。
「──!!」
見ると注射器が刺さっている。
あわてて振り払おうとしたが、男に腕をがっちりと捕まれ、抜くことが出来ない。
そうこうしているうちに、注射器の中身がすべて悠馬の体内に注ぎ込まれてしまった。
やっとのことで男の手を振りほどき、注射器を引き抜いて投げ捨てる。
さらに後ろへ一歩飛び退き、男との距離をとってにらめつける。
「な、なにを注射したんだ?」
「なあに。とってもいいものだよ」
男がこれ以上ないほどの邪悪な微笑を浮かべる。
「まあ、言うなれば神の試練かな?」
くっくっく、と笑い声を上げつつ男が続ける。
「なに訳のわかんねーこと、くっ!」
悠馬の体がよろめく。
体の中で何かが暴れまわっている。
手や足、首、頭、あらゆる人体を構成するパーツが、内側からバラバラに砕けていくかの様な衝撃が体中を走り抜ける。
あまりの激痛に悠馬は立っている事が出来ず、そのまま道路に倒れこむ。
「効いてきたようだね。さて、君は選ばれる事ができるかな? まあ、たとえ選ばれたとしても3日後には結局、死ぬんだけどね。どうだい? 理不尽だと思わないかい?」
恍惚の表情を浮かべた男が悠馬に問いかけるが、返事は無かった。
「おや、もう気を失ったのか? それじゃそろそろお暇するよ。願わくば君が選ばれんことを。そして最高の理不尽を君に」
ぴくりとも動かなくなった悠馬を尻目に、何事も無かったかのように男は立ち去っていった。




