浄水場
もうすぐ夏休みを迎えようとしている街は夜になっても熱気を放っていた。
自転車は夜の空気を切り裂き心地よい風を悠馬に贈る。
だが当の本人は風を生み出すためにわりと力いっぱいペダルを漕いでいたので、心地よくもくそもなかったりする。
20分程、自転車を走らせたところで悠馬はコンビニを発見し休憩を取ることにした。
ここから先は上り坂が続く様だし、普段あまり運動をしていないツケか、悠馬の体は水分補給と休息を激しく求めていた。
適当なところに自転車をとめ、コンビニに入ろうとした時、ちょうど会計を終わらせて外に出ようとしていた女の子とぶつかりそうになる。
その子は長い髪をポニーテールにしてTシャツの上から薄いパーカーを着ていた。
少し短めのひらひらしたスカートと膝上まであるニーソックス、靴は運動靴といういでたちの小柄な少女はリスの様に活発な雰囲気を纏っている。
悠馬はこの少女に見覚えがあった。
醸し出す雰囲気はまるで違うが、好きな女の子の顔を見間違う訳がない。
「神島さん?」
勇気を出して声をかけてみる。
「か、片瀬君?」
ちょっとびっくりした顔を見せる神島。
「ぐ、偶然だね。こんなところで会うなんて。神島さんの家この辺りなの?」
精一杯、自然を装って話しかける。
「……この辺りじゃないのだけれど、ちょっと用事があって」
「そ、そうなんだー」
残念ながらとても自然とは言いがたい受け答えになってしまう悠馬。
「……それじゃ、私はこれで」
「お、おう。また学校で」
神島と入れ替わる形で店内に入った悠馬は、神島とこれまでで一番しゃべってしまった!
これだけでここまできた意味があるじゃん!
と浮かれていたが、ふと、神島が持っていた大きな袋を思い出した。
(やたら大量のパンやおにぎりを買っていたな。……用事って捨て犬や猫にあれをあげたりすることだったりして。いや、神島さんはやさしーからそうに違いない!)
そんなことを考えつつ、悠馬はスポーツ飲料を選んで会計を済ませる。
店を出るとそのままコンビニの壁に寄り係り、買ってきたスポーツ飲料を一気に飲み干していく。
いろんな意味で火照った体に冷たいドリンクが心地よく染み渡っていった。
街の明かりに打ち消され、疎らにしか見えない星空を見上げながら、偶然出会った想い人の事を考える。
(普段の神島ってあんな格好しているんだな。なんかイメージと違ったなー。……そういや俺、神島のことについてほとんどなにも知らないんだよな。どこに住んでいるのかも知らないし……今度思い切って聞いてみよーかな)
ドリンクを飲み終えると悠馬は本来の目的を思い出した。
正直、もうどうでもいい気もしたが、せっかく此処まで来た事だし再びやる気を奮い起こして自転車に跨った。
浄水場は周りを森に囲まれた、人里離れた所に建っていた。
人の気配はなく、フクロウや虫の鳴き声だけが響き合っている。
建物の手前には駐車場があり、数台の車が停まっていた。
やはり駐車場にも人気はなく、ただ街灯に集まった虫たちだけがせわしなく動き回っている。
駐車場は開放されていたのでそのまま建物の近くまで自転車を進ませ、建物を囲んでいるフェンスの近くにとめる。
敷地内に入るための門は閉まっていた。
「中には入れないか。さすがに柵を越えて入ったら洒落にならなそーだし」
独り言を言いながらフェンス伝いに歩き出す。
「……やっぱり何も起きてないか。そらそうだよなー」
納得しつつ妙な失望感に襲われた悠馬はため息をついた。
その時、視界の端に光るものが見えた。
「ん?」
それは月明かりで反射したネームプレートだった。
そしてネームプレートの持ち主はそれを胸に着けたまま、仰向けに倒れていた。
「ちょっ、大丈夫ですか!?」
だが倒れた男はピクリとも反応しない。
慌てて悠馬はフェンスをよじ登って敷地内に飛び降りる。
警報などは鳴らなかったが、悠馬にそんなことを気にしている余裕はなかった。
「大丈夫ですか?」
男の元にたどりついた悠馬は軽く揺さぶりながら、再び問う。
しかし返事は無い。
「まさか死んでるんじゃ!?」
自分の言葉にギョッとしてパニックになりかけたが、何とか気持ちを落ちつかせ、男の口元に耳をやって、呼吸を確認する。
笛の穴から漏れてくるようなヒューヒューといった呼吸が聞こえてきた。
明らかに普通ではなかったが、死んではいないようだ。
「と、とりあえず救急車か? いや浄水場の人に言ったほうがいいのか?」
慌ててスマホを取り出そうとした悠馬の耳に、ズンっという何か重い物が落ちるかのような音が響いてきた。
思わず音のした目の前の建物を見上げる。
なんの音だろう?
機械が動く音かな?
と適当に考えながら、それどころじゃないと救急車を呼ぶためにスマホのロックを解除する。
(救急車って何番だっけ?)
生まれて初めての事態に悠馬はまだ混乱していた。
すると今度は、
ドゴン!
今度はさっきよりも音が近かった。
スマホから再び視線を建物に戻す。
機械の音にしては何か変だ、と悠馬がいぶかんでいると突然、建物の左側にあった扉が雷が落ちたかのような大音響をあげながら、白い煙と共に吹き飛んでいった。
その直後、ただの穴になった扉から黒い影が飛び出してきた。
呆然とその光景を見つめていた悠馬と影の視線が交差する。
仮面で覆われた顔。
その奥にある瞳からはなんとなくだが強い憎しみや怒りを感じる。
悠馬はそいつが、自分を見て妖しく笑ったような気がした。
だがそれも一瞬の事で、すぐさま仮面を纏った影は後ろを振り返り、手に持ったペットボトルを扉の穴めがけて投げ入れた。
綺麗な放物線を描きながら飛んだそれは、建物の中に入った瞬間に白い爆発を起こす。
思わず両腕で顔をかばった悠馬の視界の端に、仮面の影が後ろから白い煙を噴き出しながら、浄水場の右手に広がる林の中へあっという間に消えていくのが見えた。
「なんなんだ、あれ?」
謎の影が消えた林を見つめながら、思わず独り言をつぶやく。先ほどまでの騒動が嘘のように世界は静寂を取り戻していた。
そのまましばらく呆然としていたが、悠馬は自分の前にやけにくっきりと影が出来ていることに気づいた。
どうやらいつの間にか、背後が明るくなっているようだ。
なんだろう?
悠馬が振りかえろうとした時、
「そこのアンタ、両手を後ろに組んでゆっくりとこっちを向きなさい」
悠馬の背中越しに怒りの篭った声が響く。
(やべ! 勝手に入ったから怒っているのか? いや、もしかして俺がなんかやらかしたと勘違いされているのかも!?)
嫌な予感しかしなかったが、言われた通りにしてゆっくりと振り返る。
そこにはこめかみに怒りマークが浮かんだ浄水場の職員がいるに違いない。
だが振り返った悠馬が目にしたのは、右手に揺らめく炎の刀を握った神島彩音だった。




