和解
神島はアパートを囲んでいるブロック塀にもたれ掛かって下を向いていた。
思わず勢いで部屋を飛び出してきたものの、なんと声を掛けていいのかわからず、とりあえず1メートルほど間を空けて同じようにブロック塀にもたれ掛かる。
だが黙っていても話は進まないので思い切って声をかけてみた。
「神島、ええと、あの、その……」
しどろもどろになっている悠馬の言葉を彩音の言葉が遮る。
「ごめんなさい」
「はい?」
意外な言葉に悠馬の表情が間抜けに固まる。
「片瀬君が悪いわけじゃないのに、あんな言い方してしまって。本当にごめんなさい」
謝っている顔を見られたくないのか、悠馬と反対の方を見ている。
「いや、なんかこっちこそごめん。神島の事情も知らずに無神経なこと言っちまって」
その台詞に反応して神島がこちらに振り向いた。
「私の事聞いたの?」
悠馬が鼻の頭を掻きながら答える。
「ああ、……なんかごめん」
神島がやれやれといった感じで再び視線を地面に落とす。
「別に謝らなくてもいいわよ。どうせウッキーが勝手にしゃべったんでしょ?」
「……うん」
「口が軽いわねーあのにやけ猫目男は。まあどうしても知られたくない過去って訳でもないからいいんだけどね。ただ聞いて楽しい話じゃないから聞かされる方も迷惑よね」
悠馬にはなんと答えていいのかわからない。
少しの沈黙のあと再び神島が口を開いた。
「あのね、確かに小さい頃はいろいろ悩んだけど、今は私、自分の事不幸だとは思っていないのよ。両親の事も恨んでいないし。望んで手に入れた力ではないにしても、この力は私の一部、私そのもの。その力を使ってお母さんに一生残るようなひどい火傷を負わせてしまった。捨てられて当然よね。だからこれは私の罪。不幸なんかじゃなくて私が背負わなければいけないものなの」
そう語った神島はいつもより小さく見えた。
その姿があまりにも痛々しくて見ていられなくなり、自分でも気が付かないうちに口が勝手に言葉を紡ぎ出していた。
「あのさ、実は俺も親父いないんだよ。死んだとかじゃなくて俺が6歳の時に離婚したんだけどな」
唐突に始まった悠馬の身の上話をじっと下を向きながら神島が聞いている。
「原因は親父の不倫だったんだけどさ、その時はそんなこと知らなかったから、いきなり親父がどこかに行ってしまったと思ってたんだ。親父との仲は良くていろんな所に遊びに連れて行ってくれたり、キャッチボールとかよくしていたから、親父が突然いなくなってショックでさ、母親に聞いても別々に暮らすことになったとしか教えてくれなかったし。
それでも最初の頃は親父が会いに来てくれたり、手紙を送ってくれたりしてくれてたんだ。でも1年ぐらいでそれも全く無くなって、それで9歳の時に思い切って手紙にあった住所を頼りに内緒で親父に会いに行ったんだよ。結構大変だったんだぜ。電車に一人で乗るのなんて初めてだったし。
でも苦労して着いた親父の家で見たものは、知らない女の人と知らない子供を抱きかかえた親父の幸せそうな姿だったんだ。その時はっきり解ったんだよ。ああ、俺は捨てられたんだって」
あいかわらず神島は下を向いている。
「だからというか、もちろんこんなの神島の事に比べたらたいした事じゃないんだけど、ちょっとは神島の気持ちが解るというか、いやこんな事言ったら怒るかもしれねーけど、なんというか、ええと、くそっ、自分でも何が言いたいのか訳わかんねえ」
髪の毛をぐしゃぐしゃにしながら身悶えている悠馬を見て、神島が声を上げて笑い出した。
「神島?」
笑いを抑えて、目頭に浮かんだ涙をぬぐいながら神島が視線を悠馬に向ける。
「ごめんなさい。……片瀬君っていい人ね」
「そ、そうかな?」
「馬鹿が付くくらいにね。私みたいな化け物の事を本気で気遣うなんてお人よしもいいところよ」
その言葉に悠馬は思わず壁から離れ、体ごと神島の方を向いて一歩距離を縮める。
「神島は化け物なんかじゃねーよ」
悠馬の真っ直ぐな視線に耐え切れず、神島が顔をそらす。
「化け物よ。どこの世界に火を出せる女子高生がいるのよ」
「そんなのただの才能じゃねえか! 俺からすれば、100桁の計算を頭でする奴とか、頭とケツが引っ付くぐらい体が柔らかい奴とかわんねーよ。そいつらの事を化け物扱いする奴がいるか?」
再び悠馬の顔をしっかり見つめる神島。
「それは屁理屈よ」
「そんな難しい言葉はしらねーよ。とにかく俺はお前の事を化け物だなんて思わねえ。俺がお前の事をどう思うかは俺が決めることだ。約束する。俺はどんな状況になってもお前を化け物だなんて思わねえ! 絶対だ!!」
悠馬の剣幕に押されて呆けていた神島の表情が徐々に解けていく。
そして最後には、なにか重い物を降ろせたかのような何の屈託も無い花の様な笑顔に包まれた。
「……ほんとに片瀬君っていい人……というか変な人ね。……でもありがとう」
今度は悠馬が神島の笑顔を直視できなくなって目を逸らす。
「あ、そうだ。いい人ついでにお願いがあるんだけど」
「何?」
「……片瀬君の事、下の名前で呼んでもいいかな?」
「かまわねーよ」
「ありがとっ」
それじゃあ、と神島が嬉しそうに言う。
「悠馬……も私の事は下の名前で呼んでね」
なんか急に恥ずかしくなってきたが、ここは断る場面ではない。
「わ、わかった」
えへへへ、と神島が微笑んでいる。
「実は私、同年代の友達と下の名前で呼び合うのが夢だったの」
「なんつーか、ささやかな夢だなあ」
「うるさいわねー、人の夢をけなす奴は脳みそが燃えて死ぬ、ってことわざ知らないの?」
「そんな物騒なことわざがあってたまるか」
「でも考えてみれば不思議よね。3日前まで悠馬とは一生縁がないと思っていたのに、今は名前で呼び合って話してるなんて」
その縁がないと思われていた相手に1年以上片思いをしていた悠馬としては少々複雑なものがあったが、そのことに触れると話がややこしくなりそうだったので止めておいた。
「そうだなー。いろいろあったけどまだ3日なのか……」
その時、悠馬は自分の言った言葉になんだか引っかかった。
なにか大事な事を忘れているような……
まだ3日、3日、3……
「ああああああああああああああああああああああああああああ!」
悠馬の記憶の糸が繋がり、思わず大声をあげる。
「ど、どうしたの!?」
いきなり大声を上げたクラスメイトに神島が驚いている、というかちょっと怯えている。
「思い出した! 皆盛が俺にトライアルを打った時、アイツたとえ選ばれても3日後にはどうせ死ぬって言ってたんだ!」
「それって」
「そう! 今日なんだよ! 皆盛の奴、今日街を吹っ飛ばすつもりなんだ!!」
神島の表情が強張っていく。
8月にしてはありえないほどの冷たい風が2人の間を吹き抜けていった。




