表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夜勤明けの朝、光が痛い 〜限界の看護師だった私を、優しいカフェ店員さんが見つけてくれました〜  作者: ちょこまろ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/5

第4話 泣いてもいい朝

夜勤明けのカフェが、少しずつ美緒の逃げ場所になっていました。


けれど、病棟の忙しさは待ってくれません。

六月に入り、美緒は夜勤中の急変対応をきっかけに、張りつめていた心の糸が切れてしまいます。


今回は、美緒が初めて爽太の前で限界を見せる回です。

「大丈夫」ではなく、「休んだほうがいい」と言ってくれる人がいること。

その優しさが、美緒の心に静かに届いていきます。

 六月に入ってすぐ、病棟で急変が起きた。


 夜中の二時半だった。


 呼吸状態が不安定だった患者のモニターアラームが鳴り、駆けつけたときにはすでに顔色が悪かった。


 医師コール、酸素投与、吸引準備、ルート確保、採血、心電図。


 美緒は頭では手順を追っていたけれど、体のどこかはずっと強張っていた。


 看護師三年目。


 急変対応にまったく慣れていないわけじゃない。それでも、慣れることなんて本当はない。


 処置はひとまず落ち着いた。


 けれどそのあとも関連する記録や家族対応が続き、他の患者のコールも重なった。


 明け方には別の患者が嘔吐し、シーツ交換と更衣介助が必要になり、ようやく座れたのは朝食前の数分だけだった。


 大丈夫、と何度も心の中で言った。


 大丈夫。


 まだ動ける。


 あと少し。


 けれど、申し送りを終えて更衣室に入った瞬間、美緒はロッカーの前でしばらく動けなくなった。


 制服のボタンを外す指先がうまく動かない。呼吸が浅い。


 自分の中に薄いガラスの膜みたいなものが張っていて、少し触れたら全部割れそうだった。


 それでも着替えて、外に出た。


 駅へ向かう途中で、気づけば「月とミルク」の前に立っていた。


 扉を開ける。


 鈴の音が鳴る。


「いらっしゃいま――」


 爽太の声が途中で止まった。


 美緒は何か言おうとした。


 おはようございますでも、カフェラテお願いしますでもよかったのに、口がうまく開かなかった。


 喉が詰まって、視界が滲んだ。


「三上さん」


 その声を聞いた瞬間、張っていたものが切れた。


 泣くつもりなんてなかった。


 泣けるような場所でもないと思った。


 なのに、目の奥が熱くなって、涙がこぼれた。


 自分でも驚くくらい静かに、けれど止まらなかった。


 爽太は一瞬だけ周りを見て、それからカウンター奥の、少し死角になる席に美緒を案内した。


「こっち、座れますか」


 うなずくのが精一杯だった。


 すぐに温かいおしぼりと水が置かれる。


 少しして、何も聞かずに、カモミールティーのカップが置かれた。


「これ、サービスです」


 美緒は「すみません」と言おうとして、また泣きそうになった。


「謝らなくていいです」


 爽太は向かいには座らなかった。


 少し離れた位置で、でも美緒が一人きりだと思わないくらいの近さにいた。


 しばらくして涙が落ち着くと、恥ずかしさが押し寄せた。


「……ごめんなさい」


「だから、謝らなくていいですって」


「お店なのに」


「うち、そんなに混んでないんで」


 少し冗談っぽく言うから、美緒は鼻にかかった息でかすかに笑った。


「限界、だったんですね」


 その言い方は決めつけじゃなかった。


 ただ、そっと事実を置くみたいだった。


 美緒は膝の上で手を握りしめた。


「患者さんが急変して……もちろん、そういうことがある仕事だってわかってるんです。でも、全部終わったあとも、他の仕事は止まらないし、ちゃんとしなきゃって思うし、でも全然間に合わなくて」


 言葉にすると、また涙が滲んだ。


「患者さんにも優しくしたいのに、できない日があるんです。コール鳴るたびに、先に心が疲れる日があって。そんな自分がすごく嫌で」


 爽太は黙って聞いていた。


「ナースコールが鳴っても、ほんとは行きたくないって一瞬思うことがあるんです。そんなの、看護師失格だって思うのに」


 そこまで言って、美緒は自分で口を押さえた。


 こんな本音、誰にも言ったことがなかった。


 でも爽太は驚いた顔をしなかった。


 少し考えるように視線を落としてから、ゆっくり言った。


「違ったらすみません」


 その前置きが、妙にやさしかった。


「それ、失格じゃなくて、疲れてるんだと思います」


「でも」


「仕事そのものを嫌いなんじゃなくて、余裕がなくなってるだけなんじゃないですか」


 その言葉に、美緒はうまく反論できなかった。


「ちゃんとしようとする人ほど、壊れる直前まで黙ってますよね」


 真帆に言われた言葉と似ていた。


 なのに、違う響きで胸に入ってきた。


「毎回すごく疲れてるのに、ここに来て、ちゃんと座って、帰るときはありがとうございますって言うでしょう」


 美緒は顔を上げた。


「そういう人、たぶん本当にだめになる前に、少し休んだほうがいいです」


 大丈夫、ではなく、休んだほうがいい。


 その言い方が、変にきれいごとじゃなくて、救いになった。


     *


 そのあと、美緒は真帆に少しだけ本音を話した。


「休みの日、ちゃんと休めてる?」


 と聞かれて、「休めてないかも」と答えたら、真帆は「やっと認めたか」と言って笑った。


「有休、一日でも取れるように相談しなよ。私もフォローできるとこはするから」


「そんな、大げさだよ」


「大げさじゃないって。顔見ればわかる」


 真帆はパソコンを閉じながら、少しだけ真面目な顔になった。


「美緒、患者さんにはちゃんとしてるのに、自分には全然優しくないんだよね」


 言い返せなかった。


 結局、美緒は半日だけでも勤務を調整してもらった。


 それで劇的に何かが変わるわけではない。


 病棟の忙しさも、人手不足も、ナースコールの多さも変わらない。


 それでも、「もう無理」と思いながら無言で飲み込むしかなかった場所に、ほんの少し出口ができた気がした。


 けれど美緒には、まだ確かめられずにいることがあった。


 自分は本当に、患者さんに優しくできていたのだろうか。


 その答えは、思いがけない人の口から告げられることになる。

第4話をお読みいただき、ありがとうございます。


今回は、美緒が爽太の前で初めて泣いてしまう回でした。


患者さんに優しくしたい。

でも、ナースコールが鳴るたびに心が先に疲れてしまう。

そんな自分を「看護師失格」だと責めていた美緒に、爽太は「失格じゃなくて、疲れてるんだと思います」と伝えます。


大丈夫だよ、と軽く励ますのではなく、

「休んだほうがいい」と言ってくれる人がいる。


その言葉が、美緒にとって大きな救いになりました。


次回はいよいよ最終話です。

美緒が少しずつ自分を取り戻し、爽太との関係も新しい一歩へ進んでいきます。


最後まで読んでいただけたら嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ