表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夜勤明けの朝、光が痛い 〜限界の看護師だった私を、優しいカフェ店員さんが見つけてくれました〜  作者: ちょこまろ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/5

第3話 カフェラテの向こう側

夜勤明けの朝に立ち寄るカフェ「月とミルク」。


美緒にとって、そこは少しずつ、ただコーヒーを飲むだけの場所ではなくなっていきます。


今回は、優しいカフェ店員・爽太の名前を知り、二人が初めて少し長く言葉を交わす回です。


美緒が抱えている苦しさ。

そして、爽太が過去に経験した「ちゃんとできなかった時間」。


静かな会話の中で、二人の心が少しだけ近づいていきます。

 次の夜勤明け、店に入ると、その男性はすぐに気づいた。


「いらっしゃいませ」


 いつもの窓際に座る。


 彼が水を持ってきて、美緒は注文する前に聞いた。


「あの、お名前、聞いてもいいですか」


 彼は少し目を丸くしてから、小さく笑った。


「榊です。榊爽太」


「……三上です」


「知ってます」


「えっ」


「前にポイントカードを忘れそうになったとき、下のお名前だけ見えちゃって」


「あ、そうなんですね」


「気持ち悪かったらすみません」


「いえ、そうじゃなくて」


 美緒は少し慌てて首を振った。


「私、毎回ぼんやりしてるから……」


「夜勤明けですもんね」


 その言い方が自然すぎて、美緒は思わず彼の顔を見た。


「なんでわかったんですか」


「最初から、たぶんそうかなって」


「そんなに疲れた顔してました?」


「してました」


 即答だった。


 美緒は少しだけ口を尖らせた。


「ひどい」


「でも、今日は前よりましです」


「そうですか?」


「はい。ちょっとだけ、生き返ってる顔してます」


 その表現が可笑しくて、美緒はふっと笑った。


 そうすると、爽太もわずかに笑った。


 その朝が、二人が初めて少し長く話した日だった。


「看護師さんですか」


「うん、内科病棟です」


「やっぱり」


「なんで、やっぱりなんですか」


「手の動かし方が、なんとなく。あと、座ってても、いつでも立てる感じがする」


 その言い方に、美緒は少し驚いた。


 看護師同士なら気づくかもしれないけれど、外の人にそんなふうに見えるとは思わなかった。


「母が昔、夜勤ある仕事してたんです。職種は違うけど、明け方の雰囲気が似てて」


「そうなんですね」


「大変ですね」


 ありふれた言葉なのに、爽太が言うと、薄っぺらく聞こえなかった。


「大変です、って簡単に言うのも変なんですけど……」


 美緒はカップを指先で包みながら、少し迷ってから続けた。


「最近、ちゃんとできてない感じがして」


「ちゃんと、って難しいですよね」


「患者さんに優しくしたいのに、忙しいと余裕なくなるし、気づくと笑えてないし」


「うん」


「そんな自分が嫌で」


 そこまで言って、美緒ははっとした。


 こんなことを、どうしてこの人に話しているんだろう。友達にだって、ここまで素直には言えないのに。


 爽太は何も急かさなかった。


 ただ、静かに聞いていた。


「……すみません。朝から重い話」


「別に。うまく言えないですけど、そういうの、話せる場所があるほうがいい気がするので」


 少し言い淀んでから続ける、その不器用さがかえってやさしかった。


「僕も前、ちゃんとできない時期あったんで」


 それから彼は、以前は会社勤めをしていたこと、営業の仕事で数字に追われ、ある日駅で急に動けなくなったことを、淡々と話した。


 無理に劇的にしないぶん、かえってしんどさが伝わった。


「辞めて、少し休んで、今は知り合いのこの店を手伝ってます。前みたいには働いてないです」


「そうだったんですね」


「ちゃんとできないって思ってたころ、自分だけがだめなんだってずっと思ってました」


 爽太はグラスを拭く手を止めずに言う。


「でも、だめじゃなくて、無理だっただけのこともあるんですよね」


 その言葉は慰めというより、どこか事実みたいに聞こえた。


     *


 それから美緒は夜勤明けに店へ行くことが習慣になった。


 毎回たくさん話すわけではない。


 眠すぎて、ほとんどカフェラテを飲むだけの日もある。トーストを食べながら窓の外を眺めて、会計のときに二言三言交わすだけの日もある。


 それでも、そこには確かに少しずつ積み重なるものがあった。


「今日は顔色悪いですね」


「最悪です」


「スープつけますか」


「……つけます」


 とか。


「これから寝て、夕方から委員会です」


「それ、休みじゃないですね」


「休みって何でしたっけ」


 とか。


「記録って、そんなに大変なんですか」


「大変です。終わらないし、終わったと思ったら追加指示が入るし、あとで見返した自分がわかるように書かなきゃいけないし」


「なるほど……思ってたより、かなり現実的に大変だ」


「看護師って、走ってるか記録してるか、どっちかみたいな日ありますよ」


「それで夜もあるんですよね」


「あります」


「よくやってますね」


「やってるというか、回ってるというか」


 とか。


 ある朝、美緒が店に入るなり、カウンターに突っ伏しそうな勢いで席に座ると、爽太が言った。


「今日は相当ですね」


「寝てないです」


「夜勤だったから?」


「それもあるけど、休憩入った瞬間にスマホ見たら、師長から勤務変更の連絡来てて」


「休憩中に見なきゃよかったやつですね」


「ほんとに」


 その一言に、美緒は笑ってしまった。


 看護師じゃなくても、この手のしんどさをわかろうとしてくれる人がいることが、少しずつうれしくなっていった。


 ある日、会計を済ませようとしたとき、爽太が言った。


「三上さんって、出るとき毎回ちゃんとありがとうございますって言いますよね」


「え?」


「どんなに眠そうでも」


「……癖かも」


「いい癖ですね」


 その一言で、美緒の胸が少しだけ熱くなった。


 そんなところまで見ているのか、と思った。


 そして、美緒は少しずつ油断していた。


 あの店に行けば、また朝を越えられる。


 そう思い始めたころ。


 六月に入ってすぐ、美緒は笑うためではなく、泣くために、その扉を開けることになる。

第3話をお読みいただき、ありがとうございます。


今回は、美緒と爽太が少しずつ距離を縮めていく回でした。


爽太はただ優しいだけではなく、自分自身も一度立ち止まった経験がある人です。

だからこそ、美緒の「ちゃんとできない」という苦しさを、否定せずに受け止めることができます。


夜勤明けのカフェで交わされる短い会話が、美緒にとって少しずつ救いになっていきます。


次回は、病棟で大きな出来事が起こります。

美緒が初めて、爽太の前で本当の限界を見せてしまう回です。


続きも読んでいただけたら嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ